「新編武蔵風土記稿」巻之二百十
(埼玉郡之十二)
町場村
天神社
古城蹟にあり、城ありし頃は天神曲輪と云り、
則城内の鎮守なり、今は村の鎮守とす、
古社なることしらる、
別当東光院 新義真言、上羽生村正覚院の末、霊日山梅松院と号す、
開山舜栄寛文五年三月廿一日寂す、
本尊十一面観音を安ず、
傍に天神の本地十一面観音を置けり
「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」
天神社
羽生市東5-8(羽生字城沼)
歴史
社伝によると、天慶三年平将門を平定した藤原秀郷がその功により武蔵下野二国の押領使となり、府(役所)を下野佐野及び当羽生に開き、羽生の府中に守護神として菅公を祀ったのが当社の創建である。
[中略]
現在の本殿は昭和六年二月二五日再建されたものである。
内陣には彩色の天神座像を祀り、台座に「武州古城天神像御手并持物助力再興畢・岩元禄六癸酉正月吉祥日」の墨書がある。
口碑に、現在の神像を祀る前にも一体の神像があったが、天正期落城の折、城内天神社より奥方がこれを抱いて、現菖蒲町の正能家に預けたという。
江戸初期に真言宗東光院が当社の別当となる。
これにより内陣に本地仏として十一面観音を、また、併せて不動明王・毘沙門天を安置する。