八月二十四日(月曜日)
一週間の強化訓練が明けた翌日。ミーシャは久し振りに学舎へと復帰したのだが、それが事件の始まりだった。
「エリコ、お願いだから頭を上げて。それはどうしてもできないわ」
「そこをなんとか、何とか頼みたいのよミーシャ!」
夏期休暇の間、EVAにかまけて部を空けていたミーシャにとっては"寝耳に水"だった。なぎなた部部長の佐倉英理子が、突然「自分は主将としては力不足」と自ら言い出し、ミーシャに主将を引き受けるよう懇願したのである。
当部で只一人同級である彼女とは、部長・副部長の関係であると同時に気心の知れた友人でもあるにも関わらず、この拝み倒す態度は只事ではない。ミーシャは事情が掴めず困惑し、とにかく頭を上げるよう言ってもエリコは頑として応じない。
姐御肌の二人は後輩にも慕われているらしく、七人の女子部員は全員沈黙を保ち、固唾を飲んで状況を見守っていた。
「私が大会を辞退してる理由は、前にも話したでしょう?」
「それでもミーシャはうちのエースに違いないわ! なぎなたを始めて間もないのに、私達よりもずっと強いじゃない!」
「買いすぎよエリコ。とにかく私にはその話は……」
「そこをなんとか一生のお願いッ!」
この部は弱小ながらも熱心な部員が揃い、大会で好成績を得るべく常々励んでいるが一向に実を結ぶ事はなかった。
だが一縷の望みはあった。部員達は今春から入部したばかりのミーシャに、大器の片鱗を垣間見ていたのである。大会参加の経験こそまだ無いが、部長のエリコよりも遥かに強いであろう事は、部員の誰もが認めていた。
しかし夏の地方大会はミーシャの入院中に開催され、当部はまたも芳しくない成績に終わっていた。これでエース不在を痛感した部員一同は、ミーシャが退院して心身ともに落ち着いた今が拝み所と踏んだのだ。特に、秋季大会が最後の出場機会になる三年生(エリコ)の焦りようは並ならない。
ミーシャはこの性急な展開をゆっくり受け止め、まずは息巻くエリコを落ち着かせた。
「エリコ、まずは経緯を詳しく教えて。何か別の理由もあるのでしょう?」
「さすがミーシャ、察しがいいのね。……新松本学園の神楽坂ヒミカって子を知ってる?」
「ええ、知ってるわ。県規模のなぎなた大会では負け知らずで、全国大会でも常に上位にいるという有名な選手ね」
「そう、その神楽坂が明日、部員を引き連れてうちに交流に来ることになってるのよ」
第二新東京市内には現在、十三の公私立高校が点在している。中でも市内最大規模の【新松本学園高等学校】は、クラブ活動の功績がめざましいスポーツ名門校であり、近年ではなぎなた部も北信越随一の実力を誇っている。
神楽坂ヒミカという少女はこの部の部長兼主将であり、学内一の成績を誇る特待生でありながら、その素性は県内中に名を知られる財団の会長令嬢である。その履歴は煌びやかなこと甚だしく、ミーシャも何度も名前を耳にする"有名人"であった。
一方、新松本学園から約百メートルほど離れた場所に位置する【里山辺高等学校】は、多彩なカリキュラムと園芸実習を特色とする、市内一小さな高校であった。対外的には特に秀でた面を持たないが、ミーシャにとっては悠悠自適に通える理想の学舎である。
市内でなぎなた部を持つのはこの二校のみであり、本来ならば身近な練習相手である。しかしミーシャが知る限り二部は交流など全く持っていない。そこを問い質すと、たちまちエリコの表情が苦渋めいたものに変わった。
「いきさつは理解したわ。でも彼女が交流に来られるからといって、急いで私が主将に指名されるのは何故?」
「彼女、強過ぎるから私達じゃとても相手にならないし……それに神楽坂本人が、どうしてもミーシャを相手にって指名してるのよ」
「? どうして私なのかしら」
「……あのねミーシャ、神楽坂って凄く"高飛車"なお嬢様なので有名なのよ」
「たかびしゃ?」
「つまり実力と家柄を鼻にかけちゃってる子なの。自分以外の目立ちたがり屋を絶対に許さないタイプでさ、だからミーシャが目をつけられちゃったのよ」
「エリコ、そういう言い方はあまり感心しないわ。それに、私は目立っているつもりは……」
「でも佐倉先輩の言う事は本当なんですよっ、ミノザ先輩っ!」
「財団の一人娘か何か知らないけど、日頃から後輩を家来みたいに扱ってるし!」
「それにあの人、稽古でも青痣ができるくらい打ち込みには容赦なくて、みんな痛い思いをしてるんですよ!」
「だいたい、最近は御無沙汰だったくせに今更何が交流よっ! ねえ!」
「そうそう、ウチの部とやりあっても弱い者苛めになるのがわかってるくせにさぁ!」
「強い人の話題を聞きつけては、出稽古を口実にして潰しにかかってるって噂もあるんですよ!」
「ミノザ先輩は見た目だけでも十分目立ってるんですっ! 大変な人に狙われてるって事をもっと自覚してください!」
「え、ええ……御免なさい」
エリコの言い分にミーシャが釘を刺そうとしたところ、それまで沈黙を保っていた後輩達が一斉にエリコの援護を繰りだした。
多少個人的な妬み嫉みを含んでいる言い草ではあったが、八人の口からこれほど悪口が出てくるにも何かしら事情があるのだろう。
まさに八方塞がりとなって、さしものミーシャも大弱りになった。
「あたしは一年の頃から神楽坂の事を知ってるけど、県内では敵無しだからすっかり態度が天狗なの。迷惑してる部員は長野中に沢山いるわ」
「てんぐ?」
「実力と家柄を鼻にかけたヤな奴、って事よ!」
「つまり"たかびしゃ"と"てんぐ"は同じ意味の言葉なの? 日本語は難しいわね」
「感心するところが違うでしょ!」
ミーシャは興奮しているエリコを宥めたい一心なのだが、個人的な恨みでもあるのか、彼女は憤怒に任せて皮肉を繰り返すばかりである。
ここが押し切りどころと読んだのか、土下座を解いて立ち上がると更なる力説をはじめた。
「退院したばかりなのにこんな事頼んで悪いとは思うけれど、神楽坂に対抗できそうな選手なんて、もう県内にはミーシャ位しかいないのよ!」
「リハビリは頑張ったつもりだから身体は大丈夫よ。でも彼女は相当お強いのでしょう? 私にも相手が勤まるとは思えないわ」
「ミーシャの実力ならきっと大丈夫! だからお願いッ、うちの部の……いえ長野のなぎなた部員全ての救世主となって、アイツを返り討ちにしてちょうだい!」
「なんだか壮大な話になってきたわね」
「あたし達は本気でお願いしてるのッ!」
「……わかったわ、でもその話は明日だけよ。もし、あまり派手な事になるようなら私は……」
「大丈夫大丈夫、ただの交流会よ、それだけだから、ね?」
退院の翌日に山登りもこなし、アスカに一週間みっちりとしごかれた今となっては身体の状態に問題はない。むしろ三週間ぶりの部活動で復調をアピールした事がかえって仇になったのか、部員達は一様にミーシャを期待と憧憬の眼差しで見つめていた。
だがどれほどエリコが太鼓判を押しても、彼女としては苦い表情を浮かべるしかない。「目立たず騒がず慎重に」―――それがチルドレンの日常に対する、アスカの厳命であるからだ。
翌日。
ミーシャは朝早く家を出て体育館に一番乗りすると、手持ち無沙汰そうに防具の点検を行っていた。体育館備え付けの予定表には他部の活動もなく、本日はなぎなた部の貸切となっている。
なぎなた用の防具は競技試合にのみ用いられ、普段の練習は半袖の白道衣と馬乗袴を身に付けて行う。この道着、着方にこそ若干難があるもののそれを差し引いても女性人気が高い。
試合用防具の構造は剣道用の防具と似通っているが、頚部が広く作ってある点と手甲の指先が三つに分かれている点、なぎなた特有の脛(すね)当てという防具が存在する点で差異がある。ミーシャの防具は安物ながらも手入れが丁寧に施されており、彼女の気遣いが窺える。
(タカヤは海外は初めてと言っていたけれど、今頃大丈夫かしら。キョウコは折角の里帰りなのに元気がなかったから心配だわ。……私一人だけ居残りするのも、なんだか落ち着かないわね)
惣流家の家事担当であるミーシャにとっては、適度な忙しさこそが日常だ。退屈な入院生活の日々には、ネルフ関連の新聞記事にくまなく目を通しつつ、一方では夏季休暇の宿題を全て済ませた程である。
だがその一方では入院騒ぎの折に、ネルフの面々のみならず母国の両親に多大な心配を掛けた事を申し訳なく思っていた。その反動からか、更衣室の小窓からぼんやりと空を眺めつつ、今は遠くにいる弟と妹への心配が尽きないのである。
