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聖なる愛の日
ドアがノックされたかと思うと開き、真美さんが勝手に部室に入ってくる。
「どうしたの、真美さん」
「蔦子さぁん」
真美さんは勝手に蔦子の隣の椅子を引いて座り、
「なんかネタない?」
「ネタ?」
「バレンタインの、よ」
「まだ日があるでしょ。なんとかなるんじゃないの?」
「そうじゃなくて、去年を上回りたい、というか」
「またやればいいじゃない。カード探し」
真美さんは頬杖をついて、
「それが、今年はできないんだなぁ」
「どうして?」
蔦子は持っていたアルバムを机に置く。
「去年はね、先代の薔薇さまが面白がったのでOKになったんだけど、お姉さまが最初に薔薇の館に話を持っていったとき、当時つぼみだった今の薔薇さまには反対されてたのよ」
「そうなの?」
「そうなのよ。だから、今年はダメなわけ」
真美さんはそう言ってどこからかシャープペンシルを取り出し、手の上でくるりと回す。
「ネタに困ったら、薔薇の館に行くんじゃなかったっけ」
「それがね、祐巳さんの様子が変なのよ」
「ああ」
「蔦子さん」
真美さんは身を乗り出してきて、
「何か知ってるの?」
「私は山百合会のクリスマスパーティーに出たから。だから思い当たるふしは、ちょっとね」
「教えてくれる?」
「ダメ」
真美さんは体を伸ばし窓のほうを見る。
「由乃さんの様子も、変なのよね」
「ダメ」
「まだ何も言ってないわよ」
真美さんが笑う。
「じゃあ志摩子さんは?」
「志摩子さんは、大丈夫だと思う」
「ありがとう。とりあえずあたってみるわ」
と言うものの真美さんは立ち上がらない。
「ところで笙子ちゃんは?」
「撮影」
「一人で?」
「そう」
「珍しいんじゃない?」
「そうでもないわよ。最近はよく一人で撮ってる」
「ふうん」
クロームのシャープペンシルが真美さんの手の上で回る。
「寂しくない?」
「なに言ってるのよ。笙子ちゃんはね、センスもあるし、飲み込みも速いのよ」
「はいごちそうさま」
「べっ別に私は」
待て、落ち着け、武嶋蔦子。真美さんは笑ったままで、蔦子の次の言葉を待っている。ふうん。そうか。
「それで、日出実ちゃんは最近どうなの?」
待ってました、とばかりに真美さんは笑い、
「日出実はね、センスもあるし、飲み込みが速くてね、それに」
「それに?」
真美さんはまっすぐ蔦子を見つめ、
「かわいい」
マリア像を通り過ぎて銀杏並木を歩いているとき、写真を撮ってくれ、と声をかけられた。今日二度目だ。名前を憶えてもらうまではいかないけれど、それなりに認知されているのかもしれないと笙子は思う。でもそれは、このカメラのせいかもしれない。レンズの大きなカメラを首からぶら下げている人は、リリアンではどうしても限られる。
「笑ってくださいねー」
自分にできないことを他人に言うのもどうかと思わないでもないが、こうして、自分もあの人のレンズの前に立てるようになれればいいと思う。写真を撮る側に立つことで、なにかきっかけがつかめればいいと思う。
「じゃ、明後日、一年菊組に来てくだされば、お渡しできますよ」
「ありがとうございます。え、っと」
「内藤笙子です」
「笙子さんね、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
手をつないで校門に向かって歩く姉妹を見送って、笙子はまたマリア像の方に向かって歩き出す。蔦子さまに会って、もうすぐ一年になる。自分はそのとき中等部だったけれど、高等部一年生の蔦子さまのことは知っていた。一年生なのに有名人だったのだから、派手に活動してたんだろうな、と思うけれど、蔦子さまに追いつくのは簡単なことではなさそうだ。
