江の嶋の記(文政四年=一八二一)

                                                                      菊池民子

 

              はしがき

 旅の記はしもおほかれど、土佐の日記をこそ、親とはすめれ。さるは、いにしへにも、たぐひまれなる、歌人の聞え
高き、貫之ぬしの筆になれゝば、なりけり。さては、女のすさみに物せしは、いざよひ、更科の記、なンどのたぐひに
て、今の世の人みないみじくもてはやしつゝ、これをしも本とはなして、仮名文書習ふ事のたつぎとはすなり。されど
此ぬし達は、いにしへ歌の道、盛りなりし御代に生れあひて、さす竹の大宮の内にさぶらひなれつれば、たヾ明けくれ
のことくさにも、はかなきたはぶれにも、やまとうたをのみ、枕ごとヽせしなれば、おのづからみやびたるふりにしも
、めなれ聞なれたる心よりはあはれにおかしう書出けんもことはりの事になんありける。さるに此、江の嶋の記を打見
るに、いにすへの心ことばを、我物になして、目とまるべきふしふし多く、なだらかにかいしるされし。いかで女の身
にてかくまではたどられけん。今の世になまなまの歌よむ人、まさにかうはえあらじかしと、おどろき思はれて、わが
心のにぶさもなかなかにかヾやかしうぞありける。近き比、武女といへるが物せし庚子の日記などをこそ、世にはあり
がたき事と、名だヽるうし達もめでられたりしが、これはたそれにしも、をさをさおとるべき事かは。此記のぬしなる
民子といへるは、おのれにもはなれぬゆかりにて、うとかるまじき中らひなれど、いさヽかなる事のたがひ目によりて
、年比かきたえ言かよはしなンどもせて、唯大空の雲の余所にのみ過せしが、今は大江戸によすがもとめてぞ有ける。
こたび文して、これかうがへ言くはえてよと、こはるヽにいなみがたく、くりかへしよみ味はえて、くだくだしきをも
らしたらざるをましなンどして、書きよめおし巻て、かへさうずとて、其よしをしるすになん。

 文政十とせといへるとしのやよひむゆかの日

                                                                                    下毛の国鹿沼の里

                                                                                                  散木子安良

 

 

              江の嶋の記

                                                                                    菊池民子詩

 相模の国なる江の嶋といへる所は道ゆきぶりもめづらかにいとおもしろく、其海づらを見わたしたるさまはあやしく、
此世の外のやうにおぼへて目おどろくばかりのながめにこそなンど、年比人のかたるを聞て、しきりになつかしう思ひつ
ゞけて、爰よりは遠からぬ所なれば、いかでかゆきて見まほしうと、日ごろ思ひわたれど、女の身ほど所せきものはなく
て、堺をこえ□□といひけんからぶみのをしへさへ思い出られてやみにしが、ことし文政四とせといへる年の卯月十かの
日、わが背の君のみゆるしありて、心あひたる友達かいつらねて出たつ嬉しさいはんかたなし。

 はやくも高縄といへるにいたりて海のかたをはるばると見わたすに、何となくわが心も広やかになりたるやうにおぼへ
つ。かの雲井にまがふ沖つ浪の遠に見ゆるはいづこにかあらんととふに、かたへの人をしへて、かしこヽそふたつのふさ
の国になんあれとかたる。沖にかヽれる舟あまた見えたり。

  海つらに旅寝の舟のかち枕 浪のよるよる淋しかるらん

とさへ思ひつゞく。品川のすくにいたるに、いみじう建つゞけたる家どもおほかり。爰には契り定めぬくゞつ女の姿おか
しきあまたありときけば、男の身にしあらば心ときめきもしつべけれど、さる事もなくて過ゆく。大森の里をゆくに、麦
わらを色どりものしてくさぐさのかたをエみなす家あまたありて、ゆきヽの人にひさぐ。立よりて見るに、いといとめづ
らかにおぼえて、見すぐしがたしや。

