Rebron
前編


By:GURDEN




「もう、いいの?」

綾波にも感じた事のある心地好さを秘めた優しい声で、僕の側で誰かがそう言った。

(母さん…なの?)

エヴァに搭乗した時に、度々感じた母さんに包み込まれるような感覚と共に、幼い頃に無くしてしまった筈の母さんとの思い出が、イメージとなって僕に怒涛のように押し寄せてきた。
僕の中に溢れかえる、母さんと幼い僕との思い出や数々のエピソードに翻弄され、息が出来なくなる。
その中に、微かに、父さんとの思い出のイメージもあったように思えた。
堰を切ったように、止めどなく溢れかえってきた幼い頃の暖かい記憶に、僕は混乱する。
だけど。
何が何だか、未だよくわからないけど。
今よりも更に自分の意識の境界が混沌としていて、夢のようなのに現実で。
それなのに、自分の事のように他人をはっきりと感じ取れる感覚に浸された混乱の中で。
一際強く感じた綾波とカヲル君に対して言ったように、これだけは言わなくちゃならないと思った事だけを何とか口に出した。
もしかしたら、笑顔を浮かべていたかも知れない。

「うん。いいんだ」

何が良くて、何が駄目なのか、僕にははっきりとはわからない。
でも、これでいいんだという、確固とした信念のようなものがら僕にこの状況を肯定させていた。
これで、良かったんだ。
これが、良いんだ。
僕のその気持ちが伝わったのかも知れない。
綾波みたいに、微かに寂しげな雰囲気を漂わせつつ、それでも、心から僕の気持ちを祝福してくれているのが解る声で言ってくれた。

「そう。良かったわね」

四才の僕が、暖かくて柔らかい母さんの胸に抱かれる感覚。
でも、それは別れの抱擁。
誰に何を言われずとも僕はそれを感じていた。

「母さん、ありがとう」

僕の口からするりと感謝の言葉がこぼれ出ていた。
微笑んでいてくれるのが、僕にはわかった。
徐々に引き離されて行く力を感じながら、僕は寂しさは感じていなかった。
僕は。
深く満ち足りていた。
初めて感じている感覚。
カヲル君に感じた感覚。
ミサトさんや、綾波に感じた感覚。
トウジやケンスケに感じた感覚。
……アスカに感じていた感覚。
似ているようで似ていない、様々な感覚を思い返しながら、僕は笑顔のまま瞳を閉じる。
(さよなら、母さん。さよなら、綾波…。僕を好きでいてくれた女の子。ありがとう。僕を愛してくれて)
僕に、暖かい想いをくれた二人に深く感謝をしながら、胸の中で別れを告げた。
言葉に出さずとも、きっと伝わる。
彼女達にはそんな絆を感じる事ができたから。
閉じた瞳の端から、一粒の涙がこぼれ落ちる。
寂しいけれど、これは必然の別れ。
別れる事が決まっていた別れ。
僕の涙はそれを惜しむ涙。
そんな事を感じながら、僕の意識は安らかな眠りについていった……。



ざ……ん、ざざ…ん。

定期的に寄せては返す波の音に刺激され、何処かの波打ち際に寝そべっていた僕はぼんやりと瞼をあけた。
潮騒が強く僕の意識を揺さぶっていた。
魂のこもらない巨大な綾波の残骸が、赤い風景の中に見えた。
ふと、誰かの気配を感じ、気配を感じたほうへ何となく顔を向けた。
何かを意図した訳ではなかった。
だけど、それもきっと必然だった。
僕の隣に横たわる栗色の髪と赤いプラグスーツを纏った白い肌の持ち主を目にした瞬間、僕の中に戦慄が走った。
恐怖で瞳孔が開き、顔がひきつり、頬が強張る。
何故、彼女が此処にいるのかわからなかった。
何故、僕が此処にいるのかわからなくなった。
彼女は、拒絶の象徴。
彼女は、他人の象徴。
彼女は………アスカ。
セカンド・チルドレン、惣流・アスカ・ラングレー。
僕と同じエヴァ・パイロット。
綾波と同じエヴァ・パイロット。
僕と、ミサトさんの家族。
家族、に、成りかけた同居人。
エヴァ・パイロットで在ることを誇りにしていた、天才少女。
ドイツからやって来たクォーターの同級生。
そして。
保身の為に僕が見殺しにした少女。