マリア像の前に再び差し掛かると、傾きかけた日に照らされたとても綺麗な人がお祈りをしているところで、笙子は思わず息を呑んでしまう。その人は、白薔薇さまこと藤堂志摩子さま。隣にいるのは椿組の二条乃梨子さん。白薔薇のつぼみ。この二人はいつ見ても綺麗だと笙子は思う。そして、思わずカメラを手にとるけれど、ファインダー越しに志摩子さまと乃梨子さんの横顔を見てしまうけれど、シャッターを押さずにカメラを下ろす。
手を下ろした志摩子さまは笙子に気づき、
「ごきげんよう。笙子さん」
と声をかけてくる。笙子は驚いて、
「白薔薇さま!?私の名前を?」
「ええ。茶話会以来かしら」
「ごきげんよう」
乃梨子さんも声をかけてくる。
「ごきげんよう。白薔薇のつぼみ」
「同じ学年なんだから、「乃梨子さん」でいいよ、笙子さん」
「そう、ですか、じゃ、ごきげんよう、乃梨子さん」
「いい感じね」
志摩子さまがそう言って笑う。志摩子さまは「儚げ」という噂も聞いていたけれど、茶話会の時といい、今といい、そんな感じは全然無い。立派な薔薇さまだ。
「それで、蔦子さまとは仲良くしているの?」
「えっ?」
意外な乃梨子さんの言葉に笙子はとまどう。
「いつも一緒にいるでしょう?今日は一人なのかな、と思って」
「私にも一人になりたい時はあります」
「まあ」
志摩子さまは笑んだまま、
「うまくいっているみたいね」
微笑みあう白薔薇姉妹。笙子はどうしていいかわからなくなり、
「写真を一枚いいですか?」
「ええ、どうぞ」
ファインダー越しに見える志摩子さまはとても綺麗だった。志摩子さまがこんなに綺麗なのは、多分乃梨子さんと一緒にいるからだ。乃梨子さんも綺麗な人だけれど、乃梨子さんからは、志摩子さまの強さとは違う、もっとまっすぐな強さを感じる。
笑って、と言わなくても美しく微笑む二人に笙子はちょっと気押されてしまうけれど、カメラを構えると体が勝手に動いて、脇が締まり、カメラのシャッターが押される。だてに蔦子さまにくっついて歩いていたわけではないのだ。笙子がシャッターを押したのは一回だけだったが、自信を持って言えた。
「いい写真が撮れました。後でお見せしますね」
「楽しみにしてるわ、笙子さん」
「またね、笙子さん」
「ごきげんよう」
立ち止まったまま白薔薇姉妹を見送りながら、笙子は思った。志摩子さまを撮りたい。そして志摩子さまをあんなに輝かせている、乃梨子さんを撮りたい。まあね、蔦子さまのことをちょっと言われちゃった、というのもあるんだけど、ね。
「日出実ぃ〜」
「はい」
「ネタぁ〜」
「またそれですか」
日出実は半ばあきれながら、お姉さまの横の椅子に座る。お姉さまこと山口真美編集長はバレンタインの企画に煮詰まっていて、このところ口を開けば「ネタがない」と言っている。
「お姉さまは偉大だったわ。とても追いつけない」
「そんなことありませんよ。お姉さまにはお姉さまのいいところがあります」
「例えば?」
と言ってお姉さまはこちらを見るけれど、
「いいところがなければ、妹になりません」
「そんなこと言うわけ?」
「そうです」
三奈子さまにもあこがれていたけれど、お姉さまにだってあこがれていた。
「気分転換でもされたらどうです?」
「蔦子さんを笙子ちゃんネタでいじりに行くとか?」
「今のお姉さまの状態では、返り討ちです」
「なによう!」
お姉さまは笑って、日出実の肩をたたく。力がこもっていて、とても痛い。
「お姉さま、痛いです」
「ごめん、悪気は無かったんだけど、つい」
「よく知ってます」
お姉さまの手が、日出実の頬に触れる。
「わたしのいいところ、教えて」
日出実の心臓の鼓動が突然速くなり、視界の周辺が歪む。でも、日出実はお姉さまの目を見つづけて、黒く澄んだ瞳の中にお姉さまがいるのを見つける。
