ベッドに寝転がり、手のひらを顔にかざす。握って、開いて、握って、開く。
そうすると思い出すのは、両手で絞めたアスカの首の手触りだ。
いつか赤い瞳の彼女は言った。「その手は何のためにあるの」と。
僕の手は人を傷つけることしかできないのかもしれない。
memories
その手は何のためにある?
written by aki
水を吐き出し続ける蛇口をしめ、濡れた両手をタオルで拭う。昼食の後片づけ完了だ。
することがなくなってしまった僕は、ソファーに座ってTVをつける。
適当にチャンネルを回すと、「人類補完計画の実際」というテロップが映し出された。
何も知らないまま使徒と戦った僕に真実を教えてくれたのは、ミサトさんとニュース番組だった。
ネルフの本当の目的がすべての人間をひとつの生命体にすることだったこと。
それを裏で操っていたのがゼーレという組織だったこと。
事実を知るたび、まったく分からなかった父さんの気持ちが見えてきた。
きっと父さんも僕と同じで、誰かに拒絶されることを恐れていたんだろう。
だから他人のいない世界を目指したんだ。
「エヴァンゲリオンのパイロットは14歳の子供たちだったんですよ。
純粋な子供を自分たちのエゴに利用していたなんて許されざることです。」
神経質そうな評論家が画面のなかで熱弁をふるっている。
世論は僕とアスカを大人に利用された被害者として擁護してくれているらしい。
本来なら喜ぶべきことなのかもしれない。でもそんな気持ちにはなれなかった。
いっそのこと罰を与えてくれたらいいのに。僕はたくさんの人を傷つけてきたんだから。
TVに飽きた僕は電源を切り、壁にかかっている時計を見る。午後2時10分。
そろそろアスカのところに行こう。罵られて追い出されたっていい。
アスカがくれる罰を受け入れることが、僕のできる唯一の償いなんだから。
家を出てエレベーターでエントランスに下りた僕は、駐輪場に向かい紫の自転車ににまたがった。
ペダルをこぎだすと柔らかな風が頬を撫でる。なんでこんなに気持ち悪いんだろう。
10分ほど走ると、大きな白い建物が見えてきた。
第2新東京市立中央病院。アスカが入院している場所だ。
駐車場についた僕は自転車を止め、病院の玄関に向かって歩き出す。
病院のホールは結構混んでいた。
アスカの入院している特別病棟に入るには許可が必要なため、窓口に許可証をもらいにいく。
「碇…シンジ君、だっけ?毎日お見舞いなんて偉いわね。」
事務の人が微笑みながら言う。僕は作り笑いで会釈した。
偉くなんかない。僕は人を傷つけることしかできないんだ。
手続きをすませて許可証を受け取った僕は、逃げるようにその場を立ち去った。
特別病棟005号室。ここにアスカは入院している。深呼吸した僕は、恐る恐る扉を叩く。
「アスカ、入るよ。」
毎度のことだけど返事はない。だけど僕は扉を開ける。償いをするために。
中に入ると、ベッドに座って本を読んでいるアスカがいた。
僕の存在に気づいているはずなのに、こちらを見ようともしない。僕は少し戸惑った。
「アスカ?」
また無反応。どうしてだよ。僕に罰を与えてくれよ。そうじゃなきゃ・・・。
「ねぇアスカ?」
何度呼びかけても反応がない。
「アスカ!!」
「返事してよ!!」
「アスカっ!!」
気づくと僕はアスカの肩をつかんで揺さぶっていた。
「…放して」
ようやく口を開くアスカ。ほっとする。ほら、早く罰を与えて。
「アンタ、なんのためにここに来てるの?」
抑揚のない声でアスカが呟く。
「…償い、したいんだ。」
僕はアスカにひどいことをたくさんした。だからアスカの棘を受け入れなくちゃならない。
どんなに痛くても。どんなに辛くても・・・。
「嘘ね。」
その言葉に僕の思いは根底から揺らいだ。なんだろう。何かが崩れ落ちていくみたいだ。
そんな自分を支えるように叫ぶ。
「嘘じゃない!!」
「アンタ、私の暴言や暴力に耐えることで罪をつぐなってるつもりになってるだけじゃない。」
狂った支えはさらなる力ではじけ飛び、僕のすべてが崩れ去った。
無意識のうちに押し込めていた本音が渦を巻いて体中を駆け巡る。
罪の償いなんてウソっぱちだ。僕はアスカを罪のはけ口にしてるだけじゃないか。
