村治 進のトリニダード=トバゴ日記1998前編
これは村治 進がトリニダードに行ってきた全てのことを赤裸々に綴ったノンフィクションである。
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どこから書き始めたものか。とにかく僕は飛行機に乗っていた。
13時間乗りっぱなしというのも慣れた。ずっと寝てるわけにもいかない、ずっと起きてもいられない。そういう状況では起きたり寝たりを二時間周期ぐらいで繰り返す。いつのまにかそうなってただけなのだが、これが結構いい。時差ボケも少なくいけるかも知れない。
23歳まで「海外旅行なんて金持ちの道楽」だとか思っていたのに、もうどれだけ機上で過ごしているだろう。とにかくトリニダードに行くには時間がかかる。乗ってるときに「あと何時間」とか考えると気が遠くなるので、考えないようにしている。いったい何時間ぐらい乗っているのか、チケット屋で聞いてみた。今年のルートは、大阪「伊丹」ー東京「成田」ーシアトルーマイアミとなっている。伊丹ー成田間70分、これはいい。成田ーマイアミ15時間56分!! この間にシアトルによって米国の入国審査をしなければいけない。マイアミートリニダード間は3時間45分。いうほどでもない。
この問題の成田ーシアトルーマイアミが、当日、運休になった。放送がかかり、「機体整備のため、キャンセル」だという。アメリカンのカウンターで手続きを試みた。シアトル経由がダラス経由になってマイアミ着が十分遅くなるという。どちらでも僕には大差ない。どうせその次、トリニダード行きの便は次の日の夕方出発なのだ。
僕の海外旅行は、帰りにアメリカに寄ったりしているものの、基本的にはトリニダードがほとんどだ。1993年、最初の時はベネズエラの空港で夜を明かした。あの時は、金はないわ、ビザはないわ、くいもんはないわ、店は開いてないわできつかった。あの時で片道四十時間だったと思う。今回は、三回目なので、もう240時間以上は移動に使っていることになる。もったいないというか、贅沢というか。
寝てるとめしが来て起きる。何となくせかされたように食べて、ちょっとTVを見たりする。昨日徹夜だったので、やっぱり眠くてねる。ぐっと深く寝ると2、3時間で起きる。映画が始まっている。メルギブソンの次の奴だ。おもしろくて見ている。夜食が来たりする。みんなが集中して見ているうちに、ゆっくりトイレに行く。コーヒーを頼む。タバコすいたいんだけどって言ったら、全機内禁煙ですって言われる。映画が終わる。みんながごそごそしだす。思ったより落ちついている。よく見るとほとんどの人が寝ている。平日出発だしね。言ってるうちにジェラシックパークが始まる。なんだかちっともおもしろくない。すぐに寝てしまった。
するともう朝だ。朝御飯を食べて、しばらくすると着陸の挨拶があった。ぼーっとしているうちにアメリカに入ったので楽だった。もう僕も達人の極みか最初はこうは行かなかった。
ここで他ではない、村治オリジナルの、飛行機・長旅・便利グッズを紹介しよう。
1、水
六甲のおいしい水でも、ボルビックでも、いい。機内はとかく乾燥しているし、寝たり起きたりを繰り返すとのどが渇く。パーサーは思ったときに来てくれるとは限らないし、わざわざ呼んで「水」ってぇのも気を使う。小さいペットボトルに口を湿せる程度は持っていってもいいかと思う。成田のアメリカンがあるゲートの売店ではエビアンしか売っていない。やな人は事前に買っといた方がいいね。
あと、アメリカの空港は全館禁煙が多い。今回、ダラス「フォートワース」空港、マイアミ「マイアミインターナショナル」空港ともに、外に出なければ喫煙できないと言う、タバコ吸いには辛い状況だった。もちろん外に出て吸ったが、こういう時わざわざコーヒーを買わなくても手持ちで水筒があれば非常に便利なのである。ちなみに、あれはクリーブランドだったか?禁煙の空港内でも、カフェに入ればタバコが吸えるという所もある。
