2024.11.5
演歌のルーツはヨーロッパ?
Youtubeのおかげで今や世界中のポピュラー・ミュージックを聴く事ができるようになった。
そのせいか、Enkaは今や世界中で通じるようになったらしく、いたるところで聴かれているようである。
Facebookのある投稿では、カザフスタンの歌謡曲が日本の演歌にそっくりだと言う。
筆者も1999年に仕事でベネズエラを訪れた時に、現地のFMラジオから流れてくる曲の中に演歌に似ているものがあると感じていた。
似ているというのはコード進行の事で、勿論、リズムや使われている楽器やアレンジは別物である。
ウィキペディアでは演歌について歴史や変遷が語られているが、筆者が聴いて来た演歌を振り返って見たい。
筆者の世代が聴いて来た演歌とは、1960年代後半から70年代後半にかけて、五木ひろし、八代亜紀や石川さゆりの時代である。
演歌歌手の古参としては1962年デビューの北島三郎が居る。
彼の時代のレコード録音は会社専属の小編成バンドに必要に応じて笛、尺八や女性コーラスが加わる事もあった。
生ステージでは歌手のバックにはスイング・ジャズを演奏出来るビッグ・バンドが控えており、歌手が入れ替わっても対応できるスタイルであった。
そこに1967年頃になると、歌謡曲界ではムード歌謡と呼ばれるジャンルが登場し、鶴岡雅義と東京ロマンチカが思い出される。
こうした楽曲はサウンドやバンドアンサンブルのモデルとしてラテン・ギターの" トリオ・ロス・パンチョス"に倣ったものであった。
聴かせどころはガット・ギターによるイントロや間奏で、ラテン・パーカッションも使われた。
1933年生まれの鶴岡雅義は作曲家であると同時にギタリストでもあり、ラテン・ギターに造詣が深かったようである。
彼の作品としては1967年にヒットした "小樽のひとよ" が良く知られている。
一方、ラテン・ムードと言っても橋幸夫の "恋のメキシカン・ロック" のような例もあり、
当時小学校6年生だった筆者にはメキシカンは陽気なイメージだった。
戦後は進駐軍による米国のジャズを筆頭に一気に洋楽が流れ込み、1950年代後半から60年代にかけてカントリー&ウェスタン、ハワイアン、タンゴ、ロックンロール、フォーク・ソング、カンツォーネ、シャンソン、メキシカン、ボサノバ等、続々とブームが到来した。
当時の歌謡曲界では洋楽ブームにあやかって様々なムードが演出されていた。
今、振り返ってみると筆者がテレビやラジオを通して聴いていたのは歌謡曲流にアレンジされたものだろうし、本場のラテン・ミュージックに触れる機会は少なかった。
その後、筆者のラテン・ミュージックのイメージが醸成されたのは1971年のサンタナの "ブラックマジック・ウーマン" のヒットが切っ掛けであった。
1947年生まれのカルロス・サンタナはメキシコ系アメリカ人だが、ロックの多様化が始まった頃で、ラテン・ロックと呼ばれていたからである。
筆者がそこに演歌との接点を感じたのは哀愁を帯びたエレキリードギターである。
鶴岡のギターとは、まったく異質だが、コード進行という点では良く似ている。
この接点が益々明瞭になったのは1976年リリースのアルバム Amigoに収録された "Europa 邦題:哀愁のヨーロッパ"である。(Amigoのジャケットアートは横尾忠則である。)
これはいよいよ旋律まで演歌じゃないか!?。
当時はラテン系のサンタナがなぜヨーロッパなのか?判らなかったが、薄々解って来たのはベネズエラでの経験以降であった。
哀愁という視点であらためて振り返って見ると、タンゴに良く聴かれるコード進行と旋律が演歌にそっくりなのである。
筆者の想像だが、鶴岡雅義も同様な思いを持っていたのではないか?
そしてムード歌謡というジャンルで作品を残して来た作曲家達は、戦後のタンゴブームを通過して来た世代だったのでは?
当時、ムード歌謡は演歌とは相容れないものであったが、70年代に入り、先の五木ひろし等の時代になると、徐々にラテン風味が取り除かれ、日本の風土に合った哀愁に変化して来たように思う。
そうしたタンゴ由来のコード進行が、いつの間にか演歌の骨格を形作るまでになっていたように感じる。
タンゴにはアルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴの2大潮流があり、前者はスペインの植民地となった南米で普及し、後者はイタリアから東欧まで広く分布している。
欧州でも南部のフランス、イタリア、スペインはラテン文化圏と言われる。
そしてヨーロッパ大陸はアジアと陸続きであるから、シルクロードを経て文化は相互に拡散したはずである。
そうした視点でYoutubeで演歌のコード進行を持つ曲を探してみた。
"LOS MELODICOS / MI CORAZON 南米ベネズエラ"
"Milonga De Buenos Aires 南米アルゼンチン"
"黒猫のタンゴ イタリア"
(この曲は1969年に日本でも皆川おさむが歌って大ヒットしている。)
"菅原洋一&アルフレッドハウゼ / 黒き汝が瞳 ドイツ、コンチネンタルタンゴ"
" Rosenberg Trio / Rio Ancho オランダ ジプシー・スイング・ギタートリオ"
(この曲の終盤には刑事ドラマ "太陽にほえろ" のオープニングテーマにそっくりなアレンジが聴かれる。)
"Сәкен Майғазиев / Жүрегімнің ішіндегі жүрегім カザフスタン"
"Dimash - Ұмытылмас күн カザフスタン"
"Витас / Опера #2 ロシア"
関連エッセイ:
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カエルの歌
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