金峯山寺 奈良県吉野郡吉野町吉野山 金峯山修験本宗総本山
現在の本尊 金剛蔵王権現
本地 [過去] 釈迦如来
[現在] 千手観音
[未来] 弥勒菩薩
大日如来地蔵菩薩

「義楚六帖」

本国都城の南五百余里に金峯山有り。 頂上に金剛蔵王菩薩有り。 第一の霊異なり。 山に松桧名花軟草有り。 大小の寺数百、節行高道の者これに居す。 曽て女人有りて上ることを得ず。 今に至りて男子上んと欲すれば、三月酒肉欲色を断つ。 求むる所皆遂ぐ。 云わく、菩薩は是れ弥勒の化身、五台の文殊の如し。

「神道集」巻第二

熊野権現事

金峯山の象王権現は、三十八所なり。 御本地は、当来導師の弥勒慈尊これなり。
勝手・子守は不動・毘沙門等これなり。

同巻第六

吉野象王権現事

そもそも象王権現は、本地は釈迦如来これなり。 摩耶夫人の胎内へ入りたまひし時は、白象の形にて託生たまひし故に、象王と云ふなり。
権現と顕したまひし時は、本地は聖天なり。 この天の事は経に、それ聖天は、真言教主、大日如来、摩訶毘盧遮那、教令輪身大聖不動明王、無明界の教主、荒神大菩薩これなり。 一切障碍神の冥合の毘那耶伽天として、一切衆生を哀みたまふ天等なり。
[中略]
その本地を尋れば、大日如来これなり。 この仏はこれ、真言教に付てこれを尋るに、両界三部十三九会の諸尊、皆大日より開出する処なり。 五仏・四波羅蜜・十六大菩薩・四摂・八供養・金剛界の七百余尊・胎蔵界の五百余尊、皆これ大日の一体より開出する利生なり。 故に文には、本来一仏、無有二心と云へり。
また普賢観経には、釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名く。 その仏の住む処を常寂光土と名く。
その自性輪身は、十一面観音これなり。 この仏はこれ、釈迦には左面の弟子、弥陀には補処の大士なり。 三十三身にして、十九説法したまへり。 大光普照観世音と称して、歓喜三昧の力を以て、修羅道の苦患を救ひたまへり。
そのまた教令輪身は、愛染大明王これなり。 その垂迹は、麁乱神これなり。 大魔王となる時は、常随魔これなり。 煩悩となる時は、元品の無明これなり。 総じては九億三千四百九十の王子眷属なり。 夫婦合身の形にして、象頭人身の体なり。 荒神と現したまふ時は、一面三目にして、二足の形なり。

「修験指南鈔」

第十二 蔵王権現本地垂迹之事

凡尋蔵王因位、於印度者、波羅奈国王、卒濁大王云云。 於垂跡、檀特山飛来時、同降臨和国。 神武天皇御宇、熊野権現随来、顕金剛童子。 雖守護金峯山、不知御体、処御山上役優婆塞、摧肝膽、致御祈祷処、現柔和忍辱形給時、為今御体。 難守護当山、奉追返時、則現大忿怒身涌出。 今山上蔵王也。青黒三目、頂上三鈷冠戴、右手同杵取、打虚空、左手結剣印安腰、火光身変、忽然顕其形。 左足柱立、宝石上立。右足蹈虚空。 誦文云、昔在鷲峯名牟尼。今於海中金峯山。為度衆生現蔵王。今世後世能引導(文)。
 (中)釈迦。(東)千手。(西)弥勒。三身三世霊仏也(過去未来現在之三尊云云)。
 子守・勝手。金精大明神。三十八所(守護霊鷲山四方角護法也)。
 子守坤護法(本地地蔵)。
 勝手巽護法(本地毘沙門・文殊)。
 金精大明神艮護法(本地大日如来)。
 三十八所八大明王乾護法(本地十一面)。

