「趙雲の願い」(三国志7リプレイ)

[趙雲大地ニ立ツ]
今回のシステムで全620武将から選択出来るようになったおかげで、念願の趙雲からスタート出来るのである。
「ふぇふぇふぇ」と妖しい響きをかもし出しながらシナリオ1を選択するが、残念がら趙雲が居なかったので断念してシナリオ2に変更。
194年からのスタートである。

さて、私は現在公孫賛様の配下で暮らしているのだが、何故だか判らないが城下の人々と話しする機会が無かったので早速足を運び、皆が安心して生活できる環境になっているかを調べていた所、不正役人の噂を聞きつけ早速処分する。
「まったくもってけしかんらん!」
武人たるもの心身共に清廉でなければいけないものを・・・・嘆きながらも治安を良くし、開墾や商業の発展を行ない公孫賛様や後継ぎの公孫続様と交友を増やしていきました。
「北平は良い町だな」こう言えるようになった頃公孫賛様に呼び出され忠勤5年という節目に当たる本日に賞してくれた。得がたい主である。

[趙雲戦場デ大奮闘ス]
軍備も整い中原では凄まじい戦いが行なわれている事を聞き及び、民百姓の困難はいかばかりかと痛感せずにはおれない。
が、我が領地でも戦雲立ちこめ公孫度が収める隣国を攻めると言う公孫賛のお言葉に従い遂に戦場に身を躍らせる事となった!
戦闘に先立ち騎馬を頂いていたので今回の兵科は騎馬軍団である。
軍議では参謀として「正面突破」を進め策を検討して提案した所、賞賛されそのまま採用されたので意気揚揚と進軍開始。
敵方の砦を一つ二つと落とし、最後の城にて敵方の武将2名が守っていたので野戦で激突。
「ここが自分の働きどころ」と心得ていたので真っ先に突撃を開始し、敵陣を粉砕する。
「北平の趙雲子龍ここにあり!、我と思わんものはかかって来い!!」
敵は総大将が別の国に居たこともあり、砦を落とされ士気が落ちていた事が災いして見事生捕に成功。
この戦で士気が如何に重要かを知った戦いであった。
今回の征服行動にて見事勲功第一となり賞されるとともに空白国となった北平の太守と言う大任を任される事になった。

[趙雲太守トシテ苦悩ス]
今まで自分自身の事だけを考えておけば良かったのだが、これからは配下の武将、北平の民百姓、自国の中央に位置するため連絡の要となる場所と考えれば考えるほど難しい状況になってしまった。
しかし主の期待に応えねば・・・・と奮闘するも公孫賛様からの指示が軍備拡張および進行と何やら難しげである。
お隣は袁紹率いる大国であるから油断はならぬという所なのであろう。
わが国には擁修という軍師が居るので彼の働きに期待したいところである。
彼には政治や知力の教えを請うていたので旧知の仲となっているのですが、見識の広さにはびっくりしてしまうな。
私も詩や本をもっと読まなくてはいけないと実感し商人から買ってみたりする。
「う〜む、一朝一夕(いっちょういっせき)には理解できないな」
「暫らく読みつづけてみよう」
と時間を確保して勉学に励んだのであった。
だが、太守としての心構えの弱さがあったのか指示を無視してしまったと言うか・・・軍備を整えるのが遅れてしまいその隙をついて袁紹が6万という大軍で攻めてきたのである。
対するこちらの備えは約1万5千と戦後そのままの状態であり、明かに準備不足でした。
しかも援軍来ず・・・・
「ああ、何てことだ・・・・援軍が来ないとは・・」
脱力するも敵の大将さえ何とかすれば良いと考え直し、野戦にて勝負を挑むが相手は顔良率いる軍団で早々簡単には潰れない。
開戦して30分で勝敗はつき無念の退却を行なう。
「何という事だ・・・私は公孫賛様の期待に応える事が出来なかったのだ」
重くのしかかる敗北感にただ呆然としていた。
この戦いのため本国と分断されてしまい連絡が取れなくなり、戦況がわからないままの状態のときに又袁紹に攻められしまう。
今回は太守公孫続様が兵の配分を貰い人員だけは12000人を要していたがあくまで義勇軍という状況で錬度としては最低の状態だ。
そんな状況での戦闘なので矛を構えての激突も次第に押されていき最後には私を残して他の武将は全滅となりこの時点で敗北決定。
逃げる事も適わず捕虜となるも袁紹からの登用を断り解放して頂いて公孫賛様の元に戻るも視線は冷たく既に主従の間には亀裂が入っていた。
「仕方がない・・・期待に応えられなかったのだから」

