「……あぢぃ〜」
――暑いけどのどかな休日。
扇風機程度しかない自分の部屋で、真治は少しひんやりする机に向かって伏せていた。
そうしたところでこの暑さがどうなるということはない。体は正直で、汗が噴き出してくるだけだ。
――夏、といえば、春の次にやってくる暑い季節のことである。
連日気温は30度を容易く超え、ひどい時で35度近い日もある。それはもう、外に出た瞬間に引き返したくなるような熱気が襲ってくるのだ。
そんな暑い日は、冷房をガンガンに効かせた部屋で過ごすのに限る。だが残念ながら先述の通り、真治の部屋にはクーラーが設置されていない。あるのは首を振る扇風機だけ。
まぁ、それだけなら別に耐えられるのだ。ごろんと床に転がれば、自然とこの暑さも忘れて眠りにつけるのだから。
だが真治にはそれができない理由があった。1つは、テストが近いのでそれに向けた勉強をしなければならないということ。これは別に理由らしい理由でもない。別に結果を気にしなければサボったっていいのだから。
だがもう1つ、決定的な理由があった。それは、真治の両隣りに大きく居座っている少女たちに因るものである。
「先輩、次はこの問題解いてくださいね! 間違ったらおしおきですから!」
「ここの問題はね、真ちゃん。こうやってこうやって……」
「……」
片方には麗、そしてもう片方には飛鳥が、なぜか居る。
クールな美少女とアグレッシヴなヒロイン。傍から見ればまさしく両手に花状態なのであるが、その2人に挟まれている真治の顔はあまり浮いていない。
もっと言うと、喜んでいいのか悲しむべきなのか分からないといった表情である。もちろんどちらかが飛鳥に対してであって、どちらかが麗に対してである。って、当たり前か。
ステレオで数学の問題や現代文が耳に流れ込んでくる感覚に耐えながら、真治は思う。
(……なんでこうなったんだっけ……?)
――ことの発端は、ほんの数日前の出来事である。
「トモダチはS女」
第七話
「炎天下の大金星」
byPAX
素直に歓喜できぬ状況である時から数日前。
月は変わってもう7月。この五万十町(ごまんとちょう)にあるごく普通の学園・紅葉(こうよう)学園も、その名とは打って変わっての夏ムードである。校内は夏服の生徒が目立ち、夏らしく体育では水泳の授業も行われている。
ちなみに教室にはクーラーが設置されており、教室内も意外と快適に過ごせる環境である。職員室や図書室だけに冷房が付いていて、教師が生徒たちから恨まれるということはない。とはいえ、生徒待望のクーラーが設置されたのはここ数年での話だと聞くが。
夏は夏らしく楽しい行事もあるのだが、夏は夏らしく嫌がられる行事もある。その中でもヤツは夏休み手前で学生たちの眼前に現れ、ヤツは出来ない学生たちを仕分けしていく。ヤツはそういうえげつない奴である。そのヤツと言われている奴こそ、夏の嫌な行事のトップに君臨するであろう、期末試験である。……頭悪いくらいに”ヤツ”ばっか書いたな。
そんな期末試験を前に、紅葉学園2年B組の碇真治はひしひしと不安を感じていた。
成績平均・運動神経平均の彼にとって、別にそこまで試験は怖いものではない。ただ、数学だけはどうしても苦手な教科なのである。いつもぎりぎりラインだが、今回はどうもいつも以上に自信がない。
ちなみに赤点を取れば、その教科については夏休み中の補習を受けることになる。せっかくの休みをいちいち学校に行って過ごさなくてはならなくなるのだ。
そうならないため、今回真治はテスト勉強の際は数学を重点的に勉強してみようと予定を立てていた。
そして、今週も学校が終わり2連休に入ろうという金曜日の放課後。
「なぁセンセ、この後一緒に勉強せえへんか?」
帰路に着こうと荷物をまとめる真治の席に、彼の友人である鈴原冬児が真治の肩をポンと叩きながらやって来た。
この関西弁、その見た目の通り頭はあまりよろしくない。
毎度補習組と言われている彼だが、今回はさすがに危機感を持ったのか、友達と一緒に勉強するという考えに至ったようだ。
これまでそういう考えに至らなかったのは何を隠そう、彼の頭がよろしくないからである。繰り返すと悲しくなってくる。
「珍しいね、冬児が自分から勉強に誘うなんて」
「今回ばかりは補習免れようと思うてな。ええやろ?」
「うん、別にいいよ。それじゃあ……図書室でも行く?」
「そやなぁ。やっぱり勉強するならそこが一番かもな」
「なら、僕もそれに加わっていいかな」
と、そこに賢介もやってきて3バカが揃った。
一見頭のよさそうに見える風貌の彼も、成績はそこそこと言ったところ。この機会に勉強して、評価を上げようという狙いである。
「もちろんいいよ。じゃ、3人でやろう」
「よっしゃ! 助かるで〜、真治」
「僕も、今回はちょっと自信なくてね」
「なんだ、皆ピンチだったのか……」
こうして3人は目的をほぼ同じくして揃い、図書室にて勉強会を開くことになった。このメンバーで大丈夫なのかという疑問もあるが、向上心を削ぐようなことを言うのは野暮というものだろう。
試験勉強に気合を入れ、3人が目的地へいざ行かんとしたとき、教室から出ようとしたときだった。まるで待ち構えていたかのようなタイミングで――彼女が現われたのだ。
日本人離れした橙色の長い髪を持ち、欧州混じりの端正な顔立ち、スタイル抜群のスーパー美少女――惣流飛鳥が、3人の前に突如現われたのだった。
「あら先輩たち、今お帰りですか?」
飛鳥はにこやかな表情なのだが、反対に、思わず「うっ……」と顔をしかめてしまう3人。
3人とも彼女の素性をここしばらくの付き合いで知っている。特に真治は、この笑顔の後にやってくる災難を嫌というほど体験している。だからこういう表情にならざるを得ないのだ。
(う……なんでこんなタイミングで惣流さんが……)
(待ち伏せされてたんちゃうか? タイミング良すぎるやろ!)
