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−デヴィット・ロバーツのスケッチ画とともに
デヴィット・ロバーツは1796年に英国に生まれました。彼は絵画の才能に優れ、各地を放浪した後、1838〜39年の11ヶ月にわたってエジプト各地を訪れ、優れたスケッチ画を残したのです。当時、多くの困難と危険を乗り越えて旅を続けたロバーツのスケッチ画はヨーロッパに於いて大きな評価を得ました。それから160年余り後の現代、私達は容易に彼と同じ場所に立つことができます。それらについて若干のコメントをしながら、古代エジプトの遺産を少しでも味わって頂ければ幸いです。 ■ポンペイの柱 古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝時代に建てられたサラピス神殿の一部と見られるコリント様式の柱です。古代エジプトの遺跡というよりは、明らかにギリシャ・ローマ文化の影響が強く残っています。神殿が崩壊した後、紀元292年にローマ皇帝ディオクレティアヌスがこの柱を今の形に建て直したといわれています。 古代エジプト最後の女王、クレオパトラの都でもあったアレキサンドリアにあります。
![]() ※余談になりますが、柱の左下にラクダと商人の姿が見えますが、このようにロバーツのスケッチ画には対象物の大きさを伝えるために意図的に人々が描かれています。 ■ピラミッド ギザにある3大ピラミッドは極めて有名ですが、その他大小様々なピラミッドが無数にあります。紀元前2600年頃から作られ始めたピラミッドは、奴隷を使役して作られたというよりは、農作業に従事できない季節に仕事を与えるという王による富の再分配機能を果たしていたという説もあるようです。 いずれにせよ、ピラミッドの単純な四角錐の構造は好まれなくなり、時代を下るに従って、巨大な列柱やファラオの像が寄進される巨大神殿へと古代遺跡のウェイトは移っていくことになります。 ![]() ■デンデラ神殿 デンデラにあるプトレマイオス朝時代に建てられたハトホル神殿は、クレオパトラ女王と彼女とシーザーの間に生まれたカエサリオンの2人のレリーフがあることで有名です。
![]() ※中央2本の柱を比べると、ロバーツの時代には神殿の下半分が砂の中に埋もれていたことがよく分かります。また、当時は鮮やかな彩色が未だ美しく残っていましたが、そこに住み着いた現地人が出す煙で天井部分はかなり煤けてしまい、現在ではかなり色あせてしまっています。 余談になりますが、天井部分もしっかり残っており、現在に残る古代エジプト神殿の中では唯一屋上部分へ登ることができます。この時に使用する内部の暗い階段の作りが興味を引きます。 ■ルクソール神殿 ナイル川中流域にあるルクソールは古くはテーベとして栄え、ナイル川河口域に建てられたピラミッドに代わって多くの神殿が建てられました。中でもアモン大神殿を擁するカルナック神殿と、それに付随したルクソール神殿はルクソールにおける2大神殿となっています。ルクソール神殿は幾つかの王朝によって増築が続けられ、最終的にはラムセスU世が現在の形に整えたと考えられます。 近くにあるルクソール美術館には、つい最近の1989年にルクソール神殿の中庭を掘削中に偶然に発見された20数点の像が特別展示され、風雨(と言っても雨は降らずに主に砂風)に晒されなかったことによる完璧なまでの美しさが衆目を集めています。
![]() ※ラムセスU世の2体の座像を比べると、ロバーツの時代には3〜4m程に堆積した砂が未だ取り除かれていなかったことがよく分かります。 また、写真左に見える柱状のオベリスクは元来左右で対をなすものでありましたが、片方のオベリスクは当時既にエジプトから持ち出され、現在はパリのコンコルド広場に飾られています。 ■カルナック神殿 カルナック神殿もルクソール神殿と同様にルクソール東岸にあり、その中心となっているアモン大神殿は古代エジプトで最大の規模を誇っています。高さ23mにも及ぶ巨大な石柱が立ち並ぶ大列柱室は正に圧巻であり、映画化されたアガサクリスティの『ナイル殺人事件』でもその巨大さがよく表現されていました。
![]() ※ロバーツの絵では中央の石柱の右下にまるで小人のような5人の男達が立っています。さすがに、この絵は少し誇張が入っているように思えます。実際 にロバーツがこの光景を見てこのように感じたというのは少なくとも事実だと思いますが...。 ■ネフェルタリの墓 ナイル川を挟んだルクソール西岸には王家の谷が広がり、ツタンカーメン墳墓を始め第18王朝以降の主要なファラオ達の墓が眠っています。それら数多くの墳墓の中で壁画の美しさに於いて際立っているのは王女ネフェルタリの墓です。彼女は古代エジプト最強のファラオであるラムセスU世が最も愛した妻であり、ナイル川上流域にあるアブシンベル小神殿は彼女のために作られたものです。 ![]() ■コムオンボ神殿 ナイル川を更に遡ると、コムオンボ神殿があります。古代エジプトに於いては各都市が独自の土着の神々を信仰していましたが、この神殿はワニの頭を持つセベク神と鷹の頭を持つハロエリス神の2つの神を祭っているという点で異色な神殿となっています。 コムオンボ神殿は風による風化に加えてナイル川の溢乱による損傷を受けており、現在でもその影響を見て取ることができます。
![]() ※絵では中央の石柱の下手前に2人の黒人が立っています。彼らはナイル上流に住むヌビア人で、常に古代エジプト王朝と敵対関係にありました。 ロバーツは1838年11月21日にコムオンボを訪れ「かつては巨大な威容を誇った大神殿も、今では砂の上に僅かに見えるのみである。」と哀愁の意を表わしています。 ■アブシンベル大神殿 アブシンベル大神殿はラムセスU世がその領土の南端に建築した神殿です。20mを超す4体の座像はラムセスU世自身であり、向かって左から時系列的に少年期〜壮年期の顔を表わしています。この神殿は、敵対するヌビア人を威嚇するとともに、彼自身の自己顕示欲の表われでもあると考えられています。 神殿内部の壁画には「我はまさに昇る太陽の神ラーの如く、我の威光は敵の手足を焼けり」という有名なヒエログリフが残っており、神殿の奥には3人の神とともにラムセスU世が鎮座しており、彼が生きたまま神格化されていたことが窺えます。 近くにはラムセスU世が愛妻のネフェルタリのために建てた小神殿があります(スケッチ画の右下の神殿)。それは高さ10m程の6体の立像を持つ神殿でした。アブシンベル神殿をヨーロッパ人として初めて発見したイタリアの冒険家ヨハン・ブルクハルトは、伝説の神殿を求めてナイル奥地に入り、1813年3月22日にまずこの小神殿を見つけて「この巨大な神殿こそ、私が求めていたものだ!」と狂喜しています。しかし、意気揚々と引き揚げようとした時「二百歩と離れていないところに突然、四基の巨大な座像の一部が砂から飛び出している」のを認め、そのラムセスU世の大神殿こそが追い求めていた伝説の神殿であることを悟り驚愕したのです。
![]() ※ロバーツは大神殿が発見されてから25年後にアブシンベルを訪れています。この絵では向かって右が山側にあたり砂が左のナイル川へ注いでいることが分かります。現在のアブシンベル神殿には19世紀の旅行者が残した落書きがいくつも見られ、中には「どうやってあんな処に落書きを残すことができたのか?」という場所にもサインがあったりします。例えば、神殿右側腹部の上部の壁に落書きがあるのですが、このロバーツの絵を見ると砂づたいに大神殿に近づくと容易にその場所に行くことができたことが解ります。 戻る。
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