周辺機器
なんやかんや言いながら、お買い物は本当に楽しいです。PCでは、数年、いや下手をしたら1年後には陳腐化する機器がありますが、それでも買ってしまいますね。買い物した時の爽快感って大好きなのです。
Zipの容量に不満なのと、単純に話題のデバイスなので買ってしましました。しかし、Gatewayに繋ぐと、デバイス認識はしますがCDの中身を見られません。何でだろ?自作機の方にSCSIアダプタごと移動すると、こちらでは問題が出ません。Gatewayのサポートでは、Gatewayでの購入でないので十分にはサポート出来ないと前置きをしながらも、相談には乗ってくれたのですが、やはり上手くいきませんでした。まあ、そのうちメインマシンを自作機に移行する予定なので、その時まで置いておこう。
感動的と言ってもいいです。 写真の印刷は本当に綺麗です。 ただ、まだあまりたくさん使ってませんが、下側のマージンが大きいのが?ですね。それにデカイ。Canon BJC-210Jに比べると設置面積がかなり大きいのが難点です。
何かとハードディスクに余裕が無くなってきたのと、CD-Rの試し書きのためにまとまった容量が必要になったので購入。しかし、コイツは厄介な目にあった。SCSIアダプタ(Adaptec AHA-2940J)は既に付けていたので、内部のケーブルで接続するだけなはずだったが、取り付けてもSCSI BIOSが認識しない。おかしいなぁと思いながら、SCSIの転送レートを落とすと認識したりもするが安定しない。SCSIのケーブルも疑って、別のケーブルでもやってみたがこれもダメ。SCSIケーブルにはターミネータブロックが付いているし、ハードディスクにもターミネータのジャンパスイッチがあるからこれじゃないだろう。SCSI IDの重複もないし、他のSCSI機器を全部外してもダメ。電源も他の余っていたケーブルに繋ぎ換えもしたがこれもダメ。
で、購入した○フ○ップへ持っていくと、あっさり初期不良ですと診断。なあんだ。しかし、そこでも交換したハードディスクがさらにダメで、2台目でやっと認識。なんか嫌な気分。で色々話をしていると、このハードディスクは箱入りの方ではないので、初期不良10日間だけの保証で、あとは一切保証無しとのこと。普通バルクでも半年から1年ぐらいの保証はしてますよね。これじゃジャンク扱いに近いじゃないですか。
まあそれでも動き出したのでちょこちょこ使っていますが、このハードディスクは思いっ切り遅〜いです。SCSIとはいっても4500rpmですからね。E-IDEのWestern Digital AC21600,31600の方が5400rpmなので余程速いです。例えばスキャンディスクのスピードが体感で倍以上違います。
1996年
バックアップメディアとして、また友人とのファイルのやり取りのために購入。しかし、100MBの容量は今となっては半端な感じもします。ワープロ文書などは十分たくさん入りますが、画像になるとちと辛いですね。価格もメディアが1枚\1,600ぐらいですから、MB当たりの単価はハードディスクと変わらないのですよね。それに、このデバイスはそうは普及していないのも苦しい。会社には1台も無いし。120MBのFD、最近名前がSuper何とかに変わった旧称LS-120の方が普及するかもしれませんね。今の3.5インチFDと互換らしいし。
初めて買ったハードディスクのベアドライブ。最初はプライマリ、セカンダリも、マスタ、スレイブも分かってなかった。取り付け始めてから友人Sに電話して、設定方法を教えてもらいやっと取り付いた。fdiskなんてのもこの時初めてしましたね。ハードディスクの増設は、以前PC-98の外付けをやったことがあったけど、PCのケースを開けて中の配線をして、箱に入っていない何となくいかにも部品っぽいベアドライブって緊張しましたね。
