「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」
八宮神社
嵐山町杉山671(杉山字清明)
歴史
社伝によると、当社は第四十五代聖武天皇の御代(724-48)の勧請である。
天慶二年(939)には、平将門の乱を鎮静のため当地の旧城に出陣した経基王が、朝敵征討・疫病消除を当社に祈願したところ霊験あらたかであったので、社殿を修繕し、四方四種の村落に分祀して八宮神社と号し、法施として仁王会六万部を行った。
当社南西の六万部塚・六万部坂の地名は、これにちなむものであるという。
最も古い史料としては明和四年(1767) の本殿造営棟札がある。
これには「大蔵院法印全廓代 村中氏子中」「大里郡川原明戸村棟梁飯田甚八郎清忠 弟子新分一平八」の墨書が見える。
次いで文政二年(1819)の覆屋再建棟札があり、「当村領主森川氏家運長久」「別当杉山大蔵院法印春応代」と見える。
両棟札に見える「大蔵院」は本山派の修験で、境内にその裔の杉山宝斎による寺子屋指南の業績をたたえて建立された頌徳碑がある。
一方、『風土記稿』は「八宮社 村の鎮守なり、相伝ふ古は八王子権現を勧請せし社なりしが、何の頃にや八宮明神に改号ありしと云」と載せる。
信仰
覆屋の壁に打ち付けてある江戸期の木札には「八宮大明神本地毘沙門天王・吉祥天女」と記されている。
内陣にはそれにかかわると思われる木像が安置されているが、傷みが激しく、また氏子の間にもその名称が伝わっていないことから明らかにできない。