(真治、監視されてたりしないよな……)
せっかく真面目に勉学に励もうというのに、それを阻害されては困る。
事態をスマートに収拾すべく、アイコンタクトで合図を交わし穏便に事を進めようとする3人。
「? どうしたんですか、3人とも変な顔しちゃって」
「ああ、いや、何でもない! 何でもないよ……それで、惣流さんはどうしてここに?」
「あ、アタシは、ですね……真治先輩と一緒に勉強とかしたいかな〜、って思って……」
「……」
「……今あからさまに面倒くさそうだなって顔しましたよね?」
「してないしてない」
心無い笑顔で返す真治。少し怒りのオーラを感じたので咄嗟の回避手段である。
しかし、飛鳥にしてはまともな提案である――かのように見えるが、何か裏があるのではないかと探ってしまうのが今の真治である。だってこれまでの提案と来たら、バレーボールで真治を痛めつけたいだ、まるでフォアグラでも育てるのかとばかりに真治の口に食物を詰め込もうとしたり、人はどれくらい水中にいられるのかを真治を使ってで実験したり(危ないから真似しちゃダメ!)……と、どれも真治に何か良くないものが付きまとうものばかりなのだ。
どうしても行為の裏に何かを見ようとしてしまう。女性からしてみれば失礼な行為だとは思うが、女心が分からないのが今の真治である。
「それで……これから空いてます? 図書室でも行きません?」
「ああ〜……残念だけど、これから僕たちも3人で勉強しようと思ってるんだ」
「そうですか……じゃあ、そこに混ざってもいいですか?」
「えっ……で、でも学年が違うから範囲がまるで違うんじゃ――」
「アタシを誰だと思ってるんですか? 天才美少女、惣流飛鳥ですよ? 高校でやる勉強なんて、完璧に決まってるじゃないですか」
『うわー、自分で天才とか言っちゃったよ』とツッコミを入れたい気持ちを抑える。ついでに『しかも美少女とか言っちゃったよ』ともツッコミたいが、頑張って我慢する。
思わぬ返答に振り返って2人を見る真治。当然だが、2人もどうしようかという表情である。
補足すると飛鳥は確かに才女である(ついでに美少女でもある)。その飛鳥が勉強会に加わるとなればそれは心強いことのなのは確かである。今の自分らの現状を考えると、いてくれた方がプラスになるとは思うのだが……。
しかし、背に腹は代えられない。そう考えた3人は、アイコンタクトで了承の意を互いに受け取った。
「よし、それじゃ惣流さんも一緒に図書室へ行こう」
「やったー! ありがとうございます! そうと決まれば早く行きましょ、先輩!」
「わわ、そんな引っ張らないで……」
了承を得るや否や真治の腕を引っ張って図書室へ向かいだす飛鳥。その笑顔は何だかいつもと違って素直で、楽しそう。
改めてだが、勉強しようなんていう提案は飛鳥にしては穏やかな方なのである。一緒に弁当を食べるにしてもラーメン○郎を2杯食べたかのような激満腹感に襲われたことがあるし、だからこの提案だって何か裏があっても変な話ではない。
だけども、今みたいな笑顔を見るとそんな疑念が吹っ飛んでしまいそうになる。どうも彼女のこういう表情には弱いな、と真治は思った。
が、本題はそこではない。冒頭に戻るには、この時間軸でさらに話を進めなくてはいけない。
問題は、彼らが図書室に着いてから起きるのである。
「……置いてかれちゃったけど、僕たち」
「ワシら、必要あるんかいの……」
もしかしたらちょこっとあるかもよ、ちょこっと。……うん。
□
さて、後ろの2人を置いていき、駆け足で図書室へやってきた飛鳥と真治。
「おーい、廊下は走るなよ〜」
遅れてで賢介と冬児もやってくる。ご丁寧に、走りはせずなるべく早歩きという形で。
「あの2人なんかほっといて、行きましょ、せーんぱいっ」
「そ、そういうわけには……」
「いーからいーから」
と言うころにはもう真治は彼女に引きずられていた。
「失礼しまーす」
ガララララララッ! っと図書室という場所を理解していないかのような豪快なドアの開け方に真治の目が思わず飛び出そうになる。室内にいた生徒もあまりの音に驚いている始末だ。
「そ、惣流さんっ! 図書室では静かに、だよ!」
「あ、そうでしたね。つい忘れてました」
なるべく小声で注意する真治だったが、飛鳥は変わらず通常ボリュームの音声で答えた。わざとなのか素なのかさっぱり分からん振る舞いである。分かってくれたんだろうか。
「あっ、麗先輩じゃないですか! せんぱ〜い」
偶然、図書室へ来ていた麗を発見し再び大きな声を発する飛鳥。全く分かってくれてない。
そんなもんだから、真治らは図書室にいる人からの注目の的である。迷惑だな、というとてつもなく冷たい視線や、人物が飛鳥だと気付いて驚くような姿もちらほらあった。
前者の視線だけでも辛くて泣きたくなりそうな真治だったが、後ろから付いてくる冬児と賢介も、正直同じグループだとは思われたくなかった。