「金峯山秘密伝」巻上

金剛蔵王権現本地垂跡の事

今金剛蔵王者本地高遠にして其徳甚妙也。 垂跡広大にして利生亦無双也。
[中略]
即ち相伝に曰。 昔し役の優婆塞天智天王の御宇白鳳年中に金山の大峯を開き而仏道を勤求し、末代相応の仏を祈、濁世降魔の尊を尋。
于時大聖釈尊忽然として現前し護法の相を示し玉ふ。 行者白して言く。 辺土の衆生は仏身を見るに堪ず、強強の衆生に応せざる所也。 願くは所応の身を示玉へと。 時に釈尊忽然として現せず。
更に千眼大悲の尊自然に即ち涌現す。 行者亦白く。 今の尊は五部具成の仏大悲抜苦の尊也。 無双柔軟の形体を為すと雖も、尚悪世に応せざる所也。
時に大聖化滅して亦弥勒大慈の尊自然に影向し、行者亦白して言く。 大聖は此れ釈尊の補処、大慈与楽の尊也。 此の土に縁深し。 然りと雖も末代尚応せず。 願くは降魔の身を顕し玉へと。
其時宝石振動して磐石の中より金剛蔵王青黒忿怒の像にて忽然として涌出して、即ち磐石の上に住し玉ふ。 時に行者大に歓喜し敬重し奉崇す。 此レ其の元始なり。
今の四尊の影現は此れ四生済土の表示、四海静謐の相也。 此の四仏の中の前の三仏は能変の本身と為す。 後の一仏は所変の一身と為す。 初の三仏は此れ三世の仏体、即ち三密の尊像也。 所謂る釈迦は此れ過去以成の尊、身密の仏也。 次の千手は即ち現在弥陀の正法輪身にして、此れ語密の説法の仏也。 次の弥勒は即ち当来作仏、大慈意密の仏也。 此の尊は兜率に住す。 此には喜足と云、即ち悦身に在を楽と云ひ、心在を喜と名づく。 此れ意密大慈の故に今の三密を三世と為し、身口意を以て即ち過現当の三世と為す。 故に三尊は即ち三世三密の仏身也。 今の三尊差別を為と雖も、此れ即ち釈迦の三密一仏の万徳。 此の一身に三密を具ふ。 三仏即ち一心に帰す。 故に三仏合して一身と現す。 此れを金剛蔵王と為す也。 即ち大聖釈迦の所変と為る也。

鎮守勝手子守等の神体習の事

伝て云。 勝手大明神は此多聞天王の垂跡、此れ仏法護持の大将、国家鎮守の首領也。
[中略]
今和光同塵の三昧に入り、当山の神体を顕。 此を勝手明神と号す。 即護法護国の神威を振ふ。 此故に左の手に大定の弓を持、即四魔の群敵を射払、無辺の福寿を射取。 右の手に大智の刀を執、能く国家の怨賊を断滅す、四海の賊徒を摂領す。 是故に亦勝手明神と号する也。

若宮本地垂跡の事

次若宮は此文殊の垂跡、即降魔成覚仏也。
大力の獅子王に乗て能く四魔の軍を破り、手に剣を執て即無明の業寿を断す。 今和光三昧に入て、若宮明神と顕。 獅子を改て即馬王に乗、智刀を摂て弓箭を執。 此れ同く護法の表示也。

子守明神本地垂跡の事

次に子守明神者地蔵薩埵の垂跡、同塵三昧に入り跡を当山に垂。 此を号して子守明神と為る也。 此れ即女体の神勝手大明神の所妻也。 身に七珍宝衣を着す。 即左の手の宝珠は衆生の所願を満。 右に天扇を執て国土の災難を払。
次に若宮明神姫者此阿弥陀如来の垂跡也。 今子守姫神と為、即済生の益を施す也。 童女の相を現て七宝の衣を着、双手に弓を執て愛金剛の女相を表。

三十八所本地垂跡の事

次に三十八所は即子守明神所生の若宮の兄弟なり。 或は行者神山に於て日本国中の三十八所の大神を勧請、悉地を祈り所願を成して、八幡賀茂春日熊野等光を并て本誓を同す、共に護国の益を於也。 今即三十八神合して一所に崇ぬ。 本地は即千手、垂跡は一身を分つ多身と為る。
[中略]
甚秘の伝に云。 千手は即四十臂の尊合掌して即能変の本身と為。 余の三十八臂は即三十八所の神体也。