  くれなゐの色こく見ゆる麦藁に 心をそむるゆきかひの人

なンどなほなほしき歌にさへ心をやりてゆく。頃は夏の初めなれば、四方の梢のやうやうみどりになりゆくさへおもしろ
きに、初時鳥のひと声音づれたるはあやし。ひが耳にやとたどるもおかしう、初音をあやなヽンどともひとりこたるヽは
例の此比の事なれど、折から所がらにや身にしみておぼゆ。

  なかなかに聞そくやしき時鳥 たヽひとこゑの今のしのひね

あかずもあるかなヽンど打かたらひつヽゆく。大師川原にまうでてみまへにぬか突奉る。なほかな川の宿にやどらんと
てゆくに、いにしへの浦嶋の子の塚てふあるよし人のをしへければ、立よりて見きくに、かのぬしの建おきしといへる観
世音の御堂とてあるに、まうでヽぬかづく。思ふに此説いかにかあらん、こは決て後の世に、事このむものヽいつはり作
れるものなるべし。さるはかの水江の浦嶋の子の事をよめる歌は万葉集にも見え、又日本紀なる雄略のすべらぎの巻にも
見えたれば、跡なき事にはあらじかし。されど此わたりにかヽるふるきむかしの跡さだに残れるよしは正しきいにしへの
御文どもにたえて見えざらンなれば、其いつはりなる事どもはしるきをや。こは我ながらすゞろにもあるかな、女の才が
りさかしだちて物らしたヽかに論らふは、いとにくきものとなん紫式部のかへすがへすもいさめ置たりしものを。さばれ
いかにせん、此記はしも人に見すべきにもあらず、たゞわが心やりにとて物せしなれば罪もなしや。

爰かしこにいといとふるき塚あまたありて、いづれをそれとしもわかねど、もとよりわが心にうべなはぬ事にしあれば
、ふかくももとめず。坂を下るに清水の清き流れありて、これぞかの塚の下より出るなりなンどいふに、人みなめでヽそ
をむすびて、其人の齢の久しきにやあやからましをなンなどいふをきヽて、

 浦嶋のうらめつらしくおもほえて むかしをくめる真清水のもと

をちこちをながめつヽゆくに、いそぐべき旅にしもあらねば、たそがれ時に着ぬ。

十一日 朝まだきにおき出て朝の事ともなしはてつ。こゝより金沢の里に名高き八ツのけしきをも見んとて出たつ。

程ヶ谷といへるより左りつかたなる山路に入るに、野辺の小草の葉やうやうしげりゆきて、ひもとく花の咲みだれたるな
ンどいとおもしろし。ゆきゆきて金沢のほとり近うなりけるに、ながめいはんかたなし。能見堂といへるは少し坂を登れ
る所にぞありける。打登りて見れば、ひとりの法師かこやかなる住ゐして、遠つ目鏡といへるして、遠なる海山のさまを
目に近くうつして見するあり。わがつれなる人の相しれるよしにて、物らいひかはし、何くれと物がたりす。浅からぬも
てなしにあまえて、目鏡かりえて人みな目にさしあてなどす。爰かしこの浦はのけしきさやかに見えわたりて、海士の塩
やく煙なンどのほの立わたりたるもいとめづらしくかへすがえすもあかぬながめなりけり。

  遠かたの浦はのくまも遠目かね 手にとるはかり見えわたりけり

とかゝるたはぶれ歌をさへうたふ。さるはかゝるいみじきながめをいたづらに見捨ん事のうれはしく、あまたゝび打かた
ぶきつゝかうがへつれど、、もとより敷嶋の道もいとたどたどしき心には、たゞおかしき所にこそと打思ふのみにて、思
ふことどもをもえぞつゞけあへぬぞ口をしきや。まことやこゝに筆捨の松といへるあり。こはいにしへ名にたかき絵だく
みの金岡何がしと聞えし人の、こゝのさまを物にうつしとゞめばやとて筆をとりけるに、とばかりのうちに其やうさまざ
まにかはりておかしかりければ、なかなかに心およばじとて筆を捨たりとぞ。さればかくいみじき筆にだにうつしものせ
んとせしに及ばざりしを、いかでか浅はかなる女の身には心もことばも及ぶべき事かは。そはおほけなき事にこそと打か
へし思ひぬれど、おかしさの心にしみてわすれかねつれば、たゞ打思ふまゝを、