発令所の中に響き渡っていた、彼女の何かに抗う悲痛な怒号が甦る。
初号機で出撃した先にあった、量産機に引き裂かれ、無惨な姿を晒して、貪り喰われていた弐号機の姿が瞼にちらつく。
僕は、震える自分を堪えながら身を起こした。
僕の視線はその間もアスカから離れる事はなかった。
少女らしい円やかさを描いていた頬は痩せこけ、入院していた状態のままエヴァに乗せられていた事を物語っていた。
面会した時は閉じられていた蒼い瞳が、今は開かれ、何の感情も映す事なくただ虚空を見詰めていた。
こくり、と僕の喉がなる。
記憶の中の元気な彼女と今の彼女との差違が、僕の中に様々な思い出を甦らせる。
強烈で鮮やかな印象を僕に焼き付けたOver The Rainebowでの出逢いから始まって、同居するに至ったユニゾンの訓練。
寝惚けて僕の寝床に転がり来た無防備で幼く整った寝顔と甘い香り。
生まれて初めてはっきりと意識した僕の男としての劣情と、庇護を求める囁きと涙。
そのとき感じた、守りたいという衝動。

『グーテンモルゲン、シンジ!』

キラキラと輝くような明るい笑顔のアスカに隠されていた弱さ。
透き通るような印象で存在感が希薄な綾波と違って、しっかりとここに居ることを主張する存在感が有るくせに、ふとしたときに消えてしまいそうな儚げな脆さを、僕はそれからアスカに感じるようになった。

『アンタ、バカァ!?』

それなのに散々僕を馬鹿にし、扱き下ろすアスカ。

『シンジ!お腹空いた!!ハンバーグ作って!』

僕に当然のように笑顔で要求するアスカ。

『何処見てたのかなぁ?バ・カ・シ・ン・ジ♪』

風呂上がりの、バスタオル一枚だけを身に纏ったアスカの姿に狼狽える僕をからかうアスカ。
僕は、それが嫌じゃなかった。
僕に繰り出される彼女の我が儘に、要求に、ムキになって反発しながらも。
それを楽しんでいた日々が変わって行ったのはいつからだろう。

『アンタ、ムカつくのよ!』
『アンタのせいよ!アタシの前から消えて!』
『アンタなんかに何が判るのよ!私の事を判ろうともしてないくせに!!!!』
『何が良かったっていうのよっ!?』

それまでアスカに感じていた思いをぶち壊した彼女の拒絶の数々。
僕の胸に、どす黒い物が込み上げ始める。
微動だにしないアスカの胸が、微かに上下しているのに気付いた。

『アンタの全部がアタシのモノにならないなら、全部いらないわ』

いつ聞いたのかも、言われたのかも判らないアスカの言葉が思い浮かんだ時、僕が、意識のないアスカにした過ちが甦った。
鳴り響く耳障りな電子音に包まれた白い部屋の中で、僕が露にしてしまったアスカの白く、柔らかそうな曲線を描く膨らみ。
白さと対象的に清楚なイメージを持っていた、慎ましやかな淡いピンク色。
それらを目にした僕の行動を思い返してしまった時、僕の中に沸き上がっていた憎悪は薄れ、アスカに対する恐怖が沸き上がって来た。
アスカは、僕を許さない。
アスカはプライドが高いから。
アスカは僕に優しくないから。
あんな事をした僕を受け入れないだろう。

『僕を見てよ!』
『優しくしてよ!!』
『僕を受け入れてよ!!!!』
『イヤ!!!!』

僕の顔から表情が抜け落ちるのを感じた。
頭の奥がショートして、チカチカと明滅している感覚に支配される。
自分が何をしようとしているのか判らなくなる。
僕は、何かに操られるように、機械的な動きで、砂浜に横たわったままのアスカに馬乗りになっていた。

ボクノモノニナラナイナラゼンブイラナイ。

細く、白いアスカの首に、僕の視線が惹き付けられる。

『アタシじゃなくても良いくせに!』
『ミサトもファーストも怖いから、アタシに逃げてるだけのくせに!!』

僕を責めるアスカを見たくなくて、僕の手はアスカの首筋に伸ばされ始める。

『優しくしてくれるなら誰でもいいんでしょ!』

五月蝿い。

『本気で人を好きになった事なんか無いのよ!!』

五月蝿い!!!!
どうしてアスカは僕を見てくれないんだ!
僕を責めてばかりで、僕を拒絶するんだ!
不意に夢とも現ともつかない曖昧な記憶の中に、僕を拒絶しないアスカのイメージが浮かび上がり、僕はそれに飛び付き実行した。


