あっこママの出産報告♪

凌奨(りょうすけ)♪
1999年5月23日誕生!!

■陣痛から出産まで■
凌奨が生まれた日(5/23)6時半頃目覚めた私は、「何だかお腹が痛いぞ」と思いつつ、「予定日(6/30)までまだ 一ヶ月以上もあるし・・・まさか陣痛?!」なんてのんきに考えていました。でも、いつもと違うお腹に不安だった私は 主人に思ったままのことを伝えたのです。そうすると・・・「気のせいじゃない?」って答えが返ってきて、「そうだね・・・」 と、私もその不安を通り過ぎることにしました。その日は、生まれて二ヶ月の甥っ子の世話をする約束をしていたので 私は出かける準備をし、朝ご飯を食べ・・・でも、どんどんお腹は痛みは増してきているような気がしました。 まだ私は「まさかね・・・」と思いながら、姉の家まで5分程の道のりを車を運転しました。ちょーど姉の家に着いたとき また痛みがありました。。。さすがの私も「何だか10分おきに痛いぞ・・・」と気がつきました。そして姉にそのように 伝えましたが、姉は美容師で予約のお客さんが待っていました。とりあえず「10分おきってことはまだまだ大丈夫だから 待ってる」と言い、姉には仕事をしてもらうことにしました。時間が経つにつれて痛みの間隔が短くなり、痛さも増していました。 それでも私はかわいい甥っ子のオムツを替えたり、あやしたりして、その間にも痛みと戦っていました。 姉は心配して何度も見に来てくれましたが、お客さんが途切れるまで私は待っていました。姉の家に着いてから三時間ぐらい経った時、 主人が溝掃除を終えてカットしてもらう為にやってきました。(そう、その日は町内の溝掃除の日だったのです)陣痛に苦しむ 私を見て、すぐに自宅に連れて帰ってくれました。そしてお風呂に入り、お昼ご飯を食べて・・・それでもまだ私は「本当に 陣痛なのかな?」と疑っていました。でも、その時には陣痛の間隔は三分もありませんでした。そして病院へ向かいました。 病院へ着くとすでに子宮口は開いており、看護婦さんも慌てて陣痛を抑える点滴をしてくれました。看護婦さんに「もう陣痛は 止まらないと思う。このまま生まれてしまったらうちの病院では預かれないから。」と、言われました。週数が足りないからです。 そして私の出産した病院は個人病院なので、未熟児センターへ送ることになっていたからです。・・・・・やはり陣痛は止まることはなく 病院へ入って二時間半ぐらいして分娩室へ入り、そして一時間程で出産となりました。

■出産からママ退院まで■
凌奨が生まれて私はベットに横になったままで 初めて凌ちゃんを腕に抱きました。そして、家族三人の初めての記念撮影(^_-)-☆ すると・・・あっという間にバタバタと凌ちゃんは 連れて行かれてしまいました。その時まだ私は分かっていなかった・・・・・(>_<)ヽ  この瞬間から私が退院するまでの 間、凌ちゃんに会えないということを・・・。凌奨は、すぐに救急車で近くの未熟児センターへ運ばれました。 もちろんパパも凌ちゃんについて行きました。私は二時間程して病室へ戻りました。少しずつ落ち着いてきて 凌ちゃんに会えないということを理解しました。・・・たった五日間・・・それでも私には今までに体験したことのない 辛い辛い時間になったのです。毎日親戚や友達がお祝いに来てくれました。もちろんパパも、会社と、凌ちゃんの病院と、 ママの病院と、毎日毎日来てくれました。凌ちゃんをビデオで撮り、写真で撮り、私に見せてくれました。 もちろん毎日の様子も話してくれました。でもでも、、、私の気持ちはどんどん乱れて行きました。みんなの 「今しかゆっくり出来ないんだから、これからが戦争だよ」と言う励ましの言葉も、私には正直に言うと腹立たしいくらいに 聞こえていました。「やっとやっと凌ちゃんに会えたのに、どうして離れていなければいけないの?」「会いたい会いたい会いたい」 そんなことばかり考えていました。考えていたというより・・・頭から離れなかった・・・。 毎日パパが帰ってしまった後、泣けて泣けて仕方がなかった。どーにも止まらなかった。そんな涙を隠して強がっていた私もついに 入院三日目の夜、パパの前で泣いてしまいました。 そして・・・病院にお願いして五日間入院のところを四日間で退院することになりました。

■ママ退院から告知まで■
私が退院したのは入院から四日目のお昼頃でした。 すぐにでも凌ちゃんに会いに行きたかったけれど、凌ちゃんのいる"NICU"は一日たった30分の面会時間。 それも予約制なのです。予約時間は夕方だった(>_<)ヽ でも、とりあえず搾った母乳だけでも届けようと病院へ向かったのです。 そう、母乳を三時間おきに搾って届けていたのです。そのときママは初めて凌ちゃんの主治医に会いました。 女の先生でした。そして、凌ちゃんに病気がある事を聞きました。凌ちゃんは心臓の病気“ファロー四徴症”だったのです。どうしようもなく涙が溢れてきました(>_<)ヽ 先生が病気のこと、今後の治療について説明してくれました。 でも、、、私はほとんど聞いていなかった。とにかくただ悲しくて悲しくて・・・そして凌ちゃんに会いたくて・・・。 パパは凌ちゃんが生まれて次の日には聞いていたそうです。凌ちゃんに会えなくて精神的に不安定な私にはとても 話せなかったのだと思います。そして、凌ちゃんの担当の看護婦さんにも会いました。 すぐそこに、ドアを開ければ凌ちゃんに会えるのに、面会時間じゃないからと会わせてもらえませんでした。 そしていったん家に向かいました。家に着くまでの間、ただただ泣いていました。何かを考えているというより とにかく泣いていました・・・(T.T) そして家に着いて、少しずつ落ち着いて・・・母乳を搾りました(^^;; その時の私は"とにかくおっぱいを出さなくちゃ"って思いました。母乳に勝るものはないからね。 そして立ち直りの早い私は"凌ちゃんにやっと会えるんだから泣いていられない"と気持ちを切り替えました