2、時計二個以上
別にどうって事ないんだが、日本時間を残しておくと、なんとなく安心。カシオのダイバーウォッチなんかはおみやげにいいというのもあって、僕の場合、目覚ましは日本時間、ダイバーウォッチは行き先の時間、普段の時計はその場の時間、にしている。
他にも何かあったけど、忘れちゃったのでまた今度思い出したときに。
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思い出したので、
3、手荷物
そこそこ大きい手荷物を持ってはいる。これが結構、楽ちんの素。飛行機に乗ったときに足下に置きます。前の人の座席の下に滑り込ませてもいいでしょう。足下が狭くなるじゃないか、と思うでしょうが、長時間座っているのは案外疲れるもの。足の位置が高いと結構楽になるものです。足がむくんだりもしにくくなります。
4、歯磨きセット
寝たり起きたりしてると、頭かゆかったり、顔が粘ついたりしますよね。乗り継ぎの空港について、入国審査して、バゲッジをチェックインし直すと、結構暇な時間がやってきます。トイレに入って歯を磨いてしまいました。男子トイレは綺麗にはしてあるんだけど、なんか不潔な感じで、口をすすぐのにはボルビックを使いました。あんまり便所で歯を磨く人もいないみたいで、じろじろ見られるけど、京都駅や大阪駅のホームでその昔、歯を磨いたり体拭いたりしてたんだから、気にしない。(いつの時代なんだか)
5、携帯灰皿
あなたが喫煙者の場合。これはチケットの取り方にも関係するんですが。
最近の僕のやり方はこうです。まず、禁煙席を取る。飛行機が飛んでから吸いたくなったら、喫煙席の辺りまでってあいてる席を見つけて座る。(喫煙席はたいがい最後尾にあります)機体が安定しているなら喫煙席が開いてなくても、そのあたりまで行って吸ってしまう。この時にあると便利なわけです。なぜこんなややこしいことをするのか。喫煙席を取っておけば好きなときに吸えるじゃないか。
ボーディングから離陸まで、皆さんすごく待ってらっしゃいます。待つのを分かっていて、並んでまで急いで機内に入り、自分の席を確認して、あとから来る人をじっと待って、その間もそれから離陸してからもしばらくは禁煙サインは消えません。いらいらしてらっしゃるのでしょうが、禁煙マークが消えた途端、喫煙席のほぼ全員が一斉にタバコを吸い始めます。そんなところで吸ったところでうまくないし、かといって吸わないでいるとまるで燻されているよう。最近は日本アメリカ間でも全機内禁煙が増えてきましたが、かえってその方があきらめが良くていいかも知れないとさえ、思ってしまうほど強烈なんですって。
また私たちは海外のマナーに関しては基本的に無知だと言っていいでしょう。その街、その村、その店々によって、人は違うのですから、一応もっとくと何かといいかも知れません。ただ、灰皿を持っているからといってどこでも吸って良いわけではないので、念のため。
それからトリニダードに行くのに便利なアメリカンは、ほとんど全席禁煙のようですな。
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マイアミでの一夜はきついものがあった何しろ眠れない。去年はなぜだかホテルに泊めてもらえたが、今年はそうはいかなかった。やっぱり空港で寝るのはもうよそうと思う。ただカフェやらそこらのベンチでコンセントを使わせてもらえたのはラッキーだった。ノートパソコンで遊んだのでだいぶ時間がつぶせた。っていってもゲームしてたわけじゃないよ。システムの整理とか、日記書いたりしてたのさ。
