2011.10.10
人体の不思議
或る日の相方との会話。
私:"えっ!、今何て言ったの?"
相方:”え〜 また〜?”
私:”よく聞き取れなかったよ”
相方:”聴く気が無いんでしょ”
私:”最初の言葉が良く聞き取れないんだよ”
相方:”良く聞き取れ無くったって、その場の状況でだいたい判るでしょ”
と、厳しい指摘である。こちらも新聞を読んでいたり、頭の中で別の事を考えていたり、いきなり音声が聞こえても判読ができないだろ、と思っていたのだが.....
もうひとつ、相方と暮らし始めて初めて判ったことがある。私がお煎餅を食べていた時に相方から話しかけられたときに、良く聞き取れなかったので、”えっ、もう一回言ってくれない?” と言った時も上のようなやり取りになった。
私:”お煎餅を食べている時は頭中にバリバリという音が鳴り響いているんだから.....”
相方:”私はお煎餅バリバリ食べているときだってちゃんと人の声は聞こえるわ”
だそうなのだ。
私はそのとき骨伝導の話を思い浮かべたのである。自分が聴いている自分の音声は他人が耳で聞いている音声とは別ものである。これは、口から出て自分の耳の鼓膜で拾った空気の振動と、声帯から直接頭骸骨を通して鼓膜に伝わった振動が混ざっているというのがその理由である。初めて自分の声を録音して自分で聴いた人は誰でも経験する、”えっ、これが私の声???” という、あれである。
私にはお煎餅のバリバリは頭の中では爆音なのだが、他の人はどうなんだろうか? これは骨伝導の特性が人によって大きく違うとしか考えられない。相方の頭骸骨は恐らくわたしのそれより減衰の度合いが大きいということだろうか?
恐らく人体の構造は私たちが思っている以上に千差万別なのかもしれない。頭骸骨がお寺の鐘のようによく響く人も居れば、土瓶のように響かない人も居るのかもしれない。
そんな相方から最近、面白い話を聞いた。相方が、私にしたのと同じ指摘を今度は相方の姉から受けたのだそうだ。その姉の指摘が面白い。
”人の話が良く聞き取れないというのはあると思うの。どうも音楽をやっている人ってそうみたい。言葉を音楽として聴いているんじゃない?”
だそうだ。 これはとても気になる指摘である。
音楽脳(右脳)と言語脳(左脳)と言われるように、はっきりした境界はないが、脳は音の性質に応じて担当分野が違うそうである。更には、その分野が怪我や病気で失陥しても、別の領域がカバーして回復することもあるそうなので話は複雑である。
いずれにしても、人体の仕組みに関して、自分が当たり前だと思っている事柄は他人には当てはまらないと考えた方がよさそうである。
しかしながら、全員が寸分も違わない受け応えをしていたらかえって不都合なのかもしれない。すれ違いがあるから上手くいくのかもしれない。
宇宙の不平衡というのだろうか? 完全に釣り合ってしまったらエネルギ=ゼロ。動きは停まる。
関連エッセイ:
コオロギは歌う?
音楽の点滴
論理脳とゆらぎ脳
エッセイ目次に戻る
|