タカヤにはミサトが随伴している事は知っているが、キョウコにはレイが随伴している事など彼女は知る由もない。
(時間が空いたら、二人に電話してみようかしら)
「おはようございます、ミノザ主将! なんちゃってね」
「エリコッたら……おはよう」
開口一番にからかうエリコの挨拶に、ミーシャは小さく笑いながら挨拶を返す。
「今日は早いのね。どうしたの?」
「ええ、今日はみんな家を留守にしてるから、なんだか時間を余しちゃって」
「あれっ、例の弟クンと妹さんは?」
「タカヤは出張……いえ遠征中で、キョウコは帰省中なの。独りでいるとなんとなく落ち着かないから」
「せっかく暇が出来たってのに、損な性格ねぇ。ミーシャにも旅行の予定はないの?」
「旅行は好きよ。でも当分は遠くに行けないから、この夏は市内観光が精一杯」
「市内観光? 第二新東京の?」
「そうよ。この街には珍しい場所が沢山あるから、自転車で走り回ってるだけでも飽きないわ」
ミーシャは、自分がチルドレンである事を周囲に一切明かしていない。入院の真の理由も学友達には内緒にしている。
彼女は現在ミサトに本部待機を命じられているため、その行動範囲は市内中心部に限られていた。観光の話は本心ではあるが、実際はその暇も無い。
そんな事情とは露知らず、エリコはミーシャの横に並んで道着を身に着けながら小首をかしげていた。地元生まれの彼女にはミーシャの好奇が今一理解できないのだろう。
じきに後輩部員も集まり、時刻が約束の十時を迎えると、体育館の入口から里山辺高とは異なる制服の女子生徒達が連れ立って入って来た。全員折り目正しく品の良い身なりではあったが、一団の先頭にいる人物は特に毛並みが際立っていて、それが話題の少女である事はミーシャにも一目でわかった。
ところがその女生徒達の後方には、明らかに場違いな数十人の男子生徒達も付いて回っていた。疑問に思いエリコに尋ねても、彼女は「神楽坂のファンクラブかもね」などと意味深長な言い回しで、余計にミーシャを惑わせる。
やがて一団の先頭にいた少女が、自身の艶やかな黒髪を指で撫でつけながら挨拶を掛けた。
「御機嫌うるわしゅう佐倉部長。このような交流の機会は久し振りですわね」
「こちらこそ神楽坂部長。個人的にはあんまり歓迎したくなかったけど」
(この方が神楽坂ヒミカさんね……顔立ちも立ち振舞いもとても古風で綺麗だわ)
ヒミカは時代がかった言動と容姿を特徴とするらしく、白シャツと縞織のスカートから伸び出た細い手足、女子としては高めの身長、そしてツリ目気味の瞳と小さな下顎が形作る美顔は、確かに男子の誰もが興味を奪われる存在だった。
いつの間にか体育館周辺には二校の野次馬がひしめき合い、アイドル人気さながらとなっていた。普段は存在すら怪しまれているような、マイナーな部活とは思えない盛況がミーシャ達を取り囲んでいる。
「今日はお付合いのほど宜しくお願い致しますわ。しかしまぁ、相変わらず里山辺の校舎は小さくて窮屈ですわね」
「狭いのは不必要な連中を連れてくるせいでしょ? ちょっと数が多すぎるんじゃないの、うっとーしい」
「あら、この方達はわたくしを慕って付いて来てくださる方々です。無下にはできませんわ」
「なに勘違いしてんのよ、自意識過剰ぶりは相変わらずねっ!」
「そんなごヤッカミを吐露されましても困りますわ。だって事実ですもの。ねぇ?」
(……この二人もこうなのね)
挨拶からして慇懃無礼なヒミカの態度には、本来人付き合いの良いエリコも臍を曲げ、部員達も一様に眉をしかめている。
こんな応酬は彼女達にとって茶飯事なのだろうか、ミーシャはこの光景に既視感を感じてコメントに窮した。
「ところで佐倉さん。早速ですが、例の方を御紹介願いたいですわ」
「ああ、それならこの人よ」
エリコはミーシャを平手で指して紹介した。
もっとも、袴を身に付けた"留学生"はヒミカ以上に人目を惹いており、彼女は紹介されるまでもなく初めからミーシャを注視している。
ミーシャも徐々に雲行きを怪しく感じていたが、それはおくびにも出さずエリコに薦められるまま挨拶を勤めた。
「初めまして。里山辺高校、福祉科三年のミーシャ=ミノザと申します」
「新松本学園高、特進科三年の神楽坂比美香と申しますわ。北欧の方とお見受けしますが、日本語が随分流暢ですわね」
「はい、日系の父に学びました。でもまだまだ分からない言葉も多く苦労しています」
「まぁ御謙遜までお上手ですこと。こちらこそ本日は宜しくお願いしますわ」
ミーシャの会釈につられて、ヒミカも安穏と会釈を返す。
柔らかい物腰だが、凛とした雰囲気を併せ持つ油断ならない人―――それがヒミカの感じた第一印象だった。
「わたくし実の所、今日は貴女にお会いしたくて参りましたの。里山辺高に美しい留学生が転入したという噂は、このあたりの学区では有名ですものね」
「そうなのですか?」
「耳ざとい学生の噂話には大抵尾ひれがつきますから、この目で直接確かめるまではと思いましたが……これほど噂通りの方も珍しいですわ」
丁寧な挨拶を交わしながらも、ヒミカは黒真珠のような瞳を見開いて、噂の少女を目ざとく観察していた。
女子高生としては比較的長身のヒミカでも、170cmのミーシャは頭半分ほど見上げてしまう。性徴は道着の上から一瞥できる程に豊かだが四肢は細く、北欧人の金髪碧眼と東欧人の器量を兼ね備えるこの少女を、どうやら一方的にライバル視しているようだ。
ヒミカの只ならぬ視線を感じたミーシャは、彼女がただ自分を誉めそやす為に訪れた訳ではない事を見抜き、いささか慎重に構えた。
「それにしましても、貴女はエースに指名される程の実力をお持ちなのに、肝心の大会ではお姿を全くお見掛けしませんわ。それはどのような理由でして?」
「エースと呼ばれる事には自信を持ちかねますが……不参加は個人的な理由によるものです」
「まぁ、それでは折角の才能も持て余しですわ。でも今日こそは里山辺の主将として、実力を遺憾なく発揮してくださる事を願ってますわ」
「えっ?」
「約定通り、わたくしとの手合わせをお受けいただけますわね?」
「手合わせ……ですか? しかし」
ミーシャにとってなぎなたは搭乗訓練の一環であり、大会で好成績を目指したり高い段級位を所得する事に執着はない。厳格な礼節と自律を求めるのが古武道の特徴であり、ミーシャにそれを学ばせる事が、彼女になぎなたの道を勧めたアスカの意向でもある。
しかしヒミカはこの言い訳を婉曲に受け取って対抗心を募らせたのか、公衆の面前で挑戦状を叩き付けてきた。
「皆さんが見学しているこの状況で、試合を行うという意味なのですか?」
「その通りですわ。今日はあらかじめ佐倉さんと申し合わせて、主将同士の公開試合を行うよう取り計らったのです」
「ちょっ、ちょっと神楽坂、その事は内緒にしてってあれほど言ったじゃない!」
「公開試合? それはどういうこと、私はその話は聞いていないわ」
「い、いや、その、あのね、実は」
「公式の場に出ないという貴女の為に、状況をお膳立てさせていただいたのですわ。仮にも部の主将同士の対決とあらば、生徒の野次馬には事欠きませんもの。ましてその主将が、この界隈で一番噂の異人さんなのですから」
「神楽坂!」
「…………はじめからそういう事だったの、エリコ?」
「ごっ、ごめんねミーシャ、悪く思わないでねっ! だって、ほら、誰も見ていない所で勝敗がついてもしょうがないじゃない!」
ヒミカの口調は一見穏やかだが、黒真珠の瞳は少しも笑ってはいない。反してエリコは言い訳もおぼつかない様子である。
ミーシャが改めて体育館の四隅を見渡すと、観衆の大半が自分に視線を注いでいる事に気付き、仕組まれた現状をようやく把握した。
要するに本日の一件は、県下最強を自負するヒミカと、彼女の鼻を明かしたいエリコ達の思惑が一致した事による"公開イベント"であった。
「理解いただきまして? もっとも、もう後戻りはできませんわよ」
「ご執着なさるのですね神楽坂さん。それが"交流"の本音ですか?」
「ええ。大会の参加経験すらないような無名の選手が、噂の上ではわたくしと同等の強さだと言い触らされているのです。これではわたくし、釈然としませんわ」
「しかし私には身に覚えの無い話です。それに、神楽坂さんがお強い事こそ周知の事実ではありませんか」
「いいえ、わたくしが貴女を避けて通っているなどとは万一にも思われぬよう、この場で白黒はっきりさせたいのですわ!」
「……そういう事でしたら尚更、私は貴女と武技を競うことはできません」