そうこうするうちに夜も明けて人も増え、僕はまた空港内の散歩の旅に出る。二時をまわったので、昨日預かってもらっていた荷物を取りに行く。でかいの小さいの併せて10ドルぐらいだったと記憶している。荷物を気にせず散歩できたことを思えば安いものかも知れない。ただやっぱりこれは重い。一番でかいケースのふたが開きそうになっていたのであらかじめチェックしておいたサムソンのスーツケースベルトを買う。長さが足りなさそうだったので、係員に聞くがいい加減な答えしか返ってこない。それ以上長いのがないというので、とりあえず買ってしまう。汗をだくだくかいて、カフェのお姉ちゃんにも手伝ってもらって何とかふたをする。それにしても重い。やはり、米2kgに味噌、醤油各500gははりきりすぎ。
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トリニダードについた。去年は窓際の席が当たり、近づいてくるトリニダードの夜景に涙がこぼれてこぼれて困ったが、今年はそうでもなかった。眠かったのも大きな要因だ。そういえば去年はAAの人が気を利かしてくれて、ホテルでゆっくり眠ったのだ。あれは大きな休息だった。今年もそうなるのか、と聞いたら「去年は去年だ」と言われた。やっぱりあれは手違いだったのだ。 飛行場についてからも、うとうとしていたのは、マイアミ空港で夜を明かしたせいだ。今年はもう眠くてしょうがない。
飛行機から出てタラップに移る瞬間トリニダードの匂いがした。なんの匂いというわけではない。トリニダードの匂いがしたのだ。やっと、始めて、トリニダードに来たのだという実感と、感慨が胸をおそった。
相変わらず入国審査場は混む。見回していると塩山さんがいたようだ。リロイの名前をマイアミ空港で呼び出していたので、もしかしたらと思ったが見つからなかった。
マイルーンは空港の出口で待っていてくれた。僕にキスをしてくれた。運転してきてくれているのは次男のジュニアだ。車の輸入がうまくいかない言い訳をする。マイルーンの家について鏡を見ると、ものすごく濃いキスマークが流れて、まるであざのようだ。荷ほどきは明日にして、と思いながら、何やかやと、出してしまう。マイルーンと一時間近く喋る。シャワーをよばれて寝る。寝床につくとエクセダスが練習しているのが聞こえてくる。ここはキュレップ、トリニダード、12:30amである。
P.5 1/29? Leroy
次の日、起きると早速Leroyに会いに行く。Leroyの家はマイルーン家からほんの二、三分の場所にある。感動の再会であった。ロジャー、ジョザーン、ショーン、ジェネール、イメルダみんな元気そうだ。パンの方はほとんど完成していて、今クロームショップに行っているとの事。ちょっと安心する。「去年のようにトラブルはないから、今年は早くできるよ」去年はいいドラム缶が手に入らずLeroyはかなり走り回ってくれた。結局いくつかのパンは、僕の帰りの便に間に合わず、パッケージングはこっちの友人に任せて、アメリカへ渡ってしまった。その後、約一ヶ月をオハイオ、ウェストバージニアで過ごし、帰国してからもまだ便はトリニダードを出てなかった。予定より四ヶ月遅れて日本で僕が受け取ったのは八月半ばだった。「あれから後、半年の間、一つもパンを売ってないんだ」「WHY?」「どんなトラブルにでも対処できるようにいろんな方法を試してたんだ」で、今はもうたいがいのことには動じないという。「プラクティス、エブリディ。スタディ、ホールマイライフ」なかなか言えた言葉ではない。今年はパンベリで叩きたい旨を伝える。夜パンヤードで会う約束をして別れる。
P.6 1/30 Granma
昨日の夜はMoodsのパンヤードで過ごした。やっぱりいいバンドだ。練習一緒にするかと聞かれたのだが、とりあえずは見るだけにしとこう。MoodsでやるかPAMBERIでやるか、まだ決まっていないのだから。
