ゆらぐもの−Shape−



 絶対なる闇の深淵。

そこを形容するにはこの言葉しか思い浮かばない。
 そもそも、私はどうしてここにいるのだろうか? ここで何をしているのだろうか?
光は全く存在しないのだろう、その闇に目が慣れるということはない。
そのため自分がどんな姿かも判らない。
 声を出しているのだろうか? いまの言葉は脳に響く意識だけの存在なのだろうか?
 空気もあるのだろうか?
息を吸おうとはしているが、空気を吸い込む感覚は皆無だ。しかし、私は生きている。
 生きている?
本当にそうなのだろうか? 今、何をもって私は生きていると言えるのだろうか?
 私の…存在…
私が私であること、私以外に私を私として証明してくれるヒト…モノ…ここには存在し
ない。
 光も空気も時も上も下も…みんな、みんな私の心にしかない。

 だめだ…だめだ だめだ だめだ だめだ!
心が…私が狂っていく。
いや、もう私は狂っているのだ! そうだ、そうなのだ!
狂ってる? 狂ってるとは何なのだ?
そう…ゆらぎだ…心のゆらぎだ。
そうか! そうなのだ…どうして私はこんなことをしているのだ。私にはやらなければな
らないことがあったのに…

見える! 見えるぞ!! 光が……



 モニターの左上にはREPLAYの文字が、右下にはその時の時間が写りだされている。
モニターの中では白衣を着た研究者達が巨大な計器類や、それに直結した端末コンピュ
ータが置かれた部屋をせわしく動いている。その部屋の中央には人の腰の高さぐらいの
柱の上に人の頭大の黒い立方体が鎮座していた。それには何本ものケーブルが接続され、
さながらギリシャ神話に出てくる切り落とされたメデューサの生首のようである。
 しばらくそのような光景が続いていたが、やがて研究者達が自分の持ち場に付いた。
そして実験が開始されたが、途端、テープにノイズが走るとそのままモニターには砂嵐が
支配した。

「記録はここまでです。青都さん」この研究所の責任者は、椅子に座ってモニターを見つめ
ていた男に向かってやや神経質そうに言った。
 最悪、これ以上のない最悪、責任者の心の中はその言葉で埋め尽くされた。つい苛立ち
が押さえ切れず小刻みに足がリズムを打つ。一体私が何をしたというんだ? 今までの私の
経歴は輝かしいものだ。ルーンスパン財団傘下で最もコンピュータ技術に秀でている
コム・テクノロジーの研究所長にこの若さで昇りつめた。さらに、最近発掘されたとい
うバベルの塔の管理システムの解析という名誉まで得たのに…それがこの様だ!!
 実験が失敗し、挙げ句の上に研究室は消滅、研究員は1人を除いて全員が死亡、遺体も
研究室とともにこの世から消えてしまった。
さらに最悪なのはその理由が皆目見当がつかないということだ。
 そして、ルーンスパンからバベルの塔の管理システムを――あの忌々しいブラックボッ
クスをだ!――受け取りに来たという連中…

 青都 直哉はモニターの記録映像が終わると、黙ったままファイルを眺めていた。
「これ以外に実験の計測データなどは?」代わって青都の横に立っていた男がモニター
を端末の画面に切り替え、キーボードを操りながら所長に問いかける。
 所長は現実へと意識を戻され、一瞬、答える間を失った。
「失礼、あー……コールマンさん、何でしたか?」
「実験のデータなどは残ってないのですか?」エドウイン・コールマンは端末の画面か
ら目を離さずにぶっきらぼうに言った。
「残念ですが、事故が起きたときの実験データやその他のファイルは研究室とともに
消えてなくなりましたので…」ほんとうに残念なのだよ、データが無いということは、
と続けたいのを我慢してなんとか有態を取り繕った。
「確か、生存者が1人いると聞いたんだけど」今まで後ろの別モニターで映像を見ていた
男と女の――確かレニー・ハミルトンと鈴音 麗香と言ったか――内の女の方が突然声
をかけてきた。
「はい、幸い研究助手のロドリー・キルマーが命を取り留めております。外傷は見当たら
ないので、後は意識の回復を待つのみだそうです」
今まで黙っていた青都が口を開く。「所長、彼はどうして助かったのですか?」
「ええ、たまたま事故の瞬間に研究室の外にいまして、部屋の中に入ろうとしたときに
事故にあったのです。彼にとっても不幸なことでしたが命が助かっただけでも感謝せね
ばなりません。彼も我が社にとっての重要な人材なのですから」ロドリーに話の矛先が向く
のなら一向に構わないと思うと舌も幾分なめらかになった。
「レニー、魔法の専門家としてどう思う?」青都が後ろでやる気なく椅子に座っていた
イギリス人に話し掛けた。
「さぁネ。ワタシは魔法のことは分かっても、科学はサッパリだからネ」両肩を持ち上げて
やるせないとした顔をする。





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