「金峯山秘密伝」巻下

当山諸神本地異説の事

勝手大明神 本地多聞天。一説には大勢至菩薩。
同若宮 本地文殊師利菩薩。一説に不動明王。
子守大明神 本地地蔵。一説には阿弥陀如来。
同若宮 本地阿弥陀。
三十八所 本地千手観音。一説には十一面。秘密は胎蔵大日也。一説には金剛界三十七尊也。
金精大明神 本地金剛界大日。
佐投明神 本地地蔵菩薩。
雨師大明神 本地如意輪。醍醐寺青龍権現と同体云々。或は十一面観音。
天満(北野) 本地十一面。
牛頭天王 本地薬師如来。

「金峯山創草記」

諸神本地等

金剛蔵王(過去釈迦、現在千手、未来弥勒、或云大日、或云地蔵)
役行者(不動) 義学(阿弥陀) 義賢(弥勒)
天満天神(十一面)
佐抛(地蔵)
勝手大明神(縁起云、霊鷲山辰巳護法蔵王権現、大聖文殊垂迹云々、或云得大勢、或云不動、或云毘沙門)
矢護若宮(文殊)
大南持(薬師)
八王子(十一面)
子守三所権現(僧体阿弥陀、女体地蔵、俗体十一面、或云胎蔵大日云々)
三十八所(無量寿、或云金剛界三十七尊并胎蔵大日、或子守胎蔵大日、三十八所金剛界大日、或聖観音、或云如意輪観音、或云大勢至)
若宮(文殊、或云大勢至)
牛頭(薬師)
金精大明神(霊鷲山丑寅護法阿閦仏、或云釈迦、或云金剛界微細会大日)

「仏像図彙」

吉野蔵王権現

大勢忿怒の姿を顕して金峯山に湧現し玉ふ
右御手は三鈷を握り臂を挙げ左の手て腸を押へ二眼明に忿る
[図]

「大和・紀伊 寺院神社大事典」

金峯山寺

 吉野山から山上ヶ岳(1719.2メートル)まで一連の峰続きを金峯山とよび、そこに建立される修験寺院を総称して金峯山寺という。 金峯山修験本宗。 本尊は金剛蔵王大権現。 中世には山下の吉野山に蔵王堂を中心に百数十ヵ寺、山上にも本堂を中心に三十六坊を数え、わが国修験道の根本道場であった。 現在大峯山寺(奈良県天川村)とよぶ山上本堂は金峯山寺の山上蔵王堂であり、吉野山にある本堂は金峯山寺の山下蔵王堂である。 「塵添壒嚢鈔」は山上一体、山下三体の蔵王権現を祀ると記し、山下三体とは当時の根本伽藍である蔵王堂のほか、丈六山蔵王堂と安禅寺蔵王堂(宝塔院)をさす。
【草創・沿革】 開基は役小角と伝え、役行者は金峯山上湧出岳で金剛蔵王権現を感得したという(「金峯山雑記」など)。 中興は醍醐寺(現京都市伏見区)の聖宝で、彼は長く金峯山で修行し、山を開き、山上の奥に堂宇を建て、高さ六尺の金色如意輪観音、一丈に及ぶ多聞天王、金剛蔵王菩薩を安置し、吉野川に六田(現吉野町)の渡を設けて入峯の通路を開いたという(醍醐根本僧正略伝)。
[中略]
【蔵王堂】 金峯山寺本堂。 国宝。 吉野山のほぼ中央、標高364メートルの高台にする。 創立はつまびらかでないが、平安初期は下らず、あるいは奈良朝までさかのぼるともみられる。
[中略]
 本尊木造蔵王権現立像三躯(国指定重要文化財)のうち、中央本尊は7.88メートルの本地釈迦仏、右は7.27メートルの本地観音、左は6.66メートルの本地弥勒、過去・現在・未来三世三体の蔵王として安置されている。

首藤善樹「金峯山寺史」

下山蔵王堂

 下山(山下、吉野)の蔵王堂は、吉野山の野際と呼ばれる地に築かれた壇場伽藍の中核に立つ。
〔創建伝承〕 南北朝時代の「金峯山秘密伝」巻中に 「行基菩薩、本堂(山上)ノ像ヲ摸シ奉リ、即三世ノ蔵王ヲ摸シ、過去ノ釈迦、現在ノ千手、当来ノ弥勒、三世ノ蔵王之造立シ、下山ノ蔵王堂ニ之ヲ安置ス」(原漢文) と、行基が三体の蔵王権現像を造り下山蔵王堂に安置したという伝承が記されている。 この行基による創建が寺伝である。 「金峯山秘密伝」に三体とあることから、平安時代から下山蔵王堂の本尊は三体だったと推察される。