  ふる里のつとにもかなと旅日記や こころもこ□□□めてこそ見れ

 あかぬ□□□□□かめつゝゆく。其道のかたはらにむかし金沢の文庫といへるありしも跡なくたえて、今は御寺になり
にたり。こゝらの文ども年比にちりぼひうせて、わづかに残れるのみひめありときこゆ。女の身のあさりて見んもやくな
ければ、ゆかしきながらも打過ぎぬ。何くれと時をうつしてたそがれ近うなりければ、やどりもとめんとてすさき町瀬戸
ばしなンどいへるおもしろく所々をながめつゝ、金沢の里なる扇屋とかのもとに宿りぬ。

十二日 朝まだきより心がなひして、爰かしこの名ところをも尋ね見ばやとて出たつ。まづは明神の御社といへるにまう
でゝぬかづく。蛇柳・三本杉なンどいへるあり。高野の山にこそかゝる名おひけん柳のありと聞しが、それはふかきゆゑ
よしありての事のやうにかqたる人ありしか。いかでかくたをやかにやさしきものにうたておそろしき名をばおはせたり
けん。三本杉といへるもことやうにて耳にたちぬるこゝ地ぞせらるゝ。思ふにむかしはみもとの杉などやいひけん、かの
はつ瀬川のほとりなるをもふたもとの杉とこそ歌にはよみたりしをや、文字こゑにいへるがにくきなり。

 夫より四五丁がほどゆきて飛石といへるおほきなる石あり。あるはびは嶋の弁才天といへるあり。あるは照手の姫のい
ぶし松といへるさとびたる名をおはせたるもあり。いかなればこゝに名高きものとしいへば、ゆかしげなくさとびたる名
のみおひけん。へなたりなどいへるもありとぞ。所のさまのおかしきにあはせては其名かへすがへすもふさはしからずぞ
思はるゝ。ことごとにかいつけんもわづらはしさにかたへはもらしつ。さて宿りにかへりて海つらを見やるに風凪日うら
らかにて、塵にまがへる沖の舟の真帆かた帆のさまざまなる、浪にうかみておもしろく、又は網引なす舟の数おほく、浪
をひらきてはしるなンど絵に書たるやうなり。あかぬながめに日もいととく暮ぬるこゝ地しつ。此夜奥まりたるおましに
、いかなるならうどにかあらん、宿しめてつくし琴ほのかきならす爪音の聞えたるは、あはれにもおもしろく、心すみて
いも寝られず。浜松風の吹あはすめる音もげにいづれのをよりとさへ思ひやらるゝかし。

十三日朝 まだきにやどりを出て、鎌倉にとてゆくゆく朝比奈も切通しといへる所にいたる。岩がねのこゝしきをきりと
ほしたるにて、嵯芔しき道なりけり。ゆきなやみつゝもたどりてしばしいこひ、ひるげなンど物して、こゝより案内の人を
たのみて八幡の大御神のみやしろにまうづ。一の鳥井のほとりは左り右りにいといとひろき池ありて蓮葉生しげれり。坂
を登りてはかなたこなたに御堂あまたぞ見ゆる。御社は過つる年火のわざはひにものしてうせつるよしにて、今は礎の跡
のみぞ残れる。むかし源二位の君の義経の妾静を爰にめして舞せられしといへる廻廊の跡だにも見えず。かの静の舞うた
ひし歌のごとく、昔を今になしても見まひしうぞ思はるゝ也。