「お姉さまの記事には、三奈子さまにはない、強さと優しさがあります」
「もっと、教えて」
いつの間にかお姉さまは日出実に両手を回してきて、日出実は抱き寄せられている。
「お姉さまの記事は、冷静で分析も確実です」
「分析、ね」
お姉さまが耳元でささやく。お姉さまの腕に一度力が入り、日出実は開放される。
「決めた。「分析」でいくわ。日出実、手伝って」
「はい!」
「お姉さまじゃできないことをやるのよ」
朝、マリア像が見えるあたりの道の端に笙子ちゃんと並んで立ち、お祈りをしていく生徒やこちらに気がつき手を振る人を写真に収めていく。蔦子はいつものように道の端に立ち、目立たないような位置にいる。笙子ちゃんもはじめはそうしていたが、最近は被写体に近づいていくことが多くなった。
「笙子ちゃん、もっと目立たないようにしたほうがいいんじゃない?」
「そうなんですけど、近づいたほうがいいのが撮れることもあるんですよ」
笙子ちゃんが道に出ると、ちょっとした人だかりができる。笑ってポーズをとる朝の生徒たちを、笙子ちゃんは楽しそうにカメラに収めていく。
「あ、蔦子さま!」
不意に見知らぬ生徒から声をかけられる。一年生のように見えるその四人組は、
「私たち蔦子さまのファンなんです。ぜひ写真を撮っていただきたいんですけど」
「どうぞ」
「わーい」
「やったー」
朝からテンションの高いその四人組は、一枚目は普通に手をつなぎあってフィルムに収まったが、二枚目には四人とも妙なポーズをとり、リリアンの乙女らしからぬ世界がそこに現れる。
「撮るけど、いいの?」
「蔦子さまこのポーズ苦しいんで早めに」
「わかったいいわよ。はい、撮った。おしまい」
蔦子は笑いながらカメラを下ろした。
「明日二年松組にいきますね」
「ええ、お待ちしてるわ」
「ありがとうございます。ごきげんよう蔦子さま!」
「ごきげんよう」
笙子ちゃんが戻ってきた。
「今の人たち、知ってる?」
「いえ。でも蔦子さまに撮られたい、という人は多いですよ」
「そうなの?」
「わたしもその一人ですから」
そう言うと、笙子ちゃんはこちらを見ずに校舎に向かって歩き出した。もうすぐ予鈴が鳴る。
「そうだっけね」
蔦子は笙子ちゃんと並んで歩く。
「あれから一年、経つんだ」
笙子ちゃんはそれには答えず、
「蔦子さまは、美しい瞬間を残したい、んですよね」
「そう」
「蔦子さま」
「なあに」
「わたし、少しわかってきました」
笙子ちゃんは空を見て、それから蔦子の目を見る。
「わたしは、カメラを向けられた人を撮りたいんです」
「撮る自分を隠さないのね」
「はい。撮られる人に、カメラを持ったわたしを見てもらいたいんです」
笙子ちゃんは地面に目を落とし、
「そうすれば、いつかは」
蔦子は思わず笙子ちゃんの手をとり、手のひらに少し力をいれて握る。笙子ちゃんも握り返してくる。目を見なくても、笙子ちゃんの気持ちが痛いほどわかる。蔦子はそんな笙子ちゃんのことをとてもいとおしく思う。この感情、何だろう。ポケットに忍ばせているロザリオの鎖が、かすかに音を立てたような気がした。
「今年はイベントはないのね」
「はい、そうです」
と真美は答える。薔薇の館の二階の会議室で、祥子さまと向かい合って座っている。
「かわら版のバレンタイン特集号を出すので、その記事にわたしたちがつけたコメントも載る、というわけね」
「志摩子さまと乃梨子さんには、写真に出ていただきたいと思っています」
日出実が言う。
「志摩子はいいの?乃梨子ちゃんは?」
「わたしは別に。乃梨子は?」
「かまいません」
祥子さまは、
「もしコメントするほどでもない記事だったら?」
と言ってその場を凍りつかせるけれど、日出実は間髪を入れずに、
