2025.11.16
楽曲エッセイ:
Crazy Eyes/Poco、My Man/Eagles ある男の唄
今回はある人物の事を謳った2曲を取りあげようと思う。
この人物はグラム・パーソンズである。
彼は1973年9月19日に26歳の若さで亡くなったのだが、Crazy Eyesは彼が亡くなる4日前、My Manは亡くなった半年後にリリースされているのである。
この2曲は果たして、まるきりニュアンスが異なるのである。
共通項はグラム・パーソンズもCrazy Eyesの作者、リッチー・フューレーもMy Manの作者、バーニー・レドンもカントリー・ロックでの成功を求めてやってきた同士である。
Crazy Eyesは、1973年のPoco6枚目のアルバム*1のタイトル曲である。
リッチーはPocoの元となったBaffalo springfieldが西海岸からデビューする以前の1964年、ニューヨーク、グリニッジ・ビレッジで活動を始めた時、通りの反対側に住んでいたグラム・パーソンズと交流があったとのこと。
リッチーの回顧によるとグラムは "眼をのぞき込んでも何を考えているか判らない奴" だったそうである。
リッチーがこの曲の初稿を書いたのは1969年、グラムはその時、クリス・ヒルマンと共にByrdsを脱退してFlying Burrito Bros.を立ち上げた頃であった。
Pocoはこのアルバムに至るまでリッチーが思い描いていた成果が出ず、彼はアサイラムレコードの創始者デイビッド・ゲフィンの勧めによってPocoを脱退し、SHF=サウザー、ヒルマン、フューレー Band
に移籍を決めている。
そうした背景を知ると、Crazy Eyesは自分の道に迷いを感じた作家がライバルである友人に宛てた書簡のようなものだったのかもしれない。
Crazy Eyes=狂気の瞳とは穏やかでないが、人称的にはグラムの事を指している。
それはグラムの曲 "Brass Buttons" が織り込まれている事で明白だが、この人称はグラムだけではなくリッチー自身と重なっているように思える。
リッチーの曲の中には筆者の好きなものがあるが、歌詞は誰の事を指しているのか曖昧な事があり、良く言えば哲学的、悪く言えば腑に落ちないところがある。
"Crazy Eyes、僕は君を騙していた" とあるが、筆者は騙すとは作詞・作曲という行為は聴衆を騙すものと解釈してみた。
そうすると、"僕は君を騙していた" とは、”僕は君とは違った曲を書くよ”と宣言しているように思える。
二人の作風の違いについては、こちらでも取り上げているので参照頂きたい。
"僕は人込みの中でも直ぐに君の顔が判ったよ" とは "君の書く曲は直ぐ君のだと判る" と解釈される。
グラムとリッチーに共通するのは5年ほど同じカントリー・ロックの道を開拓しようとしたが、ヒットに恵まれなかった事である。
そうすると、最後の "Crazy Eyes、君はどこまでも盲目なんだ" というのはリッチーが自分に問い正しているように思えるのである。
ところで、リッチーは思い描いていた成果が出ない事、音楽活動が結婚生活の障害になっている事がストレスになっていたようである。
そんな時にSHFバンドのペダル・スティールギター奏者、アル・パーキンスからキリスト教への入信を勧められている。
パーキンスもCrazy Eyesを聴いた時、リッチーが迷いを抱えていると気付いたのかもしれない。
それまで無宗教だった彼は次第に感化され、最終的に彼は1983年に音楽活動を止めて牧師に転身している。
それまで盲目でいた彼はここで開眼したのかもしれない。
Crazy Eyes/Poco
君の事を思い出す
誰が誰を騙しているかって?
クレイジーアイズ、僕は君を騙していた
君は "真鍮のボタンと輝く銀の靴" を歌う
クレイジーアイズ、君は何を失うものがあるんだ
サウスカロライナの松林の奥深く
君はその人生のほとんどを深く考えることに費やした
時は移ろい、君は気付いた
かなりの時間を費やした割には得るものは少なかったと
生きるか死ぬか、今となってはそれが問題だ
クレイジーアイズ、忘れないで欲しい
僕はいつも人込みの中でも直ぐに君の顔が判ったよ
そして君は僕を見つけたと思った
クレイジーアイズ、君はどこまで盲目なんだ
written by Richie Furay
from "Crazy Eyes"
youtube
*1
 |
次にMy Man/Eaglesである。
こちらは1974年のEagles3枚目のアルバム"On The Border" *2に収録されている。
My Manとは相棒、あいつというニュアンスでグラムへのトリビュート曲である。
実際、作者のバーニー・レドンはEagles参加前にFlying Burrito Bros.に在籍し、1970年のアルバム、"Burrito Delux"でグラムと同じ釜の飯を食っている。
こちらの歌詞は比喩が無く、誰が聴いてもトリビュートと判る。
葬儀に於いて生前の人物の功労を讃え、人柄を偲ぶ弔辞に捉えられるかもしれない。
グラムがByrdsに在籍した1968年のアルバム "Sweetherart Of The Rodeo"に収録されている"Hickory Wind"が織り込まれている。
残された僕らはまだ頑張るから安心してくれ、というようなニュアンスであり、心を打たれる。
ところでレドンはブルーグラスを出自にしており、クリス・ヒルマンとはThe Scottsville Squirrel Barkersで1963年まで活動を共にしていた事がある。
ブルーグラスには聖書を題材にしたセークレッド・ソングなるジャンルがあるが、カントリー・ロックの時代が過ぎ去った1985年にヒルマン、パーキンスと共に "Ever Call Ready" なるセークレッド・ソング集をリリースしている。
My Man/Eagles
本当の事を教えてくれ、どんな気持ちだい?
なんだか生き急いで 空回りしてるみたいだ
悪く考えすぎるなよ 君は一人じゃない
僕らはずっと頑張ってきたじゃないか
それぞれの道を探そうと
君は行き詰ってしまったというのかい?
ツアーが終わるまでは流れにまかせたらどうだい
突っかかってくるものに成す術は無し
痛みを感じなくなるまでやらねば人は成功しない
痛いと感じているうちは今と変わらない
ある男に出会った
才能あふれる奴だった
彼が歌えば聴く者は涙した
心の奥底から込み上げてくるものだった
彼の声と眼差しでそれが判る筈だ
行く先々で 人の心を揺さぶって 居なくなった
才能が開花し始めたと思ったら
ヒッコリーの風が彼を故郷に呼び戻してしまった
あいつは成功と引き換えに 痛みを超えて遠い彼方に行ってしまった
残された僕らは今までと変わらずやって行くさ
残された僕らは今までと変わらず笑って行くさ
written by Bernie Leadon
from "On The Border"
youtube
*2
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