「ミーシャ!」
訝しむミーシャの表情を見て、当てが外れたエリコは焦り、ヒミカは黙って眉根を寄せている。
体育館の周辺に屯っていた生徒達も只ならぬ雰囲気を察し、なりを潜めて三人のやり取りに注目していた。
「大仰な、たかが練習試合ではありませんか。負けても貴女の恥ではありませんわ」
「私が負けても恥には思いませんが、見学の方が沢山いらっしゃる状況で、そのような理由の試合に応じる事はできません」
「御冗談を、演舞の場なくして何のための武道でしょう。試合あってこその練習、実力差あってこその研鑚ですわ」
「一理です。しかしあなたが仰るのは、功名心のための名目に受け取れますが」
「まぁ、歯がゆい物言いですわ。公衆の面前で、わたくしの挑戦から逃げますの?」
「どのように仰られても、そのような申し出は受けかねます」
「ミーシャ!」
「御免なさいエリコ。でも私は、勝敗に執着する事が武道の理念ではないと思うの」
ミーシャは眼前の二人にそれぞれ一礼すると、悄然の表情を浮かべて更衣室に戻るべく身を返した。
二人の意図を察した以上、自分が試合を受けられない真の事情は、今の彼女達に打ち明けられるものではない。
実際ヒミカは別の真意を秘めて臨んでいる。それをミーシャが訝しむのも無理はなかった。
「お待ちなさいなミノザさん。意図はどうあれ、これは部間で正式に申し入れ、取り決めた活動に他なりません。にも関わらず途中放棄する事が貴女の仰る"理念"とやらに則するのですか?」
「それは……」
「神楽坂、そんな屁理屈は言うもんじゃないわ!」
ヒミカが背中から追い討ちをかけるように辛辣な言葉を投げ掛けると、その挑発からミーシャを庇うようにエリコが割って入った。
「あら、元々は貴女がけしかけた事ではありませんか佐倉さん。わたくしは、貴女が異人さんの腕前を得意気になって吹聴するからこそ、どれほどの物かと思い駆け付けましたのに」
「そ、それはミーシャの気持ちとは関係ない事よ。それにミーシャが強いのは本当だもの!」
「それこそ"有名無実"と言うものです。まったく、とんだ期待外れですわ。わたくしおいとまさせていただきます」
やましさを背負って精彩を欠くエリコの主張を、ヒミカは一笑して叩き伏せた。
ミーシャに辞されても県下最強たる自負が揺るぐ事はない。だが、研鑚すべく練習仲間を捜し求めていた自分にとっては無念もある。ヒミカの真の意図は、自分に匹敵するライバルを捜し求めることにあった。
いいように言い負かされたエリコは忸怩を感じながら、あくまでヒミカを引き留めようと試みた。
「ま、待ちなさいよ神楽坂! 途中放棄は感心しないんじゃなかったの!?」
「いいえ、意気地ない異人さんを勝手に持ち上げた貴女が一番迂闊なのですわ。これに懲りて今後は弱小部の分を弁えて下さいませ。それではごきげんよう」
「く……っ!」
エリコはこの言われように全く反論できず、立ち去ろうとするヒミカの後姿と、肩を落とすミーシャの姿を見比べる事しかできなかった。
ところが体育館の出口に差し掛かるヒミカの前に、突然一人の女性が立ち塞がって彼女の歩みを止めた。
「ちょっと待ちなさい、お嬢さん」
「? どなたですの? 里山辺高の教師ではございませんわね」
「あ、アスカさん!?」
「職業上の都合から、そのコに対外試合を禁じている者よ。それとも名刺が欲しいかしらお嬢さん?」
「その服の腕章……Nervの方がわたくしに何の御用ですの?」
「あら、詳しいじゃない」
「ええ、父が高崎司令とは懇意にさせていただいておりますから」
「なるほどね。県内一の大財団、神楽坂のお嬢様ってワケか」
思わぬ人物の登場に、ミーシャが珍しく素っ頓狂な声を出して驚く。部員達や観客も予想外の展開に目を丸くした。
一般人には詳しく知られていないネルフの実態も、有名財団の令嬢ともなれば話が違うのだろうか、ヒミカは初対面のアスカにも気怖じる事なく構えている。
「アスカさん、今日はどうしてこちらに?」
「午前の仕事が空いたから、久しぶりに部活の様子を見に来たのよ。それで体育館を覗いたら面白い事になってて……それとも余計な事をしたかしら?」
「い、いいえ」
ミーシャは内心の動揺を紛らわすように苦笑する。
アスカも釣られて笑ってみせると、にこやかな表情で提案をはじめた。
「いいじゃないの、受けてあげなさいよ。折角ギャラリーも揃ってるんだし、噂を聞いて挑んできた相手にも失礼だわ」
「でも私に試合を禁じたのは、他でもないアスカさんではありませんか」
「そうね、確かにあなた達には、公の場で力をひけらかす事はして欲しくないわ。ミーシャが私の言い付けをちゃんと守ってくれてる事には感謝もしてる。けど、たまにはあたしやタカヤ以外の相手と戦うのも経験になるはずよ。今日は私の監督付という事で許可してあげるから」
「こんな時だけ職務命令なんてずるいです。どういうおつもりですか?」
「方便よ方便、そう悪く取らないでよ。あたしだってミーシャにとってプラスになるように考えてるのよ」
(突然現れたかと思えば、このわたくしを彼女の足掛かりになさるとは軽く見られたものですわね。それにしても、ひょっとしてこの異人さんは……)
アスカはミーシャのみならず、隣に居るヒミカにもわざと聞こえるように言い聞かせていた。
かつては自分も学園のアイドルとして馳せた経験に基づくのか、アスカはヒミカを近しい存在だと認識していた。言葉の古風な所さえ除けば他人を見てる気がしないのだろう。
当然その挑発的な口調はヒミカのプライドを撫でていたが、同時に、彼女にはある一つの疑問が浮かんでいた。
「ではミノザさん、今度こそわたくしの挑戦をお受けいただけますわね?」
「……わかりました、お手合わせさせていただきます」
「これで佐倉さんも異論はありませんわね?」
「な、無いわ」
(自己顕示欲の強いお嬢様とミーシャの対決か。これは面白くなりそうね)
里山辺高側はもはや引っ込みがつかなくなり、結果的にはヒミカの目論見通りとなったものの、彼女も内心複雑である。
この状況を真に愉しんでいるのはアスカ一人であった。
「で、お前はどっち応援すんの?」
「当然ミーシャ先輩だろ。あの人可愛いだけじゃなくて性格も良いんだぜ」
「普段は学校休みがちなのに、期末の成績はかなり良かったらしいぞ。俺も予習ノート写させて貰った事あるしさ」
「ぶっちゃけうちの学校の女子じゃダントツだよ」
「マジかよ、里山辺高羨ましいなァ。俺も入ってりゃ良かったかな」
「止しとけよ、うちの偏差値いくつだか知ってるだろ」
「大体、神楽坂のファンクラブがそんな事言っていいのかよ」
「いいんスよ。あの女、顔と成績はいいけど性格はヒドいっスから。むしろ後輩の方が狙い目っスね」
「けっ、悪い奴だなーオマエは」
「ところであの姉ちゃんは誰なんだ? 俺はあっちのほうが好みだぞ」
「ああ、あの人か。時々校門前で見掛けるんだよな……外人っぽいからミノザの家族じゃないか?」
ミーシャとヒミカが練習を始めている光景を尻目に、新松本学園と里山辺高の男子生徒は一団となってギャラリーを作り、下世話な情報交換を行っていた。
なぎなたの大会には演技競技と試合競技が存在し、試合競技は個人戦と団体戦に分類される。演技競技は身内でペアを組み、あらかじめ指定された演技を行って心技体を競う。
そこで今回、ヒミカとミーシャは即席でペアを組み、準備運動代わりに"仕掛け・応じ"を行っていた。あくまで演技であるため防具はつけないが、道着姿にも関わらず二人は本気で薙刀を振るい、互いの特徴を探っていたのである。
その結果二人が知り得たのは、ヒミカの振るう薙刀がミーシャ以上のスピードを誇る事。そしてミーシャの振るう薙刀が、ヒミカ以上のパワーを持つという事だった。
(さすがに異人さんは基礎体力が違いますわね、一閃を防ぐたびに手が痺れますわ。しかし所詮、勝敗を決めるのは踏み込みの疾さですわ)
(なるほどね、これはアスカさんの仰る通りとても勉強になりそう。自分より疾い相手とどう戦うべきなのか考えさせられるわ)
演舞中の二人は掛け声以外の言葉を一切発さず、武技に集中しながらお互いへの対策を練っていた。
ミーシャの訓練相手であるアスカとタカヤは(キョウコは例外)パワー重視の能力を誇る。二人に比べて非力な彼女は、力の代わりに疾さを重視するスタイルを選び、日々突き詰めていた。そんな彼女にとってEVAとなぎなた競技という違いはあれど、このようなパワーバランスは初めての経験である。あえて一つ前歴があるとすれば―――初号機の姿がミーシャの脳裏に浮かぶ。
