■V-MAXの記憶



別れの時が来た。

もっともっと長く、ずっと続くものと思っていた。

憧れのマシン「V-MAX」




1200cc、143馬力、今のバイクとは一線を画した鉄の塊の様な
超マッチョなそのスタイル。
初めて出会ったときその男っぽいスタイル魅了された。

開発時にヤマハがターゲット市場であるUSヤマハに何馬力必要かを
聞いたところ「出せるだけ出せ」と言われ145馬力という当時では驚く
馬力になったのは有名な話。
当時ゼロヨン世界最速のマッチョマシン。単純な俺はそういった話にも
目を輝かせて憧れた。

そのカッコ良さに惚れて十数年が過ぎ、最近では嗜好の変更によりその存在すら
気にならなくなっていた。が、ふとしたきっかけでそれを手に入れることが
できた。

自分の手に入ったその鉄塊は思っていたより小柄で、思っていたよりも
重かった。
乾燥重量263kg、燃料、油脂類装備品を入れたら280kgを超えるであろうか。
重い。  一度こけたら自分では起こせないであろう重さだ。

ただ跨るとその重いという感覚は一気に吹き飛ぶ。
アクセルを開けたとたんその重さはなくなりず太いトルクにより
前に押し出される感覚は今まで乗ったバイクには無い感覚。
車重は気にならなくなりひらひらと動くことができる。
不思議な感覚。

更にアクセルを開ける、アクセルを余計に開けようものなら
恐怖が襲ってくる。目の前にある風景は一瞬で背景となり
その先に。。。はるか先を走っているはずの車が自分の真正面に現れる。



危ない。

必死でバイクを傾かせ衝突を避ける。
慌ててアクセルを戻し、急減速。

一瞬の出来事。

初めて味わった感覚。今までに経験したことのない出来事。
なにがなんだかわからないってのが最初の感想。



これはこの意味を理解しなければならない。
こいつを理解するためにはまずは全開を知らなければならない。

初めてのバイク対しての俺の最初の儀式。
まずは全開を知るのは俺の基本。
全開と急減速。この二つを知って初めてそのバイクを知ることになる。


高速に乗ってみる。ここならば安心だ。



アクセル開けてみる。進路に車もいないので全開を試す。
うわっ!、っと言うひとことが背景にまじり、自分にはまるで
聞こえないような感覚。
えっ! 前にいなかったはずの車が目の前に現れた。
ありえない。慌ててよける。自分の隣を通り過ぎる車は対向車ではない
はずなのにものすごい速度で対向する感じ。
ふとメータを見ると200km/hを超えている。



一瞬の出来事。

早すぎてわからない。
そんなに早くその速度に到達するという感覚が自分に無いから戸惑う。
速度を確認すれば納得。追い抜いたはずの車は100km/hで走っているのだから
相対速度100km/h。そんな車が正面から突っ込んでくるのだ。ありえない。

バイクを傾かせ急激な車線変更や高速コーナリングでボディがヨレる感覚。
減速時にはブレーキが負けてる。加速した車体の重さに耐え切れてない。

エンジンだけがずば抜けて強力だ。

とても全開など出来なかった。危なすぎる
車が確実にいない夜間でなければ無理だ。

帰り道に吐き気が襲ってきた。
あまりの急加速急減速の繰り返しに体が追いつかなかったらしい。
乗り物酔いに似た感じである。

帰路ゆっくり走りながら考えた。レプリカの加速とは違う何か。

昔雑誌で読んだMAXのインプレッションの記事。

こいつの全開は他のバイクと違って後ろからバイクを蹴り飛ばされる
ような感じ。振り落とされないようにするのに必死になる。

十数年経って意味がなんとなくわかった。

V-MAXの一番の売りである機能、V-Boost。こいつが原因だ。
まるで2stの様な感じでいきなりパワーが出る。
ぐん!とマシンだけが前に出るのだ。
自分の持つバイクの加速イメージ。リニアにもりもりと加速していく
イメージに反してその加速はやってくる。
更にレプリカの人車一体の加速感とは違いMAXは人と車が一体になって
いないのだ。
座ったポジションがそう感じさせるのか、
はなから一体感など設計思想に盛り込まれていないのであろうその形。
それらがこの蹴り飛ばされるような感じの原因であろう。

ありえない。

憧れのバイク。

とんでもない化け物だった。

自分の中ではバイクは全開で乗りこなすのが当たり前だった。
これはとても全開など出来ない。
強度の弱い車体に強力なエンジン。バランスが悪い。
コーナリングはいまいちでそれとはアンバランスに直線は早すぎる。
これが乗り終えての感想。
嬉しいよりも不安の感覚の方が近かったかもしれない。

こいつと付き合っていけるのか。。。。


初めてのツーリング。

「美味しいラーメンを食いに行く日帰りツーリング」って誘われた。
東北道蓮田SAで待ち合わせ。
てっきり佐野に行くものだと思ってた。
目的地は喜多方。岩槻ICから片道約300km。
騙された。と、思ったが相手はラーメンといえば喜多方だろう?と言った。
俺は佐野と思い込んでいただけの話。
この会話をしたのは佐野ICを過ぎて不思議に思って何十キロか過ぎたPAでの話。
ここまで来たら行くしかない。

