97年 6月夫婦で北京へ旅行した時の顛末を友人にメールで報告した内容です。
友人が一家で北京に転勤して1年になり、ぼちぼち行ってみようというわけで、初めての海外個人旅行に夫婦で挑戦したもので、やはり珍道中になりました。
さて、上海に到着して、機内から出て行く乗客を見送りながら、”上海で降りる人多いね”
とか話していたのですが、やがて機内の乗客は私ら夫婦だけに・・・
それでも機内に残っていると、スチュワーデスが中国語と英語で、最初は丁寧に何か言ってきます。(降りてくれと言ってるのはなんとなく了解)
ブロークンイングリッシュで、”我々の目的地は北京であって上海ではない。乗り換えはないと聞いている。”
と訴えていると、遂には ”Please Get Away From This Plain ・・・ ” とまで言われて・・・
(とほほほ)
しかたなく出て行くと、入国手続きをして、再び同じ飛行機に戻ってくることが判りましたが、これは後の話、冷や汗の連続が1時間ほど続きました。
CA は国際線から国内線になり(便名も変わり、搭乗券も新しいのをもらう)、全席禁煙となり、機体は同じでも、これは立派な”乗り換え”じゃありませんか!
スチュワーデスの話の中で”トランジット”が出てきましたが、そのときは狼狽してて意味不明で、空港の係員に聞いて、”あ、そうかトランジットは乗り換えや!”
と気づいた始末。
北京に着くと、友人が迎えに来てるはずで、預けた荷物を待ってる間に友人の顔を確認、安心。
ところが、出ていくと、友人の顔は無く、見知らぬ中国人がニコニコとこちらを見て、何か、喋ってくるではありませんか。
これは、絶対相手にしたら危ないぞ!と、知らんぷり。しかし、探し回っても友人は居ない。
またまた冷や汗の連続です。
友人は、私の顔を見て安心し、到着が20分ほど遅れたこともあり、トイレに行ってたらしい。
その間、馴染みのタクシーの運転手に、髭のおっちゃん(私のこと)出てきたら、捕まえといてと、頼んでいたそうで・・・
後は、友人におんぶにだっこで豪勢な料理、万里の長城、明の13綾、天壇公園、故旧、と観光してまいりました。
'97 6. 16(Mon) am11:30 Hally
北京で覚えた中国語(北京語) これぐらいしか頭に残ってないのが情けない!
ザイツェン ・・・ ”再見”(さようなら)です、サイチェン では通じません
シャオゼ ・・・ 訳せば”お姉さん”、レストランでウェイトレスを呼ぶときに使える。
外国人用の住宅区、周りに塀がめぐり2個所ある門には警備員が常駐。
中も警備員が常時見回り。
家賃はなんと50万円(確かこれぐらい)、もちろん会社が負担するので支払可能。
話では中国人でも住めるらしいけど、この額では住む人は居ない訳。
お手伝いさんも居て、奥さんは日本より楽が出来て大喜び。
私たち夫婦が寝させてもらった部屋は、ホテルのようにバス・トイレが付きで大名気分でした。
葩水季の桜井さんに頼まれ、北京で購入。
北京では”二胡”(アルフと発音)と呼ぶ。
名前のとおり2本の弦があり、その間に弓の馬の毛を通す。
私はバイオリンを演るが、弓使いは全然違う。
友人の知り合いの日本人がこれを練習していて、手ほどきを受け、帰ってからも練習し、愛着が湧きすぎ、桜井さんに渡すのが惜しくなり、怒られる。
中国の皇帝の庭、”気”が集中する?円形の台があり、興味があったが、人が多すぎて良く判らん!
とにかく広いのですが、面白かったのは所々で、二胡を演奏するグループが居て、北京ではポピュラーな楽器なんだと感心。
昔と違って、自転車はやや減り、乗用車が多い。
これに歩行者が加わり、3者の”仁義なき戦い”が繰り広げられてます。
例えば、歩いて道を横断するのは日本では考えられない勇気が必要!
車は絶対に止まってはくれない(たとえ歩道の信号が青でも)少しの隙間を縫って、すばやく渡る必要がある。
そこら中で、歩行者と運転手、運転手同士の罵り合う声が。(中国人は声がでかい)