NO.4546(合併号) 1986年12月31日


●今号の目次●

1 区教委見解に反論する(下)
2 江東自主夜間中学祭り
3 枝川自主夜間中学通信テープ完成
4 「ザ・夜間中学」出版
5 民衆文化フォーラム分科会が江東で


区教委見解に反論する(下)

9.8区教委交渉に対する私たちの主張を前号で掲載しましたが、まだまだ指摘しきれていない点が多数あります。今月号でも補足しておきたいと思います。

学務課長 義務教育未修了者問題の対策として、夜間中学はその一翼をなすが、あと通信教育、資格試験がある。

――区教委は一方で「法令上」の問題を夜間中学が設置できない理由としてあげていながら、いたるところでその法律を無視するような発言をしています。これもまたその一つです。
たとえば区教委のいう「通信教育」ですが、学校教育法第105条には次のように書かれています。
「中学校は、当分の間、尋常小学校卒業者及び国民学校初等科修了者に対して、通信による教育を行うことができる」
つまり、この通信教育は、旧学制の卒業生を対象としたものであり、その他の人は原則的には対象外ということなのです。紙面の都合上詳しくはふれられませんが、法令上の文言を見る限り、区教委は法律違反を押しつけていることになります。
「検定試験」もまた同様で、これは義務教育の猶予・免除を受けた人を対象として行うのが原則となっています。
もちろん私たちは、これらは法律違反だからやめろといっているのではありません。逆に、法律というものはこのように柔軟に解釈すべきだといいたいのです。
実際の運営にあたっては、通信教育では「別科」を設けて新学制の未修了者を受け入れていますし、検定試験でも猶予・免除者以外の受験が認められています。
本来、法律の解釈というのはそういうものなのです。

教育次長 義務教育制度というのは国の制度ですから、行政はそれをやっていくわけです。

――ことばの上ではまちがっていません。が、大切なところが抜けています。地方自治の大原則です。
国の制度だからすべて国がいうとおりにやるのだというのでは、地方自治はまったく成り立たなくなってしまいます。区役所も区教委もいらない、ただ現場さえあればいいのだということです。自らの首を絞めるような次長の発言を、ほかの職員はどう聞くのでしょうか。
ちなみに、1981年9月の区議会で小松崎区長は、日本語学級に関して「国をあてにしていたら、いつになるかわからない。議会でも迷惑をかけているので『来年にもやる』という決意をしたわけです」と述べ、ことばどおり翌年から日本語学級会をスタートさせました。今回、区教委が「やっている」と胸を張った日本語学級会です。
国にいわれたわけではありません。法律にあるわけでもありません。でもやったのです。これが本来の地方自治のあり方ではないでしょうか。地方の課題は地方で判断し、解決していくという……。
ましてや、夜間中学の開設は、法律に明記された区の権限なのです(何度もいうようですが、学級の認可は区教委の仕事であり、夜間中学は二部学級の項によると文部省も認めています)。

教育次長 もし本当に文部省がこれ(夜間中学)を制度化するなら、この答弁を受けたあとにすぐ、全国的に基準を示すんです。それがなおかつ示されていない。

――バカも休み休みいっていただきたい。しつこくくり返しますが、学校教育法施行例第25条の5項「二部授業」の中に夜間中学が含まれることは文部省がはっきり認めているし、そのために必要な法律については、先の首相答弁書にはっきり示されています。既設の夜間中学は、法律にのっとって教員配置や施設設備を行ってきたのです。また、奈良や天理、川崎、市川の夜間中学は、こうした文部省の方針のもとに開設されてきました。何もあらためて「基準」を示すまでもなく、すべて出そろっているのです。
私たちは逆に、区教委に問い返したい。もしも文部省がこれまでの既設夜間中学は認めるが、これから先、新しい夜間中学を開設することは認めないというのならば、当然これまでの方針を変更するわけだから「この答弁を受けたあとにすぐ、全国に」その旨を通知するはずです。そんな通知があったのでしょうか、と。
そんなもの、あるはずがありません。

作る会 今いる義務教育未修了者に対してはどうされるんですか。
教育次長 それは2つある。学齢児に対しては、それぞれの学校の中で対応していかなければいけない。
作る会 しているんですか?
教育次長 しています。