今日はマイルーンのお母さんが特別な日だそうで、ランチをみんなで食べるという。付いていったら夕方過ぎになってしまった。パンベリのパンヤードに行こうと思ってたのに。
おばあちゃんに一度ルーティーを作りに来てねと約束して帰る。
1/31 Pamberi
何やかやしてるうちに昼過ぎになってしまった。やっとパンベリのパンヤードに来る。やっとオテロに会えた。あったとたんパンベリでやろうと決めていた。ロビーにテーマを教えてもらう。曲を知らないので進みが極端に遅い。明日の朝、テナーの所だけを叩いてもらってテープに撮ることにして、今日は帰る。
2/1 Robie
朝からパンヤードに行ってロビーにゆっくり叩いてもらう。それを録音してそのテープで練習しようというのだ。
この日から一週間、毎日パンヤードに行ってテープと格闘することになる。一人でやっていると、ベクトーが来て練習を手伝ってくれた。音の「動き」をベクトーに教えてもらい、テープで「リズムとフレージング」を確認する。一人でするよりずっと早い。
同時にバイクのレンタル契約、リロイとパンの話、ケースの話、ギルの店に行ってスタンドの話、かと思うと、バイクの不具合があってまたチュナプナのバイク屋へ行って、と多忙な日々を過ごす。
五日木曜に部屋を見つける。マイルーンの所で働いているKennyの住んでいる下宿だ。価格はべらぼうに安い。ただし、ほんと寝るためだけの狭い部屋だ。ほぼ六畳一間といった感じ。ベットやデスクが置いてあるので、逆に視線が高くて、窮屈な感じはそれほどない。六日、さっそく荷物を運ぶ。これで夜遅く帰ってきても、鍵を開けといてもらわなくていいし、昼間仕事がしたくてもセバスチャンに邪魔されることもない。パンヤードに行って練習。クリスティーンが来ていた。久しぶりに逢えてすごく嬉しい。クリスティーンはオテロの友達、マイアミでFMの番組をやっている。
2/7sat priminarie
金曜に下宿に引っ越しして、次の日がPANORAMAである。朝早くおきて、みっちり練習しようと思っていたのだが、起きれなかった。無理は禁物である。先はまだ長い。九時頃起き出してきて、マイルーン家へ。一時間ぐらい練習。一時にサバンナ集合である。といってもみんなが来るのはきっと二時頃。パンが来てれば練習したいし、とりあえずは早めに家を出る。出国前にインターネットで取り寄せた情報によるとチュナプナのどっかのホールで予選という話だったが、去年と同様、サヴァンナでやることになったらしい。情報はめまぐるしく変化する。
公道沿いをぐるっと廻ってみるがあの派手なペインティングのラックは見あたらない。
Moods発見。去年と同じ所にセットしている。何となく場所が決まっているのだろうか。というわけで、去年PAMBERIがいたところにいってみる。ラックを発見。人影はまばら。やはりみんな遅いようだ。
トラディショナルの連中があっちこっちで練習している。パンアラウンドネックとかも呼ばれるスタイル。みんなラックを使わず肩から下げている。おのずと、セコンドもベースパンもシングルパンである。Ting-a-rig-a Ting-a-rig-a... 何となくのんびりしていていい。パンが来てからベクトーやデクスターに教えてもらいながら、エンディングの完成を試みる。去年のMoodsを思い出す。練習しているとMoodsの連中が僕を見つけて励ましに来てくれる。目の前まで彼等が来てやっている。Priminaries-East/Zonal FinalではMoodsが一番に演奏して、その次がPAMBERIである。当然僕はMoodsの演奏を聴けない。練習に必死だ。
PAMBERIさんごめん。エンディングも中途半端なまま、ステージに上る。一番恐れていたパターンだ。だが仕方がない。
ステージ上でのPAMBERIの音は練習の時の音と確実に違っていた。とりあえず音が大きい。で、割れているかというとそうでもない。みんなの動きも激しい。確かに本番を一緒にやるというのは、大きな経験だ。これが決勝だとまた感じが違うのだ。
