※まえがき
前作「七年目のホワイトデー」の続きです。
そちらを読まれてから、このお話を読んでいただけたらと思います。
前作が、シンジ君視点で、本作はアスカちゃん視点です。
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今年も桜が咲いて、あたしはそれを見ることが出来てしまった。
病院の近くの、大きくて雄大な川のほとりには、桜の木がずらりと並んでいる。
今までの凍てついた季節をほどいてしまうように、一斉に咲き乱れる花、花、花。
緑の草でさえまぶしい。
車椅子に乗せられて、天気のいい日にお散歩に来るのが、たまにある、あたしのよろこび。
この季節には、沈んでいた気持ちも上昇して、もう一度がんばろうと思えるの。
「今年も、お返し来なかったわね…」
なんで今、そういうこと言うかな?
「来るわけないじゃん!だってあいつはバカシンジだもん。わかるわけないわ。マヤって意地悪ね」
車椅子を押してくれてるマヤに言った。
「今年こそは思い出すかしらって、期待してるんだけどね…」
「その賭けなら、絶対当たるわけないわ。元々バカなうえに、記憶まで消されてるんだもん」
「今回も、私の一人負けよ」
あれから何年たったかな。
サードインパクトのあと、死にかけてたあたしを、マヤ達が救い出してくれた。
とにかく本州から脱出して、新しい政府の手の届かない場所に行かなければ、あたし達みんな危なかった。
今、北海道の実質支配は、日本国ではなくなってる。
ま、そのためにあたし達は無事でいられてるんだけど。
シンジは、あいつは、間に合わなかった。
みんな、あいつのことも必死に助けようとしたんだけど、重体だったために、警護の手薄な救急病棟にいたあたしを、急襲して奪還するようなわけにはいかなかった。
あたしと違って、無傷だったあいつは、通常の収容所に収監されたから。
鉄壁の警護。
あいつが【思想矯正機関】だなんて、名前だけでもゾッとするような場所に収容されたと聞いたとき、あたしがどれだけ絶望したかなんて、あいつにはきっとわからないと思う。
今なら、なおさら。
「記憶を抜き取って、人格を再構成する、か。とどのつまりは洗脳よね」
「…一応、生きてはいるし、身体的には健康を保持しているということらしいけれど。そうそう、背はすごく伸びたらしいわよ。かっこよくなってるかな?」
「はぁ?バッカみたい!そうでも、どうでも、…あたしには関係ないじゃない…あたしのことも、忘れているはず」
「ネルフの技術が、こんなことに転用されてしまうなんてね…」
マヤは今、あたしの世話をするために、看護士としてあたしの入院する病院に勤務してくれてる。
「第二の人生ね。」
なんて言うけど、あたしを見捨てないでいる為だってことは、あたしにだってわかってる。
あいつの話を落ち着いてできるようになったのも、時間のおかげだ。
時が経つということは、何にもまして救いになりえるということを、身をもって知った。
ここに来たばかりの、嵐のような感情の日々を、思い出したら苦しくなる。
▽
痛み。憎しみ。悲しみ。恨み。不条理をひたすら呪い、あいつを火のように想い続けた。
悔しいのか、憎いのか、あいつが哀れなのかわからないまま、一人で泣き続けた。
それでも病院の日々は淡々と過ぎた。
一人で過ごすクリスマス。
あたしはママと神様と自分自身と、今まで遭ったすべてのことを想って、神様に祈り、自分がひとりであることを心に刻み付けた。
神様とあたし。
神様と、あたしだけ。
孤独だけど、聖なるクリスマス。
こうして大人になっていくのかもしれない。
いつまで生きていられるかわからないけど。
冬の冷たさのなか、あたしの命が少しずつ小さくなっていくのが感じられた。
ある日マヤがチョコレートを買ってきた。
北海道ブランドの有名なチョコレート。
陰欝な北国の冬のなか、かすかになった体を温めて癒すような、甘い甘いチョコレート。
