横倉神社 高知県高岡郡越知町越知 旧・郷社
現在の祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉之男命・事解之男命・宇迦之御魂命
本地
南社阿弥陀如来・観世音菩薩・大勢至菩薩
北社千手観音

武藤致和「南路志」巻二十三
(闔国第九ノ三 高岡郡)

分徳村 横倉三所熊野権現[LINK]

横倉三所熊野権現(下ノ宮フモト)
本社弐ヶ所(南一社御正躰金仏阿弥陀左観音右勢至・北の一社中尊御正躰金仏千手千眼左右金仏名不知)
○宮ノ馬場より川向越知村に在、 祭日九月九日
○下ノ宮より中ノ宮へ七拾町余、中ノ宮より上ノ宮へ拾五丁余、岩屋へ壱町余也

「府県郷社 明治神社誌料」下巻

郷社 横倉神社[LINK]

創立年代詳かならず、本社は元と南北の二社ありて、南を横倉大権現と称し、紀伊国熊野神社を勧請し、北を金峯神社として、大和国金峯山の蔵王権現を勧請したるものなりと云ふ、 両社中其主なるものは南社にして古来本山を横倉山と呼び、本宮、中宮、下宮の三所ありしか故に、俗に三所権現とも云ひ、本社は即ち中宮なりしなり、
[中略]
神体に就ては神体記に「横倉三所熊野権現、但下の宮、南の中尊金仏弥陀、北の中尊金像千手千眼、又横倉金峯山、三所蔵王権現神体本地金仏弥陀」とあり、 明和庚寅年横倉山中見聞記録には「中の宮社内の物左之通、神体差渡一尺斗鏡の如成物也、縁に鞍の如く玉縁有て所々穴有り、穴のふちに小鼓の調べ通しの座の如きの花形有、真中に高さ三寸斗りの仏体を彫上たり、又別に同形の四寸口斗の物あり、是には神体無之、木像三体神体の後口に有、左右二つは仏像也、中の一つは束帯の像也、居士冠を着し御衣は萌黄色のはげ残りたるもの也、所々章有、素より目鼻も分らず、下は多くは朽たり、誠に下の宮は安徳天皇の御陵にして、中の宮には御像を留め、本宮は御霊也と云伝るも虚事にあらし云々」と記載あれば、併せて考ふべし、
[中略]
古来越知村の総鎮守にして、文徳、西越知、東越知、女川等四部落の産土神なり、 明治四年両社を総べて横倉神社と改称し、同五年郷社に列す、 同十四年十月両社を併合して一社となせり。