演奏を終えて、がらがらとステージの西側へラックを押していく。エンディング以外は我ながらよくやったと思う。ほぼパーフェクトだった。僕よりできていないプレイヤーはこのバンドに何人もいることを知っている。
思えば去年はじっくり練習した。一つのミスもなく完璧に叩ききったからね。フロントラインだったんだから当然だけど。Lanz, Anthonia, Susuの三人が引っ張っていた。
今年は単なるお荷物だ。やっぱりどこかで気にかかったことがあったのだ。ひっかかりがあったり、イメージに疑問点を残したまま実行しても、いい結果が出ないのは、よく知っていたはずだ。自分自身よくやった、という気持ちと、練習だけに時間を使えなかったことに対する自責とがないまぜになる。
あんまり落ち込んでいてもしょうがないので、Moodsのとこに行って喋ったりして気を紛らす。はっきり言ってPAMBERIよりMoodsの方が友達が多いので過ごしやすい。リロイの奥さん、イメルダが「ピラフ食べるかい」と言ってくれる。イメルダのピラフは抜群にうまいのだ。去年も五年前も同じ味だった。トリニダードに来て良かったと思わず思う味なのだ。もう、すんごく食べたかったが、何となくPAMBERIに気が引けて、断った。
でもやっぱり腹が減ってコーンスープを食いにステージの方に向かう。これはまた僕にとってのPANORAMAの味だ。コーンスープで腹ふくれるのか、と思われるだろうが、実は、ぶつ切りコーンがごろごろ入っているのだ。熱いのがまたいい。冷たいもんで冷えた腹が生き返る。柔らかくなっているコーンの芯も、オテロのまねしてがりがりしゃぶり尽くす。噛めば噛むほどと言うより、吸うと味が出てくる。ステージ上はまだまだ演奏が続く。
PAMBERIのメンバーと何やかや言いながら他のバンドも見る。でもこの辺のことはあまり覚えていないのだ。やっぱりそのあとの事件がでかすぎたのだろう。
the Buglers
いつ帰ろうかと思っていた。いつまで待っていてもいっこうに片づける様子がない。僕はゲストとして丁重に扱われるのは好きじゃなかった。できるだけ仕事は手伝いたいと思っていた。パンを片づけるぐらいは、せめて。
そうこうしている内にトラックが来た。わらわらと周りにいた連中が寄ってくる。やけに少ない。みんなステージを見に行っているのだ。中高生軍団がトラックに小物のパンを載せていく。ラック物のチェロやベースは、ラックごとトレーラーにのせてしまうのだ。みるみるうちにトラックが満載になる。その満載になったトラックにさらに彼達が乗り込む。向こうでまた下ろして部屋の中にしまわないといけない。
彼等は僕を一人残してみんな行ってしまった。一人はまずいやろと思ったが彼等は行ってしまった。泥棒からこの膨大な数のパンを見張らなくてはいけない。トレーラーが二台来た。
実際そんなには泥棒もいないだろうと思っていたのだが、どうも変な奴がうろうろしている。高校生ぐらいだろうか。男の子の三人組。トレーラーの親父がなんか言っているとか何とか。トレーラーの親父と少し話ししてみる。もちろん三人からは目を離さない。「一人じゃ無理やなぁ。ほな、他の連中が帰ってくるまで中で寝て待っとくし」といって寝てしまった。三人が寄ってきた。「良かったら手伝うよ」「俺達もパンマンなのに、信じてくれよ。Tシャツも持ってるしさ」「そうか、自分らどこのバンドや」「..ソロだ..」ソロというのはトリニダード=トバゴのドリンクメーカーである。200cc〜350ccのいろんなサイズの炭酸飲料をたくさん出していて、ハーモナイツのスポンサーをしている。彼等はTVなどでは「ソロ・ハーモナイツ」として紹介される。ただハーモナイツの人間が自分のバンド名を「ソロ」と呼ぶだろうか。しかも持ってるTシャツはコードマスターズというこれまた違うバンドの物である。
