主観だけで構成された、UOの歴史(Napa[97/12-98/9] & Asuka[98/9/28-])
結構歴史じゃないことも書いてます(笑)。赤で追加日付を表示しています。しばらく経過したら表示は消します。

リンク
UOにっきはぜひ見るべし。特に昔を知らない人や海外を知らない人(笑)。読み応え120%。
BRITANNIAの勇者達(ブリ勇)のある ROBINのまんがコーナーはこちら。
kurosukeさんの日記とか、Dr.Kの日記も面白かったけど消えてる。

Kenobi著

UO 第三の夜明け(01/3/14追加):
 91/3/20から始まる新しいサービス。T2A以来の新大陸ができるらしい。クライアントも擬似3D化されるらしい。OSIは結構フィールド試験をしないので、バグを満載したままサービスを開始すると思われる。この予感は当たりそうだ(当たってほしくないけど)。
β試験から一般日本人プレイヤーを締め出しているため(英語でレポートを出さないとほぼ確定している日本人にβ試験をさせるはずはない)、詳細はわからない。退屈とマンネリの解消に結構期待している。
 解せないのがクライアントの重さだ。3D化するとP3-700とかのマシンでも妙に重たくて辛いらしい。ビデオカードごとに細かな対応の注意が上がっていた。EQはほぼ2年前に開始された完全3Dゲームだが、Celeron 300Aの450MHz駆動とG200でも耐えられた。擬似3Dでそこまで重たいクライアントをどうやったら作れるのか。結構謎だ(笑)。
[(01/3/26追加) 3Dクライアントは最低の出来だった。ズーム機能を使うと結構リアルなキャラクターが見えるが、それでは視界が狭すぎてゲームにならない。乗りラマは小さすぎるし徒歩のキャラクターは胸を張ってふんぞり返りすぎている。あらゆる物体に影をつけているため画面から想像されるよりも圧倒的に重たい。しかも、メモリリークが起きていて、戦闘をしなければ数時間、戦闘をしたら1時間に1回はプログラムの再起動が必要だ。さもなければOSごと引きずり落とされる。最悪OSから再インストールとなるだろう。
 
新しい世界はリコール、マーク、ゲートが封じられていて、狩り場へは歩かなければならない。結構EQのまねっこだが、世界はあれ程広くはなく、世界間の通路となるゲートの数も多い。これで、2Dクライアントで遊べるようになれば結構いい感じのゲームになると思われる。ただし、バード、テイマー、BS&EV使いの対策も入れてもらわないと困るけどね
]
UO ルネサンス(01/3/14追加):
世界を2つに分けた。PKなんでもあり世界(従来の世界)のフェルッカと、他人を自分で攻撃することが不可能な世界のトラメルだ。最も多くのダメージを与えた者やパーティが経験とloot権を得られるはずだが、バグがあってloot権を奪われることがある。また、モンスターに殺されるのは防げない。このため、loot権を奪ってアイテムを取るlooterや、モンスターを引っ張って来てHideして人を殺させるMPKが出るようになった。直接攻撃されることがないため結構のんびりと狩り場を占領できる。このためいろいろとトラブルが絶えない。個人的には、扇動バード、ドラゴン連れのテイマー、BSで強敵を殺しまくるBS使いが狩り場を占領しているために、結構面白くないゲームになりつつあると思っている(^_^;)。やはり、肉弾戦士と支援の魔法使いのパーティで強敵を次々撃破するという王道を歩んでほしい気がする(現状は上記お手軽荒稼ぎキャラのパーティが狩り場を荒らしている)が、まー、これも好きずきだから口に出しては言わない(笑)。
UO T2A(01/3/14追加):
ちょうどAsuka & Yamatoが始まった直後に開始された。有料の新大陸が発見されて、新しいモンスターが増えた。ルネサンスでT2Aは無料化されて、T2A固有のモンスターや乗りラマが旧大陸でも現れるようになった。下のほうでも少々触れているのでこれまで。
サーバ:
アメリカのゲームだったため、サーバはアメリカにしかなかった。絶望的に遠くて重かった。パケロスや遅延は日常茶飯事で、裁縫道具をダブルクリックして、メニューが出るまでに5-10秒待つことはざらだった。もちろん公用語は英語。英語が使えないプレイヤーは、仲間をゲームに引きずり込むか仲間を探し当てない限り、早期に止めるしかなかったろう。落ち、巻き戻りは頻繁で、恒例の行事に過ぎなかった。どれだけ遅かったかというと、爆弾をクリックしても秒読みが出ないで爆発していた。秒読みの表示がラグで間に合わなかったらしい。
アメリカに合わせたメンテタイムのため、日本の午前2時だったかにサーバは落ちる。夜更かしは許されなかった(笑)。以前一緒に遊んだサンフランシスコのアメリカ人は、これから仕事に行くといっていたので、今の在日サーバのダウンと同じ時間帯だった模様。
日本人プレイヤーは徐々に増え始め、結構な集団を形成するようになり、日本にサーバを設置することになった。プレイヤー数のためだと思ったが、日本人隔離サーバという性格もあったようだ。妙に母音が多くて単語が長いローマ字の会話というのは、慣れない人間には非常に嫌なものらしい。昔は二バイトコードは使えずに、全部ローマ字だったのだ。
ちなみにAsukaサーバの運用開始は98年9月28日だ(01/3/14追加)。
Napaに骨を埋めるつもりでいたが、在日サーバのAsukaをサーバ立ち上げ時に冷やかしてみて、あまりの回線の良さに感動してしまい、結局居着いてしまった。同じようなプレイヤーは多いはずだ(笑)。オープン当時、Asukaはlogin数超過になるほどの人気だった。確か、Yamatoよりもちょっと早くオープンしたんじゃなかったかな。
Asukaサーバ立ち上げ時のラッシュ(01/3/14追加):
木こりと大工と弓作りが大人気で、森は伐りつくされ、店での買いとりは拒否されまくっていた。1日2000gp程度稼ぐ頃にはテレホタイムとなり、市場は完全に飽和する。Jhelomは武器屋が3軒あり、結構な穴場だった。木の楯は買い取りしてくれる店が違うため両方をほどよく作って持ち歩くのがコツだ。写経業界もぐんぐん写経可能なサークルを増やしてくるので、スペルブックと秘薬を調達してmagery上げの訓練に励む。これは、Windを売却先にするという作戦のために必要だった。初期サーバはスキルが爆発的に上がるため、mageryは約3日で首尾よく72を突破した(この頃はバーストはなかったため、この機会を捕らえそこなうとmageを上げるのは辛い)。Windに来る木こりはほとんどいないため、動物園(今ではエレメンタル系がはびこる地獄地帯)で木こりをして弓を作っては売りまくって金を稼いだ。すでに3日から4日目で家が建ちはじめる。Kenobiはだいたい1ヶ月ほどで44000gpの家を買えた。魔法修行でお金を消費したため、思いのほか遅れた。
ラグ対策:
わたしが始めてしばらくして、OSIはサーバのラグの原因はアイテム数の量であると特定して、アイテム数を増やさないように全力を上げた時期があった。全サーバ中で生き物の数は一定化され、それを越える数の生き物は生まれなくなった。モンスターが持つ屑アイテムもラグの原因ということで、雑魚モンスター(モンバットやヘッドレス)はアイテムを保たなくなった。