が、真治もこのまま飛鳥と2人だけ、という状況は大変心苦しいので、助けを求める意味でも後ろの2人に同行を要請した。ただの道連れである。
「麗先輩、こんなところでどうしたんですか?」
「私はちょっと勉強しに……飛鳥ちゃんこそ、どうしたの?」
「ええ、ちょっと真治先輩にイヤラシイ脅迫をされて……それで勉強を見ろって……」
「おい、なんか僕が無理やりやらせてるみたいになってるぞ」
「ダメだよ真ちゃん、いくら飛鳥ちゃんがかわいくても『パンツ見せろ!』って脅したりするのは……」
「信じてるし! しかも脅し方が小学生だ!」
「というか、これは綾波のボケと見てええんやろか……」
ボケともマジレスとも言える麗の発言に冬児はすっきりしない。麗は首を傾げて何のことやらと知らんぷり。この女、読めない。
「……まぁ今のは冗談で。アタシたちも勉強しに来たんですよ。この3人があまりにバカ――いえ、3人とも凄く真面目に勉強しようとしていたんで、アタシも混ぜてもらおうかなと思いまして」
「さらりと暴言吐いたな、今」
「ふふっ、飛鳥ちゃんがそういうキャラだってことは、もう有名だからね〜。そんなに隠そうとしなくてもいいんじゃないの?」
「いえ、麗先輩の前ですから、ちゃんと言葉を選ばないと」
「僕の前だと容赦ないけどね……」
あのバレーボール事件の以来、飛鳥がドぎつい言葉を使うということは広く知れ渡ってしまった事実であった。おかげで飛鳥の人気は急下落――するかと思いきや、何故だか親近感を持てた人が多かったようで、むしろ人気・知名度共に増加したらしい。……中にはその言葉遣いに酔いしれるコアなファンもいるようだが。
「それはともかくとして、早く始めようぜ。そのためにここに来たんだから」
「うん、そうだね。席は……ここでいっか」
賢介が本来の目的を思い出させると、一行はようやく席に着き始める。
周りを見渡してみたが、結局席が空いてるのは麗の周辺だけであった。
「……わ、悪いね、麗。なんか邪魔しちゃったようで……」
「ううん、私は大丈夫だよ」
そう笑顔で優しく言ってくれる麗。それを受けてか、真治も少し勇気を出してみる。
「……あのさ、麗も一緒に勉強、どうかな?」
「うーん……真ちゃんたちが迷惑じゃないんだったら、いいよ」
「そ、そんな……むしろ嬉しいくらいだよ……」
「ん? 何?」
「あ、いや、何でも……」
後半口ごもってしまう真治。自分でも顔が赤いのが分かるくらいだった。
昔は話しかけるだけじゃこんな風にはならなかったのに……今では自分の中で麗が、以前とは別の存在であることを自覚せざるを得ない。そう意識してぎこちなくなっているのは真治だけなのではあるが。
とはいえ、うまく麗を誘うことができた真治。徐々に彼女に対する照れを克服しつつある兆候にも見えた。
そんな光景が何となく気になって、何となくつまらない顔を飛鳥がしていたというのは真治には内緒である。
「よっしゃ! そうと決まれば、早速始めるで!」
「そうですね。これから先輩をしっかり調きょ――教育しないといけませんからね」
「ただの勉強会だからね?!」
こうして、麗を加えた5人での勉強会が始まったのだった。
□
カリカリカリ……
筆の音しか響かない静かな図書室も、窓から差し込む夕焼けですっかり赤く焼けていた。
下校時間が近くなっているからか、人も大半がいなくなっており、残っているのは真治たちぐらいであった。
「……もうこんな時間か」
顔を上げた真治が息をつく。今まで集中していたおかげで、こんなに時間が経っていたことに気が付かなかった。久々にこれだけ集中的に勉強ができたことは、中身が充実している証拠であった。
他のメンバーも顔を上げるや、背伸びしたり欠伸したりで疲れを外へ逃がそうとしていた。
「いやぁ、今日は珍しく勉強ができたで。自分でもびっくりや」
「ああ、麗もところどころ教えてくれたしな。本当に助かったよ」
「ううん、役に立ったのならこっちも嬉しいよ」
成績優秀者の綾波も一緒だということで、この機会に賢介も冬児も彼女からちょいちょい指導を受けていた。彼らの勉強が捗ったのは、麗の支援あってのことなのであった。
ところで、成績優秀者といえばもう1人この中にいたりするんだが……。
「まったく、先輩は飲み込みが悪いですね。これくらい、5分もあれば全問解けちゃいますよ」
「惣流さんはペースが速すぎるんだよ……」
飛鳥の厚意によって、苦手教科である数学を教わることになった真治。しかし飛鳥の教えるペースは明らかに速く、とてもついていけるものではなかった。そもそも後輩である彼女が何故、1つ上の自分たちの勉強をこうもあっさりできてしまうのか。そこが真治にとってはショックなことであった。
「このレベルの数学は、もう自分で勉強してましたから」
「ああ、そう……」