適当にあしらって、追い払ったつもりだった。ふと静かになって、ゆっくりと見回すと、トレーラーの向こう側を、パンを持った若者が三人ゆっくり歩いていく。二人と話している間に一人がトレーラーの裏側にパンを運んでいたらしい。彼等はまっすぐ向こうに歩いていく。僕が動かない限り、トレーラーの死角で彼等は見つかることはない。僕が見つけたのは、きっとそんなことだろうと思って少しうろついたからだった。
予想していたとはいえ、実際に「パンを盗む」という好意を目の当たりにして、無性に腹が立った。怒り心頭に達するというのはこういうのを言うのか。気がつくと彼等に向かってまっすぐに走り出していた。相手は三人。二人が一台づつパンを持っている。まだ彼等はこちらに気付いていない。50m、30m。このまま跳び蹴りをしてやろうと思った。20m、10m。殺してしまうかも知れない。それはまずいと思ったとたん、叫んでいた。「ウォー!」三人が気付いて振り返り、あわてて走り出す。一人はすぐにパンをその場に落として、全速力で逃げ出した。もう一人も10m程走ると、その場にパンを捨てて別の方向に逃げた。「追いつける」そう思ったが、彼等が落としたパンが気になった。しかもパンベリのパンが置いてある所には、今誰もいないのだ。とっつかまえて、ぼっこぼこにしてやろうとは思うものの、その場に止まりパンを拾い、引き返した。彼等の姿はすでにどこにも見えない。顔はしっかりと覚えた。僕はあの顔をけして忘れないだろう。来年、街角でもし遭ったら、その時こそぼこぼこにしてやる。パンを盗むなんて、最低である。
コードマスターズのTシャツも落として行った。もちろん彼等はコードマスターズでも「ソロ」のメンバーでもないだろう。コードマスターズも多分Tシャツを盗まれた被害者なのだろう。ああ、腹が立つ。やっぱり一発けり入れとけば良かった。
青年組が何人かステージの方から帰ってきた。僕は事情を話し、「見張りはいいが、一人じゃ無理だ」と言って、もう少し誰かに来てもらうよう頼んだ。
Break Bone
トラックが空になって帰ってきた。人が少しづつ集まってきた。何人か集まってきたところで、今度はトレーラーにラック物を積んでいく。さっきの一件で僕は殺気だっていた。青年部、中高生の部、小学校高学年の部。あわせて七〜八人。何とも頼りないが、少しづつ順調にラックをのせていく。テナーズが乗っていた、でっかいラックをのせる。ベースパンをラックに付けたままトレーラーにのせる。これは重かった。トレーラーの二台は高さが150〜170cmぐらいある。そこにみんなで、よいしょでのせていくのだ。去年Moodsのトレーラーは、後ろ半分が傾いて、ごろごろ押してのせれるタイプだった。他の大きなバンドでは、上げ下ろしの為だけに、クレーンを用意していたりする。このバンドはこうなのだ。しかたない。ただなぜこんなに人が少ないんだ。みんな帰ってしまったのか。ステージをみてるのか。
そんな事を心の中でぐちっていたのが良くなかったのだろう。怪我をしてしまった。
もう、もう少しで、大物もおしまいと言うときだった。ナインベースを少し小さめのトレーラーに乗せようとしていた。小さいくせに荷台が高く、重いナインベースをそこまで持ち上げるのはきつかった。加えてみんな疲れていた。もうかれこれ一時間ほどずっと動いているのだ。しかも今日はまだ、パノラマ当日。さっきステージが終わって、結果も聞いていない、ほやほやな状態。ただでさえ疲れているのに重労働、&少人数。そろそろ休憩と誰かが言うのをみんな待っていた。
ナインベースの片足が荷台に乗った。後ろに廻って押せば乗っていく。「後ろ回れ、押せ押せ」乗るはずだった。後ろに廻った。すでにかなりの高さになっているラックのけつを押し上げれば、ぐっと進むはずだった。