初めての高速道路ツーリングはいきなりの300kmかっとびだった。
磐梯吾妻スカイラインの景色良好の不動沢橋のPAに着いたのがお昼過ぎ。
9時出発でこの時間に着けるってことはかなりのハイペースだったって事。
300kmの距離でも途中下道もかなり走り峠もあったのだ。



いきなりの高速は大満足。200km/h近くの速度でも振動が無い。
レプリカでは当たり前の話だがこの手のバイクではすばらしい。

巡航しても問題は。。。あった。
燃費悪すぎ。あっという間に15リットルの燃料タンクは空になる。
このクラスのバイクにしては小さすぎのタンクだ。

磐梯吾妻スカイラインを走るとその取り回しの悪さにうんざりする。
同行のCB1300とZEPHYRは快適にコーナリングを駆け抜けていく。
MAXはコーナーでのギア感がいまいちつかめずに車間はどんどん開いていく。
やはりコーナーは苦手だ。タイトコーナーは当然ながら高速コーナーも
苦手だ。やはり直線だけのバイクだ。



喜多方駅まで降りて既に15時。ラーメンを食べ、帰路に着く。



またもや300kmをかっとんで帰京した。
自宅から蓮田までの距離が70kmなのでこの日走った距離は740km。
いきなりのツーリングでこんなに走るとは思わなかった。

めちゃめちゃ疲れたが思う存分走れた。
体育会系ツーリングであった。

それにしても。。。いったい何回給油したろうか。
やたら給油が必要なマシンで、コーナリングが苦手。
それが最初のツーリングの感想。



二回目のツーリング。

前泊の予定が仕事の都合で翌朝からの合流。
キャンセルはしていたが工程はわかっているので合流して驚かせることにした。
この仲間にはMAXを買ったことは誰にも言っていなかったのだ。



早朝に出発し合流予測ポイントを目指す。
東北道を降りて、山道をかっ飛ばす。
街中ではMAXは音が大きすぎて気を使うが山道は気持ちいい。
誰にも気を使わないで走れる。
MAXはうるさい。スーパートラップの2本出しで見た目も音もかなりの迫力だ。
轟音という表現がぴったりだ。
街中で交差点で停まってるとき、信号が青になったとき近くにいた幼稚園児の
集団がいっせいに耳をふさぐほどである。。。

朝10時。工程によるとある温泉に到着の予定である。
5分ほど遅れたが無事到着。温泉の看板が見えて中を覗き込むのに
おもむろにスタンディングしてロータリーに入った。
皆がいた。5台のバイクを並べているところだ。彼らも今着いたらしい。
スタンディングのまま彼らの目の前を回転して真横に停めた。
皆誰も声を上げない。喧嘩でもして険悪な雰囲気にでもなってるのか?

ヘルメットをとったとたん皆がびっくりした声を上げた。

「びっくりした〜 からまれるかと思いましたよ〜」

俺のいつものカッコは革ジャンに黒のパンツにブーツ。
ヘルメットはつや消し黒に黒のスモークシールドで顔は見えない。
そんな全身真っ黒男が轟音のMAXでスタンディングで目の前に現れ、
これ見よがしに目の前でターンをして真横に停めた。
地元のバイク乗りがいちゃもんを付けにきたと勘違いしたらしい。

どうりで皆目が点になってこっちを凝視していると思った。
俺は俺でなれないMAXでしかもスタンディングしていたので手を上げることも
会釈をすることすらできなかったのだ。ターンをしたのも停めるのに角度が
悪かったから一度仕切りなおししただけなのに。



かなり迫力があるバイクって事がわかった。



温泉を出て皆でつるんで走ることになったが走り始めて20分位が過ぎた頃か。
温泉にお気に入りの帽子を忘れてきたことに気づいた。
皆にお願いし、ちょっと待っててもらう事に。

失くしてはならないものだし、皆を待たせているという気持ちもある。
ひと気、車のいない峠道。
ほぼ全開、急減速、急コーナリングの繰り返しで温泉まで戻った。
自分でもものすごい短時間だったと思う。

忘れ物はあった。
あとは戻るだけ。



体はMAXを乗りこなしていた。ヨレるフレーム、利かないブレーキでも
全開で走る。コーナー手前、減速時のエンブレ。物凄いパワーでの減速。
コーナー直前の減速の度にリヤタイヤから白煙が出ているのがバンク中
のミラーに写る。
コーナ出口ではアクセル全開、ここでフレームがヨレる。
このヨレも慣れてしまえば怖くない。ようは慣れだという事がわかった。