「おいしい…」
「そう?おいしいでしょう!ね、これ、シンジ君にも贈ってあげない?きっと喜ぶから」
「シンジ?シンジ。シンジぃ…」
体じゅうチューブだらけで、いつかのような冷たい電子音に囲まれたあたしは、もうほとんど意識が混濁して訳がわからなくなってたんだけど、あいつの名前を何回も呼んでずっと涙を流してたらしい。
「そうだよ。バレンタインだもの。アスカから、贈ってあげなきゃどうするのよ…」
本当はマヤも少し泣いてたらしい。
▽
別に、チョコレートを贈りたいからってわけではないけど、今の自分のポンコツみたいな身体のことから意識が逸れたのが、よかったのかもしれない。
少しずつ持ち直して、あいつにチョコレートを贈ることにした。
勇気が、必要だった。
手紙を書いた。
何枚も、何枚も。
あたしのことを忘れつつあるあいつに宛てた手紙。
あたしの醜い心がつまった、毒薬みたいな手紙を、何枚も。何枚も。
書いては破り。した。
結局は、涙を拭いて、あたしの名前だけ書いたカードを添えることが精一杯。
最後に、そうさせてくれたのは、やっぱりあたしのプライドのおかげだと思う。
いつかの補完のときのように、自分のすべてをさらけ出すなんて。
臆病なあたしには、もうきっと二度と出来はしない。
▽
毎年、冬になったら、出すことのない手紙を何枚も綴った。
年を経るごとに、手紙の内容も少しずつ変わっていた。
静かで、懐かしい方向へ。
文章にして、自分で読み返すことで、少しずつ大人になってゆくのかな。
毎回、最後にはビリビリに破いて終わり。
▽
「他のモノも贈ってあげない?」
遠慮がちにマヤがあたしに尋ねることがあったけど、それは話が違うわ。
「イヤ」
チョコレートだから。
この季節だから。
贈ることが出来るの。
「そうね…。私達があまり目立っていいことはないしね。買収した看守を通じて、出来ることはしてあげるから、安心して」
▽
ある年。
「ニュースよ、アスカ!シンジ君が解放されたわ!」
「うそ」
金融危機。
極めて「親日的な」支配的大国のショッキングなクーデター。
色んなことが積み重なって、あいつのいた機関も解体された。
あいつが、自由になった…。
下手したら、一生出られないはずの収容所から。
「よかった…」
あいつをあんなに呪ってたはずなのに、1番に思ったのはそんなこと。
はっ。
マヤがニヤニヤしながらあたしを見ている。
「な、何よ」
バツが悪くなって、むくれて見せた。
「よかったわねアスカ。もしかしたらシンジ君に会えるかも…」
「…それだけはないわ」
あいつが、どれだけのことを覚えてるのか。
サードインパクトに関わる記憶は全部、消されているはずだから。
あたし、あいつと最後には、何をまともに話したっけ…。
あの残酷なキスのあと、ずっとケンカ中みたいによそよそしくて冷たい関係だった。
そこで記憶が途切れてたら、あいつにとっても、あたしの印象は最悪なはずだし。
「…チョコレートは、今年からはもう贈れないかな」
「何言うの?」
「だって、今までは、かろうじて『差し入れ』って意味もあったけど、もうあいつは自由の身で、それを必要としてないわけだし。解放されたあと、どこに行くのかなんてわからないじゃない」
「何のために、旧ネルフの諜報員が、本土で粘ってると思ってるのよ!見てなさい。彼の居所を掴むことなんて、朝飯前よ」
「…でも…気味悪く思われるかも」
「性格変わった?すっかり気弱になったのね。する前に諦めちゃうの」
「むっ。そんなことないわよ」
「なら、またチョコレート買ってくるからね」
初めて贈ったときよりもドキドキした。
添えることができたのは、やっぱり、あたしの名前のカードだけ。
……食べて、くれるかな。
▽
返事は来なかった。
賭けはあたしの勝ち。
「シンジはお返しなんか贈ってこない」に賭けたのは、もちろんあたし。
マヤは「贈ってくる」。
……へっへーんだ!