『アスカの事なんかわからないよ!!』
『アスカは僕に何も言わないじゃないか!』

ギリギリと締め上げる手のひらに伝わる細く、吸い付くような柔らかな首筋。
虚空を見つめる瞳はそのままに、苦し気に息の詰まる音が聞こえる。
僕は少し怯えながら、苛立ちも込めてアスカの暖かく折れそうな首に添えた両手に、より一層の力を込めた。
もう、アスカを消し去ってしまいたかった。
そうすれば、アスカが僕にしたことも、僕がアスカにしたことも、全て消え去る気がしていた。
なのに、そんな僕の頬を。
アスカの細くて繊細な暖かい指先が優しく撫でていった。
僕はガツンと頭を殴られた気がした。
今のは何…?
僕はアスカを殺そうとしているのに、アスカはそんな僕を受け入れたの?
僕は、アスカを拒絶したのに、アスカは僕を拒絶しなかったの!?
何で!?
どうして!?
アスカは僕を拒絶していたのに!!!!
でも、最初は確かに拒絶しあい、傷つけあうことしか出来ないような関係じゃなかった。
呆然とした僕の手から力が抜け、瞳には涙が溜まり始める。
ケホケホと咳き込むアスカを見詰めながら、止めどなく涙が溢れ出す。
もしかして、今までも、アスカは僕を拒絶してなかったの?
>僕が、一人でアスカに拒絶されてたと思ってただけなの?
だったら、今まではアスカに僕が拒絶されてたんじゃなくて、僕がアスカを拒絶していた、の…?
それなら、今まで僕達がしてきた事っていったい何だったんだ?
アスカが僕にしてきた事は当然の結果?
僕がアスカにしてきた事は当然の結果なの?

「うぅっ!!!!」

堪えきれずに、嗚咽が漏れる。
ごめん、ごめんね。
アスカ。
僕は本当は、いや、本当に、アスカの事を知らないんだね。
思い返してみたら、僕は自分からアスカを判ろうとしたことなんかなかった。
綾波の事だって判ろうとなんてしてなかった。
ただ、寄せられる想いをねだっていただけ。
僕の事を見てくれることを願っていただけ。
そして寄せられた想いをただ其処で眺めていただけだったんだ。

「アス、カ…?」

涙でグショグショになった顔のまま、ぼんやりした瞳で息を整えていたアスカの顔を覗き込んだ。
何かを探り、思い返しているような気配の後、しっかりと意思の光を宿した瞳でアスカは僕を見据えて言い放った。

「気持ち悪い」

アスカからの拒絶に、再度僕は混乱した。



あとがき
始めまして。
GURDENと言います。
某動画サイトに投稿されていました、EVAのEOEに至るまでの道のりへの軌跡を編集された動画の中にあった、うP主様の解釈に感銘を受けまして、FFの製作に踏み切らせていただきました。
動画をご存知でも、ご存知でなくとも楽しめるとは思いますが、アスカの「キモチワルイ」に対する解釈は私のものではありません。(それ以外は、私の中の解釈です。)
私が見た動画を投稿された方の発想です。
動画が削除されてしまったのか、現在ではその動画を見ることが出来なくなってしまったので、動画を投稿された方とその方への連絡先がわからず、直接連絡を取ることができ無かった為、この話はアイディアの無断使用という形になっています。
ゆえに、動画の投稿者の方に謝罪と感謝をさせていただきます。
まず、謝罪。
申し訳ありません。
無断でアイディアを拝借してしまいました。
お許しください。
以下、感謝になります。
あなたの天才的なひらめきの解釈によって、十数年来私の中で不完全燃焼していた「キモチワルイ」の解釈についてすっきりくっきり決着いたしました。
もはや「キモチワルイ」の解釈について、私が思い悩むことは無いでしょう!
ありがとうございました!!!!

*ネタばれを含むので、元になった解釈については後編にて語らせていただきます。

後編へ続く。



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