この規制以前はちょっと変わっていて、モンスターは必ずバックパックを持っていて、その中に所持品が入っていた。そしてそのバックパックの中にまたバックパックがあり、というように、数段にわたってバックパックがネスティングしていた。モンスターが生まれた時点で、その無駄な数のバックパックだけアイテム数が増えるわけだ。
謎のアイテム:
初期のころ、モンスターが持っているバックパックの中に、黒い四角に"NoDraw"と書いてある謎のアイテムが入っていることがあった。このアイテムは掴めず取り出せないので結構じゃまだった。リコールやゲート先に人がいる時にブロックされる修正が入った時(以前はブロックされなかった)、障害物がないかどうかの判定に、その場所に"NoDraw"の四角が一瞬表示されていた。多分アイテムの種類を示すID番号が狂って、本来使わないはずのIDをモンスターが持ってしまったのだろう。このバグは実害はなかったため結構長く続いた。
リコールの重量制限:
初期のころは、リコールには重量制限がなかった。目一杯物を持った状態でリコールを唱えれば、即座に目的地に飛べた。重過ぎても足元に落とさないので、本当にあるだけ持って飛べたのだ。生産キャラはこれで結構助かっていたようだが(当時、ファーストキャラの生活が精一杯で生産は生活の糧の裁縫だけだったので推測)、これが封じられたわけだ。
極初期の話:
一般にサーバが公開された時、ベータからやっていた人はノウハウをため込んでいたが、一般プレイヤーは全く自由で何をやっていいかわからない状態だったらしい。町の外に何があるのかもわからず、あえて出るとPKの待ち伏せで軽く殺されていたそうだ。そのため、しばらくは外に人が出なかったらしい。
それからしばらくして、人々は町から外に冒険に出るようになった。ブリテン西の三叉路、その手前の堀切の道、デスパイスへの道はPKのメッカとなり、死体がごろごろ転がる場所だったようだ。ある時ブリテンの西の三叉路に非常に強力なPKが現れ100人以上虐殺していた(外人さんは人を集めて反撃するために被害が拡大する)。あまりに強いためチートの疑いがかかりGMも登場したらしいが、極一般的な装備だけだったそうだ。サーバの開始早々で経済も回っておらず、市販の装備だけでそれだけの差がつくわけだからプレイヤーの経験は恐ろしい。
海外サーバのノリの良さ:
昔、Napaで仲間うちで集まって、ムーングローのテレスコープの前で、黒ローブ(この当時黒タブはチートで作られていて、公式なものではなかったが、実害が無いので黙認されていた)を着て、片手にろうそくを持って "chiri-n"といって遊んでいた事があった。盛り上がってきた我々は、その勢いでブリテンの第一銀行に圧しかけた。みんなで並んで"chiri-n"とやっていたら、外人さんたちは、なんだなんだ、何をやっているんだと続々と集まってきて、みんながろうそくを持って並び始めたのだ。意味もわからずに"chiri-n"とやっているのは滑稽だが、本当にノリが良かった。最終的には画面外に続くほどの大集団になったが、スリが集まってきて治安が悪化したために、我々主催者はその場から逃げて、酒場(青イノシシ)でパーティをして解散した。あれからどうなったのかは不明(笑)。
デシートの骨騎士部屋は、出は悪かったが結構人が集まる場所だった。結構通ったものだが、その時に椅子を持っていき部屋のまん中で座ったら、知り合いがそれに重なってきた。外人さんがその上に座ってきて、みんなも座れと誘い、結局十数人が1つの椅子に座って、4方向にぐるぐる回るという実に奇妙な光景が展開された(笑)。でも、楽しい。
町の飾り:
現在の在日サーバでは(海外は知らない)店の装飾は固定されているが、以前は全部盗めた。ただし、再度出てこなかったらしい。この結果、町は非常に殺風景だった。港に積まれている樽も在日サーバも開始直後に全部盗まれてしまい、殺風景だった。このため、アイテムが最初から固定されているT2Aは夢の町に見えた(笑)。
アイテムが再度設置されてロックダウンされたのはいつだったのか忘れたが、別の町に来たようで感動的だった。
生物:
3年前、UOの地上にはPCとNPCの町の住人を除くと、ほとんど生き物がいなかった。ひたすら森をほっつき歩いても、生き物に出会えることは結構まれだった。たまに出会える生き物も名前が赤いPCだったりした(笑)。しかし、徐々に生き物が湧くようになってきた。これは、銀行の重量制限、個数制限を入れたり、厩舎のワイプを行った直後に顕著だった。ほとんどの生き物が厩舎にいて、新たに湧いてこないということだったらしい。鳥類は羽をとるために人気が高かった。
徐々に生き物の数は増して行き、最後には場所によっては膨大な数の生き物と秘薬が湧くようになった。世界が二つに分かれる前の、ぶつかるとスタミナを奪われる世界では、この異様に多い動物が、かえって苦痛になるほどだった。Orc Mageに襲われて回避中(残りHP1)にクマに行く手を遮られて憤死したLeiaは、クマ殺しとして蘇った(笑)。
モンスターの内職:
以前は家の中にモンスターや動物を囲い込むことが許されていた(禁止されていなかった)。そのため、レジスト修行のために魔法を使うモンスターやNPCを囲い込むのが一部で流行っていた。長年囲い込まれたモンスターは、暇を持て余して内職に励んでいたらしい。彼らを殺すと、棺桶の中から膨大な量の単一種類のスクロールが発見され、囲い込む期間が長ければ長いほど量は増えた。
ちなみに、モンスターの使うスペルはスクロールのダブルクリックのようだ。そのため殴られていてもキャンセルされない。運がよければ戦闘中のモンスターの足元に一瞬だけスクロールが表示されることもある。彼らはスクロールを自分で書いて使っているのだ(笑)。
住宅:
当初、住宅には規制がなく、床とステップと同じ広さの空き地があればどこにでも建てられた。そう、どこにでも建てられたため、道の上は絶好の建築場所だった。ブリの場合、街中の道路にも家が建っていた。しかも四方に余白を要求しないため、建物が密着して建てられてしまい。最悪の場合、ある家の周りにびっしり家が建ってしまい出入りを封じられるという事件も発生した。これを逆手にとって、大きな家の戸口の周りを小さい家やテントで囲んで、ドアに直接接近されないようにする事もできた。
ガード圏内は建築禁止という規制が入り、道を踏んでいる建物の腐敗速度が加速されるという規制が入り、通路だけは確保された。しかし、ブリテンの北東の沼地はほとんど完璧にブロックされており、かろうじて通過可能な通路が1つだけあった。
住宅2:
家の鍵は交換不可能で、所有者と言う概念すらなかった。したがって、鍵を奪われてしまうと、家のセキュリティは完全に無くなってしまうのだ。また、ドア開けた瞬間に押し入ってこられると、攻撃した瞬間に評判が下がるシステムであるため、追い出すこともできない。勝手にログアウトされて、人のいない時間帯にごっそり盗まれてしまうわけだ。家侵入者を無条件で殺せたり、フレンド以外はlogin時に外に追い出される仕様は、この救済策だったのだ。もちろん、BANもできなかった。ただし、救済策が導入されたのはず〜〜〜〜〜っと後の話。OSIはとにかくアイテムを減らすためなら、善良なプレイヤーの悲劇の無視もいとわなかった。セキュアボックスやロックダウンと言う便利なものはなかったが、鍵をしっかりと守り通した家の中には、無制限に物を詰め込むことが可能だった。家の中なら床の上でも腐敗しないのだ。
住宅3:
しかし、鍵を守り通しても、バグを使って家の中に直接アクセスしたり、家の中に浸入することが可能だった。家泥棒達は信じられないほど狡猾に、家に関するバグを発見しては、家の中身を奪い去った。Napaの自宅では、視界内にある家の中身が全部空っぽだった事もあったが、なぜか自宅は被害にあったことがない(もう腐ったけど)。家泥棒が活躍すると、(OSIからすると)無意味に貯えられたアイテムが減少するため、OSIはなかなか取り締まろうとしなかった。
住宅4:
最初のころスモールハウスは1万gpだった。すぐ4倍の4万gpになった。1万2千gpのテントは、あこがれのセキュアボックスを得る最短の方法だった。テントはセキュアボックスと4辺が障害物にかかっていなければ、中に木があってもよかったため、結構な数が建てられて、結局廃止となってしまった。テントの中には宝箱があり、今でいうセキュア箱の働きをした。これを破るバグは無かったようで、結構安心できた。ただし、テント内でHideされていて、宝箱を開けた瞬間に殺されればそれで終わりだった(笑)。
住宅5:
昔はモンスターが湧く場所に家を建てると、モンスターは中に湧いていた。これも、屋外にモンスターが無い原因の1つだった。一番最初の頃はダンジョンの中にも建てられたために、結構ひどいことになっていたらしい。モンスターに腐敗タイマが入ったのは極最近のことなのだ。[この時代は湧いたモンスターで充満した家が存在し続けて、モンスターの湧きを止めていた(01/3/14)追加]
住宅6:
最初、住宅の鍵は使う必要があった。つまり鍵をダブルクリックしてドアに当てなければドアは開かなかったわけだ。これはオーナーには非常に不利な仕様で、家の前でもたもたしなければならない。それから、持っているだけでドアをくぐれるようになったわけだが、確か結構後のことだったと記憶している。
住宅7:
住宅を守るための知恵として、自宅に戻る際のルーンは複数個、自宅から数画面離れたところにマークしていた。リコールポイントが一定では、待ち伏せを受けやすいからだ。また、飛んだ位置で殺されても、自宅の特定に時間がかかる。
まず、鍵を持たずにリコールして、自宅玄関のまわりを走り回り、見えない何かにぶつかったと言うメッセージが出ないことを確認する。バンクに飛び戻り、鍵を持って別のルーンで自宅に戻るというのが、手間はかかるが結構いい感じの対策だ。
この往復パターンを読まれて、バンクで最初のリコールの前にバックパックを開いておき、戻って来た時にバックパックを開いて、鍵を入れた瞬間にスリ取られるという悲劇もあった模様。立地条件が非常によい住宅のオーナーは、バンクルーンのパターンも帰る必要があった。
ベンダー:
以前(在日サーバ開始からしばらくまで)は、プライベート、パブリックの区別はなく、どの家にでもベンダーが置けた。今でもなぜOSIがプライベートハウスにベンダーを置けなくしたのか理解できない。金持ちのプレイヤーは自宅と店舗の最低2件を所有するようになり、宅地不足に拍車をかけた。そのうち、所有する家の総量規制が始まったが、既得者には及ばなかったため、貧富の格差を拡大しただけだった(かくいうわたしも自宅に2階建と、店舗にSHという2軒持ち。すんまそん)。
経済:
昔はお金はなかなか稼げなかった。初期は、裁縫をして小金を稼ぎ、徐々に装備を買い揃え、どーんと冒険に出かけてはPKされて文無しとなり、またやり直しになった。糸は1個2gpだったので、裁縫さえしていれば、破産することはなかった。原価10gpで70gpで売れる布が作れるわけだ(布にも品質があり、悪い布は買い取ってくれなかった)。糸の在庫がある時は買い占めていたが、お金がほとんどないので、多くて100個のレベルだった。裁縫セットも、必ずバンクに2つはしまっておかないと、PKされた直後に再起できなくなる。メニューの反応がラグで遅かったのと、慣れていなかったせいもあり、1時間裁縫して500gpとか700gp程度稼げれば御の字だった。当時裁縫屋は人が溢れていて、競争も激しかった。
あの頃は、単純に、どこの誰が、どうやって家を建てているのだろうと感心したものだった。
定期的に入荷する皮を購入して、皮ブラを作れば大金持ちになれるという噂もあったが、皮屋に行ってもそういう皮は全く見当たらなかった。また、当時は皮にはさみを入れて軽くすることはできなかった。
フリーフォージ1:
以前はAdd-on Deedは無く、室内に固定の炉と金床を持った鍛冶ハウスが売っていた。これを鉱山の入り口の脇に建て、タイミングを図りながら家を腐らせると、家は消えて炉と金床だけが残った。昔は、極まれにこのような奇特な事をしてくれる人がいたのだ(理由は後述)。ドアを開ける必要が無いのでドリブルも楽で、非常にありがたかった。
フリーフォージ2:
鉱山の脇には、鍵をかけていないフリーフォージがある場合があった。これは、鉱夫の苦労を知っている太っ腹な人の好意の場合と、PKされて鍵を奪われ、泣く泣く鍵を開放したオーナーの、恨みのこもった場合の2種類があった。
個人的には、フリーフォージができると鉱夫が集まって採掘の競争率が上がり、それを狙ってPKが来るようになるため、あまりありがたくはなかった(笑)。
銀行:
極初期には銀行はなかったそうだ。PKされたら再起不能ですな。銀行も最初はお金だけしか預けられなかったため、PKされた時のダメージは膨大だったらしい。わたしが始めた頃はアイテム数、重さ共に制限がなかった。なんでもかんでもため込めた。UOでは銀行の中身はどこへいってもアクセスできる。サブサーバを越える移動を行うと、サブサーバ間で銀行の中身をコピーするという作業が発生して、それがサーバの負担だったらしい。このため段階的に重量とアイテム数の制限が入って、125個 400stoneという状態に落ち着いた。愚かなOSIは最近になって、個数を制限すれば重さは関係ないということに気づき、銀行やセキュアから重さの制限は撤廃された。ベンダーから重量制限が撤廃されたのは極最近だ。銀行のアイテム制限が入ると、物が入らなくなるのはもちろん、うっかり出してしまうと戻せなくなるために、ものすごい状況になった。銀行周りに人骨が転がっていれば(コンテナではないただの人骨、昔はモンスターが出した)、銀行に制限が入ったな、とすぐにわかったものだった。なぜか人骨やバックパックをため込む人が多かった。
銀行2:
以前は銀行のない町が数ヶ所あった。ムーングローの銀行に商品が陳列してあり、Tinkerがうろついているのはその名残だ。不自然な建物を使っている銀行は、だいたいが後からできたものだ。今でも、Coveの村には銀行は無いはずだ。ブリテンの銀行は大混雑で治安も非常に悪く嫌な場所だった。そして、いつの間にかトリンシックとブリテンには第二銀行が誕生していた。これはこっそりと行われたため、結構長いあいだ空いた銀行を堪能できた。
最近はWindにもBankerがいるらしいがどこにあるかは不明(^_^;
腐敗タイマ
一時期、ものの腐敗をカウントするタイマが止まった時期があった。多分バグか何かで致命的なことが起きたために止めたのだろうが、物が腐敗しなくなった。森中に皮やバックパックやfurが散らばっていた。また、このため焚き火が消えなくなった。このため辺り一面を火の海にするプレイヤーがよくいた。
グラフィック:
初期にはアニメーションの数が少なく、モンスター、動物、人間とも死ぬ時は、突然地面にぱたりと倒れた。このアニメーションを追加するパッチがめちゃくちゃに大きくて、結構迷惑だった(笑)。絵のパターンが少なく、椅子に座れる方向は限られていたらしい(笑)。