「アタシを償いに利用しないで。それでアタシがどんなに傷ついてるか分かってんの?」
また人を傷つけてしまった。さっき揺さぶったアスカの肩の感触を思い出す。
やっぱり僕の手は人を傷つけることしかできないんだ。
「償いをしたいならもう会いに来ないで!!」
アスカの叫びとともに僕は病室から駆け出した。
背中越しに看護師の「他の患者の迷惑ですから走らないでください」という声が響く。
それを無視して僕は走り続けた。すべてから逃げたかった。
どこをどう走ったのか分からない。気づくと僕は廃ビルの屋上にいた。
転落防止用のフェンスに寄りかかってあたりを見渡すと、夕焼けに包まれていく街が見えた。
その輝きは、いまの僕には眩しすぎる。
僕はアスカへの償いをしていることを口実にして、罪の重さから逃げているだけだった。
そしてまたアスカを傷つけた。
やっぱり僕の手は人を傷つけることしかできないんだ。
アスカのプライドを知りながら、自分よりシンクロ率が低くなった彼女を馬鹿にした。
トウジを助けることができなかった。アスカが壊れるまでも壊れてからも何もしなかった。
カヲル君を殺した。意識のないアスカを欲望のはけ口にした。
量産機に陵辱されているアスカを見捨てた。拒絶されるのが恐くてアスカの首を絞めた。
こんな自分がのうのうと生きていることにもう耐えられない。終わりにしよう。
このビルの高さから飛び降りれば間違いなく死ねる。
そう思った僕はフェンスをよじ登ろうと手を伸ばした。
するとその手を誰かがつかんだ。驚いた僕は慌てて後ろを振り返る。
そこには壱中の制服を着た綾波が立っていた。
「あ、綾波!!」
綾波が生きていた。その喜びが渇いた心に少しの潤いを与えてくれる。でもそれは一瞬のことだった。
彼女の身体はぼやけていて、向こう側の景色が透けて見える。
それを見た僕は、彼女がもうこの世界の存在ではないことを悟った。
「…悲しい瞳をしてる。」
無表情のまま彼女は呟く。
「僕が生きてると誰かが傷つくんだ。」
「そう。」
「だから僕はここにいちゃいけないんだ。死んだほうがいいんだ。」
「どうしてそんなこと言うの?」
それまで表情のなかった綾波が悲しげな顔をする。
「これまで僕は傷つけることしかできなかったから…。」
「でもこれからは分からないわ。」
「これからだって同じさ。どうせまた僕は人を傷つけるんだ。」
そう言って自分をあざ笑う。
「ではその手は何のためにあるの?」
懐かしい問いかけ。それは何度考えても解けない問題だった。
「分からない。でも僕の手は誰かに痛みを与えていると思う。」
「あなたがそう思えばその手は凶器になる。でも誰かを温めたいと思えば…。」
「僕の手は温かくなる・・・の?」
そんなこと考えたことも無かった。僕はいつも自分が何もできない奴だと思ってた。
だから何もできなかったのかもしれない。
「そう。人は自分の思うものにしかなれない。でも思うものになら何だってなれる。」
そう言うと綾波は微笑んだ。ヤシマ作戦のときのように、とても優しく。そして彼女は消えた。
不思議と寂しさは無かった。夕焼けはもう眩しくない。
僕はどうなりたいのか。この手が何のためにあるのか。それを見つけたいと思った。
傷つけることしかできなかった自分。でもこれからは誰かを温めることができるかもしれない。
「ありがとう。綾波。」
家に帰ると玄関の鍵が開いていた。ミサトさんが帰って来たんだろう。
僕は脱いだ靴を揃えてダイニングに向かった。
「シンちゃんお帰り〜。」
さっそく一杯やっている家主にあきれつつ夕食の支度を始める。
「ただいま。ミサトさん、今日は早かったですね。」
「珍しく仕事が少なくてね。シンジ君のほうこそ今日はずいぶん帰るの遅かったじゃない。
アスカとなんかあった?」
心配そうな顔で僕を見るミサトさん。何だか申し訳ない気持ちになる。
サードインパクト後の世界の混乱期から今まで、
ミサトさんは自分のことを省みずに僕とアスカのことを守ってくれた。
僕がマンションで悠々自適に暮らしていられるのも
アスカが安全に入院していられるのもミサトさんのおかげだ。
使徒戦役のときは偽りの家族だったかもしれない。