天才とはこういう人間のことを言うのだろう、と真治は素直に思った。しかし、天は二物を与えない。性格だけは良いものにしなかったようだ。
「……なんか凄く残念そうなことを思われてる気がするんですけど」
「そそそそ、そんなことないよ!」
心を読まれて動揺する。勘の良さも天才的か。
それにしても、同じ秀才に勉強を教えてもらったのにこの差は何なのだろうか。
まるでスパルタのごとく教えられた真治は、勉強とはまた別の疲れが溜まってしまった。
「はぁ……僕も麗に教えてもらいたかった……」
「むかっ! 何よそれ! アタシじゃ満足できなかったって言うの?」
「その言い方だとなんか変な意味になっちゃうよ?!」
まぁ、満足できなかったのは事実なんだけども。
「じゃあ、今度の休みにでも見てあげよっか? 真ちゃんのテスト勉強」
「えっ、ホントに? ――って、ええ!?」
麗の提案に何の躊躇もなく驚愕の声を上げる真治。首をかしげる麗は真治のリアクションの意味が分かっていない。
「何? 真ちゃん、次の休み用事でも入ってるの?」
「いやいやいや、そういう意味じゃなくて! ……むしろ麗は休日なのに大丈夫なの?」
「私は大丈夫だよ。暇と言えば暇だし」
それは勉強なんてしなくても大丈夫って言っているようにも聞こえるが、今は気にしない。
それよりも今は、麗に勉強を教えてもらうという好機を逃さないことが大事である。まさかの提案に驚いてしまった真治だが、ここは落ち着いて、高ぶる気持ちを抑えつつ、麗の提案を飲み込む。
「……じゃ、じゃあ、お願いしようかな」
「了解。それじゃ、場所は真ちゃんの家でいいかな?」
「うん、いいよ――って、ええ!?」
再び驚愕する真治。それに対する麗の首をかしげるリアクションも変わらなかった。
「ななな、なんで僕ん家?! どっか図書館とかでもいいんじゃ……」
「ほら、最近は結さんとかに会ってないでしょ? だから久々に挨拶しようかなとか思って」
「あ、ああ、なるほど……で、でも僕の家ってのはなぁ……」
招きたい気持ちはある。だが、真治の家に麗を呼ぶということは、当然真治の部屋に麗を入れるということになる。昔ならばよくあったことだし気にもしないことなのだが、今の歳となると考え方がまるで違う。簡単に言えば、1人の女の子を自分の部屋に招くのと同義なのだ。素直にイエスとは言えない。
思春期まっさかり、しかも相手が想い人という真治にとって、これが緊張しないでいられるわけがない。でも逆に言えば、麗と2人になれるチャンスでもあるわけで――
「じゃあ私の家にする? 私の部屋、ちょっと汚いかもしれないけど――」
「いやいやいや! そ、それは遠慮しておくよ!」
麗の家に上がりこむ方が真治にはよっぽどハードルが高い。しかも、麗の部屋に入るとなるとまた更に覚悟がいると思われる。それなのに何の躊躇いもなく招こうとする麗はいったい何なのか。ただの天然である。麗のこういったところに、周りもしばしば困った反応を示すのであった。
「……わ、分かった。じゃあ僕の家でやろう」
「うん、それじゃあ次の日曜日に行くね。時間はいつ頃がいいかな?」
「え、えーと、そうだなぁ……」
「えへへ、久々の真ちゃん家、楽しみだなぁ」
「……」
自然に見せた笑顔は、思わず釘付けになってしまうほどに綺麗だ。人は彼女を天然とはいうが、ただ素直なだけだ。今の笑顔を見れば、そのことが十分伝わってくる。
笑顔の麗と話す真治も、自然と笑みがこぼれだす。何だか久しぶりに彼女のそんな笑顔を見た気がして、そんな彼女と話せて嬉しかった。いつも感じていた、彼女への想いゆえの煩わしさは、この時だけは無くなっているようだった。
そんないいムードを、気に食わないといった顔で見つめる人物がいた。
「……なんか、アタシ差し置いていい雰囲気なんですけど」
「ま、まぁまぁ惣流さん。今はあのままにしておいてやってよ」
「そやそや。真治がせっかく綾波といい感じになっとるんやし」
「……むーっ」
真治の気持ちを知る2人の友人からすれば微笑ましい光景なのだが、飛鳥は台詞通りむっとなって見つめている。何というか、自分の飼っているペットが他の人に懐いているのを見て苛立つ気持ちに似ている。そもそも飼ってなどいないのだが。
見ているだけでは苛立つばかりだったのか、気がつくころには体と口が動いていた。
「……ちょっと! 真治先輩!」
「は、はひっ?!」
2人の会話を割くようにやってきた突然の呼びかけに情けない返事をする真治。なんだか憤りの混じった呼び方だったから驚いた上に、その声の主を見てみれば実に不機嫌そうな顔をしているではないか。
自分が何かしたのだろうかと急いで思考を巡らせるが、思い浮かばない。単に、麗と真治が楽しく話しているのを飛鳥が見ていて苛立ったというだけなのだが、そんなことに真治が気付くはずもなかった。
「な、なんだよ、惣流さん……」
「……」
(……めっちゃ睨まれてるー!)