▽
今年も、きっとお返しなんて来ないわね。
あたしの、冬の小さなイベント。
「ばーか…」
でも。
これで、いいのよ。
「惣流さんの、病状は決して安定しているとはいえません。
内臓の損傷が激しすぎて、医療技術がよっぽど躍進しない限り、元のような体に戻ることはないでしょう。
あなたは、ご自身の不自由なからだと、一生付き合っていかなくてはなりません。
つらいことですが、あなたの尊厳までもが損なわれた訳ではありません。
楽しみやよろこびを見つけて、これからも私達と一緒に頑張って生きていきましょう」
主治医のドクターが、あたしに言った。
「絶望しては、人は生きてはいけないのです」
▽
絶望しないために生きてるのか。
生きるために絶望しないようにしてるのか。
たまにわからなくなる。
悩み多き冬を越えて、春の桜の花の下では、ただ生きてることを感じられて好きよ。
▽
今年も、チョコレートの箱を前にして、思う。
きっとこれは、あたしの甘やかな苦悩そのもの。
あたしの生涯で一度きりの、恋の。
甘くて苦い。
この味が、あいつにはどんなふうに感じられているんだろう。
あたしの心そのものだ。
最後に足すものは、ひとひらの希望。バニラ色のカードに、あたしの名前を万年筆で記して、封をする。
今年も、絶望を込めて、あんたに贈ってあげるわ。
▽
その年。
あいつから電話がかかってきた。
▽
びっくりした。
まさか、あいつから連絡があるなんて。
あたし以上に、マヤが興奮してた。
『もしもし。』
震える手で握った、受話器ごしに、あたしの耳に入って来るあいつの声…。
『ええと…惣流さんですか。ひさしぶりだね』
低く重い響きになってるけれど、ベースにあるのは、記憶と同じ、あんたの声。
それが鼓膜を振るわせたら、心のカンヌキが開いて、あたしの弱さのすべてがさらけ出されてしまいそう。
シンジ。シンジ。シンジ。
だけど、それをこらえる。ダメよ。アスカ。
力を振り絞りなさい!
「…何よ!何が『惣流さん』よ!気持ち悪い!ひさしぶりね、シンジ!
いえ、バカシンジってよく呼んでたわよね。今も相変わらずバカのままなのかしら〜?」
あたしの横にいるマヤが目をまん丸くしてる。
『…なんだよソレ…ふっ。そっちこそ、相変わらず元気そうだね。アスカ。』
そうよ。
あたしは、元気で、強いアスカよ。
あんたがあたしの名前を呼ぶ声。今、また聞くことが出来てる。
あんたの記憶の中にある、あたしと変わらないのよ。
シンジの近況について、少し話した。
あたしのことは、話さない。
『どうして、毎年チョコレートを贈ってくれていたの?』
どきん。
きた。この問いが来てしまった。
だけど。
ぎゅうっと、受話器を握る手に力をこめる。
「…ひまつぶしみたいなものよ!」
『はあ?』
「勘違いしないでよね。
まあ、挨拶みたいな暇つぶしみたいな、オトナの付き合いよ。たしなみよ。一回キスしたってことはまあそれぐらいしても問題ない間柄だと思うわけ!社交的に。」
あのキスのこと、覚えてる?
それとも、忘れてる?
