宇夫階神社 香川県綾歌郡宇多津町 国史現在社(宇夫階神)
旧・県社
現在の祭神 大己貴命
本地 十一面観音

「御領分中宮由来・同寺々由来」

宇夫階大明神[LINK]

 宇足津
宇夫階大明神 氏神 内証十一面観音
建立之暦代 大同元〈丙戌〉三月十三日と申伝候、

「讃岐国名勝図会」巻之八

宇夫階大明神[LINK]

宇夫階大明神〈同所[津]にあり。社人宮本氏・高国氏・多田氏。巫女幸神舎朝日。祭礼十月ノ申酉の日、ゆゑ申酉祭といふ。今は小烏大明神と云ふ。社頭に神供石あり〉
祭神〈大山祇尊・大己貴尊・塩椎翁〉相殿
本地堂 末社〈荒神・申御前・金比羅・寅御前〉
『三代実録』に曰く、「貞観六年十月十五日戊辰、讃岐国正六位上宇夫志奈神加授従五位下」
『幸神舎旧記』曰く、「当社は宝亀十年勧請なり。三神を合はせ祭るは、山海陸を守護なればなり。その時、神烏来りて奇瑞あり。よりて今も雌雄ありて霊験を告げ知らすとぞ。只今の当屋頭三木伊左衛門、豊島小右衛門の遠祖、山を穿ち、階を造り、書野山に社殿経営なし、産土神と崇め祀れり。さて、社頭に霊石あり、神垂跡の石なりその年十月、黒雲四方に覆ひ、申の時非常の雷神天降りその石二つに割れ、酉の時天晴れたり。よりて毎年十月申の時、永く恒例の祭祀となし、申酉まうしと祭り来れり。〈十月中の申酉欠ければ、寅卯の日を祭礼日とす〉神体は楠の古木像なれば、当村の人楠を以て造れる足駄をはかざるなり。往昔、小野道風、当祉の額を書きて奉れり。今なほ社殿に存せり」。
 按ずるに、今の社地を宇夫階山といふは、産土神の社地なるゆゑなるべし。
末包家記曰く、「当社は大同元年十月中の申の日、津の郷長者末包和直と云ふ者に神託あり。我は大己貴尊なり。国の守護神と仰ぐべしと告げたまふゆゑに、和直、時の国司に申して仮殿を建てて勧請す。その後和直をして神事を司らめ、左衛門尉に任じたまふ。同二年、今の地に社殿造営ありて、初めの地を神屋敷といふ。空地なほ存せり。出雲大社の大麻と三鏡を遷し奉り、恒例の祭祀怠らざりけり。毎年十月に三度の祭祀あり、初めの日を卯申と云ひ、中の日を第一となし御幸あり。社司末包和直私田七二十一歩を以て祭礼の料とす。人皇八十九代亀山天皇、宸筆にて宇夫階大明神の神号をたまふ。その後星霜を経て興廃あまたありて、慶長年中再興せり。棟札今なほ存せり。寛文八年、公命によりて神宮寺を以て別当となす。その後社事悉く別当職に帰せしかば、末包氏は職を辞して、下禰宜を以て社殿を守る」(以上、『幸神舎旧記』とは小同大異、いづれか是なるをしらず)。
[中略]
神宮寺〈同所にあり。東瑞山蓮花院。真言宗、聖通寺末寺〉
本尊十一面観音〈仏師春作〉 大師堂。
当寺は文和年中沙門宥賢草創なり。 明治二巳年御一新となりて、神仏混淆御乱れ正し、唯一となりて帰俗なし、宮本司馬と改称なして廃寺とはなりぬ。