――これまた大ウソです。区教委が学齢児に対してキチンとした対応をしているなら、江東区から他区の夜間中学へ通う若年生徒(ここでは入学時18歳以下)が出るはずがありません。
しかしながら現実には、江東区から他区の夜間中学に通う若年生徒は毎年5、6人います。これはあくまで夜間中学へ通う人数です。実際には、夜間中学にたどりつけない子どもたちのほうがはるかに多いし、また学校にほとんど行っていなくても卒業証書をわたして「仕事は終わり」としているケースはそれ以上に多いのではないでしょうか。

教育次長 学齢をこえた未就学の人はどうするかということになると、文部省に追認されている他の夜間中学は一応認められているんですから、そこに行ってもらいたい。もうひとつは社会教育的に対応する方法はないか。

――後段の「社会教育的に対応する」ことの問題点は通信41・42号(86年7・8月合併号)で指摘したとおりです。学校教育で行えないことをまず明らかにすることが先決だと思われますし、ことばだけでいつまでも「社会教育」というのではなく、私たちへの対策として具体的に青写真を提起してその“優位性”をアピールすべきではないでしょうか。私たちの主張をはねつけるためだけに「社会教育」ということばをもてあそんでいるような気がしてなりません。

さて問題は、前段の「他区の夜間中学へ行けばいい」という論理ですが、これも再三指摘しているようにおかしないいかたです。
たしかに現在の夜間中学は「広域」的な機能をもっていますが、それはすべての区に夜間中学がないためのしかたなしの対応にしかすぎません。現に私たちの問い合わせに対して他区教委(江戸川・墨田)は、「原則は自分のところの区民のための学校であり、江東区民はことわることもありうる」と述べています。
これが昼間の学校だったらどうでしょう。他区に小・中学校はいっぱいあるのだから、そちらに行っていただきたい、とでもいうのでしょうか。決してそんなことはいわないでしょう。いったら大問題になってしまいます。

昼と夜を分けること、それ自体が区教委の大きなまちがいです。自分の区の義務教育は自分の区が責任をもって行う。これは当然のことです。いつまでも江東区の教育行政のタイマンの尻ぬぐいを他区教委にやらせておいていいのでしょうか。それが恥ずかしいことだとは思わないのでしょうか。1日も早い決断を期待します。


江東自主夜間中学祭り

地域の人たちにもっと夜間中学のことを知ってもらいたい――そんな思いを込めて11月16日、江東区文化センターで「江東自主夜間中学祭り」を開きました。前日少し降りかけた雨も、この日はどこかにとんでいき、ちょっと肌寒いかなと感じられたものの秋晴れのいい天気。約500人の人がつめかけて、楽しいひとときでした。

さて、今回の「祭り」は、一昨年秋に行った「バザーとコンサートの集い」に続く、私たちにとっても久しぶりの大イベント。バザーの部、ステージの部に別れて行われました。
バザーの部でとくに評判だったのは、自主夜間中学「生徒」手づくりのキムチとギョウザ。キムチは前回の「集い」のとき同様、1時間たらずで売り切れてしまい、「やっぱりもっと作るんだった」と「生徒」の声。ギョウザも前回より多く仕入れましたが、中には予約していても手に入らない人も出たほどでした。
一方のステージの部は、久々の黄バンドライブでスタート。自主夜中の「生徒」の作文に曲をつけてくれたものを中心に約1時間熱演してくれました。
そして各運動団体からはちょっとした出し物が。法政の歌、埼玉のマンザイ、松戸の芝居……それぞれシラケ鳥をとばしながらの大熱演。私たち江東のメンバーも、前日一生懸命に練習した劇「ねこの下町にも夜間中学を」を披露しました。

祭りのメインは、在日朝鮮人の若者たちで作る「ハヌリ」によるマダン劇。この日のために脚本をつくってくれたとかで、約1時間半、寒さを忘れさせる熱演が続きました。
このマダン劇、楽しいハプニングがいっぱいありました。ある「生徒」のだんなさん(?)がとび入りでチャンゴをたたいたり、オモニたちの絶妙の合いの手で出演者が一瞬セリフにつまったり……。