訳も分からず飛鳥に睨まれる真治。何となく睨み返したりするが、勝てるわけがなかった。
対する飛鳥は、蛇のようにじっくりと真治を睨むと、少し重たそうに口を開いた。
「……アタシも行く」
「……は?」
「だからっ! アタシも真治先輩の家に行くって言ってるの!」
「は、はぁ……――ってええ?!」
ノリツッコミならぬノリびっくり(3度目)。
「え、えーっと……どういうことかな、惣流さん?」
「どういうことって、そのまんまの意味よ! アタシも先輩の家に行って、勉強を教えるの!」
「えー……そんないきなり――」
「むかーっ! あからさまに嫌そうな顔すんじゃないわよ! 行くったら行くんですからね、絶対!」
「んな強引な……」
こうなると誰も飛鳥に文句をつけることはできない。真治ももはや強引に承諾するしかなかった。
「麗先輩! 抜け駆けはさせませんからね!」
「えっ、抜け駆けって……何のこと?」
「先輩、それわざと言ってるんですかね……?」
多分素で言ってるんだろうなぁ、と悲しいながらも真治は思った。
「……修羅場だ」
「ああ、修羅場やな……」
「2人とも他人事だと思って……」
ギャルゲーで見るような面白そうな状況に目を輝かせる悪友2人を見て、真治は大きなため息をつくのだった。
□
――ピンポーン。
「こんにちは、真ちゃん」
「あ、ああ。い、いらっしゃ――」
「こんにちは、先輩!」
「……惣流さんも、いらっしゃい」
なぜかテンションが変わる。何というか、咄嗟に後のことを考えてしまい、不安になるのだ。
「……なんか不満そうですね。せっかくアタシがわざわざ出張してあげてるんですから、もっと喜んでくださいよ」
「いや、まさか本当に来るとは思わなくて……」
「何言ってるんですか。絶対行くって言ったじゃないですか」
「……そうだったね」
――約束の日、週末お休みの日。先日の騒動での予告の通り、麗も飛鳥も碇家にやって来ていた。勉強道具が入っているのだろうか、2人とも学校へ行く時の鞄を持っているのだが、いつもと違うのは制服ではなく私服というところだ。
麗は白を基調とした袖の短いシャツに、爽やかさを演出する青色のロングスカートで、まるでどこかの令嬢のような雰囲気すら出ている。透明感のある髪の色や、まるで上質な絹のような肌の白さもあってか、青い衣装がよく映える。
飛鳥はといえば、こちらも白基調で水色のボーダーが入った半袖に、下はショートデニムという、いかにも元気な飛鳥らしいチョイスである。モデル顔負けの腕や脚線が、惜しみなく見せられている。
こんな美少女を2人も目の前にすると、健全な少年ならば否が応でも見惚れてしまうのだった。
「それよりも早く、部屋に上がらせてくださいよ。こんなところで立ち話とか、暑すぎて狂気の沙汰です」
「はいはい、分かったよ……」
雰囲気ぶち壊したが飛鳥の言うとおり、今日はかなり気温が上がっていて、外に立っているだけでも汗が吹き出してくるという状況だ。そんな中で2人とも外を歩いていたせいか、光が首元の汗で反射して輝いている。
つい視線が首に行ってしまい、「いいなぁ」とか真治が感じてまたまた見惚れていると、飛鳥は容赦なくずかずかと家に上がりこんでいった。
「あー、すずしー!」
上がりこんで一発目のセリフがそれかい、とか思いつつ、何だか絵になる姿に真治は見入ってしまう。
「……私も上がって、いいかな?」
「あっ、ごめん! もちろん、上がってよ」
「うん、ありがと」
飛鳥とは違って、遠慮しがちに家に上がる麗。同じ美少女でも、まるで対になるかのように違う2人であることがよく分かる光景である。
「そういえば、結さんと元道さんは?」
「ああ、2人とも今日は買い物に行ってて、今はいないんだ」
「そっか〜、久々に会えると思ったんだけどな。ふふっ、でも相変わらず仲が良いんだね」
「そ、そうかな……? 普通じゃない?」
「そんなことないよ。昔からおしどり夫婦だって言われてたしね」
「う、う〜ん、違うと思うけどなぁ……」
「あれ? ”めんどり”夫婦だっけ? それとも”おんどり”だったっけ?」
「そういう意味で『違う』って言ったんじゃないんだけどね……」
相変わらずマイペースな会話を繰り広げる麗。久々に来ただからだろうか、少しテンションも高い。
2人のどこかぎこちない会話。けれど、少し前よりかはその硬さも取れたような気もする。それが、今の2人の距離感ということなのだろう。