やがて演技が終わると、会場中から散発的な拍手が送られた。ヒミカがコートの隅に戻って休憩に付くと、後輩達がこぞって駆け寄りタオルを手渡した。
「神楽坂先輩、相手の感触はどうでした?」
「ええ、さすがに噂になるだけの事はありますわね。しかしわたくしの勝算は揺るぎませんわ」
勝利を確信する彼女は、里山辺高の面々に向かって不敵な笑みで牽制した。表情一つでも細やかな意地悪さを欠かさない辺りが、実力以外の噂をもたらすのだろう。
案の定エリコ達はまんまと当てられて気分を悪くしたが、当のミーシャはヒミカの視線に気付きもせず、アスカとの会話に興じている。
「どうミーシャ、実力者相手の試合は参考になるでしょ、いろいろと」
「アスカさん……もしかして楽しんでませんか?」
「見てる立場としてはね。教える立場としては真剣よ」
「分かりました、彼女からは色々学びたいと思います」
「その意気よ、がんばんなさい」
「ミーシャ、あとは任せたわよ!」
「ミノザ先輩、私達の分まで頑張ってください!」
「はい、頑張ります」
部員達の期待を背負いながら面具を装着すると、いち早くコートに構えていたヒミカと改めて対峙した。
ヒミカの防具は面金をジュラルミンで固め、小手には北米産の鹿革をあしらい、胴の漆黒を鈍く輝かせた高級品だ。華美かつ実用性の高い防具は、素人目の観客達にもヒミカの実力を知らしめる一助となっている。
試合の主審はエリコが受け持つ事になっていたが、何故かその位置には意気揚揚とアスカが構えていた。
「まさか、あなたが審判をなさいますの?」
「あのコには副審に回ってもらうよう頼んだの。心配しなくても身内びいきなんかしないわよ」
「そういう事ではなくて、飛び入りの素人がどうして主審の位置に立っているのか、と訊ねているのですわ!」
「……ミーシャ、薙刀貸して」
「はい」
アスカは何を思ったか、ミーシャの薙刀を両手で受け取ると、片手に持ち直して頭上で二回転振り翳す。
そして突然上下に振りかざすと、薙刀の先端をヒミカの鼻先三センチに素早く突き付けてみせた。見ている方が危ぶんでしまうデモンストレーションに、一部の観客からはどよめきが沸いた。
「元々ミーシャにこの道を勧めたのは私、こう見えても連盟錬士の端くれよ。心配は御無用」
「そ、そういう事でしたの。ならばお願い致しますわ」
今の凄技にすっかり肝を冷やしたヒミカは、震える声を悟られないよう返事するのが精一杯で、肩書きに懐疑を挟む余裕も無い。
してやったりとほくそえんだアスカは、更なるショーアップを図り、観衆の喧騒を抑え込むように声を張ってルールを説明した。
「試合時間は規定通り五分、二本先取制とするわ。禁止事項は咽喉部へのツキのみ、あとの細かい反則は一切取らないからそのつもりで」
「随分寛容ですのね。ならば荒っぽくしても構いませんこと?」
「好きにしなさい。今十時五十三分だから、五十五分になったら試合を開始するわ」
ミーシャの同意も得ずに、二人で勝手にルールを取り決めてしまう。もとより強引に異論を挟むような性格ではないため、彼女は黙って状況に身を任せるしかない。
するとヒミカは試合開始までの間、薙刀を置き立てて目を閉じ、肩幅に足を開いて自然体で構えた。
それを見てミーシャも同じ姿勢を取ると、観客達も神妙な雰囲気を察して、体育館はたちまち静寂が支配した。
「時間よ、双方コートの中央に。お互いに礼!」
アスカの指示に従い、二人は互いに一礼すると薙刀を持ち上げて穂先の縦軸を合わせた。
ミーシャは右手の甲を肩に寄せて穂先を下げ、防御に優れる下段構えを取る。ヒミカは両手を掲げて、攻撃的な上段構えを最初に選ぶ。
二人の構えを見比べて、アスカは試合が拮抗すると予想した。
「―――はじめ!」
「メェン!」
先手を取って仕掛けたのはヒミカ。館内に響き渡る大声で面を呼称しながら、しかしその薙刀は相手の脇腹を鋭く狙う。ミーシャは落ち着いて初撃を防ぎ払うと、ゆっくり構えを直して相手を見据えた。
呼称で戸惑わせる卑怯じみた手法に、観客や副審が少しざわついたが当人達は意にも介さない。
間髪入れずヒミカは小手打ちから面に繋ぐ形で打ち込むと、ミーシャは柄で薙ぎ払いながら一歩下がって構えを直した。
(掛け声に全く釣られずに防ぎましたわね。見た目より神経が太い方ですわ)
(流石に強い……少しでも気を抜いたら打ち込まれてしまいそう)
ヒミカは送り足で踏み込んで小手を窺うと、薙刀を半転して右脛を狙い、返す刀で上面を打ち付けると、下がり際に左右胴を打ちつつ間合いから離脱する。
ミーシャは辛うじて全撃を防いだが、一呼吸に五回も打ち付けるヒミカの迅さに反撃の余地を見出せず、受け一辺倒の構えを維持した。
アスカは主審を務めながらも、好対照な二人の戦法を興味深そうに見比べている。
(見た目は派手だけど、所詮判定を取るための前手打ちだわ。学生試合に馴れ過ぎたお嬢様にミーシャの力量が見抜けるかどうか、見ものね)
相手の弱点も自分の弱点も、実戦の中で考え尽くして応用する事に意味がある―――それがアスカ流の教育だ。
ヒミカが再び仕掛けると、今度は完全な乱撃となってミーシャに襲い掛かる。脛、面、小手、小手、胴、面、脛、面、小手、胴……八方振りを受け止め続ける無機的な打撃音が体育館中に響く。ミーシャは柄と刃部を器用に使いこなし、猛攻にひたすら耐えていた。
「分かれ! ……ミーシャ、様子見もいいけど、いつまでも仕掛けないようだと反則を取るわよ」
「すみません」
(あらあら、いきなり身内同士で揺れてますのね。それにしてもガードが硬くていらっしゃるわ)
攻撃意欲のない競り合いを続けたと見なし、アスカは二人を引き離すとミーシャに注意を行った。これは主審としての客観的な判断以外にも、意地悪い指南の意味も含んでいる。試合経験の無い彼女には痒い指摘だ。
今の自分にはフレスヴェルグの翼もなければ支援する仲間もいない。日常の部活ではそれが当然であるにも関わらず、ミーシャは身体に染み付いたクセが拭えなかった。
意識を切り替えて中段構えに移行すると、面打ちから胴打ちの連撃をストレートに打ち込んでみせる。ヒミカはこの試合で初めて防御に回って無難に二撃を防いだが、面具越しの表情が微かに歪んでいた。
(つっ、やはり一撃が妙に重いですわね。腕力任せの攻撃には見えませんのに)
主に女子の武道として練成された"なぎなた"は、力任せの腕力ではなく遠心力を利用した静かな斬撃を理想とする。ミーシャはそれを遵守した上でEVAの装甲を砕くような打撃を心掛けていた。一方で武術者としてより競技者としての自覚が強いヒミカの打撃は、スポーツとしての"なぎなた"に最適化された俊敏な攻撃であり、二人の思想は相反している。
ヒミカが十打ち込めばミーシャが三、四打ち返す。そんな状況が暫く続いたが、試合の流れは力量以外の部分で徐々に変化していた。
中立の観客達には一見して、手数の多いヒミカが有利に見えた。ヒミカ本人も試合前は自分の方が俊敏なのだと高をくくっていたが、幾ら手数を増やしてもミーシャの堅実な防御を打ち破れず体力を消耗していた。翻ってミーシャは一日数時間もの強化訓練を重ねた身であるためか、五分程度の試合で息が切れる様子はない。
「……どうやらわたくしが見誤っていたようですわね。噂を信じた甲斐がありましたわ」
「えっ?」
「この技を出すのは春の大会以来ですが、あなたには受け止められまして?」
常に上段構えを崩さなかったヒミカが薙刀を短く握り直した。それを見たミーシャは一歩下がって警戒心を露にする。
両手を胸元に寄せ立てる八相の構えを取ると、ヒミカは三メートルの間合いを一気に詰め寄った。
「"八奏撃"、参りますわ!」
「!」
一呼吸の間に八回の音が打ち鳴る―――それほど迅く的確な打撃を、観客達は一瞬理解できなかった。
しかし八撃目の右小手打ちが箇所に触れたのを見逃さなかった審判達は、一様に左手を掲げて勝敗を示す。
「小手打ち、あり!」
「きゃーっ、神楽坂せんぱぁい!」
「あぁっ、ミノザ先輩!」
最初は黙って観戦していた部員達も、悲喜交々の黄色い声援を送って互いの主将に激励を送る。
二人は構えを解きつつも残心を怠らず、それぞれの開始ラインへと戻った。
(流石にこれは防ぎきれなかったようですわね。もっとも、この技を凌いだのは前大会の優勝者くらいですが)
(すごい、一呼吸のうちに八回も打突できるなんて、今の技はとても素晴らしいわ!)
