1999年5月9日・日曜日。
この日、一人の男が惜しまれつつ引退した。
その名はデジモンキー。
週刊少年ジャンプ誌上で、我が物顔に暴れまくっていたが、
ジャンプにデジモンページがなくなって以来、めっきり露出がなくなり、
その後は地方のどさまわりで枯渇をしのいでいたという。
その男が、ついに本日、ささやかながら引退式をとりおこなったのだ。


 それにしても昨今は大人物の引退が多い。
去年は長州力、前田日明、アントニオ猪木。
今年に入ってからも、マサ斉籐、先だってのジャイアント馬場。
そしてデジモンキーである。
なにか、ひとつの時代が終わったという感がする。
デジモンキーが作った時代ってなんやねん、という感もする。


 引退式は、池袋西武デジモン大会会場で行われた。
最後のおつとめということで、おいらと漫画家のやぶてん(やぶのてんや)の
デジモンアドベンチャーコンビも、あいさつがてら会場に行ってきた。


 会場は子供たちでごったがえしていた。
中には、マンガの主人公、太一のコスプレをしてきた女の人もいた。
晴天の下、戯れる子供たちを見ると、殺伐とした日常生活を忘れてしまいそうだ。


 デジモンキーは、まだ出番ではないらしく、少し離れたところに座っていた。
かぶりものはまだ装着しておらず、素顔のままである。
それでも子供たちは、デジモンキーの正体に気づいたらしく、まわりに群がっていた。
「デジモンキー、すごい人気じゃん」と声をかけると、
「井沢さんも、J団の井沢だっていえば、サイン責めにあいますよ」
とやつは言っていた。
おいらは、目立つのが嫌いな奥ゆかしい性分なので、口で「いやー」と笑いつつ、
「言ったら殺す!!」という視線を送っていたのだった。
晴天も子供ももはや関係なく、殺伐としまくっていたのであった。

『J団』というフレーズを聞いていた子供が、
デジモンキーにJ団の質問をし始めた。
「恐怖の大王って3000億ポイントでしょ。倒せるの? ムリだよ、どー考えても」
「ハガキを1億倍にするマシーンってさ、どういう仕組みになってるの?
 そんなの作れるわけないじゃん


 子供は時に残酷である。
それを考えたおいらの目の前で、そんなこと言わなくてもいいじゃないか。
でも、こちらは正体を明かしてないのだから、質問に答えるわけにもいかない。
おいらは心の中で「だって…ギャグなんだもん……」と誰に向けるでもない
宛名のない泣き言をつぶやいているのであった。
それにしてもJ団を読んでくれているだけでもうれしかった。
えらいぞ、子供!


 さて、デジモンキーは引退式の前に最後の戦いにのぞんだ。
その日、ベスト3に残った優秀テイマーと勝負をしたのだ。
デジモンキーは見事なまでに完膚なきまでに叩きのめされた。子供に
全敗であった。子供に
「デジモン最強」との名を冠にした男の、最後の散り様であった。
それは、勝てぬ戦いと知りつつ、アレキサンダー・カレリンと戦って散った
前田日明の姿を彷彿とさせた。
違うのは、相手が人類最強ではなく、ただの子供だったというだけだ。


 慎ましやかな引退式ではあったが、それはそれで感動的ではあった。
感動の度合いをたとえると、おニャン子クラブのナカジーの卒業式の
1万分の1くらいだった。