連合軍の日本本土空襲に関する考察

1943年から生産可能となるB-29の行動半径は通常で12、拡張で倍の24となる。アジア・太平洋マップの縮尺を考慮すると、それぞれ6へクスと12へクスとなる。

東京、名古屋、大阪、福岡の大都市圏までの距離はサイパンから9ある。12といえば東北の外れにある大泊まで到達できる。言い替えれば北海道以外は全てB-29の爆撃範囲に入ることになる。

小規模港湾のあるサイパン島の航空ユニットのキャパシティは2。HQを配置すればさらに+1される。港湾のない島には1ユニットしか配置できない。

1943年に登場する4発爆撃機(6ポイント&4ターン)は3つで、B-17G(7-2-4-9*8), B-24J(5-1-3-9*-6), B-29A(7-1-4-12*-9)となっている。他の4発重爆撃機でも日本の太平洋沿岸までは拡張行動半径で到達できる。

HQを配置したサイパン島から3つの戦略爆撃機が日本を空襲しはじめるのは、1943年早々から生産を開始するとして、9/10月のターンからとなる。1943年から生産が可能となるP-51D(8-1-3-12-1)はマリアナ諸島の最北端から東京、名古屋限定で護衛できる。ちなみに硫黄島(小笠原諸島の最南端))を占領されると、P-51が東京の1ヘクス先まで飛来するようになり、小笠原諸島の北端が占領されれば大泊までがP-51の制圧圏内となる。

1943: P-51D(8-1-3-12-1) vs 紫電(7-*-*-8-*), 鍾馗(6-*-1-7-*)
1944: P-51H(9-1-4-12-1) vs 疾風(8-1-3-11-1), 屠竜(7-*-*-10-*)(夜戦)

最精鋭の戦闘機でもアメリカ軍より空戦力が1少ない。つーか、1943年では最強戦闘機の紫電でB-29Aにどっこいどっこいではないか(^_^;)。