また、馬の表示がバグっていて、ロン毛でもこげ茶でも、乗ると全部白いモヒ馬で表示された。
馬:
結構長い間、ブリタニアの人はあまり馬に乗らなかった。これは馬を買うお金もためらわれるほど貧乏だったのと、どうせPKに殺されるから乗るだけ無駄だったからだ。
ブリタニアに馬が溢れたのは、在日サーバができて、その直後にT2Aができ、野良馬がうろうろするようになってからだ。ちなみに、旧大陸では野良馬を見つけることはほぼなかった。
そして、PKと市民の回線条件が同じであり、ラグのない(海外に比べれば)在日サーバでは、馬に乗って素早い起動を行うことが生き残るための有効な手段となった。
スキル:
スキルは近く(1か2タイルの距離)で見るだけで一定量までは上がった。たとえば、モンスターを叩いている時にフェンサーが参加すると、フェンシングのスキルが勝手に上昇してしまうと言うわけだ。ImaNewbieというUOの4コマ漫画では、GM Mageをみんなで囲んで一斉にキャンプファイアをつけて、キャンピングを上昇させるという、いたずらネタがあった。GM鍛冶屋は、恐ろしくて銀行やダンジョンにいけない状態だった。
スキルを上げるのは根気が必要で、GM鍛冶屋や薬屋は尊敬の的だった。
使わないスキルは退化すると言う仕様のはずだが、使っていてもよく下がった。これは、スキルを使った事を記録するフラグがサブサーバをまたがなかったためらしい(多分バグだと思う)。ステータスボーナス込みのスキル値しかわからないため、スキルマネジメントは事実上不可能だった。
スキル2:
以前は戦闘スキルは、攻撃を行った時だけではなく、受けた時にも上がっていた。ところが、これを逆手にとって、白クマを囲って弓を装備して(矢は持たない)攻撃を行い、殴られるだけで弓スキルを上げたり戦闘スキルを上げるというのが大流行してしまった。世界中からシロクマが消え、金持ちかテイマーの家に拉致されていた(笑)。シロクマは、GMまで戦闘スキルを上げてくれ、しかもグリズリーベアよりも痛くなかったので最高の先生だった。結局、受動スキルアップはなくなり、こちらからの攻撃でのみ、スキルチェックを行うように改善されてしまった。
ステータス:
昔は絶望的に変動しなかった。プレートが着られるSTRは60だったので、プレート装備のキャラクタは、それだけで結構成長しているという証しとなった。又、ほとんどのスキルにINTが絡んでおり、成長しきってしまえば、使えば使うほどINTが増えて虚弱化してしまうらしかった。225のリミットの少し前からステータスはシーソーを開始したので、STRを維持するのは非常に困難だった。DEXはそれほど速度に関係しなかったため、無視されるステータスだったが、なかなか減らなかった。
スキルとそれに関連するステータスの関係が見直されたのは、在日サーバが出来るちょっと前のことだったと記憶しているがどうだろう。結構ステータスが上昇するようになったが、戦闘スキル以外では上がらずに、しばらく鉱夫や樵たちが苦しんでいた時期があった(サーバが出来た直後なので、非力な鉱夫や樵では材料を運べない)。見直し前は、採掘と樵がSTRを上げる有効なスキルだったのでその逆になったわけだ。
余談だが、Napaで弓樵戦士(昔は樵スキルのボーナスはない)のVaderが、樵中にブリの東でPKに遭遇して安全圏に逃げ込んだ時、その場に居合わせた外人さんに誘われてPKK参加したことがあった。その時STR92と教えたら、Cool!と誉められて、どうやったらそんなに強くなれるんだと聞かれた。このときPKは数に押されて一斉に逃げ散ってしまい、即席PKKの勝利となった。数と言っても 5:3ぐらいの戦いだったのだが、攻撃されると自動反撃でガンと削ってくる弓戦士は嫌だったろう。
町の治安:
昔は石壁、攻撃魔法をガード圏内で使うと、ガードに問答無用で処刑された。ペットにattck, kill命令を出しても、その瞬間に処刑される。犯罪フラグと言うものは無いので、即決で処刑されなければ安全だ。もちろん、他人を攻撃しても処刑される。ペットや魔法の使用による処刑は、出した瞬間に決定される。ターゲットが自分であっても即決で処刑される。
昔、裁縫でせっせと稼ぎ(といっても500gp)、魔法屋でライトニングのスクロールを買い、ラグでダブルクリックしてしまい、スペルブックに雷を落とした瞬間に処刑された経験がある。復活して戻ってきたら、死体は裸だった。ミスをしない限り安全だが、ミスをした瞬間に全てを失うというのもスリリングだった。召喚クマにkill命令を出して処刑されたこともあるよ(笑)。ターゲットは野生の雌シカ。あのガードはグリンピースの人だったのかもしれない。
死体の所有権:
どこであろうとも、死んでしまえば、死体に所有権はなかった。復活して戻ってきても、何か残っていたらラッキーで、大概は素っ裸にされていた。そんなもんだと思ったら、悔しいことはなかった。自分が死体を見つけたらラッキーと思えばいいわけだ(やったことないけど)。
ペット:
動物はペットになっても灰色で、なんのタグもつかなかった。Tameを試みると「すでにtameされているぜ」と表示されるので、なんとかわかる。all というワイルドカードは無いから、名前は確実につけて、その名前を呼ばなければならなかった。ペットを叩いて灰色になることも多かったようだ。
動物は名前を呼んでやれば忠誠度が上がったので、xxxx love、xxxx nice、xxxx goodと声をかけまくっていた時代があった。名前を呼んだら忠誠度が上がる仕様はこっそり撤廃された(命令に成功すると忠誠度が上がる仕様は昔のまま)が、本当にペットをかわいがっている人は、それ(撤廃)が判明した後も名前を呼び続けている。これも度が過ぎるとうるさいのでほどほどにね(笑)。
また、ペットが腹を空かす時間は結構早く、1時間に1回などのテンポで餌を与えなければ振り落とされていた。
始めのころは、ペットはモンスターの攻撃対象にならなかった。ダンジョンにペットを連れてきて、モンスターの死体やドアをガードさせて相手を犯罪者にするMPKや、主が死んだ後もうろうろする馬を処分するために、ペットとリリースされた動物は、自発的にモンスターを攻撃するようになった(返り討ちですぐ死んでしまう)。
評判:
今の二次元システムではなく、単純な1要素だった。モンスターを倒すと一定量の評判が入り、それをためてGreat Lordにまでなれた。ただし、一定時間内だと、いくら倒しても入ってこない。インターバルが必要だった。見かけ上は無印青→青Lord付き→青Great Lord付きと段階を踏む(無印青や青Lord内にも段階はある)。また、評判が溜まっていない状態で他人を攻撃してしまうと(危ない行為に警告するシステムはバグがあり、よく警告が出ないことがあった。また、この警告システムはデフォルトではオフだった)、一人目で灰色、二人目で赤くなった。問題は死んだ時点でなく、攻撃した時点で評判が落ちることだった。謝っても遅い。無印青→灰色→無印赤→赤Lord→赤Dread Lordと称号は低下して行き、Dread Lordからはモンスターでさえも青く見えた。ここまで落ちると、ヒーラーや乞食を拉致して小銭を延々与え続けるしか戻る術はない(お金を施すことも善行なのだ)。赤Lordの初期段階(Evil Lord)までは町の中に入れた。