[趙雲野ニ下ル]
敗戦から数ヶ月もしないうちに袁紹軍による進行が始まった。
こちらは5万を要する大軍だあったのだが相手もさる者8万を超える軍で攻めてきたのである。
作戦は野戦となり野原で激突するも訓練度の低さは変わらずなので攻撃力が足りない。
しかも相手は袁紹自ら顔良、文醜等を引き連れての参陣であり怒涛の勢いである。
また敵の参謀の計略が見事にかかり味方武将がつぎつぎと混乱し良い様にあしらわれている状況となり敗色が濃くなってくる。
最終的には公孫@様がつかまりここに終戦。
公孫@様は袁紹の元に身を寄せる事になったが、私は潔しとせず野に下るのであった。
戦場で散った友人や兵士の事を思いながら中央に向けて当てのない旅をしていると劉備玄徳という人物の噂を聞きつけたので、少し寄道をしていこうと考え足をそちらに向けた。
後から思えばこの時が私の第二の人生の始まりだったのだ。

[新タナル旅立チ]
小沛の地にて劉備玄徳という人物の配下から面会の申し込みがあり、早速出かけて行くと私の力を貸して欲しいという事であった。
「汝の力があれば民を苦痛から解放できるのだ」
何と言うことであろう。
私のような無名の人物の力で民を苦痛から解放できると言っているのだ!!
余りの感動のためその場で配下にして頂き、永遠の忠誠を誓ったのであった。
小沛、礁、平原という3国を支配下においている我が君の配下には関羽、張飛、諸葛亮という稀代の名将、知将が揃っており小国ながら充実している。
その中であえて声をかけてくれたのかと思うと喜びもまた格別なものである。
とりあえずする事は国の内政であるが、その前に民の間に入っていき劉備様の噂を聞けないものかと巡察を繰り返すがなかなか安定している様で、民の表情も明るかった。
主君劉備様との交友を深めているうちに狩に出かけることになったのだが、途中ではぐれてしまい探しているうちに虎と遭遇し戦いとなってしまった。
何とか無事倒せたが主君劉備様に襲いかかられていたらと思うと恐ろしいばかりである、これからは更に巡回をしていこう。

[曹操台頭ス]
隣国が曹操と袁紹という大国同士という事もあり、争いが絶えないのですが、そのおかげでもってわが国は平和であった。
が、長期にわたる戦闘でジリジリと曹操が押していき、遂に袁紹を倒すと言う偉業を成し遂げたのである。
我が君はこのチャンスに領土を広げ様と陳留に攻めこみ見事制圧したのですが、今度は曹操が北海を攻め落としたので、何と我れらが領地は曹操に囲まれた状況になってしまう。
これ以降曹操との断続的な戦闘が起こり領地は荒れ果てて行く。
数年の間戦闘を繰り返したおかげで小沛の地では既に人口が10万人割れしてしまい徴兵さえ出来ない状況となりこのままでは死地に向かって突き進む事になってしまう。
「軍師の考えはどうなのだろうか?」
滅亡の危機をどう乗り越えるのか気になっていたが余りの国力の差があるので、そう簡単にはひっくり返せないであろう。
少しの間曹操が北海から建業へ向けての侵攻明け暮れたため、国力を充実させチャンスをうかがう事にしたようだ。
しかし曹操と言う人物の強さには呆れてしまう。
北方を総て落としてしまい中央には洛陽まで勢力を伸ばし今や大陸一の実力の持ち主である。
もしかするとそのまま大陸を統一してしまうかも知れないな。

[趙雲日々苦悩ス]
曹操の陣営が領地拡大したため多少員数不足になり、攻め込みのチャンス到来とばかりに戦争をしかける。
業、陳留等を占領し一時は6カ国の領地を得ていたが、曹操が反撃開始。
各地で激戦が行なわれ私も戦場で曹操軍と刃を交えていた。
そんなある日衝撃的な事実が伝わってくる。
小沛を守っていた関羽が曹操につかまりその配下となったという噂である。
正直信じられない思いがしたが戦場で負傷した所を捕まったのだろう。
関羽を取り戻すため軍師諸葛亮率いる軍が平原から攻めこんだので、これで取り戻せるだろうと安心していたが、更に訃報が届く。
「張飛将軍敵に討ち取られる」
「ば・・・バカな・・・・あの張飛が戦場で散るだと?」
主劉備の言葉は私の心の中をも代弁しているだろう、信じがたい事実であった。

敗戦の責任を感じたのか、2回目の侵攻を軍師が行なうが今度は軍師が相手に捕まり配下となったという悲報が入る。
もはや劉備軍は精鋭部隊が失われたのである。
喪失感も大きい事ながら、曹操の侵攻を食い止めなければ今度は我々が捕まる番である。
残った武将と共に獅子奮迅の槍働きを示して、劉備軍がまだまだ潰れないという意志表示を行うが、またもや3ヶ国に逆戻りした。
しかし今度は人口の多い土地なのでまだまだ充分戦えるだろう。