もし忘れてたら、僕たち、キスなんかしたことあった?ってあんたは聞いてくるわよね。
ドキドキをこらえて、返事を待ったが、
『……』
シンジの沈黙が耳を打った。
「それとも何?迷惑なの?…怒るような、物分かりの悪いヒトがいるわけ?」
沈黙に耐えきれず、あたしから質問してしまった。
こんな、こんな恐ろしい質問を自分から出来るあたしは、結構ツヨイんじゃないかと思う。
『いや、そんな相手はいないけど。今のところ。
わかったよ。時候の挨拶みたいなものかな。ありがたくいただくよ。』
「…………。そうよ…」
そして、電話を切った。
『今のところ』だって…。
つまり、近い将来はどうなるかわからないってことよね。
『時候の挨拶』だって…。
あたしが、このあたしが、どんな思いで…。
マヤには、「バカアスカ!」って地団駄踏まれるし、最悪。
その日の夜は、久々に感情が沸き上がり、泣きはらした。
▽
でも、よかったんだわ。
これでよかったんだわ。
本当のあたしの姿を、気付かれずにすんだんだもの。
「今日の点滴の時間よ。終わったらリハビリね」
「はーい」
こんな、姿。
▽
数日後に、あいつからのプレゼントの箱が届いた。
結構大きくて、ずっしりと重い。
うれしかった。
「賭けに勝ったわ!」
マヤも、うれしそうだった。
「賭けに勝ったんだから、何を貰おうかな〜」
シンジから届いたお菓子の詰め合わせ、色んな種類があるんだけど、その上をマヤの爪を短く切り揃えられた指先がさまよう。
「全部あたしのよ!なんて言いたいけど…しょーがないわね。好きなのを選んで」
「じゃあ、このクッキー。」
二人で紅茶をいれて、お菓子を食べる。
「懐かしい…東京のメーカーの味ね」
「…もっと、食べていいのよ」
あたしは、あなたのおかげで、チョコレートを贈れたの。
▽
「でも、シンジ君たら、ワインまで贈ってくるなんて、少し無神経ね」
「……」
「病院に贈るんだから、少しくらい配慮があってしかるべきだわ」
「…しょーがないわよ。だってあいつは、バカシンジだもん。お菓子は、食べたらなくなっちゃうけど、ワインは置いておけるわ」
飲めもしないワインのミニボトルだけど、あたしの棚に飾り続けることが出来る。
ベッドサイドの棚の壁面には、写真が何枚も張り付けてある。
14の頃のあたし達。加持さん。ミサト。
持ち出したメモリーから、マヤがプリントしてくれた。
はしっこに、今のあんたのスナップがピンで留めてある。
隠し撮りだから、斜めの方向を向いてるけど、確かに、あんた。
「…シンジ君の今の様子、知りたい?」
「…」
「報告を聞いたんだけれどね…【思想矯正機関】の評価は、ある意味、驚くほど高いの。
被験者は、対人関係が好転し、社会への参加に、不自由を感じなくなる例が顕著ね。
特定的指向のこだわりや内向的な傾向が緩和されて、ありていに言えば『付き合いやすい』ソツのない人間になることが出来る。
知能指数も少し上がるのよ。
そして、1番の成果は、反抗することのない、従順な人間にすることが出来る」
「マイナス面としては、無気力、無感情、 特定の感覚の欠落…味覚とか。を示す例があるということね。
ふん。あいつは元々、反抗なんかしない奴だったわ。そんなことする必要ないのに」
「…彼が、土壇場で反抗して、自我にこだわったせいで、間に合わなくて、あなたは…あなたの体は…」
「……」
「…ごめんなさい」
「…いいのよ。過ぎてしまったことだわ。こうなってしまったことは、どうしようもないもの」
「…」
「…お茶のおかわり、いれようか」
また雪が降ってきた。
▽
「…アスカは知らないでしょうけど、五番目のチルドレン…渚カヲル君の雰囲気にそっくりらしいわ。
レイにも似てるって。
あの子は無感情ではあったけど、情緒が安定していると言えば、まさしくそうだったものね。ネルフのクローニング技術の、ソフト面の転用だわ」