なお、灰色や赤は、殺しても文句を言われることはなく、赤を殺した場合、評判が上がった。
ラグのひどい時に地震のスクロールを動かそうとしてダブルクリックしてしまい、画面内の全員を攻撃して、一瞬でDread Lordになるという悲劇もあったそうだ。昔は、地震の影響を受けるとひっくり返るアニメーションが表示されたのだが、最近はない。
評判システムが変更されたのは、在日サーバができる前だった。
ちなみに、旧評判システムでは、無印青のキャラクタが自分をクリックすると、名前が灰色で表示された。このため結構どきどきさせられた(笑)。
徳の守護者:
青Lordの頂点がGreat Lordだった。GLになってもう少し評判を集めると、徳の守護者になれた。ブリ城かブラソン城のガードにvirtue guardと話しかけると、守護者の盾がもらえた。この盾は優秀で(当時は盾の種類による回避率の変動はなかった)、なんと装備したまま魔法を使うことができた。盾を装備した状態で、評判を少しでも落とす行為をすると、盾はその場で爆発して所有者を殺してしまう。結構緊張するシステムだった。
また敵対する盾を持った人間は相手に攻撃を行うことができた。ギルド単位ではなく、盾を持っていれば個人を攻撃できるわけだ。銀行でいきなり攻撃されたことが数度あったが、そういう時に限って用事があって忙しく、応戦するまもなくリコールした。チキンに見えただろう。
このシステムを使うと、知り合いに敵対する方の盾を取らせ、二人で延々スパーすることもできた。攻撃した瞬間に評判が低下する旧システムでは、これを利用するか、ギルドメンバを相手にするまではスパーできなかった。ギルドシステムは最初はなかったので、安全スパーは徳の守護者だけの特権だった。ただし、敵対盾持ちに見つかると乱入助太刀されるので、空き家を利用するのが身のためだ。
評判の低下:
昔は、テイムした動物が空腹で野生化した場合、主人の評判が下がった。これは結構いい使用なので復活させてほしいと願っていたりする。また、vendorに声をかけた後、別れのあいさつをしないと評判が下がるといわれていた。今でも、店でvendor buyやsellのあと、goodbyeを必ず言う人がまれにいるが、これはもう大昔からの習慣で身体で言ってしまうのだろう。
魔法:
両手を開けておかないと魔法を唱えることはできなかった。勝手に装備を外す機能もなかったし、武器を付け外しするマクロもなかった。このため、盾を持っているキャラはアマチュアだと言われた時代でもあった。この時期は、みながHalを装備していた。刃が大きくつかみやすいので、とっさのときに外しやすいわけだ。盾を持っていると、武器と盾を外さなければならないためとっさの時に辛い。とっさの時とは次の項目でわかる。
PK:
どこにでもいた。箱に罠を仕掛けて開けた人を殺して身ぐるみ剥ぐトラップPK(ベテランは今でも鍵のかかる種類の入れ物を見つけても開けたりしない)、台詞を赤くして「**** attacking you!!」と叫び反撃を誘ってガードに処刑させる、なんちゃってPK、「STRを上げる薬だ、ダブルクリックしろ」と紫ポーション(爆弾)を渡して自爆させガードに処刑させるPKもいたが、大半はガード圏外で襲ってくる正統派PKだった。PKを見た瞬間にリコールを唱えなければ逃げられなかった。当時PKは海外プレイヤーが多く、回線の差から、日本人は逃げても振り切れないのだ。自動All Nameという便利な機能はなかった。画面外から呪文の詠唱が見えたり、足音が聞こえたり、人影が視界に入ったら、All Nameを割り当てたキーを叩くのだ。緊張の連続だ。もちろん両手は常に空けておく。
以前はモンスターはゲートをくぐったためゲート利用のMPKもあった。比較的ぬるくて人の多い狩り場に先発隊を送り、出入り口の前でHideさせる。部屋の中にゲートを開いてドラゴンやデーモンを送り込み、逃げる連中はHideしたメンバがスタミナを奪って逃がさない。というPKが流行ったのだ。おかげで野生のモンスターはゲートをくぐらないように仕様変更された。
今でも、狩り場のまん中にゲートが出ると、PK集団か、でかいモンスター(ドラゴンかデーモン)が出てくるのではないかと警戒してしまうほど、骨身にしみている。
でかいモンスター:
結構最近まで、盾も包帯もあまり役に立たないスキルだった。今では結構強力なモンスター相手に盾を持って包帯をまきながらタイマンを張れるが、昔はMPKがゲートででかいモンスターを送り込んできた場合、逃げるのが遅れれば即死んでいた。
魔法PK:
昔は呪文の詠唱に遅延がなかったため、ショートカットをダブルクリックしてターゲットを選ぶとその瞬間で発射していた。FBの連打による荒っぽいPKが多かった。また、パラライズは一定期間動きを止めたので、これを食らったら死亡確定だった。
ファイアフィールド:
初期のファイアフィールドは他人にもダメージを与えて、出した人の評判には影響を与えない便利魔法だった。モンスターもこれを避けずに足を止めて殴り合ってくれたので、使いでのある呪文だった。しかし、ダンジョンに入って最初に現れるポイントに、これを出されると、なす術もなく黒こげにされた(当時はこの待ち伏せ攻撃も禁止されていなかった)。こうしてPKが愛用するようになり、新評判システム(今のシステム)になってしばらくして、犯罪&攻撃者フラグが立つようになり、非常に危険な呪文になってしまった。
Despise:
ちょっと前のモンスターの配置転換までは、全く人が近寄らない雑魚モンスターだらけの過疎のダンジョンだった(ブリ勇のYoichiが雑魚の群れに突っ込んでむさぼり食われる話の舞台はここの最下層だ)が、その昔はヘッドレス(よくマジックアイテムを持っていた)、スライム(武器を溶かさず、分裂するだけの愉快な雑魚)、大グモ(毒はない)、大ネズミ等が湧き、結構金を持っていたせいもあって、初心者が集まる所だった。しかも、宝箱の中には結構な頻度でアイテムや金が湧いた。ところが、そうなると出てくるのが初心者狙いのPKだ。決死の覚悟で飛び込んでも、30分といられなかった。1階のフロアの一番奥にゲートを出して、PK集団が定期的に巡回しに来たものだ。一攫千金を狙う初心者、それを狙うPKの結構熱く賑やかなダンジョンだったのだ。
何度も襲われながらも、一度もここでは死んでいないのが結構な自慢だったりする(初心者狙いでPKの練度が低かっただけ)。一緒に潜ったオーストラリアの人は殺されたけど。
毒&武器溶かし:
昔モンスターは毒を持たず、武器も溶かさなかった。ある時OSIに毒好きな社員が加わったらしく、毒を持ちそうなモンスターは毒を持つようになった。これは在日サーバができる前のことだ。このとき以来、スライムは酸で武器を溶かすようになり、忌み嫌われるようになった(笑)。
毒2:
結構最近まで、毒を食らっていてもHPの回復ができた。毒を消さないと回復系は効果を出さないという変更が加えられてから、対人、対モンスター戦ともに常識が変わって結構緊張することになった。
生き物の凶暴性:
その昔、在日サーバができる前、ハーピーと強モンバットは襲ってこなかった。グリズリーベアは気が向くと自発的に襲ってきていた。いつしか、ハーピーも強モンバットも普通のモンスターと同じ反応をするようになり、グリズリーベアはおとなしくなった。
しかし、Kenobiは狂暴化したグリズリーに襲われた瞬間に回線が切断され、死んだ経験があるので、あまりグリズリーは好きではない(笑)。