[趙雲軍師トナリ道ヲ知ル]
天才軍師諸葛亮、主君劉備様の両腕とも言える関羽、張飛の喪失と悲報が届き、主君劉備様もふさぎ込んでいたが、そのままでは死んだ張飛に申し訳ないと思ったらしく復帰され我々に再建計画を示された。
その中の人事異動で私のような堅物を軍師として任命する旨発表され愕然とするとともに、この期待に応えなければという強い思いが胸を焦がした。
軍師になってみて真っ先に取りかかった事は軍備の充実である。
昔、北平にて痛い経験を元に兵を揃え、錬度を上げて精鋭化したのである。
その後、内政を充実させてまずは戦争長期化に備えての国造りを指示して行く。
色々対応して行くうちに孔明軍師は沢山の仕事をこなしていたのだと実感、人員の移動から開発指示、軍備拡張と寝る間も惜しむほどの忙しい状況である。
人口を増やし武器も整えたので後は敵の動き次第である。
孔明先生の失敗を教訓に得た軍備拡張にて遂に曹操陣営と火蓋を切る事となった。

[劉備軍台頭ス]
戦端開始は洛陽襲撃から始まった。
敵の補給線上に位置する国を次々と襲い巧妙に曹操主力軍を建業方面に追いやりつつ、戦力を分散させて武将の数を減らして行く作戦を実施し、相手の反撃を完膚無き状態まで叩きつづけた。
これにより捕虜の人員は20人を越す人員を確保し、その中には諸葛亮先生も入っている。
ただ関羽殿だけは未だに曹操陣営におり、なかなか再会する事が出来なかった。
昔懐かしい北平の地にたどり着き、北方を総て制圧した時点でまたもや悲報が届く。
張飛の遺児、張苞が曹操陣営と戦い小沛の地にて戦死したという報告である。
関平、関索と共に新生劉備軍の中核を占めていただけに残念至極である。
急遽北方の制圧から帰還し、中央方面を許昌の地にて監視する。
そして再度準備が整ったので関羽殿を救出しようとしたやさきに「関羽殿死亡」の報告が届きがっくりと膝を突いてしまった。
「生きて関羽殿と再会できなかったか・・・・」
無念の叫びである。
その後、特に曹操陣営を襲う必要が無くなったのと、劉備様が帝救出を優先したため進行方向を西に向け駒を進める事となった。
この時点で勢力図は大きく変わり、我が君の勢力が最大勢力に踊り出たのである。

[ニ大勢力激突ス]
西強?を出発点とした馬騰軍だが、途中から馬超に引継ぎ蜀の地を得て大きくなっていた。
ここでも強力な部隊が育っていた模様で荊州地区で激しい戦闘が起きる。
また西強?方面にも手を伸ばし2方面から追い詰め様と大作戦を展開する。
馬超軍との戦いではこれまで見た事の無い戦象部隊との対決や、川をやすやすと渡る藤甲部隊が次々と現れ、こちらの作戦を簡単に潰してくれる機動力を持っていた。
しかし、諸武将達が押されながらもよく戦い指示に従ってくれたおかげで苦しいながらも勝利を得て行く。
時には野戦だけ勝ち、功城戦はせずに引き返すという戦いもあり、凄まじい消耗戦であった。
この消耗戦を乗りきったのはひとえに人口の多い街を確保していたからに他ならない。
残り後僅かの地域を落とすべく最後の奮闘を各部署に通達して侵攻を再開した。
馬超陣営の最後の土地を攻め落とし配下とする事により膨大な武将が揃った。
この戦いの途中で庖徳殿は病気で亡くなり、魏延は戦死し、馬良殿も戦死と決して小さくない被害を受けていた。
しかし、姜維殿を手に入れたのは大きな収穫であった。
その他に陸遜殿が荊州地区を制圧してくれたおかげで残りは曹操無き後、その国を引き継いだ曹丕の軍勢と最後の戦いの火蓋が切られようとしていた。

[劉備大陸ヲ制覇シ趙雲宰相トナル]
長く苦しかった日々ももうすぐ終わりを告げる事となる。
最後の敵である曹丕率いる最後の砦、「呉」の街。
降伏勧告はもはや両国の因縁を考えればありえるはずが無い。
最後の戦いに備えて周辺国に我が軍の最精鋭部隊が揃い踏みする。
北海には諸葛亮率いる北方軍団、建業には陸遜率いる中央軍団、会稽には私が率いる南方軍団と完全に周りを囲い込み、一気に片付ける心積りであった。
我が君の号令一下呉の街に攻めこみ野戦にて曹軍と激突する。
敵もかなりの軍が残っていたが、錬度、実力共に我が軍を超える事は無くジリジリと押していき敵将曹丕の死をもって最後の戦いが終わった。

後日の人事発表で私が「宰相」となる事になり、正直辞退を検討したが諸葛亮先生まで後押ししてくれたため拝命し残りの一生を宰相として過ごす事を決め、新たな戦場に立ち向かう事に老身ながら喜びに満ちていました。


君主玄徳様が亡き後、曾孫である若君を支えて来たが、久々に関平殿と会話して懐かしい日々を振り返っていました。
「やっと平和が訪れたのだな・・・・」
こうして私の時代は終わった。

自身亡き後、北方の匪賊に万里の長城を破られ国が滅ぶのを天からただ見つめるだけであった。



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