「思わずコメントしたくなるような記事になりますから、問題ありません」
祥子さまは笑って、真美を見る。
「それではそういうことにしておきましょう。どんな記事になる予定なの?」
「恋愛に関するアンケートを取って、リリアン恋愛事情を浮き彫りにします」
「面白そうじゃない」
令さまが紅茶の入ったカップを置く。
「アンケートの内容が決まりましたらまた来ますので、内容をチェックしてもらえますか?少しきわどいのも入れようと思ってますので」
「きわどい?」
「面白い回答を誘導するためのものです。かわら版には笑えるものを拾って載せるつもりなので、問題ないと思っています」
「引っ掛けね」
「そうです。というか、ネタ振りというか、釣りと言うか」
「わかったわ。今年は内容で勝負、ということね。面白くなりそうだわ」
「ありがとうございます。それでは、今日はこのへんで。ごきげんよう」
「ごきげんよう真美さん。楽しみにしているわ」
「死ぬかと思った」
「祥子さまは手厳しいですね」
中庭を抜けてクラブハウスへ向かう道で、真美はため息をつく。
「でもあの人たちのお姉さまを説得したんだから、やっぱりお姉さまはすごいわ」
「お姉さまだって立派でしたよ」
「ほんとに?」
「本当ですよ」
真美は立ち止まって伸びをして、息を吐く。
「あのとき日出実が助けてくれなかったら」
「助けますよ。必ず。わたしは支え、ですから」
真美は日出実を抱きしめたい衝動に駆られるが、人目を感じて思いとどまる。そして少し荒っぽく日出実の手をとって、強く握り締める。
「さあ、行こ」
「お姉さま」
「行こ行こ」
志摩子さまは放課後の中庭を軽い足取りで歩き、時々向きを変えたり、その場で回ったりする。誰も指示しているわけでもないのに、まるでモデルのように自然に動く。蔦子さまはそれを追いかけてシャッターを切る。立ち止まったり、走ったり、しゃがんだり。まるで二人で踊っているかのよう。
「いつかもこんなことがあったわね」
「そう、ね」
笙子はカメラを持ったまま動けない。リリアンかわら版の写真を撮らないといけないのに、二人の動きに見とれてしまう。そういえば志摩子さまは踊りを習っているとか。
「乃梨子ちゃんと姉妹になれて、よかったわ」
「今度は蔦子さんの番よ」
蔦子さまの動きが止まる。
「笙子さんは撮らなくてもいいの?」
「とっ撮ります」
志摩子さまは微笑みを浮かべて立ち止まる。笙子はカメラを構え、志摩子さまをファインダーに捉える。と、志摩子さまは笑みを残して振り返り、歩き出してしまう。
「乃梨子、いらっしゃい」
「はい」
乃梨子さんが歩み出てくるけれど、志摩子さまのようになめらかではなく、ぎこちない動き。
「どうすればいいんでしょう?」
「適当に歩いたらいいわ」
「できれば、時々止まっていただけるといいんですが」
笙子が言うと志摩子さまは笑い、
「だそうよ」
と言って立ち止まる。乃梨子さんは志摩子さまの周りをゆっくり歩くけれど、それでも動きがぎこちなくて、それがとても可愛らしい。
笙子は二人の白薔薇の周りを歩き、シャッターを切る。夢中で切る。ズームレンズが静かにうなり、ファインダーを流れる志摩子さまの髪。乃梨子さんの瞳。
気がつくと蔦子さまも撮り始めているけれど、笙子のファインダーに入らないよう、少し離れたところから撮っている。蔦子さまが撮っていてくれると思うと、安心して撮れる。もう何枚撮っただろう。この二人はどんなに撮っても撮り飽きない。
でも。
笙子が写真を撮るのは。
その間に日は傾き、景色が赤みを帯びてくる。
「この辺にしましょう」
蔦子さまがそう言って、志摩子さまに歩み寄る。笙子も乃梨子さんに近づき、
「乃梨子さん、ありがとう」
「なんかね、恥ずかしかったよ。お姉さまは平気なんですか?」
