Future World 外伝 「剣持つ者」


 時は丑三つ、桜散りゆく上野公園。
21世紀を半世紀過ぎた今でも日本では桜に酔いしれる慣習は薄れておらず、不夜城東京
では夜が明けるまで、人々は桜の袂に群がる。
 上野公園でもそれは例外ではない。
上野公園にひときは大きな桜の木がある。いつの頃からかそこにあり、いつの頃からか巨木
であった。この季節になると、多くの人々がその袂で春の謳歌を夜を徹して楽しむ。

 そう、普段ならば。

 しかし、今は違っていた。
 桜吹雪が月光に照り返る。時が止まり、己を見失う浮世離れしたこの場所に、1人の男が
立っていた。年の頃は20歳前後か。切れ長の目が表情を凛としている。腰元まである髪
を後ろで束ねた姿は、ぞんざいさの中にも気質の高さを物語っている。昨今のブランドもの
とは違う仕立ての良いスーツも同様だ。
 男は巨木に向かって立っていた。桜散り舞う夜風が男を優しくなでる。
眼はそこにはない何かを見ているようで、虚無の影が浮かんでいる。
「桜の花は、人の血を啜り朱に染まるというが……」
老齢なる桜への視線は動かない。
「貴様は…何人喰らった?」
空気が動く。桜の花弁がざわめく。
「答えぬ…か」
 微動だにしなかった体が動いた。顔の前の虚空をつかむ。つかんだ場所から、まばゆき金色
の光子があたりを輝かせる。
やがて手の中で、光の粒子は1本の鞘に納まった剣と化した。
鋭い息を発し、鞘から剣を抜く。鞘は握られた左手から、生じたように光子となって滅する。
「輝神の剣を前にして、まだ偽りを纏うか?」
中段に輝神剣を構えた。
 桜の樹が揺らいだ。風は吹いてはいない。樹にはまるで苦悶の表情が浮かんでいるように
見える。途端、獣のような咆哮が周辺を裂いた。桜の主を中心とした空間がぼやけると、
樹の前にそれが現れた。
 鬼、古来日本より魑魅魍魎の類として称せられてきたもの。陰陽道の影響を表すかの
ように人の容をとり、牛の角と虎の牙を持っている。そして、その体躯はゆうに
2、3メートルはあった。
牙からは低い唸りが洩れている。
「ふっ、それがこの地での姿か…ならば、鳳条の名の下に悪鬼滅する!!」
 男は間合いを詰める。速い、鬼は反応できない。
「せぃやぁっっっ」
右から袈裟を切った。
鬼の口からは辺りをつんざく叫びが発せられる。血などというものは流れていないが、明らか
に痛みを感じたのであろう、その表情には苦悶とともに怒りの形相が浮かんでいる。
 鬼が動く。右手を振り上げる。その腕は筋肉隆々としており、まさしく丸太と形容されるに
ふさわしい。狙うは人如きの分際でこの体を傷付けた人間だ。
振り下ろした地面がえぐれた。しかし、そこに男はいない。
 鬼の間合いをはずしていた男は輝神剣を下段に構えている。剣の届かない距離だが、
下段のまま刃を鬼に返すと、右から剣を斬り上げる。
「っるぅあぁぁ」
瞬間、空気が裂けた。空気の鋭い刃が鬼に喰らいつく。見えない刃が体を切り裂き、重い
衝撃が走る。その巨体は足の爪を立てて地面にしがみつくが、衝撃により後ろに引きずられる。
 間髪入れず、男は間合いを詰める。
 しかし、この機を待っていたのは鬼の方であった。
地に向かい鋭い咆哮を上げる。男の走る地面が暗転すると、そこから土の手が現れた。土の手が
男の足に絡まる。
「しまっ…」
 言い終わる前に地面に叩き付けられる。胸が打ち付けられ、肺の中から空気がすべてなくなった
ように感じた。一瞬、気が遠のく。男の強靭さかすぐに意識が甦るが、戦いにおいてその一瞬が
命取りであった。
 意識を取り戻した瞬間、目に入った情景はまさしく死であった。体中に刀傷を負っているが、
横たわる獲物に対する喜びからおぞましき表情を浮かべ、死へと誘う右腕が振り上げられようと
していた。

「オン・ア・ウン・ラ・ケン・バンダ・バンダ・ディバ・ヤクシャム
ジャク・ウン・バン・コク・ソワカ」
 突然、すずしげな声が辺りに響くと鬼の体に光る鎖が巻付く。光鎖が鬼の動きを封じる。
 男は咄嗟に立ちあがり、体勢を整える。と同時に、鬼が鎖の呪縛を破った。
「うおぉぉぉ」
男が氣を練り上げるとともに輝神剣が共鳴を起こす。男の体に熱い力が巡る。剣が呼応するよう
に輝く。跳んだ、その跳躍力は人の域を越えている。
鬼の頭上から金色の剣が振り下ろされた。

一刀両断。

 鬼は崩れ落ちる。倒れたその姿は徐々に薄まり、この世から掻き消えた。
 男は深い息を吐く、そうすると光の輝きが鞘を型づくり、左手に現れた。剣を鞘に納めると、
それは生まれ出でたようにまばゆい光輝となって虚空の彼方へと消え去った。
「鳳条の家を離れていたにしては、まだまだですね、時鎮(ときしず)」
さきほどの真言と同じ声が男に向かう。いつのまにか新たに現れた男は白装束を着ていた。
顔には時鎮に面影がやや似ているが、その表情は温和そのものである。
「先ほどはありがとうございます、時守様」
「様はやめて下さい。いくら鳳条家頭首になったとはいえ、2人でいるときは兄弟でいましょう」
温和さの上にやわらかな笑みが浮かぶ。
「兄上が京の都を離れるとは何か大事でもあったのですか?」
憑依が祓われた桜の巨木に時守の視線が動き、しばらく静寂が続いた。
「覚醒の年を経て、日本も大きく変わりました。しかし、すべての覚醒が終わったわけではありません。
そして、予見される霊的均衡の崩れを防ぐには鳳条家の力だけではかないません。
それは輝神剣に認められたあなたならわかるはずです」
「ルーンスパン財団…ですか?」
「ええ…ギルフォード会長とリューカス様が日本に来られるということでしたのでね。
それと、あなたが財団という新たな場でどれだけ力をつけたか見たかったこともありました。
ですが、この分では老師には迷惑かけているようですね」
やさしき表情が時鎮にむけられる。
その時はじめて、凛然としていた時鎮の顔が和らいだ。
 夜闇のなかで朱に染まった春の吹雪が彼らを包み込む。

 西暦2054年、地球はまだ目覚めたばかりである。



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