皆の場所だ。
気づいて急ブレーキするもやはりタイヤから白煙。
皆が「お〜」っと唸る。

意外にもヨレを克服して普通にかっとべばMAXでの峠道は楽しいことが
わかった。
それが二回目のツーリングの感想。


実はMAXでの大きなツーリングはこの2回だけ。
これ以外の遠出は厄除けで佐野に行っただけ。
あとは週末のNightRUNだけ。


週末のNigthRUN。
これがMAXとの別れを決める決定打となった。

蒸し暑い夏の夜。

土曜日の夜には体がうずうずしてくる。
もともとTVでドラマやバラエティーとか毎週楽しみに観る男でもないので
土曜の夜は何もすることがない。




仕事でストレスが溜まり、どうにもならなくなるとストレス発散の為に
走りに出る。
どうにも仕事が行き詰まり家でも悶々としてると出たくなる。



昼間は危ない。どこから子供が出てくるかわからないし
車も多くてかえってストレスが溜まる。
だから夜が良い。
車の数が少なく、子供も出てこない。

スタートは子供達が寝る頃の9時半か10時過ぎ。
さすがに子供が起きてるときに出るのは教育上良くないと思うので
出来る限り寝てから出るようにしている。

子供達が自分の部屋に行ったのを確認してから着替えて家をこっそり出る。

起こさないようにこっそりガレージを開ける。
蛍光灯を点けると青白い光の中にMAXが浮かび上がる。この瞬間が良い。

今晩もヨロシクと心の中で話しかけ、ガレージからMAXを出す。

この声かけいつからだろう。いつもバイクに乗る前には必ずバイクに
ヨロシクと声かけする。車にはしないのに不思議な儀式。

さて、ここからが大変。

何しろ重い。重すぎる。ガレージは縦長の配置なのでMAXをまっすぐ後ろに
引きずり出し、右後方にバックしたまま外に出さなければならない。
バイクは一般的に左側に立ち、動かすものだから右後方にバックしながら
下がると言うのはかなりバランスを取るのが難しいのだ。
その難しい移動の上に更にこの車重。緩やかなスロープになっているので
途中からは下がりすぎるのを必死で抑えながらバックする。
出口に停めてあるデリカにぶつけないように車道に出してほっと一息。
そして。。。
あまりに爆音のため夜の住宅街ではエンジンをかけられず100mほど離れた
国道まで押していきやっとエンジンをかける。この時点で既に汗だくである。

最悪だったのが一度国道までたどり着いてスタートしようとしてセルを
まわした時にバッテリーがあがっていた時のこと。
この時はもう笑うしかなかった。。。。

深夜の帰宅時には国道を曲がって助走をつけてエンジンを切断、惰性で
ガレージ前まで戻る。
そこからは出庫と逆でスロープを押しあがり。。。
これがかなり辛い何しろ280kgの車体である。しかもチェーンでなくシャフト
ドライブのためかなりタイヤの動きも渋い。
必死に2m程のスロープを押し上げてガレージ前につける、ガレージの中に
入れるには今度は5cmほどの段差がある。必死である、ほんと必死。
勢いをつけて一気に押し上げる。
酷いときは前輪すら段差を越えない、良くてリアタイヤが超えられない。
リアタイヤはほぼ越えないのが当たり前であった。
前輪を落とさないギリギリまでバックして再度勢いをつけて再チャレンジ。
ここでやっとリアタイヤもガレージに入るのだ。

ここでほっと一安心であるが何しろ狭いガレージのため進入角が悪い場合は
先に入っているCRMと干渉してしまうのだ。
この場合もう一度外に出してやり直さなければならない。
これが結構あった。。。。

なにしろMAXは一度中に入れたら250ccオフ車のようにリアを持ち上げて角度を
変えるなんてあり得ないのだ。
一度チャレンジしたがびくとも動かなかった。。。



これがガレージ入出庫。
この両工程でともにバランスを崩して必死にバイクを押さえたことが数回。
一度は自分がガレージのドアと倒れ掛かったMAXの間に挟まり死に掛けた。。。
一番酷かったのは家側の壁に息子がいてそちら側にMAXが倒れたとき。
必死で抑えたがMAXは倒れこみ息子側に倒れた。
これはぺしゃんこ確実と思った。
幸いハンドルが直角に壁に当たってタンク近くにいた息子は出来た隙間に
入り込みなんとか潰れずにす済んだ。

走っているときはめちゃくちゃ楽しい。
でも止まっているときは鉄の塊。どうにもならない。
度重なるガレージ出し入れのアクシデントで腰痛が悪化した。

限界。

出会ってからまだ半年であったが別れを決意した。
こんなに楽しいバイクなのに乗り続けられないなんて。
乗り続けたかった。
でもこのままでは絶対に入出庫時に事故は起きるのは確実であった。

別れを決めてから3ヶ月NightRUNを繰り返し、写真を撮りまくって
別れまでのひと時を楽しんだ。
整備をして、綺麗に磨き上げたところで次の持ち主に引き渡された。
悲しかったが諦めはついた。
何しろ自分では扱えなかったのだから諦めるしかない。

こんなことで別れになるとは全く想像をしていなかった。
当初は扱いにくさから躊躇はあったが峠ツーリングのあとには
全く問題なく乗りこなせるようになっていてお気に入りのバイクに
なっていたのに。。。

   
 


         thank you - MAX -