ナナオの割には廉価なので購入しました。確かに綺麗です。17インチですが、1280x1024の解像度で十分実用できます。Mitsubishi RD15DをPC-98からGatewayに付け替えた時は、ビデオカードがCirrus Logic GD5428(VRAM1MB)からMatrox_MGA_Millenium(4MB)に変わったのに、大して違いは出なかったけど(色数は増えたが)、モニタを替えたら感動的だった。何というか、透き通った感じで、文字もクッキリ、写真などの画像も生き生きした感じになった。何にお金をかけるべきかと言われれば、私はモニタと答えますねぇ。欲を言えば、ダンパー線2本が少し気になりますが、これは仕方ないようですね。
ところで、このモニタのマニュアルを見て初めてモニタの正しい設定方法を知りました。手順は、
1.ブライトネス、コントラストとも最も明るくする。
2.画面サイズを最小にし、画像表示の外側に薄明るい枠(ラスター)を表示させる。
3.ブライトネスを調整し、ラスターが消えるまで明るさを落とす。
4.画面サイズを元に戻し、コントラストで好みの明るさに調整する。
という感じです。
あとこのモニタの優れ物は画面サイズの自動調整ボタンですね。一発で表示範囲を最適化してくれるので、ゴチャゴチャ調整しなくて済むので楽チンです。それから、色温度調整はしてないです。9300Kで使ってます。PCのモニタは9000Kぐらいが初期値が多いので、すっかりそれに慣れてしまい、数値を下げると何かすごく変な感じになるので止めました。
300dpiの廉価版ですが、ほとんど十分です。 一応600dpiも補間で設定できますが、巨大なファイルができます。よく分からなかったので、TWAINドライバを含む接続キットを一緒に買ったのですが、これって要らないですね。ドライバは別に手に入るし、付いているソフトは使わないし。失敗。
360dpiのカラープリンタです。最初は感動しました。画像のカラー印刷が家で出来るなんてスゴイ進歩したと思いました。年賀状では活躍しましたが、宛名も挨拶も全てPCで作った年賀状って愛想無いなぁなんて、印刷してからつくづく思いました。そのまま出しましたけど。
なんてことはない28800bpsのモデムです。 なんか、プロバイダで使っている率が高いそうで、相性が良いとか。ホントかなぁ。だいぶ前、プロバイダが非常に混んでいて繋がりづらかった頃、3回自動リダイヤルをすると、4回目は動作しなくなったので、調子悪いなぁと思っていたら、何か法律で自動ダイヤルの回数に制限が有るとか無いとか。真相は不明ですが。
1995年
1994年
最初に買った2400bpsのモデム。インターネット時代の今、コイツの活躍の場は無しです。
モノクロプリンタです。最初から薄く横スジが入って、あまり綺麗ではありませんでした。カラープリンタへ買い替える時に、○フ○ップに下取りに出そうと電話で聞いたら、「状態が良ければ\3,500です」とのことだたったので、頑張って持って行きました。ところが、正面カバーに少し傷があるのでと、いきなり\1,000ダウンを宣告され、さらに動作テストで薄いスジがまずいと指摘され、ついにジャンク扱いで\100にしかなりませんでした。持って帰っても仕方ないので、\100貰って置いてきました。失敗したなぁ。乱暴に扱い、メンテナンスもしないと後々損をしますね。
17インチモニタを使い出した途端ド〜ンと古く感じる。 フォーカスが甘くモアレ(タマネギ型の縞模様)も出るし、これは見るに耐えなくなりました。ちなみに、このモニタの接続ケーブルは直付けで、しかもコネクタ形式が当時のPC-98用になっており、PC/ATのためには変換コネクタが付いているという仕様です。勿論2系統入力なんざありません。時代を感じるなぁ。
番外「友人Kのメモリ増設」
何かと迷惑をかけ、各所に登場する友人S。そしてもう一人、私には古い友人がいまして、友人Kと言います。友人Kは小学校の時、理科がチョ〜得意で「理科のK君」とみんなに呼ばれてました。で、彼はMac使いなのです。昔取った杵柄じゃないけど、パソコンもバリバリかというと、これがそうでもないのです。「理科のK君」なはずなのに、何と!Macのメモリを増設するのに、お店までMac本体を持って行って「メモリ増やして下さい」をやってしまったのです。話を聞いた時、私は「そうかぁ。やったかぁ」と笑いが止まりませんでした。しかし、ふと我に返ると、なんかこう、人の人生に一抹の寂しさを感じたのでした(タハ〜冗談)。K君お元気?