本地堂

 本地堂は食堂の跡地に役行者千三百年大遠忌を契機として蔵王権現本地堂(蔵王堂奥殿)として建立された。 平成八年(1996)五月八日着工地鎮式がおこなわれ(時報352号)、平成九年六月二十九日上棟式(時報366号)、平成十二年五月十一日落慶式がおこなわれた(時報401号)。 本地堂には蔵王権現の本地である釈迦・千手観音・弥勒の三尊、役行者・前鬼・後鬼像が安置されている。

山上蔵王堂

 山上蔵王堂は金峯山山上、すなわち山上ヶ岳(大峯山)頂上にある。 古くは御在所と尊称された。 標高1,719メートル。 もっとも高地にある重要文化財指定の建築遺構とされる。 明治二十四年(1891)の山上本堂明細帳に 「本尊金剛蔵王権現、但銅像ニシテ御丈三尺」 とある。
〔開創伝承〕 「金峯山秘密伝」に 「当山ハ宣化天皇ノ御宇、僧聴三年(戊午)八月十九日、霊山ノ巽ノ角崩落シ飛ビ来テ金峯山ト成ル。天智天皇ノ御宇、白鳳十一年(辛未)正月八日、役ノ行者始テ金峯山ニ登テ、蔵王ノ宝窟ヲ開ク。生身ノ御体ヲ拝シ、其ノ後行者柘楠草ノ霊木ヲ以テ、彼ノ生身ノ像ヲ摸シ奉リ、行者自ラ手カラ之ヲ造立シ、八角ノ堂ヲ建立シテ之ヲ安置セラル。此根本山上蔵王堂是也」(原漢文) などとある。 また同書の「金剛蔵王最極密習事」には、次のような所伝が記されている。 役行者が金峯山最頂の青龍池の中の方八尺の宝石の北面、南方に向かって末代与福の尊像を祈ったところ、その宝石の保北面の大聖釈迦の像が涌現し、さらに祈ると千手千眼大悲者、さらに弥勒大慈尊が化現した。 次に宝石の南面で祈ると、宝石が振動し光を放ち、宝石の上方に青黒忿怒の金剛蔵王が涌出し、宝石の上に立った。 また宝石の西面に胎蔵界東曼荼羅、東面に金剛界西曼荼羅が化現し、さらに宝石の南面に八大金剛童子が化現した。 すなわち山上蔵王堂の内陣仏壇の下は、この龍穴池である。
 山上はこのように、役行者が蔵王権現を感得したと伝えられる金峯山信仰の根源的な聖地である。

鈴木昭英「金峰・熊野の霊山曼荼羅」

吉野曼荼羅

 なお。ここで金峰・吉野諸社の尊名、神像形姿、本地仏の一覧を掲げることにしよう。 『私聚百因縁集』『金峰山秘密伝』『金峰山創草記』『小篠秘要集』『両峰問答秘鈔』『大乗院寺社雑記』長享二年二月二十四日条、及び金峰・吉野の諸神を描写した鏡像・懸仏や吉野曼荼羅などを全体的に照合して作成した。 本地仏の異説の多いのに驚かされる。

  神名 神像姿 本地
蔵王堂 蔵王権現 夜叉形 〔過去〕釈迦・〔現在〕千手観音・〔未来〕弥勒(または大日、あるいは地蔵)
上宮 子守三所権現 僧体 阿弥陀
女体 地蔵
俗体 十一面観音(または胎蔵界大日)
若宮姫明神 女体 阿弥陀
三十八所 俗体 千手観音
率川 女体 十一面観音
下宮 勝手大明神 夜叉形 毘沙門天(あるいは文殊、あるいは得大勢至、不動)
矢護若宮 童子形 文殊
末社 金精大明神 俗体 金剛界微細会大日(あるいは釈迦、あるいは阿閦仏)
牛頭天王 夜叉形 薬師
八王子 俗体 十一面観音(または地蔵)
大南持 俗体 薬師
雨師 俗体 如意輪観音(あるいは十一面観音)
佐抛明神 俗体 地蔵
天満天神 俗体 十一面観音