 御社は仮にとて坂の上にまうけてぞしづまりいます。みまへにぬかづきて念じ奉る。爰かしこ見めぐるに、爰にも蛇柳
といへるあり。鶴亀などいへる石などもあり。げにふるきむかしの跡とて、いとおほきやかなる老木のこゝら神さびたて
り。其もとはみなから朽はてしと見ゆるに、梢は青葉若やかにしげりあひて、月も梢をもらぬばかりなるもめづらしう、
ながめに時をうつしてほどちかき荏柄なる天満大御神のみまへにまゐりてぬさ奉る。又四五丁ばかりがほどゆく道のかた
はらに元弘のむかし大塔の宮護良の親王の足利直義がためにはかられ給ひてうつされいませしといへる、土にて
.物せし囚
獄の跡ありと聞にさへ、すゞろにすさまじくおぼゆ。行きて見るに千草は道見えぬまでおひしげりて、岩に苔むす松なンど
のおひたてる、あはれやらんかたなし。

  いにしへをたとれる道の露しけみ すゝろにぬるゝわか袂かな

 法花堂といへるには右大将頼朝の君の御墓あり。打見めぐりつゝゆくゆく建長寺にまうず。そこより少しゆくにいと大き
なる釣鐘あり。世の女らのねぎ事なしてこれを突に、かならずしるしありとぞ。いかなれば男のいふをばうけひかぬるやあ
らん、色このみなる此鐘にこそあれなンど、はかなき事どもをもかたらひかはしつゝゆくに、旅路のうさもわすれつべし。
それより又世の人のことぐさにいへる、かの悪七兵衛景清をこめおきしといへる土の囚獄の跡などを見る。こは東鑑にいへ
る上総の忠清の事を誤り伝ひたりしものなるべきよし、ある人のいへる事あり。さては十六の井なンどさまざまに聞こえた
るふるき跡どもを見めぐりつゝ、大仏の殿長谷寺の大ひざにもまうでけるに、夕ぐれちかくなりければ、やどりを定めつ。

十四日 江ノ嶋にとて出たつ。ゆきゆきて腰越村にいたる。こゝぞいにしへ義経の鎌倉に入る事をゆるされずしてとゞめら
れたりし所にて、今の世にわらはべの物よみ習ふ古状揃とかいふめるものゝ中に、其ことゝもあり。さばかりのいさを空し
くて、こゝより都にかへり登りけんかのぬしの心いかばかりか口をしくかなしかりけん。今も其のかみの事そもを思へば、
あはれともいみじとも、たれもたれも袖ぬらすめり。かたせ村といへるにはいとたふとき御仏のたゝせ給へるよし、かねてよ
り聞わたりて、いかでひとたびはまうで奉らばやと、朝よひにねぎわたりつる事なれば、御寺にまうでゝぬかづき奉る。七
里が浜にいたれば海の面は限りなきまで青う見え渡りて、げに雲もみな波とぞ見ゆるとよみし歌のさまもむべなりけりと思
ふに、よせてはかへす浪の音のおどろおどろしきも、めなれぬ身には限りなうおもしろし。しかのみならず遠なる舟は林に
しげき木の葉のごとくうかみて見えみ見えずみ、こぎゆくなンどさまざまのながめなりけり。

  沖遠みそれともわかす打よする 見るめも浪にからましものを

とさへ思ひつゞく。はじめのほどは波たゞ足もとに打よせて物のおそろしきやうにおぼえしが、汀に打あげられたる貝石な
どを蜑が子にまじらひてひろひつゝゆくも、いみじうおもしろくおぼへて、身のならんやうもしらず、もすそも高うかゝげ
たれば、脛なンどもあらはに見ゆめり。例ならぬも旅にしあれば罪ゆるさるべくや。かの太平記に新田の義貞の鎌倉を攻る
に海つみの神にねぎ事して、佩せる太刀を海に沈めければ二十余丁がほど俄に干潟となんなりしとしるせる稲村が崎は此わ
たりの事なるべし。