■告知から対面まで■
涙を拭いて、腫れた目を隠すために一生懸命化粧を しました。こんな顔じゃ凌ちゃんに会えない・・・と思ったからです。 そして、再度病院へ向かった私は、もうすっかり凌ちゃんに会うことだけに心を奪われていました♪  出産の日以来の再会です(^O^) 凌ちゃんは保育器の中で眠っていました(_ _).。o○ 生まれたときに見た凌ちゃんとは少し顔が違っているように思えました。 何だか壊れそうなくらい小さいのに、とてもしっかりしているように見えました。 チューブがいっぱい付いていて痛々しいのに、でも、私はかわいそうだとは全然思いませんでした。 凌ちゃんに「ママが来たからね。もう一人じゃないよ。」と伝えていました。 病気があったって、体が小さくたって、“ママがいっぱいの愛で包んであげる♪”そんな気持ちが溢れていました。 心臓のことを聞いて泣いていた私はもう居ませんでした。 それからの私は、一日の中でたったの30分がとてもとても楽しみに、待ち遠しくて仕方がありませんでした(^o^)

■対面から抱っこまで■
毎日面会に行き、ガラス越しの凌ちゃんと会う日が 続きました。そして、10日ほどしてやっと凌ちゃんは保育器から出ることになりました。その日はもう嬉しくて 面会時間が本当に待ち遠しかったのを覚えています。初めてこの胸に抱き、そして母乳をあげることが出来ました。 当たり前のように思っていたことが、その時はもう夢のようでしたね。ずーっと抱っこすることを目標に頑張ってきたから。 でも、その頃の私は病院にいるときはとても元気だったけれど、家に帰るといろんな気持ちが渦巻いて考え込んでいました。 "早産"(未熟児)したのは自分が無理したせいかも?とか、早産が原因で病気になったんじゃないかな?とか・・・"(・_・、) 不安で不安で、苦しかった。でも、まわりの人にその気持ちを話しても慰められたり、励まされたりするのは よけいに辛い気がして話せなかった。しかし、凌ちゃんに接することが出来るようになり、会う時間が増えると 不安な気持ちも薄れて行きました。

■抱っこから母児同室まで■
凌ちゃんは、頑張っておっぱいを飲むようになり ました。そして面会の時にお風呂の入れ方も練習しました。初めて凌ちゃんをお風呂に入れたときは嬉しいのと、 不安な気持ちとで・・・ドキドキでした♪ 凌ちゃんはとてもお風呂が好きらしくおとなしくとってもいい子でした。 ママの不安な気持ちをわかってくれたのかも(^o^) そんな日が続いて・・・いよいよ退院に向けて母児同室 する日が来ました(^O^) ママの嬉しい気持ちとは逆に、ママは体調を崩してしまったのです。その日の朝パパに 付き添ってもらい診察を受けたのです。結局、母児同室することは出来ましたが、それから三日間、朝と夜に 点滴を受け、薬も飲むことになりました(;>_<;) やっと・・・痛い思いをして"搾乳" することもなく凌ちゃんに"母乳"をあげられると思っていたのに・・・本当に落ち込んでしまいました。母児同室は二泊三日でした。 凌ちゃんとずーっと一緒に居られることは嬉しかったけど、その合間にも私は飲んでもらえることの無い母乳を 搾り続けていました。その頃のママのおっぱいは三時間ごとに搾らないと母乳が溢れてしまって服を汚すほどだったのです・・・。 でもでも・・・とにかく凌ちゃんと一緒に居られることは幸せそのものでした\(^^\)(/^^)/ ちょーどお休みだったパパも朝から夜まで・・・ずーっと凌ちゃんから離れませんでした♪

■母児同室から退院まで■
二泊三日の母児同室を終えて、凌ちゃんは初めて 自分の家に帰ってきました。パパもママも笑っちゃうくらい浮かれていました(^O^) 凌ちゃんを真ん中にして 川の字で寝ました(_ _).。o○ しかしそれもたった二日で終わり(;>_<;) 凌ちゃんは検査の為に県立岐阜病院 に入院することになっていたからです。岐阜の病院までは車で一時間半ほどかかり、泣かせてはいけない凌ちゃんを 車で連れて行くことはかなりのドキドキでした・・・それにまだ3kgもない凌ちゃんにはチャイルドシートも 大きく感じられて心配でした。岐阜では六人部屋に約一週間入院しました。本当に長く感じられた一週間でした。 家と遠く離れていたので、もちろん面会にも誰も来られない。それに点滴や、注射もない。検査といっても ほとんどなく、凌ちゃんの様子を見ているだけ・・・という入院でした。同じ部屋に入院していた人たちは、 手術前後の人が多く、何だか申し訳無いような気持ちになってしまうくらい状態の悪い人ばかりでした。 私は普段あまり人見知りなどせず、すぐに誰とでも打ち解けられるようなタイプなのですが、この部屋ではどうしても 話すことが出来ませんでした。とにかく退院したくて・・・凌ちゃんと一緒に家に帰りたかったです♪ ほぼ一週間で退院となり、やっと家族三人の生活に入れることになりました。