「新編武蔵風土記稿」巻之二百二十九
(幡羅郡之四)
上奈良村
御霊社
村の鎮守にて、祭神は鎌倉権五郎景政なり、
社内に本地仏愛染を安ず、
慶安二年八月二十四日、当社領及別当寺領とも合て、十石の御朱印を附せられる、
鐘楼 正徳元年九月鐘楼の鐘をかく、
末社 牛頭天王 八幡 稲荷 金毘羅
別当東光寺 古義真言宗、太田村能護寺末、瑠璃光山真蔵院と号す
「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」
豊布都神社
熊谷市上奈良1286(上奈良字御霊)
歴史
当社は元来御霊社と号していた。
『風土記稿』には「御霊社 村の鎮守なり、社内に本地仏愛染を案ず、慶安二年(1649)八月廿四日、当社領及別当寺領とも合て十石の御朱印を附せらる(以下略)」と載せられている。
創建の年代は明らかでないが、その背景にはかつて地内に荒川の川筋があったことが挙げられよう。
往時の人々は、河川の氾濫によって生じる疫病などの厄災を怨霊の祟り―御霊によるものと考え、御霊という音に近い鎌倉権五郎の怨霊を祀ってその祟りを鎮めようとしたことが推測される。
[中略]
本殿には、像高30センチメートルの座像が奉安されており「権五郎尊像 元禄十二己卯天(1699)五月吉祥日 建立東光寺恵旭三十二歳」の墨書が見られる。
明治初年の神仏分離により本地の愛染明王は東光寺に移され、明治五年に祭神を武甕槌命に改め、豊布都神社と改称した。
豊布都とは、武甕槌命の別称で、鎌倉権五郎の武勇にちなんだものと思われる。