何かが変わった。ラックがぐらっと傾いた。前が乗ったと思っていたのは、引っかかっていただけで車が乗っていたわけではなかった。いくら押しても乗らないわけだ。それが解ったのはラックが落っこちてきてからだった。落ちてきたときにはラックの下にいた。外に出ている暇はない。出ようとすれば、頭にミートして首をひねるだろう。内側に人一人入れるぐらいのスペースが落ちてくる。プレイヤーの立ち位置だ。頭をそこに入れることはできそうだ。うまく入れば、あちこちぶつけても、死にはしないだろう。
死にはしなかった。ただ腰をひどくぶつけた。ものすごく痛い。これでもかと言うぐらい、そりゃもうあんた、えげつなく痛い。
ラックの下からずりずりと這い出す。腰を背後から打った。足が動くか確認する。とりあえずは動いている。大腿、ふくらはぎを触ってもちゃんと解る。半身不随にはならなかったようだ。ウェインがその辺の確認をする。起きあがろうとするが、寝ておけと命令される。逆らう元気はもちろんない。
すぐ救急車が来た。びっくりするほど早かった。気がつくと周りに人垣ができている。かき分けて入ってきた救急隊員が、寝台を下ろそうとするが、たためない。周りに何か説明している。みんなの手で持ち上げて、寝台まで移そうという事らしい。大人も子どもも混じって、仰向けに寝ている僕の背中に、トリニダーディアンの手が滑り込んでくる。僕は、そのままふっと持ち上げられ、彼等のたくさんの暖かい手の上から、そうっと寝台に移された。なぜか僕は嬉しくて泣きそうになっていた。
救急車の中で僕は、付き添いで乗ってくれたウェインに、神経ってなんていうのか、しびれってなんていうのか、英単語のチェックをしていた。これから医者に説明しなければならない。
病院について医者を待っている間、ウェインがきょろきょろしている。「何探してんの」「チューブ」笑ってしまった。なんてお茶目な奴だ。「見つけたら俺の分もとっといてくれ」スティックの先に使うのだ。医療用のチューブは何種類もあり、それぞれで微妙に音が違ってくる。カナダの病院とトリニダードの病院では違う素材が手にはいるだろう。僕たちは苦笑いをしながら、医者が来るのを待った。
ウェインはパンベリのマネージャー、ネストールの甥っ子かいとこかなんかで、カナダ在住である。パンベリの外の人間という事で、僕は親近感を持っていた。最初はあんまりなじんでくれなかったが、予選前には二人であわせたりしていた。デザイナーかなんかをやっているらしい。
医者が来て診察され、話をして、とりあえずレントゲンに回される。そこに行くまでにまどろんでしまって、ごろごろ転がされながら、一晩中、台車の上に乗っているような錯覚に陥った。また廊下を延々ごろごろ行く。そこから保険事務所に行く。オテロが来てくれた。もう夜中のはずである。クリスも一緒だ。現住所、連絡先、血液型なんかを聞かれる。オテロがガラスの向こうの看護婦と僕の間に立って、通訳してくれる。と言っても両方英語なんだけど。「Are you Buddist?」変なことを聞いてくる。クリスも笑っている。身よりのないのに死なれたら、葬式するのも困るんだろうなぁなどと思いながら、答える。「May be, Yeah.」なんだかんだでどうやら、病室に連れてってもらったらしい。
Staying Hospital
気がついたら、次の日の朝早く、マイルーンの夫、アロイが、悲しそうな顔をして立っていた。それからたくさんの人が来てくれたのは知っている。しゃべった内容も何となく覚えている。ただ、すごい勢いで寝ていたようだ。飯時には起こされる。人が来て「Susu.」と話しかけられると起きる。それ以外の記憶はまったくない。ただただ三日間くっては寝ていた様だ。
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