番外の付録「友人KのReply」
友人K君から次のような怒りのメールが届きました。
友人KのReply | コメント |
下らないことに登場させるな!
ショップにPCを持ち込んで何がわるい!しかもモニタがくっついているので重かったのに。いまさらソンナこと言われたってしゃーないやん!秋葉原駅前の包丁の 露店のあんちゃんの側に車を止めて、ソフマップマック店までパソコンかかえて歩いて何が悪いか!。ところで帰りはソフマップのあんちゃんが車までマック担いでくれた。うん。やっぱりマックユーザーは良い。とその時は思った。 そのあんちゃんは車を見ると「トーラスですか。ぼくほしいんですよ。燃費どうですか。」なんて下らない話を秋葉原の駅前の包丁売りの露店の前でしていたらバス が来て、運ちゃんは迷惑そうな顔をしていた。・・・・つられてどうでも言いはなしをしてしまった。 |
ん〜、ご苦労様でしたねぇ。今後もやっぱりMacですかねぇ。 |
ところで、私のPC暦を思い出してみた。
その1(1982年ころ) 大学の研究所にNECの88だっけ、が1台導入された。だれかが持ってきたPC雑誌にワープロソフトがマシン語で掲載されていた。それを10日ぐらいかかって入力してワープロとして使っていた。記憶装置はもちろんカセットテープ。ちょっ とだけベーシックを習った気がする。当然、、すっかり忘れてしまった。残ったの は、パソコンが嫌いになったことだけ。 雑誌を持って来て、その後もパソコンにかじりついていた奴等の何人かは、○○○○に就職して今も変わっていない。 |
やっぱりそうか、今明かされる「理科のK君のコンピュータ遍歴!!!」 |
その2(1984年秋ころ)
シャープのMZを中古で(確か1万円)で買った。簡単な表計算のソフトを使っていた。カラープリンタ付き!と言っても幅10センチくらいのロール紙にボールペ ンのペン先が4色ついていたと言う代物。16ドットのカタカナ文字のみ。でも結構便利だった気がする。営業のデータ整理を家でシコシコしていた。すごいのはモ ニタ。モニタは何とコード(ケーブル何てとても言えない)をテレビのアンテナ端子に接続する。場所を取らない画期的なモデルであった。・・・MZは当時大学の ゼミの先生の家に遊びに行ったときに使っていて(もちろんもっと上級モデル、8インチぐらいの緑の画面のモニタ一体型であった。)カッコ良いとの記憶があったので・・・実は1万円とその記憶に釣られて買ってしまった。多分半年ぐらいしか 使わなかった。 モニタがついたパソコンはカッコいい!この記憶がマックパフォーマを見て・・・ ま'いいっか。と思わせたのです。 |
言われて思い出したが、この頃IBM5550を使いだしたのと同時に、SHARPのポケコンを使っていたなぁ。やっぱり4色ボールペンとロールペーパが付いているヤツ。記憶装置はカセットテープレコーダ。で、BASICで一応仕事用の小さいプログラムを作っていた。懐かしいなぁ。 |
その3(1985年以降しばらく)
会社にあった、ファコム9450(オフコンと呼ばれていた)にエポワード(ワー プロ)、エポカルク(表計算)のソフトを乗せて使っていた。面倒だった。 そして、しばらくワープロ時代が到来!でした。 |
何だかんだ言って、やっぱり理科のK君はかなり以前からコンピュータと接していたのがよく分かった。さすがだぁ。次はPC/ATの自作をしよう。 |