なぜか急に離れてしまった(離してしまった)距離、真治としてはまた昔のような近さになりたいところである。
真治がそんなことをしみじみ思っていると、一通り家の中を冒険した飛鳥がとことこ上目遣いでやってきた。
「あの……麦茶とかないですか? なんか喉渇いちゃって……」
「まったく、君ってやつは……」
美少女の上目遣いでのお願いは、そりゃあもう飛び切り可愛いものではあるが、麗とは別の方向でマイペースな飛鳥に、真治はただ苦笑するのであった。
□
――唐突だが、ここで冒頭に時は戻る。いや、この場合は進むでいいのか。変な時間の書き方をするとややこしい。
緊張しながらも麦茶を持ってくることも忘れずに、真治は2人を部屋に招き入れ、早速勉強に取り掛かった。部屋に入った瞬間、麗が昔の状態と比べて懐かしんだり、飛鳥がベッドの下や押し入れの中を覗こうとするなど、2人して勉強する気あるのかよと突っ込みたくなる行動を取るもんだから、始めるまでに手間はかかったのだが。ちなみに、ベッドの下や押し入れの捜索は真治が全力で阻止した。なぜ阻止したのかは男性・女性限らず察していただきたい。
クーラーが配備されておらず、扇風機しかない待遇に不満を漏らす声が約1名から出たが、そこは無理を言うなということで納得させた。というか、1人の部屋にクーラー完備とかそんな贅沢、俺が許さん。
そんな扇風機しかない小さな部屋で3人集まれば、特に動いていなくとも自然と暑くなってくるものだ。
水分欲しさにたくさん飲むものだから、麦茶も気が付けば底をついてきている。そろそろ集中力も途切れてくるという場面であった。
「……先輩、暑いです」
「……言われなくても分かってるよ」
先ほどまで熱が入っていた飛鳥でさえ燃料切れを起こしているという状況である。もはや勉強どころではない。
「麦茶もなくなっちゃったしね。新しいの買ってこようか?」
「そうだね……ここらで休憩して、物資補給だ」
「はいはーい! アタシ、アイスが食べたいです、真治先輩!」
「そうだな……ついでにアイスとかも買ってくるか」
「あ、じゃあハーケンダッツでお願いします、先輩」
「はいはい――って、僕が行くの?!」
ちなみにハーケンダッツとは、市販されているアイスクリームの中でも特においしいとされるアイスクリームのことである。つまりはアイスクリーム業界の王様である。
「話の流れ的にどう見ても真治先輩が行くパターンだったような……」
「そ、そんなぁ……ここは平等にじゃんけんとか……」
「えーっ、まさかこの炎天下の中を女性に行かせるつもりですか?」
「……」
確かにこんな暑い中を女性に行かせるのは、男としてどうなのだろう。しかも美少女を1人丸腰で行かせるのも少々不安だ。ましてや飛鳥が行くことになった場合、声をかけた男性の方がどんな目に遭うか心配だ。そっちの心配をするのか。
「うーん、そうか。じゃあやっぱり僕が――」
「いいよ、じゃんけんで」
「「いいのかよ!?」」
麗のあっさりした承諾に2人で思わずハモって突っ込んでしまった。
しかし麗は人差し指をピッと立てて、何かを提案するような素振りを見せた。
「でもその代わり、真ちゃんが負けたらアイスの代金は全部真ちゃん持ちだよ。もちろんハーケンダッツで」
「……つまりは負けた人がお金を払えと」
「つまりは真治先輩に全部払わせるってことですね。そういう分かりやすい勝負は好きです」
「えっ、何で僕が負ける前提!?」
「負け犬が吠えないでください」
「えーっ……」
いつの間にか真治には負け犬設定が付与されていた。負け犬というよりは苦労人という呼び方の方が近いとは思うが、どちらにせよいやな役所である。
「とにかく、じゃんけんするよ! 負けた人が全額支払い! 私が負けても幼馴染特権で真ちゃんが支払い!」
「え゛っ! 僕が払うの?!」
「うん、幼馴染特権だからね」
「どんな特権だ!」
特権乱用である。というか、幼馴染特権は真治の方にはないのか。
「ちなみに飛鳥ちゃんが負けたら後輩特権で真ちゃんが支払いね」
「それ結局僕が払えってことだよね?!」
特権の大盤振る舞いである。というか、何故こんなに麗のテンションは高いのか。
「じゃあ行くよ! じゃーんけん――」
真治に納得させることもなく、拳を振り上げた麗。勢いのついたその腕を、もはや誰も止めようとはしない。むしろそれにつられて、2人も手を出すしかなかった。
「「「ぽん!!」」」