でも今は本当の家族だと思っている。アスカだってそう思ってるはずだ。
なのにミサトさんはあの頃のことを今でも気にしている。
僕たちのことをそこまで考えてくれるのは嬉しいけど、やっぱり胸が痛む。
だから嘘をついた。
「何もないですよ。」
「何かあったって顔に書いてるわよ。」
やっぱりミサトさんに嘘はつけないみたい。仕方ない。不安にさせないようにさらっと言おう。
「僕は償いをしたいなんていいながら逃げてたんです。それを今日アスカに教えられて・・・。
償いをしたいなら二度とくるなって言われちゃいました。」
「そんなこと無いじゃない。シンジ君は・・・」
「いいんです。何も言わないでください。僕決めたんです。アスカのところに行くのを少し休むって。
自分がしたいことが何か分かるまで。」
「そう・・・。」
ミサトさんは自分を責めるようにうつむく。また僕たちのことで苦しませてしまった。
こんなとき何ができるんだろう。思いついたことはひとつだった。
「それより今日はシチュー作りますから。美味しいの!!」
自分ができる最大限の明るさでミサトさんに告げた。
自分がどうなりたいのか。この手が何のためにあるのか。
その答えを探しているうちに1ヶ月の月日が流れていた。
そんなあるとき、アスカからミサトさんに電話が届いた。
「僕に会いたい?アスカがそう言ったんですか?」
掃除機をかけていた手を止めてミサトさんに尋ねる。
「ええ。今日の午後に絶対会いに来させなさいって。あの子の自分勝手にも困ったもんよね。」
やれやれといった顔をするミサトさん。でもその顔はすぐ真面目な表情になった。
「で、シンジくんはどうしたいの?そろそろ1ヶ月になるわよ。答えはまだ出ない?」
「まだ、分からないんです。」
何かつかめそうな気はしている。でもまだ指が届かない。
「でも、アスカがいない生活ってこんなにも味気ないんだって気づきました。
罵られるだけの日々も僕にとっては必要なのかもしれません。」
アスカと会わない日々はどこか虚しく、いつも何かが欠けている感じがした。
僕を罵ることしかしないアスカ。それでも僕にとっては大切な存在なんだと思う。
「じゃあ会いに行ったら?」
「会いたいとは思います。
でも自分がどうなりたいかが分からないまま会って、アスカと向き合える自信がないんです。」
「シンジ君。答えのひとつ、もう見つかってるじゃない。」
今にも笑い出しそうなミサトさん。何がそんなにおかしいんだろう?
「え?」
「アスカと会いたい自分。それだってなりたい自分じゃない。」
「あ!!」
心に栓をしていた何かが吹き飛ぶような感覚。
そうか!!それだってなりたい自分のひとつじゃないか!!
僕は難しく考えすぎていたのかもしれない。
僕はただアスカに会いたかったんだ!!
「私だってこの歳になっても、自分がどうなりたいかなんてよく分からないわ。
あなたはまだ14歳。それで答えを見つけようだなんて、あ・ま・い・わ・よ。」
ミサトさんはそう言いながら、僕の鼻を何度もつついた。
「ミサトさん、掃除お願いしていいですか?」
からだじゅうがそわそわする。押さえつけていたものが動き出したいと騒いでいる。
「いいわよ。いってらっしゃい。」
「いってきます!!」
僕は部屋着のまま、玄関を飛び出した。
自分がなりたいものはまだ見つからない。
けど、今なりたいのはアスカに会いに行く自分。
償いのためじゃない。会いたいから会いに行く。
この手は今、アスカ行きの自転車のハンドルを握り締めるためにある。
END
あとがき
memoriesの第2弾が完成しました。
今回の話では、前回の話でアスカに呼び出されるまでのシンジを描いてみました。
一応LASなんですが、今回のヒロインは綾波。シンジ復活のキーパーソンです。
第2弾を書き終えてみて、memoriesのテーマは「エヴァの無い世界で何を拠り所にして生きていくか」なんだなと再認識。
本当はもっとほのぼのとしたものになるハズだったのに、結構シリアスになっちゃいましたね。
次回の話の構想はもうあるんですが、またシリアスになりそうです。
ここまで読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました!!