若電神社 埼玉県本庄市東五十子 旧・村社
現在の祭神 別雷命
本地 十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百三十九
(児玉郡之二)

東五十子村

雷電社

本地十一面観音を安ず、 増国寺の持

「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」

若電神社

  本庄市東五十子10(東五十子字西浦)

歴史

 当社は、集落の西南端に鎮座し、高さ3.2メートル、直径約20メートルの古墳の祀られる。 創建については『児玉郡誌』に「当社は古老の口碑に、三代実録に記載しある若電神社なりと云ひ伝ふ。天慶年中(938-947)平将門追討の際、藤原秀郷当社に来り戦勝を祈願し、武蔵守就任の後、報賽として社殿を再建し、別当職として増国寺を創立す(以下略)」と記される。 また、社家の諏訪家に伝わる口碑によると、当社は元来西五十子に鎮座する大寄諏訪神社と小山川を按んで相対して祀られていたが、小山川の氾濫により当地に流れ着いたので、神聖な古墳上に祀ったという。 更に『風土記稿』には「雷電社 本地十一面観観音を安ず、増国寺の持」と載る。