――そしてこの瞬間、真治の全額支払いが決定した。
□
――炎天下だった。走ってもいないのに体から汗の放出が止まらない。もはや汗ふきタオルももうビショビショで使い物にならない。
一度スーパー店内で体を冷やしたものの、外へ出た瞬間に熱気が体を包み込まれる。熱いというか変に温い、気持ち悪い感覚が一気に歩く気を失せさせる。
「……ったく、なんでアタシがこんな役目やらされなきゃいけないのよ」
買い物を終え、碇家に向かって1人でとぼとぼ歩くのは意外や意外、飛鳥であった。
じゃんけんに負けた飛鳥は、もちろん抗議の意を示した。しかし、そこは先輩の麗が威厳を見せ、半ば無理やり押し込めて行かせたのだ。勝ち負けに関わらず払う羽目になった真治は横で泣いていたらしいが。
真治の言われたのならともかく、麗に頼まれたのでは逆らえない。兎にも角にも負けた飛鳥は、仕方なくスーパーへ向かい、仕方なく飲み物とアイス(もちろんハーケンタッツ)を買って、帰路に着いているとこであった。
あまり体を動かしたくはないが、しかし残念なことに、ゆっくりしているとアイスは溶けてしまう。いっそここで食べてしまいたいが、飛鳥としてはそうした時の麗が怖い。だからもう、下手に逆らわず素直に帰った方がいいのだ。
何の文句も言えず、浮かない気分で歩く飛鳥。
……しかしその道の途中、とある風景に目が行く。
「あれは……」
飛鳥が視線を向ける先には、地元商店街の組合さんによるガラガラくじの催しが開かれていた。そういえば、スーパーで買い物をした時に、そこで使える福引券を1枚もらっていた気がする。
この惣流飛鳥という女、面白くなりそうな催しには驚くべき勘が働く。その超人的ともいえる勘の良さが、この光景を手繰り寄せたのかもしれない。
次第に凝視する目は輝きを見せ、彼女の胸に期待を抱かせ始まる。
きっと面白くなる……いや、絶対に面白くなる……!
そう確信に変わったとき、彼女は福引券を手に、何かに憑りつかれたようにくじの前へやってくる。
「これ、お願いします」
「はいよ、嬢ちゃん。そいじゃ、1回ね」
券を渡し、ガラガラの取っ手に手をかける。ガラガラと中で玉が当たる音が響く。やがてポンッ、と1つ、玉が飛び出してくる。
そうして出てきた玉は……
「おお、やるねぇ、嬢ちゃん……」
夏の日差しを跳ね返し、黄金色に光っていた。
――いっぽうその頃、真治の部屋では。
「……」
「……」
……カリカリとペンの進む音だけが響くだけの、妙な静けさが演出されている空間。
飛鳥が買い物へ行ったことで、真治と麗は小さな部屋で2人きりという状況になっていた。
気まずいと感じたのか、真治は何とか話しかけてみようと試みるも……
「……お、遅いな、惣流さん」
「うん、そうだね……」
「……」
「……」
……続く無言。何故か、会話が思うように成立しない。仕方ないからひたすらペンを進めて、気まずい時間を潰す。さっきからずっとこんな感じである。
相手が飛鳥ならまだしも、麗だからどうしても緊張してしまうのだ、真治にとっては。緊張でペンをまともに動かせているかも分からない。
だがそれは、別に真治だけの話ではなかったらしい。普段はマイペースな麗も、今はどこか落ち着かない様子を見せている。そのぎこちなさが、真治には気がかりだった。
「……」
「……」
こう2人きりになれるというのは、真治にとってはチャンスである。できれば、会話を繋げて楽しみたいと思っている。
話はしたい。が、何を話せばいいのか分からない。こんなことなら、自分が進んで行けばよかったと思ってしまうくらいである。
こういう時こそ、飛鳥のような存在があると助かるのだが、彼女は外へ買い物へ行っている。早く帰ってきてほしいと、こんな時だけは切に願う。
「あ、あのさ、真ちゃん……」
「んんっ? ど、どうした?」
不意に呼びかけられ少し詰まって緊張の面で返す真治。麗も少し頬を気にする仕草を見せながら、ゆっくりと言葉を続けようとした。
「春にあった体育の時間の時……なんだけどさ」
「春にあった……あぁ、あのバレーボールのこと?」
春にあった体育の時間とは、例のバレーボール事件のことである。飛鳥が突然上級生のコートに乗り込み、真治やその仲間たち、さらには麗をも巻き込んで壮絶な試合を繰り広げた、あの事件のことだ。事件というほどでもないが、いろいろとあったために校内でも話が広がったのは記憶に新しい。飛鳥の飛び抜けっぷりが披露されたのも、その時であった。
