彌永信美「第六天魔王と中世日本の創造神話(下)」https://t.co/cY1KGEOXFw
「信仰の内容はさまざまで、病気平癒、疫病除けの神、子どもの神、子孫繁栄の神、あるいは土地の守護神、漁の神、作神・生業の神、開拓の神、山の神、火、風の神、方位の神、道の神、旅の神」 https://t.co/ugiKqA8vhE

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年10月26日

彌永信美「第六天魔王と中世日本の創造神話(上)」https://t.co/jfucAS6CJ3
の第二章「中国、日本仏教における魔王と「自在天」、大自在天との混同」に、他化自在天と大自在天とが混同されていく過程が説明されています。 https://t.co/tIgW4MfU38

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年10月26日

天照大神が第六天魔王から神璽を授かった話は、『太平記』https://t.co/fLS5c6tfQm
や『平家物語』剣巻https://t.co/2ubqZMfmwK
にも出て来ます。 https://t.co/Et6vPvhk0D

— k.hisadome (@HisadomeK) 2016年10月29日

第六天魔王の説話は伊勢の神宮で仏教用語を忌む由来にはなっているけれど、宮中は関係無いと思います。
宮中では、御七日御修法をはじめとして、二間観音供など様々な仏教儀礼が行なわれていたわけですから。 https://t.co/KV87d1xsnL

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月27日

伊藤聡『中世天照大神信仰の研究』によると、『沙石集』の第六天魔王説話は弘長年中(1261-64)に無住が神宮祀官に聞いた話。一方、東国で起請文に天照大神の名を記さないのは「虚言ヲ仰ラルゝ」からだという説は天文五年(1536)の『倭朝論鈔』だそうです。 https://t.co/WZ0wHS5Stt

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月27日

同書によると、外宮(度会氏)は神道五部書を述作して伊勢神道を唱えたのに対し、内宮(荒木田氏)は両部神道をそのまま摂取したとのこと。『沙石集』は内宮の神道説を伝えるもので、仏教関係の忌詞も両部神道系の『天照大神儀軌』に説く誓文(僧侶の伊勢参宮に課された規定)に基づく。

— k.hisadome (@HisadomeK) 2017年5月28日