「本当のその人は、どこに行ってしまうのかしらね。
人格を書き換えしてあげましょう、なんて…補完計画以上に、思い上がったお節介ね」
「いなくなるわけではないわ。機関は解体されたのでシンジ君への洗脳も、言うなれば途中で中断されたのよ。
元の記憶は、きっかけがあれば蘇るかもしれない」
「サードインパクトの記憶が蘇ると、また苦しむかもしれない。今のままのほうがあいつは幸せなのかもね」
あたしのことを、忘れたままでも。
それでもいいの。
お菓子が届いたって、電話してやろう。
また、話すことが出来る。
来年も、冬の贈り物が出来るんだ。
…これぐらいの距離が。
一年に一度くらいが、ちょうどいいのかもしれない。
昔は、あんたの全てが欲しかったけど、今のあたしは…。
今のあたしを、見られたくない。知られたくないの。
二日に一度の入浴。
姿見の前に立って、そこに映るあたしを見る。
痩せてて、身長も体重も14の頃とほとんど変わらない。
足の筋肉はすっかり落ちてる。
赤い髪は肩まで。
あんまり長いと、たいへんだからさ。
片目の青が、少し薄いブルーになってしまっている。視力の関係で、どうしてもそうなってしまうらしい。
小さな胸。
もう少し、大きくなるつもりだったんだけどな。
そして、胸の下の腹部には、白い長い傷痕がいくつも走ってる。
このせいで、あたしの内臓はボロボロになったってわけ。
▽
次の年は、いけなかった。
寒さが厳しかったせいかな。
あたし、これまでか…。
また酸素吸入機をつけさせられて、動くこともできない。息が苦しい…。
「…ねー。マヤ、あたしの代わりに、あいつにチョコ贈ってやってよね…」
「イヤよ。アスカの代わりなんてゴメンだわ。絶対に自分で贈ってちょうだい。
…そうでなかったらなんの意味もないのよ」
「絶対に、こんな姿見られたくないわ…」
いまだに、想ってるだなんて。
「そんなことは絶対許さないわ。絶対にあたし会わないから」
…首だけ横に向けて、窓の外に目をやったら、真っ白な世界。
雪があとからあとから降り続けて、灰色のかけらに見える。
昼間、落ちてくる雪は灰色に見える。積もったら真っ白。
同じ、雪なのに…。
あいつ、雪を見たこと、あるのかな…。
それから、あたしは意識を失って、昏睡に陥った。
▽
綺麗。
桜の花が満開だわ。
視力としては、片目でしかほとんど見えてないはずだけど、あたしは、全身で春の空気と桜の花を感じることが出来てる。
青空からあたたかい風が吹いて、花びらを巻きあげる。
髪が乱れるのを気にして押さえたら、誰かの手が花びらをとってくれた。
1番大きな桜の木の下まで行ったら、お弁当。
車椅子を押してくれてる人に、あたしはねだる。
早く、早く押して。
お弁当の、後にはデザート。
じゃ〜ん!
あの、チョコレート。
あんたのだからね。
あんたの為だけのチョコレートだからね。
あいつは微笑んで、あたしは
▽
あれ?
いくつもの夢を見てた気がする。
まぶたをぴくぴくさせて、ゆっくり目を開けたら、夢の続きみたいだったわ。
あいつがいた。
シンジが、すぐそばにいた。本当に?
「アスカ」
目をぱちぱちさせるうちに、涙があふれてきた。バカ。
「こんな姿、見られたくなかったのに…」
思わず、つぶやいてた。
「チョコレート、くれないから、もらいに来たんだ。君がくれないと僕は一生誰からも貰えないんだよ。これからもずっと、ずっとくれるよね?」
▽
「七年目のホワイトデーには、シンジ君本人が届いたってわけね!アスカ」
夢から覚めたあたしに、駆け付けた、マヤが囁いた。
▽
「…シンジ君たら、本当に…。アスカのことは覚えているくせに、私のことは全然思い出せないなんて。現金な子ね…」
呆れたようにマヤがあたしに愚痴をこぼす。
へっへーんだ!