しかし、それにしても唐突な話題展開だった。
「あ、あれがどうかした?」
「どうかしたっていうか、何ていうか……そのね、久々に真ちゃんとああいうことできたな、って思ったの」
「あ、ああいうこと……?」
『ああいうこと』と書くと、なんだか嫌らしい感じに見えるが、もちろんここでは例のバレーの試合のことである。一瞬でも妄想した真治は自分をぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。
「何ていうか、その……久しぶりに真ちゃんと遊べたなぁ、って感じがして。ホント、最近はずーっと、そんな機会なんてなかったから」
「あ……そう、かもね」
機会がなかった、というよりは、真治が自然と避けてしまったといった方が正しい。
少し前までは普通に接していたのに、知らぬ間に芽生えた淡い気持ちが、彼女に馴れ馴れしく近づくのを躊躇させた。そこにはぎこちなさや不安といったものしか、真治にはなかった。
そして、麗にもあったのだ。『寂しさ』という、疎遠の危機感が。
「だからさ、すっごい楽しかったんだ。真ちゃんと一緒に体動かして、汗かいて、へとへとになるくらい疲れて……最後の方は私ばっかり疲れてた感じだったけど」
「ははは……まぁ、あの時は麗がエースだったから」
「飛鳥ちゃんの相手するの、結構大変なんだからね?」
「ははは……ごめん」
”結構”で済ませられるのも凄いとは思うが。
「こうやって真ちゃんの家に来るのも久しぶりだね。昔はよくこうして家に来て、遊ぶこともあったけど……」
「……うん、そうだったね。昔はよく、ここで遊んでた。あと、麗の家でも」
「うん、懐かしいねぇ……」
2人の中の、小さいころの記憶が生き生きと蘇ってくる。麗の家に行って飯事をやったり、真治の家では一緒にご飯を食べたり……まだ真治が麗のことをただの幼馴染と思っていたころの話だ。
年頃の男女なんだから当然かもしれないが、最近ではお互いの家に行くこともほとんどなくなっていた。だから、今みたいにどちらかが家に上がるというのは、勉強のためとはいえ本当に久しぶりなのだ。それが麗にとっては、素直に嬉しかった。
「だからね、今日も楽しみにしてたんだよ。また真ちゃんの家で遊べる! と思って。……無理、言っちゃったかな」
「ううん、そんなことない。僕も、久々に麗とこうやって話せて嬉しいよ」
「うん、私も。ずっとこの話をしたかったんだけど、なかなか話せるタイミングがなくって……」
「麗……」
こんな時間が生まれたのは何年ぶりのことなのだろうか。別に何十年というわけではないが、若い2人にとって、たとえ数年でも長く感じてしまう。数字の上ではつい最近でも、ずっと前のことだと感じてしまうものなのだ。
思い出すことなんてなかった昔の自分たち。自分が変わってしまったからこそ鮮明に記憶が蘇るというのは、少し皮肉な話であった。
しかし、変わったからこそはっきりと分かるものがある。それが分かっているからこそ、今、これほどにも胸が高鳴っているのではないか。
「れ、麗!」
「わっ! ど、どうしたの、いきなり大きな声で――」
「だ、大事な話があるんだ……」
「大事な……話?」
……いつの間にか、知らない間に変わってしまった。けど気づいたら、それをはっきりと意識するようになった。
「ぼ、僕……れ、麗の……ことが……」
「……私のことが……?」
伝えたかった気持ち。今の流れならば、言える――そう覚悟を決めた瞬間だった。
「ぼ、僕は……れ、麗のことがっ……す――」
「当たったーっ!」
「…………ふぇ?」
チャンスを見計らっていたとでもいうのか、とてつもないタイミングで飛鳥が帰ってきた。しかも、ただならぬ興奮を抱えた様子で。思わず気の抜けた真治から奇声が発された。
「あ、飛鳥ちゃん、どうしたの? そんなに慌てて……」
「だ・か・ら! 当たったんですよ、宿泊券!」
「シュクハクケン?」
麗も相当驚いているせいか、思考回路がやや遅れていた。
「宿泊券ですよ! 旅行のチケットのことです!」
そう言いながら飛鳥が披露するチケットには、こう書いてあった。
「『真白島7泊8日の旅ペア宿泊券』……?」
「というわけで行きますよ! 夏のリゾート地へ!」
――飛鳥の手に握られたこの宿泊券が、これから起こる波乱の種火であることは、誰も予測しなかったのであった。
「……あの、僕の話がまだ……」
第七話 終わり