「蔦子さんのカメラだもの」
「光栄だわ、志摩子さん」
蔦子さまは志摩子さまを見て微笑む。
そう。
笙子が写真を撮るのは。
ただ、この人のレンズの前に立ちたいから。
今の志摩子さまのように優雅に、乃梨子さんのように少し恥ずかしげに。
ただ、蔦子さまのカメラの前に、最高の微笑を浮かべて立ちたいから。
ドアがノックされている。真美はディスプレイを見たまま返事をしない。手はキーボードの上で動きつづけている。
「どうぞ」
日出実の声が聞こえる。
「真美さーん、写真できたよ」
蔦子さんだ。真美は立ち上がって振り返る。笙子ちゃんも一緒にいる。他の部員達も蔦子さんの周りに集まってくる。
「今回は、これ」
と言って蔦子さんが差し出した写真に、真美は息を呑む。向かい合う志摩子さんと乃梨子ちゃんがすこしうつむきながら、互いに少し目をあげて見詰め合っている。志摩子さんは元々綺麗な人だけど、いくらなんでもこれは反則だろう。それに、乃梨子ちゃんがこんなに可愛らしいとは。意志の強い子だとは聞いているけれど。
「おおー」
部員達の間から、乙女らしくない歓声が上がる。
「蔦子さん、これすごいわ。すごい。ついに「躾」を上回るやつが撮れたじゃない」
「これはね、笙子ちゃんが撮ったのよ」
「えっ?」
「だから、笙子ちゃんよ。なので、データで渡すね。これは見本」
「笙子ちゃんなの?」
「実は」
笙子ちゃんは少し恥ずかしげに立っている。蔦子さんは自分の写真じゃないのに、すごく得意そうに笑っている。
「モデルがいいんですよ」
と笙子ちゃんは言うけれど、
「これだけ撮れれば立派なものよ。すごいわよ。日出実、見た?」
「見ました・・・動けません」
「日出実さん、おおげさな」
「あれ、そういえばプリンターは?」
「蔦子さまの私物を持ち込みました」
「学校にバレると厳しいかもよ」
「平気」
「よーし皆の者。追い込みじゃ。今日中に完成させるわよ」
真美は部員を席に戻し、中断した作業の指示を出していく。
「蔦子さん、ありがとね」
「それは笙子ちゃんに、ね」
真美は笙子ちゃんに向き直り、
「笙子ちゃん、ありがとう」
「いいえ、とんでもないてす。まぐれです」
「蔦子さんもこれなら安心できるでしょう」
「まあね」
蔦子さんはまんざらでもなさそうなので、真美は言ってやった。
「これでいつでも笙子ちゃんを妹にできるじゃない」
二月十四日付けで発行されたリリアンかわら版の評判はとてもよかった。紙面のトップを飾る白薔薇姉妹の微笑みは圧倒的だったし、読み込んでいくと本音だかネタだかわからない恋愛アンケートの回答が続き、それに対する紅薔薇さまのコメントが浮世離れしていて笑ってしまう。ここの「貢いでいる」って何よ。いったいどういう状況なのよ。
真美さんはやっぱりすごいな、と蔦子は思う。去年のバレンタインイベントもすごかったけど、かわら版だけでここまで盛り上げられるのだからたいしたものだ。これに先立ってアンケートがあったわけだけれど、それだって結構話題になった。みんな楽しそうに回答していたのを思い出す。
部室のドアが開いて笙子ちゃんが戻ってきた。
「荷物ってなんだったの?」
と言う蔦子に、笙子ちゃんは手提げの紙袋を広げてみせる。中には色とりどりの包装紙とリボンに包まれたチョコレートの箱がたくさん入っている。
「こんなにたくさんどうするの?」
「お世話になっている皆さんに配るんですよ」
「ねえ、普通バレンタインって言ったら」
「いいんです。これがわたしの気持ちです。高等部に入って、クラスのみんなや、薔薇の館の方とか、真美さまや日出実さんに会えて、一緒に活動できて、とても楽しかったんです。だから」
「八方美人とか言われるかもよ?」
「それは大丈夫です」
「どうして?」
