2024.11.9
エチオピアの演歌
YoutubeでEnkaで検索していたら大変興味深いものが出て来た。
Aster Abebe と言うエチオピアの女性歌手で、タイトルは Samuelin Enka とある。
聴いて見るとなるほど演歌である。
ひとつ前のESSAYで筆者が聴いて来た60年代後半から70年代後半にかけての演歌のルーツはヨーロッパを起源とするタンゴではないか?と述べた。
しかしながら、このエチオピアの演歌を聴いてみるとタンゴではない。
むしろ、日本の民謡に近いかもしれない。
そこで、この親和性は何処から来るものなのか? 調べてみた次第である。
その前に米国のウィキペディアでEnkaを検索したところ、日本とは別の見方をしている事が判った。
stylistic=様式:Ryukoka=流行歌・Rokyoku =浪曲・Minyo=民謡
origin=起源:tango・bluse・doo wop
となっており、やはりタンゴを挙げている。
そして、戦後に登場したモダン演歌はセンチメンタル・バラッド・ミュージックと評している。
さて、このエチオピアの演歌のタイトル、Samuelin Enka なのだが直訳すると司祭の演歌という事になる。
意味不明だったが、歌手の Aster Abebe を検索して見ると、キリスト教のゴスペル歌手と判って、はたと思い当たった。
エチオピアでは紀元前4世紀ごろからキリスト教(プロテスタント)を受容し、現在は62.8%の信仰率だそうである。
米国にもゴスペル歌手が居るが、それとは別に司祭が聖書の内容をカントリー・ミュージックに載せて歌いながら説話するというミサの様式がアパラチアン周辺に見られる。
このエチオピアのミサの映像も検索出来たので、リンクを貼っておく。
エチオピアでは聖書の内容を載せる音楽のジャンルは決まりがないらしく、Samuelin Enka とは演歌風ゴスペルと言う意味らしい。
このAster ABebeを含めて5人ほどの歌手のリンクを貼っておく。
日本(風)の歌曲が教会の聖歌に使われる例は滝 廉太郎の荒城の月がロシアやハンガリーにあるそうである。
こうした現代歌手ではなく、エチオピアのトラディショナル・フォーク・ミュージックで検索してみると、やはり、日本民謡との親和性が見られたので、合わせてリンクを貼っておく。
ただ、我々日本人が一聴して日本民謡とは違う事が判る。
このトラッド・フォークの事例はエチオピア文化のプロモーション用に制作されたようで、使われている楽器は現代ゴスペル歌手のバックのようなシンセではない。
という事は、筆者が演歌と感じてしまうのは、民族性の現れないシンセやポピュラー音楽に一般的なドラム&エレキベース、ホーンセクションに因るものなのではないか?
民族音楽としてのエチオピアと日本の共通点はこぶしにあると言える。
民族性の現れない楽器編成の方がこぶしが生きてくるように思った次第である。
ギタリストのマーティ―・フリードマンはこの演歌のこぶしに魅せられてビブラートを掛けているそうだ。
"Aster Abebe / Samuelin Enka"
"Meklit Kassahun / ባለ ግርማ Bale Girma"
"Kalkidan (Lily) Tilahun / Eyulign"
"KalkidanTilahun Lily / ቃልኪዳን ጥላሁን (ሊሊ) ቅጥር ሰርተህ (ልዩ ዕትም)"
" Frehiwot Abebaw / nefese yemtwedh (ነፍሴ የምትወድህ)"
"トラディショナル・フォーク・ミュージック"
"EYESUS WANAYE NEWNEW / SAMUEL NEGUSSIE ミサの映像"
"日本遺産プロモーション映像 / マーティ―・フリードマン"
関連エッセイ:
演歌のルーツはヨーロッパ?
エッセイ目次に戻る