「そろそろ行くわ。お弁当持った?」
「うん」
「気をつけてね」
「はい」
「はーい」
▽
「おっそーい!もっと、もっと早く押して!」
「そんな、危ないってば…」
「いいの。いいのよ。」
ずっと、こうしたかったんだもの。
青い風に乗って、薄くて白い桜の花びらが無数に舞いあがる。
ぜんぶが、あたし達のために、煽られて吹かれているって思ってもいい?
あいつがシートを敷いたら、あたしは車椅子から降りる。そっと手を貸してくれた。
フリースの膝かけをかけて、いい位置に座ったらお弁当の箱を開ける。
「久しぶりに作ったんだ。味がわからなくなってから、料理なんてしなくなったから、全然自信ないよ。美味しくなかったらゴメン」
シンジの副作用は、どうやら「味覚の欠落」だったらしい。
「収容されて、初めの頃はわかったんだけど、テストを繰り返すうちに、段々、食べ物の味がわからなくなって…。
あそこでは、元々美味しい食事じゃなかったから、それでもたいして辛くはなかったんだけど。」
シンジは、饒舌に色んなことを話したがったし、聞きたがった。
どのくらいまで覚えているのか、少しずつあたしにもわかってきた。
戻ってきたシンジは、随分、大人になって、男の人になってたから、少し圧倒されたんだけど、話すうちに、あたしの知ってるシンジをたくさん見つけられて嬉しかった。
こっちに落ちついてくれてから、アパートの台所で作ったお弁当の初お披露目。
1番最初に食べていいのは、もちろんあたし。
「でも、アスカが…アスカがくれるチョコだけは、味がわかったんだよ。なんでだろう?」
二人でお弁当を食べ終えて。
あたしは、足を前に投げ出して座って、膝かけの上に水筒から注いだお茶の入ったコップを乗せたまま、ずっと静かに話を聞いてあげていた。
そして、チョコを箱から一粒とって、シンジの唇にそっと押し当ててあげた。
「今も、わかる?」
「……。」
シンジはしばらく固まって赤くなっていたが、ゆるやかに唇を開いて、丸いチョコを、控えめに舌で絡めとった。
「…あまい。」
「よかったわね」
笑ってあげる。
シンジったら、もっと赤くなっちゃった。
どうして、あたしの贈り物だけ味がわかったのか?
そんなこともわからないなんて。
「ほんとにバカね」
「もう。…アスカ…アスカが、僕に料理を作ってくれたら、味覚が全部戻ってくる気がする」
今度はあたしが赤くなった。
「残念だけど、料理は出来ないわよーだ。こんな体だし。…でもいつか、いつかは…」
「うん。…チョコ甘いや」
「そう。あたしも食べよ」
一粒とって、自分の口に入れた。
「アスカ」
「うん?」
顔をあげたら、あいつの顔がすぐ、とてもとてもすぐ近くにあって、唇に感触があった。
キスされてた。
結構しばらくたってから、あたしの唇を離したあいつは、口の中でささやいた。
あたしの耳にだけ届いたと思う。
「ずっとこうしたかった」
「…ずっとって…いつから…?」
何かがあたしの中から沸き上がり、体の中を駆け巡っていた。
涙になって、熱いお湯になって、溢れてしまいそうなよろこびだった。
「…14の頃から。」
「アスカとした苦いキスのことだけ、忘れられなかったのは、それだけひっかかってたんだ。
恨みがましくこだわってた。すごく心残りだったんだ。
覚悟してよね。僕が死ぬまで、何度でも、毎日でも、やり直すから。」
そう言われて、あたしはシンジの腕の中にすっぽり包まれた。
あたしも、こいつの背中に手を廻して、ぎゅうってしがみついていた。
「…もしも、もしも贖罪や、同情のつもりで、言ってるのなら、お断りよ…」
震える声で答えた。
「…怒るよ。本気で」
シンジのお腹から出るような低い声が、触れた体から直接響いて、少し怖かった。
「それは、僕にとって、侮辱にほかならないじゃないか。少し前の僕みたいなことを言うなよ」
もっとギュッと抱きしめられた。