(む、笑ってらっしゃる……随分と余裕がおありですわね。わたくしは今にも息が切れそうですのに)
ミーハー気質がそうさせるのか、ミーシャは一本取られた事など気にも留めずヒミカの技に敬服していた。
動揺はむしろヒミカの方が大きい。彼女は自身の体力配分だけでなく、後輩達や観客に対する面子にも気を配らねばならない。
主審(アスカ)が中央で向き合うよう指示すると、体勢を直した二人は再びコート中央で対峙した。
「二本目、はじめ!」
(今度は私がお見せします!)
ミーシャは両手を腿まで下げると、薙刀を後ろ水平に構える脇構えに移行した。今度は自分から一足飛びに間合いを詰め、一呼吸の間に右斜め振り、左横振り、そして右振り返しの三連撃を繰り出す。
ヒミカは後ろに下がりつつ一撃目を刃部で応じ、薙刀を半回転させて二撃目を柄部で応じる。更に半回転させて三撃目を受けようとした所で手元が緩み、持っていた薙刀がコートの外にまで打ち飛ばされると、周囲から一斉にどよめきの声が上がった。
本来なら薙刀から両手を離すと注意ないしは反則を取られ、反則は二回合わせて一本となる。ところがアスカは「待て」の声を掛けただけで済ませ、ヒミカが主審の方を見やっても一顧だにしない。
「主審、反則は取りませんの?」
「そんな事より早く薙刀を拾って構え直しなさい。もうじき五分経つわよ」
(喰えない主審ですわね。それにしても、綺麗な顔をしてなんて力なのかしらこの方は!)
なぎなたの基本には則していたものの、今の攻撃は紛れもなく"フォレストウィンド"だった。しかしこの技は既にシンジにもアスカにも見切られている。打開策を得たいミーシャにとって今は試行錯誤の時期であり、眼前の強敵はまたとない好敵手であった。
主審の「はじめ」の合図と同時に飛び出すと、考えあぐねつつ三連撃をひたすら繰り返す。タイミングを変え、威力を変え、角度を変え、しかし三回という部分は厳守しながらミーシャはひたすら攻め立てた。
(おそらく彼女は、威力を維持するために四回以上の攻撃を行わないのですわ。……小生意気な堅実さですわね、これならどうです!)
(! この間合いなら!)
相手の力量を認めたくない感情が思い余って、ヒミカは力任せの胴薙ぎを繰り出した。
その隙を見切ったミーシャは、二歩下がって受けると相手の力を利用して薙刀を一回転し、勇み出た相手の左脛を打ち払う。相手の攻撃に逆らわない刀捌きは、熟達者のアスカを相手にしてこそ身に付いた賜物だ。
審判が一致して右手を挙げると、会場の雰囲気が一気に沸き立った。
「脛打ち、あり!」
「すげえ、あの神楽坂から一本取ったぞ!」
「キャーッ、ミノザ先輩ーッ!」
「ああっ、神楽坂せんぱぁい!」
色取りどりの声援を浴びながら、二人は残心のまま開始ラインに戻ってゆったりと構えなおす。安堵するミーシャとは対照的に、ヒミカの表情は一層の険しさを帯びていた。
主審は右手で開始の合図を構えつつ、手元の時計を確認する。
「五分過ぎたけど、どうするの二人とも?」
「これからが面白い所なのですわ、こんな間合いで止めないでくださいませ」
「アスカさん、もう少し時間を下さい。あと少しで何かが掴めそうなんです」
「わかったわ、ただし二分で決着しなければ引き分けにするわよ」
もとより止めるつもりもないアスカは、試合続行を告げてそのまま後方に下がった。
コート内の二人は爛々と目を輝かせて、開始の合図を待ちながら、互いの一挙手一投足を見定めている。
開始と同時にヒミカが乱撃を繰り出すと、ミーシャはカウンターを繰り出して胴を打つ。二人の打突が同時に入り、主審が両手を交差させて無効を宣告すると、溜息と落胆の入り混じった歓声が飛びかう。
(技の出だしを読まれましたの!? やりますわ)
(発動した技を受け切る事は出来なくても、出す前に潰す事はできそうね)
ミーシャが脛へのフェイントを返して小手を狙うと、今度はヒミカがカウンターを合わせて小手を打ち合う。
今度は一歩下がって間合いを開き、二人同時に踏み込んで面を打ち合う。
防御を捨てて仕掛けあうその動きは、まるで舞踏のようにリズミカルに打ち鳴る薙刀の音と共に、観衆の視線を惹きつけていた。
「あと一分!」
もつれる試合を見かねて、アスカが時間の経過を口にして釘を刺す。
すると二人は示し合わせたように間合いを外し、呼吸を整えながら動から静へと己を置き換えた。
そのまま約十秒、互いを見据えたまま微動だにせず構え合う。だがヒミカだけは荒い呼吸と疲労困憊を隠し切れない。
(……迅いですわ。全国大会でもこれほど粘り合った相手はいません……まさに好敵手ですわね)
(彼女、"溜め"に入ったのね。ならば私も応えなくては)
ヒミカの気配に合わせて、ミーシャも八相の構えを取った。
だが、それまで副審の仕事に徹していたエリコは、対称的な二人の構えを見て危機感を覚えずにいられなかった。
なぎなたの打突は剣道と違い、刃部だけでなく石突き(柄の後端)による攻撃により、喉頭部と胴に有効判定を持つ。本来、高校生以下の公式試合に於いてツキは認められていないが、主審は咽頭部へのツキを禁じたものの胴部には何ら言及していない。エリコの心配はそこにある。
ヒミカは構えを維持したまま摺り足で間合いを詰め、一足の間合いまで寄る。ミーシャは薙刀を心持ち短く握り直して、相手の脛を窺う。
観衆も張り詰めた雰囲気に呑まれ、手に汗を握って二人を凝視していた。
「……参りますわ!」
初撃の隙を悟られないよう、ヒミカは発声と同時に小手を仕掛ける。ミーシャは一息吸うと、最速で小手打ちを弾いて残りの打撃に備えた。
一度発動した技は一呼吸の間に打突を繰り返し、ミーシャはそれを遅延なく防御していく。五撃、六撃、七撃……八方から襲い掛かる連撃は衰えを知らない迅さを見せる。
そしてヒミカが八撃目の面打ちを振りかぶった瞬間、二人の間合いが最接近する。それを見つめるエリコは、爪が掌に食い込むほど拳を握り締めた。
(ここで姿勢を揺るがして、そのままトドメといきますわ!)
(えっ!?)