「蔦子さまのチョコレートは、別にありますから」
あっけに取られる蔦子をよそに、笙子ちゃんはもうひとつの袋から箱を取り出して蔦子に差し出す。
「受け取っていただけますよね?」
「もちろん。ありがとう、笙子ちゃん」
ポケットのロザリオのことが気になる。多分、ここで出すべきなんだろうけど───
「じゃ、わたしからも、ね」
蔦子はかばんからチョコレートの箱を取り出して、笙子ちゃんに渡す。薄い黄色の包装紙。緑のリボン。
「ありがとうございます!」
「バレンタインにチョコなんて買ったの、何年ぶりかしら」
「本命チョコですか?」
笙子ちゃんはいたずらっぽく笑う。
「そうよ」
蔦子は手のひらを笙子ちゃんの頭の上に乗せ、髪をくしゃくしゃとなでる。
「もうひとつの方は、もう少し待ってくれる?」
「もうひとつ・・・」
笙子ちゃんも思い当たったようで、目に涙が浮かんでくるのが見える。笙子ちゃんは、
「はい。いつでも。お待ちしています」
と言って涙をはらう。
「ごめんね」
「いいんです」
蔦子は笙子ちゃんを抱き寄せ、その腕に力を入れる。笙子ちゃんも蔦子の背中に腕を回してくる。
「わたし、蔦子さまに会えてよかったです」
「わたしもよ。笙子ちゃんに会えて、とてもよかった」
「薔薇の館に行きませんか?」
「いいけど、みんないるかな?」
「行くだけ行ってみましょう」
「そうね。志摩子さんに写真のお礼しなきゃいけないし。そうだ、どうせなら三脚持って行きましょう」
「はい」
笙子ちゃんから三脚を受け取り、蔦子は部室を出る。笙子ちゃんは首からカメラを下げ、チョコレートの入った袋を持っている。
「新聞部に寄ってみようか?」
「静かでしたので、誰もいないのでは?」
「案外お楽しみ中かもよ?」
蔦子はノックするが早いか新聞部の部室のドアを開け、
「ごきげんよう」
椅子が音を立てる。
「蔦子さん?!」
真美さんの声がする。姿は見えない。
「おじゃまします」
「真美さん、薔薇の館に行かない?」
蔦子と笙子ちゃんが部室に入ると、部屋の奥のほうで真美さんと日出実ちゃんがとても不自然に座っている。いかにもチョコレートが入っていたであろう有名洋菓子店の紙袋も見える。
「ごめん。お楽しみ中だった?」
「ノーコメント」
「薔薇の館に一緒に行きませんか?お礼もかねて」
「いいわね。日出実、行きましょう」
「・・・はい」
「日出実さん、どうしたんですか?」
日出実ちゃんの顔は少し赤いように見えなくもない。と、真美さんは立ちふさがるように笙子ちゃんと日出実ちゃんの間に割り込んできて、
「ノーコメント」
薔薇の館の二階の部屋は、人でいっぱいだった。祥子さま、令さま、志摩子さん。祐巳さん、由乃さん、乃梨子ちゃん。瞳子ちゃんと可南子ちゃんもいる。この中等部の子は、菜々さんだっけか。最大の謎は、築山三奈子さまがいることだ。
「蔦子さん、いらっしゃい」
「ちょうど呼びに行こうと思ってたのよ」
「真美さん?ちょうどよかった」
「お姉さま、どうして」
真美さんは三奈子さまに走りよる。
「祥子さんに連れてこられたのよ。廊下でばったり会って。かわら版のできが良かったから、真美をほめたいんだって」
「本当ですか」
「本当よ」
祥子さまが答える。
「面白かった。笑わせてもらったよ」
と言うのは令さま。今にも泣き出しそうな真美さんを、三奈子さまが抱きとめる。
「元気?」
と言って由乃さんが来た。
「さっきまで教室で一緒だったじゃない」
蔦子は窓際へ歩きながら、三脚を立てる準備をする。誰にも頼まれてないけれど。
「笙子ちゃんのこと、知ってる?」
「何?」
「笙子ちゃんはね、わたしの妹になりたいって言ってたのよ、茶話会のとき」
「え?」
茶話会に参加したんだから、出会いを求めてはいたんだろうけど、由乃さんを?