PKK:
外人さんはPKが出ればPKKを誘い合って、PKと戦う傾向が強かった。Napaは一時期、強力なPKギルドのWCがガード圏外を支配していた。どこにいっても襲われたものだった。個人的にはお便所ギルドと呼んでいた。連中の集団がダンジョンに来れば、死体の山が出来ていた。そのWCの暴虐ぶりに対抗すべく結成されたのが、PKKの集合体、Anti WCのAWCだった。彼らが出来てから、Napaの治安は徐々に回復し始めた。AWCを構成していたギルドはLag Townとその周辺に活動拠点を持っているところが多かった。AWCはギルドの集合体で、そのギルドもPKKギルドではなかった。しかし、AWCの主力のアルカナは、Nifty出身のPKにひどい目にあったメンバを中心に構成されており、徹底的なPK攻撃を行っていた。彼らの目的はPKの壊滅だった。アジトを突き止めて、張り込みを行い、隙をついての乱入や、殺害しての鍵の奪取による乱入で、アジトを次々と陥落させていった。
PKギルド:
NapaではCoSとWCが強かった。別のサーバには日本人のCoSというPKギルドがあったらしいが、NapaのCoSは日本人は数名程度しかいなかったようだ。非常に統制が取れており、定期的にダンジョンを巡回しに来ていた。特にCoSには何度も殺されたものだ(^_^;)。
日本人PKギルド:
SD, P'sと、あと幾つかあったようだ(この2つは個人的にファンだった(笑))。P'sは悪党ギルドと言った感じのプレイだった。構成員の数名とは言葉を交わしたこともあるし、その範囲では普通の人だった。しかし、一人の切れ者が加入して、非常に統制の取れた人殺し集団となった。Decietの骨騎士部屋に駐屯して狩りをしていると、よく彼らが襲ってきた。日本人プレイヤーと香港プレイヤーが10人くらいいたが、SDが通路を進んでくるのが部屋の端から見えた。みんな暇だったので反撃するかという雰囲気だった。彼らは部屋のちょっと前の部分で馬に乗った外人さん2名を殺していた(外人さんは逃げずに反撃するので、よく全滅していた)。そして、来るぞ! と身構えた時、Black Harts、Death Cosmoなど数名が爆弾を投擲してなだれ込んできた。我々の士気は爆弾の炸裂と共に崩壊し、逃げ惑う烏合の衆に成り果てた。このときのジャーナルを見ると、Death CosmoがBHを攻撃して叱責されるという大混乱ではあったが、結局誰も死者は出ず、ブリの第二銀行で余韻を熱く語り合ったという、結構楽しい思い出だった。日本人ギルドには知り合いはさんざん殺されたが、自分が殺されたことはないのも自慢だ(笑)
小細工をせずに正面から突っ込む(チートやバグ技無し)日本人PKギルドは、活動時間帯が同じAWCに徹底的に攻撃されて、徐々に勢力を弱めていくことになる。
この後、NapaのPKギルドの大半はAsukaに来た。事前にYamatoに行くと宣言することで、PKKをYamatoに集めるという作戦を取ったわけだ。作戦は見事に成功した。
Asukaでは新興PKギルドが(Napa者の目から見れば、NapaになかったPKギルドは新興に見えるというだけだが、主観のみの歴史だから気にするな(笑))続々と誕生したが、どれもこれも味わいがなく嫌いだった。しかし、Napa伝来のクールなPKギルドは衰退して行き、殺伐とした個人的には嫌い系のギルドばかりになったのは残念だった。
Lag Town:
プレイヤーによる町。大規模な祭りを開き人を集めることも、よくあった。赤キャラでも攻撃しないなら酒場でくつろぐことも可能だった。英語しか話さない人でも歓迎された。結構大人の町だった。ある時、アジア系腐れギルドの連合がLag Townを攻撃した時、続々と集まってくる百戦錬磨のPKK部隊に追い返され、この町は軍隊を持っていると言わしめたこともある。結構日本人として誇りに感じていたりした。この町は、Asukaができるまで、非常に栄えた。Asukaでも作られたが、EQが始まり、一気に衰退した。長い衰退期を乗り越えようと頑張っていたが、結局だめだった。PKKで名を馳せたギルドはほとんどがYamatoに進出したのも、Lag Townが衰退した原因の1つだろう。
また、バーストタイムのリセット時間が夜中の12時というのも痛い。ラグタウンのバーの営業時間と重なるため、人が来なくなってしまった。
NPC乞食:
昔は近くに人が来ると、お金をくれといってつきまとう、厄介な存在だった。何日も食ってないとか、家には子供がいるんだとか、英語ながら延々泣き言を聞かされた。リコールで逃げてもテレパシーで泣き言だけを延々送り込んできた。しかも、テレパシーで泣き言を送り込みながら、確実に距離をつめる方向に着々と歩いていたらしい(笑)。これは乞食が新しいターゲットを見つけるまで続いたのだった。あの性格なら現在流行のNPC殺しの格好のターゲットになっただろう。ハラスメントだという苦情が溜まったためか、いつしか(在日サーバができた後)無害なものになり、数も減ってしまった。今でも、乞食を見つけたら、リンゴを1つ(馬の餌)上げることにしている。ちゃんとお礼いうよ。ガードにあげるのも面白い(笑)。
Wind:
メイジだけの秘密の町だったが、昔(Napaの初期のころ)は街中でマーク自由のうえ、ゲートも出し放題だった。ベンダーでルーンが売られるようになり、大衆化してしまう。リコール侵入やゲートができなくなったのはNapaの中期ごろで、それ以降は結構ハイレベルな魔法を使える人間だけの町となった(昔はバーストがなくて金もなくて、魔法スキルを上げるのは大変だった)。今、動物園はエレメンタル系のモンスターの巣になっていて結構熱いが、昔は動物ががんがん湧き、たまにモンスター(オーク、オーガ、リザドン)が出てくるという、平和な皮収集の場だった。入る条件は、Mage72付近と言われているが、人によってばらばらだ。ボーナス抜きで70.1なのかも知れない。
包帯:
今や戦士の常識だが、昔は時間がかかるうえに、失敗すると汚れた包帯になっていた。しかも回復量は微々たるもの。汚れた包帯は使いみちが無く、ゴミを作るスキルだった。今でも包帯が清潔な包帯とかなんとか表示されるのはこの名残だ。これが改善されて夢のような回復量を誇るようになった時、なんちゃって メイジだったKenobiはその猛烈な回復量に嫉妬したものだった(笑)。Master MageのGreater Healよりも多い回復量だ。
盾:
魔法を使うために、自分で武器を外さなければならなかった時代は、人気がなかった。自動で装備を解除されるようになった時も、人気は復活しなかった。しかし、種類による回避率の改善で一気に人気に火が付き、現在のように盾戦士の全盛時代を迎えた。確かに、盾の有無で結構ダメージが変化する。両手武器は恐くて持てない。
弓:
以前は最低射程距離があり、密着されると攻撃できなかった。始めたばかりのころ、雌シカに密着されて死んだ経験もある。ラグで離れられないのだ。また、威力も弱く、いいところがなかった。ところがOSIはこれをいきなり改善した。その猛烈な威力はPKの主力武器となった。あまりに弓が強いため、発射速度を落とされてしまい、結構使いにくい武器となってしまったが、威力だけは洒落にならない。
ワンヒッター:
UOのアイテムは、リレーショナル型ではなくアイテム固有のパラメータが非常に多い。これがデータ量を増やす原因となっているが、同じ種類でもアイテムごとにばらつきが出るという面白さも生んでいる。ある時パッチで武器のパラメータの意味を変更したらしいのだが、古いデータの武器が結構残っていたらしい。そして変更された部分が威力の修正値だったようだ。結果として、1発でPCを瀕死または即死させる威力のある武器となってしまった。Napaではこれを使って悪の限りを尽くすプレイヤーが多く、非常に治安が悪化した。AWCは相手がワンヒッターを使っている場合、多大な犠牲を払ってでもこれを奪い取り、GMに提出していたらしい。
Napa:
ワンヒッター、バグ使いの家泥棒などが妙に多く、在日サーバができる直前にはGMも見放した、腐れプレイヤーの巣窟という扱いだったらしい。なぜか日本を除く東アジア系のプレイヤーに、このスタイルが多いのが悲しかった。
Catskills:
Napaよりもあとにできたサーバで、なかなか魅力的に見えた。「猫の技能」ではなく「猫殺し」らしい。裁縫キャラを作り3000gpほど稼いで、ふらふらと散歩をしている時に外人さんに声をかけられて4,5人で一緒に遊んだ経験がある。キャラ名はDaizaemon(大左衛門)だったが、Daizaと呼ばれた。日本から来てると言ったら、おれ日本人始めて見るよというプレイヤーばかりで大人気だった。あのパーティは楽しかった。一緒にいた初心者Edward(略称はEd(エド))はタコ殴りされているモンスターをダブルクリックしまくって他人を攻撃しまくり、Evil Lordになって、正義の人に襲われてた。おまえはEvilだ。Evilは殺すといわれる。片言の英語で横からなんとか説明して命は助けてもらったが、結局どこかで殺されただろうなぁ。
この後、日本人が結構移住したらしいが、結局日本人に厳しい殺伐としたサーバになったらしい。
Asuka:
Napaからの移住者が非常に多かったが、他のサーバからの移住者は識別ができないわけだから、本当にNapa出身者が多いかはわからない(笑)。結構落ち着いたサーバで気に入っているが、実はNapa以外に比較の対象を持っていないから、正確でも公平でもない。Napaの末期よりは、どこのサーバでも平和だろう(笑)。
リコール制限:
ある時(Napa時代)、ダンジョンは、ゲートは1階のみ、リコールは1階と2階のみ、そこから下は徒歩という規制が入った。これは結構衝撃的な規制であり、PKも2階から下に降りてくることは希だった(理由は次の項を参照)。この下に逃げるとPKが追って来ないという状況は結構ありがたかった。しかし、次のパッチでこっそりと消えてしまった。OSIはパッチの管理が異常にずさんだったので、リコール制限のないバージョンに次のパッチを当ててしまい、消えてしまったのだろう。この手の、いくつかのパッチの後で、解決されたバグが戻っていたり、制限が消えてしまうということは、日常茶飯事だった。
PKの制限:
仲間の蘇生かカオス神殿でしか生き返れない赤ネームは、全滅すると面倒なことになった。ばんばん蘇生の魔法を使えるメイジの人口は少なかった。昔の国外のサーバでは銀行前でPKKを募集していることも多く、PKも油断できないのだ。したがって、いざという時にリコールできない場所に小人数で降りていくPKは少なかった。
仕様の立ち消え(01/3/14追加):
いつの間にか常識が変化するということがある。ペットに声をかけると忠誠度が上がる、空腹だとスキルの成功率が下がる、ダンジョンの2階より下ではリコールできない、ポールアーム(槍、ハルバードなど)は攻撃範囲が長いなどの仕様が、いつの間にかこっそり消えてしまうことがあった。バグをパッチで修正した後、ソースに反映させるのを忘れて新しい仕様を追加するという、結構ずさんなバージョン管理をしていたらしい。SOIはISO9000シリーズは決して取得できない会社だ(笑)。
食事:
当初は、マクロ対策として空腹を放置しておくと成功率が下がり、結果としてスキルの伸びが悪くなるという仕様だった(バーストという便利なシステムは無いので、失敗したらスキルは上がらない)。このため食料ベンダーが成立したし、結構繁盛した(魚の切り身でSHを建てた人間もいて、魚御殿と言われていた)。しかし、生産関係に順次新しいインタフェースが導入された時に、ついでに空腹チェックが外されていった。このため、現在では空腹チェックはされていないというのが定説である。しかし、複数の人間から、最近空腹時は明らかに失敗する率が上がったという証言を得ている。こっそりと、マクロ対策に復活させたのではないだろうか。
鈍器戦士(DEX86)がWarHammer of Forceを持ってリザドンを叩くと、おおむね4発で殺せる。空腹時に足を止めて殴り合うと、その間に10以上のダメージをくらうのだが(振りが遅くて空振りすると結構厳しい)、食事を摂ると5もダメージをくらわない。これ、昨年末の実験の結果なり。
スタックアイテム:
昔、アイテム数制限がかかる前は、ほとんどのアイテムがスタックしなかった。糸も糸巻きがばらばらになっていた。初期は秘薬すらばらだったそうだ。銀行にアイテム制限が入る時に、軽くスタックアイテム化が行われ、家の内部のアイテムが、セキュアとロックダウンされたものを除いて腐敗するパッチを当てる前に、かなりのアイテムがスタックするようになった。薬がスタックしない理由は、瓶に入る時点で効果を1つ1つに設定しているためだそうだ。GHPの回復量が事前に見えるとありがたいのだが(笑)。
マクロ対策:
当初は、キーの上におもりを置いてダミーを叩き、スキルを鍛えるようにと公式にアナウンスされていた。文鎮プレイが推奨されていたのだ。だが、狂ったようにマクロを多用する人間が増え、パケットの増大を招くという理由から禁止されるようになった。クライアントで処理を貯めてから一気にサーバと同期をとるという方式ではなく、C)細工道具をダブルクリックした、S)何を使うの、C)インゴット、S)メニュー第一階層を出して、C)罠を選んだ、S)罠のメニューを出して、C)爆弾トラップを選んだ、S)失敗だ、というようにいちいちサーバとパケットのピンポンを行っているため、マクロツールによる連続動作はサーバと回線に大きな負担となったのだろう。C)はクライアント、S)はサーバ。
チートツール:
どこでもバンク、Hideしているものが見える、死んだ瞬間に死体の名前が出る等の機能を持ったツールがあり、持っていない人との決定的な差を生んだ。死んだ瞬間に死体の名前が表示される機能は、名前をダブルクリックしてコンテナを素早く開くという、Looterの必需品だった。今の有名LooterもUOA(今は公認ツールだが昔はチートツールだった)のこの機能を使っているらしい。これにツール無しで対抗することは不可能だ。言い換えると、UOAを使いこなせは誰でも素人を出し抜けるので、自慢にはならないということだ(笑)。
昔は単一目標をタコ殴りにするのが常識という狩り場があり(Decietの骨騎士部屋やWrongのTroll部屋)、そこではいつも香港人(活動時間帯が同じというだけで、地域を差別しているわけではない)が異様に早いルートを見せていた。人に囲まれて敵が見えない状態で、なぜ死体を素早く探れるのか? UOAの自動死体名表示機能を使っていたわけだ。Im GM looterとか自慢していたが、結構性格がよくて好きだった。
