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演目の詳しい解説 | ||
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『夕霧阿波鳴渡』
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大阪新町の扇屋に「夕霧」という美しい太夫が実在しました。彼女は延宝6年に27歳という若さで亡くなってしまい、その死を惜しんで幾つもの浄瑠璃や唄が作られました。 | |
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最初は歌舞伎で『夕霧名残の正月』が上演され、大評判になりました。近松門左衛門が『夕霧阿波鳴渡』を書いたのは夕霧の三十三回忌に当たる年でした。様々な「夕霧もの」を集大成したと言われています。この作品の上巻を改作したものは『吉田屋』や『廓文章』という外題で歌舞伎で頻繁に上演されています。 | |
● | 文楽でも原作より改作の方が上演頻度は高く、今回上演される原作に近い方は初演が正徳2年(1712年)、次が安永3年頃(推定)、その後は長く途絶えていて、再演されたのが昭和34年でした。そして昭和49年、62年、今回の平成11年と続きます。まだ10回にも満たないわけですね。 | |
● | 「原作に近い」と書いた通り、「夕霧阿波の鳴門」の外題で上演される文楽も原作と全く同 じではありません。人形も近松門左衛門の時代は一人で遣っていましたので今日の三人 遣いとは違いますし、床本も原作の浄瑠璃本と同じではありません。 | |
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初演 正徳2年 大阪竹本座 作者 近松門左衛門 構成 上・中・下巻 |
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「廓文章」は「夕霧阿波の鳴門」の上巻と下巻の一番最後だけを使い、夕霧と伊左衛門が久しぶりに会って痴話喧嘩するところまでは殆ど同じです。 「夕霧阿波の鳴門」の主題でもある息子については、もう七つになると話すだけでそれ以上は触れません。 |
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そして最後に伊左衛門の母、妙順より使いが来ます。 勘当を解き、孫も引き取り、身請けのお金も用立てたことが知らされ、めでたし、めでたし〜となるのです。 |
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● | 江戸の「高尾」、京の「吉野」、新町の「夕霧」この三人の太夫を「三名太夫」と呼んでい ました。亡くなったのは27歳とも22歳とも言われています。その伝記は「澪標」(みおつくし) という書物に詳しいそうです。実在した夕霧は弱々しいどころか、闊達な女性だったよう です。 | |
● | 西鶴の「好色一代男」の中にも夕霧のことが書かれています。それによりますと 夕霧は色白で物腰よく、芸事に優れ、酒も強く、魚屋や八百屋とも口をきき、それでも卑 しくなく、浮気らしく見せても賢く、情け深いが溺れることはなく、客が命を捨てる覚悟で口 説いても道理を説いて遠ざかるという理想のような名妓だったようです。 | |
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