ヒミカは八撃目を振り下ろすことなく薙刀を半回転させると、石突きを立てて相手の胴を狙ったのである。
反射的にミーシャは柄で受け止めたが、石突きの破壊力は柄をもひび折るものだった。木の割れる音を耳にしたアスカは、直ちに両手を頭上にかざし試合の中断を告げる。
観衆は一瞬何が起こったのかを理解できず、戸惑いの色を浮かべた視線はコートの中心にいる三人へと集中していた。攻防の子細すら理解しきれなかった彼等は、ただ審判の判定を待つしかない。
アスカは苦笑を浮かべながら、二人の選手をコートの中央に呼び寄せて判定を下した。
「こういう場合、薙刀が壊れた方が反則負けよ。よって新松本高代表の勝ちとするわ」
しばらく、誰も口を開かなかった。
盛り上がった試合の向かえた半端な結末を、どう受け留めてよいのか観客ですら戸惑っていた。いわんや当人達の困惑は人一倍である。
ヒミカとて最初から柄を壊すつもりで突き込んだわけではない。そもそも薙刀の柄は樫の木で作られており、人為的なことでは滅多に破損しないのだ。
「……釈然としませんわ主審、折れた薙刀くらい換えを持てば続けられましてよ!」
「あんたバカ? 肩で息してるくせに偉そうな事言わないの。試合に勝って勝負に何とやら、ってね」
「く、くっ……!」
ヒミカが気色ばんだ様子で異議を唱えたが、アスカに図星を突かれて渋々引っ込む。
折れた自分の薙刀を呆然と見つめていたミーシャは、ようやく意識を切り替えて顔を上げた。
「樫製の柄を壊してしまうなんて、持ち手の未熟さ以外の何物でもありません。この結果は妥当だと思います」
「……聞き分けの良い方ですこと」
勝利の余韻などまるで感じていないにも関わらず、相手が自ら負けを認めたのでは自分も勝ちを認めざるを得ない。そんな勝利はヒミカにとって不本意だった。
副審の役目を負えたエリコが、小さく拍手を鳴らす。やがて会場中に広まった拍手の響きは、長い時間二人を称えた。
二人は開始ラインまで戻って一礼し、それぞれの後輩が控えていたコート後部に戻る。部員達に取り囲まれたミーシャは、防具を脱ぎながらはにかんだ表情を見せた。
「ミーシャ、お疲れ様」
「御免なさいエリコ、期待には応えられなかったわ」
「そんな事ない、凄い試合が見られて嬉しかった」
「実力的には互角だったと思いますよ!」
「それにあんな試合の後なのに、全然疲れてる様子がないんだもの。先輩の基礎体力って凄いわ」
「そうね、体力には少し余裕があったわ。強化訓練で鍛えられたのかしら」
「強化訓練? 何の?」
「あ、いえ何でもないの、こちらの話よ」
一方、ヒミカは判定勝利で一応の面目こそ立ったものの、面具を脱ぎ捨てた彼女の表情は敗者よりも険しかった。見かねた後輩達が賛辞を並べて機嫌を取ろうとしても聞き流すばかりである。帰り際にも里山辺高の部員達に一礼しただけで、後輩やファンクラブを引き連れて早々に退出した。
観客達もいつしか解散し、五分も経つと体育館はすっかり普段の閑散を取り戻していた。
「なんだか、終わってみれば後の祭りね。ゴメンねミーシャ、変な事に巻き込んで本当にごめん」
「その事はもういいわ。貴重な経験にもなったし、たまには"交流"もいいものね。……主将役、正式に受けてもいいかしら」
「ミーシャ」
高飛車なライバルにほんの些細な仕返しを企んだつもりが、ミーシャやアスカ、更には男子生徒を巻き込んでの(厳密にはアスカも野次馬だが)騒動となった事に後悔を感じていたエリコに、ミーシャは肩に手を置いて慰める。七人の後輩達も二人を囲み、喜びを分かち合っていた。
そしてアスカは少女達の結束を遠巻きに眺めながら、ミーシャの器量の良さを肌身に感じていた。
(あのコをネルフに招いて正解だったわ。でも……模範的過ぎて、アタシには少し重いのよ)
保護者としての努力をリツコに嘲笑われた一件を、アスカはいまだ根に持ち続けている。そんな怨恨は露知らず、三人の子供達はアスカの手を煩わせずとも自ら育つチルドレンであるがゆえに、彼女を悩ませていた。
正午。アスカとミーシャは繁華街のカフェテリアに連れ立ち、軽い昼食を取ることにした。
市内でも特にリーズナブルなこの店は、学生でも気軽に通えるスポットの一つである。二人は窓側の席に座って冷房に癒されながら、注文の品が届く間に今日の試合を振り返った。
「そうねぇ……褒めるべきは反応速度と冷静な判断力、問題点は素直すぎる攻防術、ってところかしら」
「私なりに工夫はしているつもりなのですが」
「駄目、まだまだ甘いわ。だったらどうしてあなたの薙刀が折れたと思う? 裏を掻かれたと一瞬でも思わなかった?」
「それは……」
「ミーシャは人の善い性格が戦術に出すぎてるのよ。スポーツや武道の理合を正しく守るのは勿論良い事だけど、チルドレンとしての本分も忘れないように」
「はい」
「ルールという枷さえ無ければ、武術も格闘技も暴力のノウハウに過ぎないの。本物の戦場には反則を取って止めてくれる審判も、二本目を仕切りなおしてくれる審判もいないのよ」
"非常識"を意図的に教えるのは存外難しい。アスカの主観を多大に絡めた講義に、ミーシャは難しい表情をしながら聞き入っている。
「育ちのいいあなたにこんな事教えるのは気が引けるけど、それが多分あなたに一番足りない物だと思うわ」
「はい、気を引き締めます」
「OK、それじゃカタイ話は忘れていただきましょ」
店員がランチボックスを運んで来るのを見計らって、アスカは話を切り上げた。
険しい口調と表情から一転、早速ボックスからサンドとバーガーを取り出しにこやかに食むその様子に、作戦部長としての名残は既にない。
「それにしても、今時変わったお嬢様だわ」
「ええ、あまり見ないタイプの方でしたね」
「才能を鼻にかけて高飛車なあたりが、昔のあたしにそっくりでイタかったのよねぇ。少し意地悪しちゃったかしら」
「ではアスカさんも以前は"てんぐ"だったんですか?」
「ぐ……アンタ何処で覚えたのよそんな言葉。ま、否定はしないけどさ」
(アスカさんは、二つの顔の使い分けを意識しすぎているのかしら)
ミーシャは自分と七つしか違わないこの女性を、保護者というよりも姉として認識している。実際今の二人は、傍目には普通の外人姉妹にしか見られていない。
アスカは"保護者"としての自分と"作戦部長"としての自分を両立するために、口調を意識的に切り替えるクセがある。だが聞いている方としては収まりが悪い事この上ない。ましてや中国支部の一件以降、アスカの「率先垂範すべし」という態度に子供達の不安は増すばかりである。
リツコが嘲笑うのはまさにその一点である。彼女やミサトから見れば、誰よりもアスカが歳不相応に見えているからだ。
(私、綾波さんの言葉の意味が段々分かってきた気がするわ)
思い詰めながら自分のフィッシュバーガーを口にしようとしたミーシャは、ふと窓の外を通りかかる友達グループの姿を見つけた。
向こうもミーシャに気付いて、はしゃぎながら手を振る彼女達の様子に照れながらも手を振り返す。
級友達が歩き去ると、一部始終を見ていたアスカが呟いた。
「今のはクラスメイト? 日本の学校生活はうまくやってるようね、安心したわ」
「はい、みんないい友達です」
「ところで改まって聞きたいんだけどさ……あんた、ボーイフレンドはいるの?」
襟を改めた表情とは裏腹に、質問は他愛ない内容だった。
ミーシャは額面どおり受け取って率直に答える。
「ええ、同じクラスの男子は皆友達です」
「そうじゃなくて……ステディの事よ」
「! い、いえ、そういう人は特にいません!」
Steadyという単語が生々しく感じられて、ようやく質問を理解したミーシャは顔を染めてかぶりを振った。
それを見たアスカは、先程まで戦術講釈していた立場を翻し、タチの悪い姉御の立場にすり替えていた。本人は強く否定するが、間違いなくミサト譲りの性質である。
「なにも力込めて否定しなくてもいいじゃない。学校で告白されたりする事もあるんでしょ?」
「ええ、何度かお話はいただいたんですけど……」
「試合を禁止した覚えはあるけど、恋愛を禁止した覚えは無いわよ。それとも、ノルウェーに待っている人でもいるの?」
「そういう訳ではありませんが……」
「ふぅーん、そぉー」
ミーシャは性格上、嘘を隠し通すのが下手である。歯切れの悪さが何かを隠しているとアスカは睨んだ。
「興味半分で訊いているのは確かだけど、こちとら明日をも知れない任務の身よ。そういう時って誰かになびかない?」
「ステディな方はまだ居ませんけど、同じくらい大切にしたい人達は沢山いますから、私は大丈夫です」
「…………、あんまり優等生的な答えばっかり言ってると、怒ってここの支払い任せちゃうわよ」
「そんなつもりはありませんから、謹んでお支払いはお任せします」
真顔で交わした冗談に堪え切れず、二人は顔を見合わせて笑い合う。
しかしアスカの心理戦はまだ終わっていなかった。
「じゃあまだフリーって訳ね。ちなみに好みのタイプはどうなの?」
「そうですね……誠実で心根の優しい方なら、とは思いますけど」
「誠実で優しい、か。じゃあタカヤみたいな男子はまず論外なのね」
「えっ、どうしてですか?」
「? だってどう見たってアレは、誠実で優しいってガラじゃないでしょ?」
「本当にそうでしょうか」
故意にタカヤの悪口を並べた意図に気付いているのかいないのか、思惑通りに機嫌を損ねているのがアスカには面白くて仕方ない。
ウィークポイントを無性に突きたくなるのも性分の一片である。
「だって口も悪いし、休みは部屋に閉じこもってパソコンいじってるような根暗な奴よ?」