ラストターゲットの距離制限無しというのがあり、これを使っているPKに一度狙われたら助からなかった。画面外から魔法や矢が飛んでくるのだ(笑)。この時代、UOにはラストターゲット、ラストオブジェクトはなかった。
今は、クライアントプログラムが、他に走っているプロセス名を監視して、OSIにちくるらしい。これって結構、危ない気がするのだが。
UOA:
生産活動を楽にしてくれる悪魔のツール(笑)。これなしではお店を維持できない。一度メニュー選択の手順をマクロ化してしまうと、マクロ再生時はメニューすら表示されない。消耗系ツールも壊れたら自動で切り替えてくれるので楽々。
妙にLootが早いLooterは、死体の名前表示機能を使っている。死んだ瞬間に名前が表示されるので、それをダブルクリックして棺桶を開ける。後はマウスさばき、回線、マシン性能の勝負だ。
武器脱着も4パターン登録できるので、片手武器から両手武器への素早い変更が可能。離脱しながら盾だけ外して薬を飲むといった複雑な動きがワンタッチでできる。
罠PK:
ダンジョンやキャンプに湧く鉄の宝箱にゴミを積め込んでから即死級の罠をかけ、付近でHideするというPKが一時期流行した。この、持ち主でもないのに手当たり次第に罠をかけられるという仕様はなかなか改善されず、結構ストレスが溜まるものだった。でも、このためだけにGM細工師を作る腐れ系プレイヤーの努力には、それなりの敬意を表します(笑)。
ガードPK:
犯罪フラグが導入された時、モンスターの死体やドアをペットにガードさせ、触ったプレイヤーを犯罪者にして殺すというPKが流行った時期があった。どうしてこういう、つまらないことを考える人間が爆発的に増えるのか理解に苦しむ。これは改善が遅れて、ダンジョンからドアをすべて取り去ったサーバも現れたほどだった。
昔は、ミスで評判落として殺される悲劇はあった(だいたい再起不能になる)が、青い人を攻撃するにはそれなりの評判の低下という代償があった(GLまで上げておくと一人殺しても青を保てる)。複雑なシステムにすることで、ノーリスクで人を殺す抜け道を大量に作り込んでしまい、結局、トラメルを作るまでにシステムが変質していった。OSIはどこか抜けている(笑)。昔の評判システムに戻せばいいじゃん。
口三味線:
EQが始まる前、OSIは新しい魔法システムのネクロマンシーやアルケミーに新しい薬を導入すると宣言した。しかし、EQから戻ってくるプレイヤーも増え、UOとEQを好むプレイヤーの層が違うことを確認したOSIはいきなり「これ、ちゃい」をかましてくれた(アルケミーで提案された機能は別の形でシステムには反映されたが、発表当時アルケミストは非常に喜んだ)。最近では長期プレイヤーの報奨がこうなるのではないかと危惧している。確か、EQのオプション大陸に合わせて報奨って出てきたんじゃなかったっけ?
これを見て焦ったOSIが導入を決めましたね(おおげさ)。何か期間のカウントがそうとうバグっているらしい。しかし、在日サーバには3ヶ月後の今になっても導入されていない。やっぱり三味線だったのだ(笑)。
コットンバブル:
Asukaが出来てすぐにT2Aが始まった。T2Aのデルシアの町とオーク砦の脇には綿花畑があり、ものすごい勢いと量で綿花が成長していた。この綿花はNPCに売ると50gp以上の値段で買ってもらえるため、一時期は綿花畑に人が群がり大変な混雑となっていた。OSIはわざわざ綿花摘みをしても面白くないだろうから、ちょっと小使い稼ぎにどうぞというつもりだったらしい(アメリカ人からすれば奴隷農場の労働だもんね)。しかし、日本人の勤勉さ(がめつさ)はOSIの予想をはるかに越えており、コットンをひたすら摘んで一財産を作る日本人プレイヤーが各サーバに出現したらしい(笑)。あわてて綿花畑は封鎖されたのだった。わたしも摘んだことはあるが、すぐにあきた。オーク砦の脇の畑では、骨騎士を連れてきて、Hideする人間を暴くという、今でいうMPKをする人間もいた。結構迷惑だった。
T2A:
失われた大陸の再発見ということで、マップデータのうちの使われていない場所(俗に言うグリーンランド)を使用して作られた大陸。ブリタニアとは比べ物にならないくらいのモンスターの量、動物の量だった。追加料金で入れるようになる世界のため、結構サービスに差を付けていたようだ。コットンバブルが弾けるまでは、シカ山やデルシアヒーラーの裏に人は寄りつかず、結構気持ちよく稼げた。このときに稼いだお金が二階建を買う役に立ったわけだ。Leiaの裁縫とクッキングはここだけで90を越えた。
箱ブロック:
以前からあった闘い方。箱を置いてモンスターを引っかけて、思う存分弓を使って狩りをするという、初めて見た時は、なんて頭がいいんだと感心したスタイル。すぐに一般に普及したが、追い込み漁のように仕掛けに誘い込み、FFを炊いて大虐殺をする、箱を目一杯展開して通行の邪魔をして、どけると文句を言うなど、著しくバランスを壊すと判定されるような戦い方が流行して、禁止された。他にも、小麦の袋を使う等の亜流もあった。昔、Oreが障害物になるパッチが当たった時は、Oreブロックも流行した。
Napaの Orc/Death valleyでは、Garfield Queenという人が、Garfieldと名付けたペットのヤギや牛をずらりと並べて壁を作り、Orcを誘い込んでテレポで安全地帯に飛んだ後、魔法で思う存分攻撃するという、笑える戦い方をしていた。ペットの名前とキャラの名前が美しいよね(笑)。
UOサーバ・エミュレータ・プログラム:
自分でサーバをたてるのは止めた方が無難。結構秘密がわかってしまって面白くなくなる。本物と同じインタフェイスや機能では無いだろうが、謎が謎でなくなるのは辛い。初期の地形データにはドアも看板もなく、自分でこつこつとそれを設置する必要があるので、これも辛い(笑)。
Ever Quest(EQ):(UOじゃないけどな)
結構面白いネットワークゲームなのだが、移動手段が限られており辛い。プレイヤーの質も下がってきており、ゾーンに入った時点で、どこそこは空いているかとshoutして、返事が無いところでしかキャンプできないようなローカルルールがまん延しているらしい(紳士的と言えばそうなのだが)。1年数ヶ月前は、shoutで聞く方が珍しかったのだが、今では聞かずにキャンプすると空いていても文句を言われるそうだ(笑)。ローマ字のsay、shout、Out of charactorも飛び交っており、中レベル以下の日本人は結構嫌われるようになっている(@E'ci限定)。日米ともプレイヤーの質の低下が酷い。
狩り場の数が少なく、移動手段が限られているので、だめだから他に行くというUOのようなプレイスタイルもとりにくい。結構醜い争いがある。モンスター狩り以外に楽しみが無いゲームなので、この状況は結構辛い。レベル20くらいまでは、屋外でちんたら狩りしていても行けるから結構楽しいのだが、それ以上続けるには神経が太くないと堪えられないゲームに変貌したようだ。
ベテランプレイヤーは全くの別世界で、質の落ちたプレイヤーから逃れて楽しくやっているらしい(笑)。わたし個人もサービス初日からのベテランプレイヤーなのだが、1年数ヶ月の間、仕事の都合でプレイしていなかった。復帰早々、子供プレイヤーに悩まされてメインでのプレイをほぼ断念した。JAPなんて言われたのは、Napa時代以来ですわ。
UOはホテルから30分だけ入って、家とベンダーのメンテをするという形が可能なので、長く続けられる。いいゲームだ。