神社名 衣笠神社
現在の祭神 大日孁貴命
所在地 神奈川県横須賀市小矢部4-1202
風土記稿の記事

巻之百十二(村里部 三浦郡巻之六)

衣笠村

○金峯蔵王権現社  祭神安閑天皇なり、 日本武尊を合祀す、 天平元年の勧請と云ふ(縁起の略に曰、天平元年行基当郡行脚のとき、錫を此地に駐め、金峯権現を勧請して郡中の惣鎮守とす)、 祭礼九月十日 別当大善寺
△末社 御霊 建久五年九月二十七日勧請す、 三浦大助義明の霊を祀ると云
○伊勢宮
○秋葉社
○第六天社
○住吉社  已上共に村持

巻之百十三(村里部 三浦郡巻之七)

大矢部村

○近殿明神社  村の鎮守なり、 神体木像(長一尺余) 三浦駿河守義村の霊を祀る、 村持下同じ
△末社 荒神 稲荷
○神明宮
○浅間社  例祭六月十日、
△末社 天神 牛頭天王
○貴船社  神体円石
○山頂神社  山上にあればかく称せり、 三浦介義明の乗馬を祀れりと云ふ、 例祭二月十九日
○熊野社

小矢部村

○洲宮明神社  村の鎮守なり、 村民持下同じ
○熊野社  是も鎮守なり
○山王社 二  一は大松寺持、 一は村民持
○神明社  大松寺持下同
○道祖神社
○牛頭天王社
○弁財天社
○大六天社

巻之百十四(村里部 三浦郡巻之八)

金谷村

○天王社  村持下同じ
△末社 稲荷
○稲荷社

上平作村

○白山社  縁起に、行基当郡遊歴の時勧請せしと云、 延享三年再建の棟札あり、 神躰木立像なり、 村持(行基当郡勧請の時、社辺に草菴を結て、駐錫す、かくて信仰の徒、一寺となし、石井山満願寺と号す、其後保元の兵火に罹て、廃寺となれりと、縁起に見へたれど、今其遺蹤をだに伝ず)
○聖真子社  神躰は木像、 寛永十七年の棟札あり、 例祭九月十九日、 大光寺持

下平作村

○諏訪社  例祭七月二十六日、 村持下同、 老松一株立てり、
△末社 山神 妙正明神 疱瘡神 帝釈天
○諏訪社  下の諏訪と唱、 神躰銅鏡(円径八寸許)、中に座像を鋳出せり 慶長十七年九月二十七日の棟札あり、 例祭上に同じ、 社辺に古樫樹あり、
△末社 稲荷 疱瘡神 妙正明神
○神明宮  元文五年の棟札あり、 前年十二月造立の事を記す、 例祭九月九日、 社地に椎樹あり

池上村

○貴船社  神躰木の立像なり、 例祭九月九日、 元禄十年の棟札あり、 村持下同
○白髭社  寛永十六年(日蓮大菩薩守護所と記、然れば法華勧請の神なるべし) 寛文十三年の棟札あり、 例祭貴船社に同じ
○第六天社  例祭六月十五日

巻之百十五(村里部 三浦郡巻之九)

森崎村

○鹿島社  村の鎮守なり、 村持下同じ
△末社 祖母神 稲荷
○蔵王社  村の鎮守なり
備考 明治45年3月26日に小矢部の皇大神社に衣笠村内(衣笠、小矢部、大矢部、森崎、金谷、阿部倉、平作、池上)の各神社を合祀し、大正2年9月1日に衣笠神社と改称。
第二次大戦後、近殿神社(大矢部)、諏訪神社(阿部倉)、平作神社(平作)、池上神社(池上)が独立。