「違うよ由乃さん。笙子ちゃんはわたしの妹になりたかったんだよ」
「祐巳さま!」
「笙子ちゃん?どういうこと?」
「説明してないの?」
と由乃さんが言うけれど、笙子ちゃんはうつむいて黙り込んでしまう。
「いい、蔦子さん。耳の穴かっぽじってよく聞くのよ」
由乃さんが言うには。
笙子ちゃんは写真部の学園祭のパネル展示で山百合会の面々を見て、その写真の中に入りたい思っていた。
写真に入るために、山百合会に入ろうとした。
そのために由乃さんと祐巳さんのどちらでもいいから妹になりたい、と言っていた。
祐巳さんが気をきかせて蔦子と笙子ちゃんを直接会わせた。
「わかった?笙子ちゃんはね、写真写りが良くなりたいばっかりに、私をダシにしようとしたのよ」
「由乃さま!省略しすぎです!」
「しかも、撮ってもらいたいカメラマンは一人だけ」
「由乃さま!」
「だから蔦子さん、ちゃんと面倒見るのよ」
由乃さんは右手を差し出している。
蔦子は何も言わず、ただ由乃さんと握手する。由乃さんの気持ちが伝わってくる。
「よし」
と言うと由乃さんは振り向いて、菜々さんのほうに歩いていく。
「みんなの写真を撮って下さらない?」
「お待ちを」
蔦子さまは祥子さまに言われて、カメラを三脚に取り付けようとする。部屋にいる人たちはカメラに向かって列を作り始める。そこで、
「笙子ちゃん、撮ってよ」
と令さまが言う。
「笙子ちゃん、撮って」
「笙子さんがいいわ」
と皆が口々に言うので、蔦子さまは苦笑しながら戻ってくる。
「笙子ちゃん、頼むわ」
「蔦子さま」
「腕の見せどころよ。さあ」
立てられた三脚に笙子はゆっくりと近づき、首から下げたカメラを三脚に取り付ける。
「蔦子さん、みんなで写りましょうよ」
祐巳さまが蔦子さまの腕をつかんで引っ張っていく。
「なんだっけ、あれ。自動で秒読みするやつ」
「セルフタイマーでしょ」
「笙子ちゃんも写るのよ」
なんだかおおげさになってきちゃったな、と思いながらも笙子はファインダーを覗き、構図を確かめる。
「黄薔薇さま、もう少し寄って下さい。そうです」
構図は大丈夫。祐巳さまが蔦子さまを引っ張っていて、笙子の入る場所を開けてくれている。
でも。
困ったことになった。
笙子はカメラのメニューをさまようけれど、どうしてもわからない。
「笙子さん、どうしたの」
志摩子さまが声をかけてくれるけれど、
「あの」
もうどうしようもない。部屋に妙な緊張が走る。
「蔦子さま」
「どうしたの?」
「セルフタイマーの使い方がわかりません」
「自分のカメラでしょう!」
笑いがどっと起き、部屋の空気が一気に和む。さっきの緊張の分だけ、笑いが大きい。
「やるわね」
「さすが一番弟子」
蔦子さまが来て、セルフタイマーを設定してくれる。笙子はもう一度ファインダーを覗いて構図を確かめ、
「はい、みなさんそのまま」
と言ってシャッターを押す。
蔦子さまは笑って笙子の手を取り、笙子と一緒に列に戻る。
「使ったことがなくて」
「いいのよ。そんなこともあるって」
カメラの赤いランプが点滅している。にしては、何も起こらない。
「笙子ちゃん、あと何秒なの?」
由乃さまが聞いてくる。
「わかりません」
「自分のカメラなのに?」
「お静かにお願いします」
何人かがこのやり取りを聞いて吹き出した。
その時、ストロボが光り、時が止まる。ここに集った少女達の青春の一コマが、永遠に一枚の写真に封じ込められる。
今日この日、聖なる愛の日に、ここにいられてよかった。
ここでみんなに会えて、よかった。
あなたに会えて、とてもよかった。
みんな、ありがとう。
ありがとう、あなた。
愛してる。
(おしまい)
あとがき
このお話を、ヒナキさまと、笙子同盟の皆さまと、笙子同盟に来てくださった皆さまに捧げます。
ごきげんよう。浜野黒豹です。ここまでお読みいただきありがとうございました。このお話はもともと「ノリショー・ワン」というコードネーム(笑)のプロットでしたが、書いてみたらあら不思議。写真部と新聞部の二つのプロットがバレンタインに向かって走り、最後で一つになって全員集合で大団円。志摩子さんが大活躍。乃梨笙ではなくなってしまいましたが、まあ、いいお話になったんじゃないかと思います。ちょっと展開が駆け足だったかもしれませんが、これで良しとします。うん。よし。おっけー。
それではご意見ご感想お待ちしております。お読みいただきありがとうございました。
ごきげんよう!
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