とにかく、応援してくださった多くのみなさん、ありがとうございました。また、一緒にやりましょう。


枝川自主夜間中学通信テープ完成

まだか、まだかと問い合わせの多かったテープがついに完成。評判を呼んでいます。
このテープ、最初は黄バンドの飯島超君が自主夜中の「生徒」の作文に曲をつけてくれたことが作成のきっかけ。せっかくだから録音して販売しようよ、ということになり、計画が進められてきたものです。
「予算がないから手づくりで」と考えていたのですが、映画監督で放送作家でもある盛善吉さんが、「いや、せっかく作るのならいいものを作ろう」と、自ら脚本づくりを買って出てくれたことによって本格化。かなり力の入ったものに仕上がりました。
題名は「枝川自主夜間中学通信」片面には、紹介したように、自主夜間中学の「生徒」が作った詩に曲をつけて、黄バンドが演奏しています。全部で8曲おさまっており、中には亡くなった高梨さんや、公立の夜間中学に「転校」していった井田さんの詩も。
また、もう片面には、盛さんが脚本を書き、プロの声優さんたちが朗読をしてくれたドラマ下手の朗読劇「人間になる」がおさめられています。
録音のときにはいくつかのハプニングが続いたそうです。脚本を読んだ声優さんたちが感動して途中で声をつまらせてしまったとか、こういう作品ならお金なんていらないからと、ほとんど出演料をとろうとしなかったとか……。
また、このテープを聞いた定時制の生徒が涙を流しながら感想を話してくれたとの話もありました。
テープは200本製作。黄バンドの関係者を中心に、宣伝につとめています、


「ザ・夜間中学」出版

3年前から製作を続けてきた夜間中学増設運動の本「ザ・夜間中学―文字を返せ、170万人の叫び」がこのほど完成、好評をはくしています。
この本は、私たち江東を含め、各地で夜間中学増設運動を行っている団体が年に1回、静岡県浜松市で交流集会をもっていく中で計画され、準備されていたもの。私たち自身の運動の記録をとどめておくとともに、夜間中学のない多くの地方の人にもその存在を知ってもらい、各地に運動の輪を広げていこうというのがねらい。構成は「苦闘」「生きる」「足跡」の3つからなっています。
「苦闘」では、公立や自主の夜間中学で学ぶ生徒の作文を中心に、夜間中学とは何か、そこでどんなことが行われているのかを紹介。
「生きる」では、義務教育未修了者の具体的な数を各種統計資料から推計(国は実態をつかんでいない)しているほか、国や教育委員会の夜間中学に対する考え方をみています。
最後の「足跡」には、私たちの運動の歩みを新聞記事を中心に集めてみました。ここにはまた、1960年以降の夜間中学をめぐる年表も付されており、夜間中学の歴史を知るうえで便利です。
これまで夜間中学をテーマにした本は20冊ほど出版されていますが、多くの場合、限られた地域・学校の取り組みを紹介したものにとどまっていました。もっと広い範囲を対象にした本を作り、これを手にとった人たちが夜間中学の存在を知り、自分たちも夜間中学がほしいという声をあげてほしい。私たちと一緒に各地で夜間中学をつくる運動を展開してほしい。そんな気持ちがこの本にこめられています。


民衆文化フォーラム分科会が江東で

11月22日から3日間行われた民衆文化フォーラムのうち「識字分科会」が、私たちの地元・江東区内でもたれました。このフォーラムは、各地で行われている「民衆文化運動」を交流し合おうとおこなわれたもの。そういえば、識字運動の交流も、これまでほとんど行われていませんでした。
22日夜行われた懇親会(枝川区民館)には江東のオモニたちを含めて約30人が出席。オモニのつくってきてくれたキムチをほおばりながら、それぞれ自己紹介などが行われました。
2日めは場所を近くの潮見教会に移して分科会。50人近くの参加がありました。
枝川の紹介に続いて、寿識字学校の大沢さんが、朝鮮のことわざをタイトルにした基調報告。共同学習者(いわゆる「講師」)の姿勢として「1回かぎりごとの生身のひとりひとりの人間との深い出会いを、どのような形で作りだしていくのかが問われている」と強調されました。
群馬県の識字、大阪・豊中の識字など、各地で行われている識字の話を聞いていると、本当にそこに集まってくるひとりひとりの人がすべて、自らの「生命」をかけているのだということを強く感じます。それに比べて自分はどうだろうか。ただ「関わっている」ということに自己満足してはいないだろうか……。そんな反省もしきりでした。