「天気のいい日は洗濯や掃除も手伝ってくれますし、お願いすれば買い物にも付き合ってくれます」
「女三人と同居してるのに、パソコンにハードコア映像を溜め込んでるようなムッツリスケベでも?」
「お、男の子なのですからその位は……!」
「でもタカヤって、ミーシャにだけは優しいのよねぇ。特別なのかしら」
「そ、そんな事はありません、キョウコとだって仲は良いです。アスカさんだってご存知ではありませんか」
「あらぁ、やけにタカヤの肩を持つじゃない?」
「アスカさんこそ、タカヤがお嫌いなのですか?」
「……そうじゃなくて。あいつはうちに来てから大きく変わったって事よ」
「?」
勘ぐりを外された上、本気で不機嫌になりそうなミーシャを宥めねばならなくなったアスカは、今度こそ真顔を作って、コーヒーが冷め切るまでの長話をはじめた。
藤倉タカヤは、俗に言う"一人っ子"である。
父も母も普段は良い親御なのだが、仕事の都合で全国を移り住まねばならない事情を持っていた。それが原因で友達が少なかった彼は、やがてゲームやパソコンばかりに興じる少年へと成長していく。
そんなある日、彼がゲームセンターで偶然目にした筐体は、巨大ロボットが戦い合うという対戦格闘ゲームだった。元々ゲームに対して抜きん出た才能を生得していた彼はたちまち没頭し、やがて地方大会でも負け知らずの有名プレーヤーとなったのである。
後にこの筐体の開発者がリツコだと聞いて、タカヤはおろかアスカまでもが仰天したという逸話がある。ポカンと口を開けた二人の横で、ケタケタと笑っていたミサトが事態の黒幕であった。
彼女はまず架空のゲーム会社を設立して、EVAのテストプラグに利用されているテスターをゲームプログラムに組み込み、それをあたかも普通のゲーム筐体であるかのように喧伝したのである。興じる子供達には秘密のまま選考試験を掛け、「どんな手段よりも手っ取り早くて良心的な選考試験」だとうそぶいた。
だがゲームが発売されて数ヶ月後には、ミサトは実際に数人の高名プレーヤーと接触の機会を得ている。そして選考の結果、チルドレンとして正式採用に至ったのはタカヤ一人だった。
「ゲームを利用してプレテストを行っていたなんて……」
「ミサトもリツコも冗談でやっていたわけじゃないんでしょうけど、実際にテストするまでは全然信用できなかったわよ」
「違いありませんね」
そのリツコは今、第一ケージでゼロワンの改修作業に取り掛かっている。
珍しく地上部に顔を出している彼女と顔を合わせ辛く、まごついた足でミーシャの高校に向かったというのが今朝の真相だ。
「そういえば私、タカヤがこの街に来るまでの経緯を殆ど知りませんでした」
「最初はひどく取っ付きにくい子だったけど、最近は大分打ち解けてきたわね。あんたやキョウコのお陰だと思うわ」
「タカヤの御両親は?」
「選出直後にまた転勤で、今は長崎に御住まいだってさ」
「ナガサキ……遠いですね。御家庭の事情では仕方がないのでしょうけれど」
「遠いったってノルウェー程じゃないわよ。二人ともホームシックを知らないから、手が掛からないやら悲しいやら」
「両親とは時々電話もしていますし、寂しさは感じても辛さは感じませんから」
「相変わらず模範的な返答ねえ」
(結局本心は聴きそびれちゃったか。ま、タカヤに信頼が厚そうな所は安心したわ。……あたしとこの子は違う、か……)
アスカは冷めたコーヒーをまずそうな表情で飲み干すと、卓上の伝票を手に取り席を立つ。
「会計しておくから、先に車に戻って冷房掛けといて」
「分かりました、ご馳走様です」
ミーシャはアスカから車の鍵を受け取ると、店を出てすぐ手前の交差点を渡り、公共駐車場までの短い道のりを早足で駆けた。
車に戻ると素早く運転席側に駆け込み、蒸し暑さに耐えながらエンジンを掛けエアコンを全開に回す。
焼き焦がすように照る日本の太陽は、北欧人の彼女には殊更辛い。程なくしてアスカも戻ってきたが、やはり嫌気の差した表情をしていた。
「部活はもう終わりなんでしょ? じゃあ午後からはネルフで待機してもらうわよ」
「了解しました」
リツコと顔を合わせるのは億劫だが、長らく本部を留守にする事もできず、アスカは腹を括ってアクセルを踏み込んだ。
「……あっ、ちょっと待ってください、もし途中で菓子店を見付けたら寄っていただけませんか」
「ん、あれだけじゃ足りなかった?」
「いえ、ちょっとした手土産が欲しいものですから」
「てみやげ? なら少し遠いけど、北松本駅の近くにいい店を知ってるわ」
自分以外の理由で遅れる事は厭わない。職員達に評判が良いと聞いた菓子店に車を寄せ、涼みが効き始めた車内で買い物を待つ。
五分程で戻ってきたミーシャは、高級な菓子折りを三箱も手にしていた。すかさずアスカが財布を取り出すが、その好意を制するように一箱手渡された。
「自分の買い物ですから気になさらないでください。これ、一つは職員の方々にどうぞ」
「あら、ありがと」
「これはタカヤとキョウコが帰ってきてから一緒に食べましょう。残りの一つは学校に持っていきます」
「学校に? 手土産を? ……ふぅん、なるほど。でもねミーシャ、あのタイプは中々手を焼くわよ」
「ええ、頑張ります」
「そうこなくちゃ」
ミーシャの意図を看破したアスカは、言葉とは裏腹にさほどの不安を感じなかった。
高飛車でならした自分の学生時代にも、模範的な性格の親友がいた事を思い出したからである。
その翌日、新松本学園高校。
神楽坂ヒミカは生徒会室に居残りながら、気だるい午後のひとときを送っていた。
午前中こそは部活に励んでいたが、身が入らず早々に切り上げたのである。原因はもちろん昨日の試合だ。
ヒミカはいまだに決着に納得できないのか、幾度となく翠色の瞳をした少女を思い起こしては、憤懣やるかたない。
「勿体ない、全くもって勿体ないですわ。わたくしと互角に渡り合える方があのような弱小部に埋もれているなど……あの学校で全国大会に参加できるのは、花壇の種子だけと思っていましたのに」
里山辺高校は、その小さな構内に圃場(ほじょう)を所有し、園芸科の生徒達が常に世話を掛けている。そして毎年圃場から収穫した花の種子を、国民体育大会の開催地に寄贈するという美徳な習慣も持っていた。しかし大会参加校としてのレベルは総じて低く、ヒミカの言葉がそれを揶揄している。
一般的に、なぎなた競技には西高東低の傾向があった。北信越最強の呼び名が高いヒミカにとっても西日本には目を見張る強豪は数多い。秋の国体に目標を定めている今、彼女は自分を伸ばす練習相手を強く欲しがっていた。
「しかし、あの異人さんには特殊な事情がおありのようですし、御無理は言えませんか……にしても勿体ないですわ」
逃した魚はそれほど大きいのか、彼女は掌の上で筆具をクルクルと回しながら、魅力的な人材を逃した悔しさに拗ねていた。
突然、生徒会室にノックの音が木霊する。ヒミカは崩していた両足を慌てて整えると、勤めて温和に入室を促す。
ドアの向こうから現れたのは、制服の着こなしに初々しさを残す一年生達だった。
「あら、お揃いでどうなさったの?」
「あのぅ、体育館の片付けをしていたら、部長に会いたいという人が尋ねて来たんですけど、どうしましょうか」
「今日は気分が優れませんの。どなたか知りませんがお帰り願うようお伝えくださいませ」
「分かりました、失礼いたします」
「少しお待ちなさい。一応伺っておきますが、どんな方でしたの?」
「それがですね、昨日主将が対戦した例のりゅうがくせ……」
「そっ、そういう重要な事はもっと早く仰って頂けますこと!?」
「すっ、すみませんでした!!」
「その方を今すぐこちらにお連れくださいませ! ……こほん、失礼。わたくしが出向きますわ」
驚嘆のあまり、ヒミカは椅子から飛び上がって後輩達を叱り飛ばした。
しかし、怒られる理由もわからず唖然としている彼女達を見たヒミカは、大人気ない言い様をすぐさま取り繕い、もどかしそうに容姿を整えながら生徒会室を後にした。
「わたくし、父の仕事柄色んな方に御挨拶しますし、外国にも知人はいますが……菓子折を持って訪問された異人さんは初めて見ますわ」
「アポイントも取らず、突然で申し訳ありません。昨日の事をお詫びしたくて参りました」
「お詫び、ですか?」
「はい」
ヒミカはすっかり虚を突かれた。対面早々、ミーシャは粛然としてそう答えたのである。
昨日の言動を振りまいた本人にしてみれば、意外と言う他はない。よもや復讐戦を挑んでくる性格とは思わなかったが、手土産を持って謝りに来るとは尚更思わない。
「それにしても、お一人でいらしたのですか? 直前まで事情を知らなかった貴女一人を謝罪に来させるとは、佐倉さんもひどい方ですわね」
「私がここに居る事をエリコ達は知りません。私は私の非礼を謝りたいのです」
「昨日の件はお互い様です。嫌われこそすれ謝っていただく筋合いなどありませんのに、律儀な方ですわね」
「いいえ、その事ではありません。自分の理念を語っておきながら、神楽坂さんが求めるものに応えられなかった事が私の非礼です」
「!」
彼女の高慢な性格は、実は地にあるものではない。周囲の敵愾心を煽り、挑む来るライバルを数多く生み出すための妙手である。だが如何ともし難い実力を持つ彼女には、やがて挑む者もいなくなり、いつしか彼女は只の嫌われ者となっていた。
しかしミーシャは今まで挑んだ選手達と明らかに違う点が二つあった。一つはヒミカと実質引き分けた事。もう一つはヒミカの真意を見抜いた事である。
このような人物に早く出逢いたかったものとヒミカは悔やみ、そして喜んだ。