「僕を振らないで。お願いだよ。ずっと好きなんだ。」
あいつの肩ごしに、輝く川の水の流れと、舞い落ちる桜の花びらが、今まで生きてきたなかで、ありえないくらい美しいものに見えていた。
▽
シンジは、あたしとずっといるつもりだってはっきり言ってくれた。
あいつが、そこまで言ってくれるのは、もしかしたら、あいつ一流の気遣いなのかもしれない。
あのファーストのように、ヒトの心の裏の裏まで見透かすような、不思議な力を身につけたのかもしれない。
渚カヲルとかいうやつの、スマートな振る舞いを、そっくり受け継いだせいかもしれない。
そんなふうに疑う自分を、つくづく可愛くないと思って、ますます自信を無くす。
シンジは、生活の基盤も、全てこっちに移して、仕事もあたしのそばにいられる医療従事者をめざすって、バイトもかけもちして、どんどん実行に移してくれてる。
「アスカ。自分の心より、彼の行動をこそ、よく見つめるべきよ。」
マヤに忠告された。
本当にそうだと思う。
あたしは、シンジに、敬意をはらわなくては。
▽
当然というか、収容所を出たあいつは結構モテてたらしい。中々、口を割らなかったけど。
女の子と食事にはよく行ったけど、こんなことしたいと思うのはアスカだけだよって言われて、そのあと追及出来なくなった。あんまりいじめないで。
シンジがあたしに触れるたびに、絶望が消えていく。
「お散歩」のあとに、シンジのアパートに寄るようになってから、「お散歩」の制限時間をオーバーすることが、段々増えて行った。
なにもかもお見通しっぽいマヤ。最初の頃は微笑んでくれてたんだけど、最近はさすがにツノを立てて睨んでるみたいになってきた。
あたしじゃなく、シンジがあたしを切望していることが、よくわかった。
とってもよくわかった。
あたしの体の白い傷も、あいつが触れてくれるたびに、キズアトではない、愛おしい何か大切なしるしに生まれ変わってゆく気がする。
シンジはシンジで、あたしに触れるたびに、生きてるって、命の全てを感じられるんだって言ってた。
その「命」には、君を失う恐怖も含まれてて、それが本当に怖くなるときもあるんだ。
でも、だからもっと抱きしめたくなるんだ。
ごめんね。アスカ。
そう言って、涙をキスでぬぐい去る、薔薇色の夕暮れがいくつもあった。
▽
例え世界が、社会が、どう言っても、今のあたし達は夫婦だと思う。
夫婦になってしまったと思う。
ドクターの言ったことが本当なら、今では、「絶望」はあたし達の間には、どこにもないので、きっと生きていける。
過去ではなく未来に向けた「ずっと」が、あたしに許されているのかはわからない。
神様がお許しになるかわからない。
だけど。
これからも、ずっと生きてゆけると思う。
△
おしまい
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あとがき
前作「七年目のホワイトデー」の続き。兼、おはなしの裏側を書いてみました。
前回のラストの「絶対に甘いキス」を書いてみたかったのですが、ちゃんとできたかなー。
設定には色々矛盾がありそうです。
そんな思想矯正なら、受けてみたいです。ということもないですね。わたくしは死んでもイヤでございます。
もしシンジ君が最後まで矯正を受けていたなら、クールで完璧な非情な人間兵器になってなんかのはずみでポロッと泣いて「これは涙?」とか言ったりして・・・ないでしょうね。
局地的サードインパクトを起こさせて、戦争に利用する計画とかあったら壮大かも。と思いましたがめんどくさいので無視しました。
未来に向けた「ずっと」って、当たり前のように思いがちですが、実はたいへんに偉大な贈り物なのだと思います。
管理人のえびさん。読んでくださった方。ありがとうございました。
ごまめ
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