高野神社 佐賀県多久市南多久町下多久 旧・郷社
現在の祭神 罔象女神・闇龗神
[合祀] 田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命・大日孁貴尊・伊弉冊尊・速玉男命・事解男命・綿積豊玉彦命・大山祇命・菅原道真・海津見神
本地 十一面観音

「肥前古跡縁起」

高野大明神

多久高野四所大明神本地十一面観世音菩薩紀州丹生の明神也、 其因縁を尋ぬるに建久四年の秋の比多久太郎宗直と云者摂津国難波多久と云所に住けるに頼朝の召しに依り鎌倉へ伺候す、 鎌倉へは砌の御酒宴終り後に相撲の御遊仲ばなるに御前に召出され朝夷奈三郎と相撲の勝負を決し御遊覧に備ふべきと仰せ下され、 宗直畏て領掌し心に思ひけるは抑朝夷奈は当侍の内にも無双の力者と聞ゆる、我力にて叶ふまじと高野丹生の明神に深く誓願を発して曰、 神変不空ば此度の相撲に力を添立所に勝事を得さしめ給へ、即ち御神体を勧請し奉り我国へ崇め社頭を建立すべしと心中に祈誠しける、 頼奉る一念神力に叶ひ朝夷奈をひつたて御前にて三番の相撲を続て勝て本座になをる、夫より相撲も無かりき、 其時頼朝卿感の余りに宣ひけるは、朝夷奈は誉れ有大の男汝小男にして名誉を露す力の程こそ由々しけれ、朝夷奈又神妙也、 摂州より遥々と来り一命を抛ち宗直が顔魂を中にて知て誉を彼れに与ふる事尤老劫の致す所也と感じ給ひ、御側に立たりし銀のひる巻したる小長刀を義秀に賜ふ、 宗直には在所なれば日本国中に於て何人所にても多久と云所残なく下し賜ひけるとぞ仰せ下されける、 宗直も面目を施し自ら明神の御奉幣を持奉り此国を下り多久の庄に御社を造立し明神を崇め其身陣の内と云所に館を構へ日夜信心をぞ発しける、 其遺跡の内とて今も在り