「……なるほど、理解いたしました。でしたらわたくしは、本日は友人として貴女を歓迎いたします。どうぞお座りくださいな」
「あっ、はい、有り難うございます」
ヒミカはミーシャを客間に案内すると、生徒会室備え付けの茶器棚を開き、丸い茶箱を取り出して紅茶を点てはじめた。
ティーカップを二つ手にしてソファに戻った彼女は、向かい合ってソファに座り、ミーシャの手土産を菓子受けに並べる。
茶器を扱う手馴れた手付きが、良家の育ちを如実に表していた。
「紅茶となると、兎角アールグレイやダージリンを持ち出して気取る方もおりますけれど、日本にもベニホマレという立派な国産茶がありますのよ。御存知?」
「いえ、はじめて聞きました」
「苦味が少なくて勧めやすい、わたくしのお気に入りです。貴女のお持ちいただいた菓子にも合うと思いますわ」
紅色が深いこの茶は、確かにミーシャの好む味わいを持っていた。二人は同時に嚥下すと、小さな笑顔を交し合う。
茶が客人の気に召した事が嬉しいのか、ヒミカはいつになく微笑ましい表情を浮かべていた。
「体育館に行けばお会いできるとばかり思ったのですが、生徒会役員を兼ねていらしたとは知りませんでした」
「部と違って、こちらは請われて渋々就いた会長職です。何も楽しい事などありません」
「でも、それほど皆さんに期待されていらっしゃるのでしょうね」
「確かに、公事と部活の"二束のわらじ"という意味では、わたくしもミノザさんと一緒ですわ」
「えっ?」
「失礼ながら貴女の事を少々調べさせていただきましたわ。昨日のネルフの方を見て、もしやと思いましたので」
ネルフと聞いて途端にミーシャの表情が硬くなる。この朗らかな雰囲気の中で耳にしたくない話だった。
「―――話は変わりますが、今月の初旬に長崎県でインターハイが行われたのは御存知ですか?」
「は、はい、エリコから話には聞いています」
「その大会、県代表の個人選手としてわたくしも参加する予定でした。しかし、あいにく前日の夜に空港が大混乱していまして、結局その日は出立できず不参加に終わったのですわ」
「それは……」
中国支部からの撤収劇は、日本の一般市民に影響を与えた事件でもあった。迷惑した者は少なからずいるのだろう。
それを悟ると、緩やかな口調もまるで詰問のように感じられて、ミーシャは沈黙した。
「確かあれは、ネルフの空輸機が招いた騒動でしたわね。しかもその機には急患の少女が乗っていたとか」
「……本当に申し訳ありません、その事は……」
「誤解なさらないでミノザさん、わたくしは貴女に出逢えた事を感謝しているのです」
「感謝?」
気を遣って言っているのか、嫌味なのか、それとも本心なのか、どう受け取ってよいものか迷った。
しかしヒミカは柔らかい眼差しで碧色の瞳を見つめ返し、まるで叱られた子供を宥めるように口調を和らげる。ミーシャに悪意など感じ取れようもない。
「神楽坂さんの人一倍な情熱は、昨日のお話の中でよくわかりました。なのに私のせいで大会に不参加に……お恨みではないのですか?」
「正直に言いますと、むしろ不参加のおかげで恥を掻かずにすみました。あの時は心身ともに万全ではありませんでしたし」
ミーシャを説得するには弱い理由だが、徐々に饒舌になっていくヒミカの話は追う価値があった。
「ネルフは父の得意先でもありますし、色々と難しい組織である事はわたくしも存じてます。無理解な言葉を掛けるつもりはありませんわ」
「そう言って頂けると、気が楽になります」
「それに……わたくしも以前、チルドレンとしてのお誘いを受けた事はありましてよ」
「えっ?!」
ヒミカはさらりと言いのけたが、こういう話になるとは思いもよらなかったミーシャは、差し出されたカップを危うく取りこぼしそうになるほど動揺した。
「あら、お気を付けくださいませ。それにしても、クールな貴女でもそんな表情をなさるのですわね」
「驚きました、それは本当なのですか?」
「ええ本当ですわ。確か葛城さんと仰いましたかしら、あの方には秘密にするよう言われていましたけれど、貴女なら構いませんわよね」
ベニホマレを嚥み嗜む合間に、彼女は経緯を詳しく話した。
半年前―――まだミーシャがノルウェーに居た頃―――ミサトは次世代の適格者を探すべく躍起になっていた。あらゆる方面から調査を行い、素質がある人物を片っ端からリストアップし、見込みがありそうな対象者には自ら赴いて事情を説いていたのである。神楽坂ヒミカもそのうちの一人であった。
「しかし、人類を守る任務などという話はいささか大袈裟すぎて、わたくし柄にもないからとお断りしたのです」
「そんな事があったのですか」
「心の底では、そんな重大な任務に見合う人間などいるものかと思っていましたが……いる処にはいるものですわね。貴女を見ているとそう思えますわ」
「私もまだまだ未熟の身です。なぎなたを習い始めたのも、せめて心身を鍛える為の一助になればと勧められての事ですし」
「なるほど、それなら昨日のお話も合点が行きますわ」
「でも、そんな理由はエリコには言えないんです。だから私、なぎなた部のみんなに後ろめたくて……」
「チルドレンとは、難儀なお立場ですわね」
「…………」
ミーシャはカップを両手で包み込むように持ち、紅茶の水面をしみじみと見つめた。
アスカやミサト達の期待に見合う自分になるために自律自制を重ねる―――それがチルドレンとしての自分に必要なことだと彼女は強く信じていたが、最近は騒動に揺れる日々が続いて、その心も揺らいでいた。
ネルフが決して正義一面の組織ではない事も知っている。先日の青年の言葉も身につまされるし、予算の大食らいぶりには国民の理解も冷たい。仲の良い級友にすら隠し事が必要な日々を送らねばならない。だからといって今更、チルドレンとしての決断を取り下げる事などできようもない。
「……御替りを淹れても宜しいかしら」
「あ、はい、いただきます」
複雑な事情を垣間見てしまったヒミカは、タイミングを見計らって紅茶を点て直す。令嬢の割にはテキパキ働く人だと、ミーシャは妙な関心を覚える。
ティーポッドにお湯が注がれている間、ミーシャはソファから立ち上がって窓の外を眺めていた。
「あがたの森公園が裏手に見えるのですね」
「ここは学内一の特等席ですの。生徒会長を引き受けた唯一の役得ですわ」
晩夏の日差しに目を細めながら、蒼翠に彩る北アルプスを遠くに見つめる。
この地に遷都された理由を知らない彼女は、ただ風光明媚を楽しみ心の保養としていた。
「ミノザさんは、公園内の旧制松本高校を見学なされた事は?」
「ええ、素敵な場所でした。旧山辺学校や旧開智学校の校舎も良い雰囲気でしたし。この街には美しい建物が多いですね」
「まぁ大正建築がお好きですの? 本当に変わった異人さんですわ」
「これも父の影響なんです。ノルウェーに帰化して長いのに、事あるたびに日本の話をしてくれましたから」
「道理で。Trives du i Matsumoto?(松本が気に入りまして?)」
「Ja, jeg trives veldig godt.(ええ、とても気に入っています)」
「良かったですわ」
土着の人間であるヒミカは、この街を第二新東京ではなく松本と呼び親しんでいる。
ミーシャが街への思い入れを語るのが最高の誉め言葉に感じたのだろうか、彼女の口元はすっかり緩んでいた。
「それにしても、神楽坂さんはノルウェー語も堪能なのですね」
「いえ、お恥ずかしながらこの一語しか知りませんの。北欧に旅した事もありませんから、本場の方に使ったのも初めてですわ」
「でしたら今度は是非いらしてください。日本より幾らか肌寒いですけれど、景色も街並みも綺麗ですよ」
「その時は勿論、案内してくださるのでしょう?」
「拙いガイド役ではありますが、謹んで」
「ふふふっ、今から卒業旅行が楽しみですわ」
二人は郷土愛を語り合いながら、すっかりと意気投合していた。
膝を突き合わせてソファに座り直すと、無言で二杯目の茶をたしなみ微笑みあう。
やがてヒミカがおもむろに口を開いた。
「……ところでミノザさん。わたくし、まだ貴女のことを諦めたわけではありませんわよ」
「えっ?」
「公の場で"ライバル"としての貴女と戦う事は諦めますわ。しかし同じたしなみを持つ友人として"パートナー"になっていただくくらいは良いでしょう? これは貴女にとっても有益な話だと思いますわ」
「そうですね、是非私からもお願いいたします」
「良かった、今度断られたらどうしようかと思いましたの。わたくしこんなに喜ばしい事は久し振りですわ」
国体への代表参加が決定しているヒミカにとって、やはり眼前の少女が魅力的な練習相手である事に変わりはない。
内心では多少の打算も秘めてはいたが、それ以上に、今築いたばかりの友情に心惹かれていたのである。
「では早速、道場に来ていただけますこと? 部員は全員帰らせましたから、今日はわたくし達の貸切ですわ」
「えっ、い、今からですか?」
「いけませんか?」
「でも私、今日は用意もありませんし」
「でしたら我が部の予備をお貸しいたしますわ。勿論おろしたての新品ですから御心配なく」
「いえ、そうではなくて……」
「わたくし、何だか覇気が出てきましたわ。国体まであと一月余り、パートナーが決まった以上一日たりとて無駄にしたくありませんもの!」
(案外熱い人なのね。確かにどこか、アスカさんに似てるわ)
結局、ミーシャはその日一日ヒミカの熱意に付き合わされる羽目になった。
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