 巳の刻ばかりに江の嶋なる岩本院といへるべたうののもとに着てとばかりいこふ。弁財天女の宮は山の上にたゝせ給ひて
上の宮・下の宮といへるぞあンなる。こゝもかしこも戸ばりひらかせ給ひておがまれさせ給ふ。いといとたふとし。奥の院
といへるにまうでんとてゆく。其道は岩がねなゝめにそばだちて、たやすからず。登りつつ下りつして児が淵といへる所に
いたる。白菊といへる児の事ありて身を投ける跡なりとぞ。波の色はいとこき藍に似て、ふかさしるべからず、げに千尋と
はかゝるをやいふなるべし。何となく物すごき物から、又見所こよなし。海の面は風なぎて静にあさりする海士のほこらは
しげなる、げに何にたとへん朝びらきなど打こたはれぬ。奥の院といへるは巌にそばたちたる洞の中を二丁ばかりがほど奥
ざまにゆくにぞありける。いといとくらし。松ともしてたどりゆくに、ひやゝかにたるゝ清水の音たえず岩間を伝ひたるが
ほの聞えたるなどおそろしきまでおぼゆ。波をりをりに打いるゝをお掃除浪とぞいふなり。岩に御仏のかたをえりたるぞ見
ゆる。いとたふとし。ぬかづき奉りて、又おなじ道をたどるたどる岩ほの中を出れば、常やみの夜はれたるこゝ地して、穴
おもしろと見る。岩のさまざまの汀にも磯にもこゝらみだれたてるに、うちよする浪の花かとまでちりかひたるは、此世の
外のやうにおぼえて、げに人のかたりしもしるくたがはざりけりと、心も空になりてたちはなれがたし。

 くるゝもしらず、ながめあかしつ山寺の鐘におどろかされて、やどりにかへらんとするにも、名残をしまれてかへり見が
ちなり。さるはかたぶく日影の波をやくがこと、海つらにかゞやきたるに、鳥の三つよつふたつねどころへゆくとて飛かふ
など、いといとおかしうて、いかで歌ひとつだにと、かたぶき思へど、かのたえなるけしきにめでゝは、口唖しすとかいひ
けんやうにて、おしこどもりとかいふめるごとく、あゝと打うめきたるのみにて、思ふことどもをだに、えぞつゞけあへぬ
ぞ口をしきや。其夜も友達とともにいとみじかりつるこゝのやうなンどをかたらひくらすに、枕にちかくひゞく浪の音は、
浪たゞこゝもとによせ来といひけん浦はのさまもかゝるにやなンど、思ひよそへらるかし。そへんとや、奥なるおましに琴
の音のたえだえ聞えたるは心にくゝ、よしある人の旅寝なせしにや、過し夜さり金沢の宿りにて聞しもおなじ人ざまにやと
ぞ思ひ出らるゝ、あはれにおもしろし。

  浦近き旅寝の床に玉琴の しらへも糸の波かへすらし

などよみつゝ寝ざめがちなり。

十五日 朝ぼらけのけしきなどは心もことばも及びがたきを、くだぐだしうかいつゞけんはなかなかに事さましにやとても
らしつ。こゝより大山なる御山にまうでんとて出たつ。ゆきゆきて藤沢といへるに着ぬ。遊行寺といへるにまうづ。かの説
経などいへるはかなきものにて聞おける、小栗何がしを物せしといへるふるき墓あり。照手と聞えし姫のもたりしからの鏡
のたぐひ、又は鬼鹿毛と名づけたりし馬の爪なンど、さまざまのものどもひめありき。それらを見つゝ、とばかりありてこ
ゝを出て、伊勢原といへる所にやどる。

十六日 大山をさしてたどる其道ゆきぶりを、ことごとにしるさまほしけれど、とりわきていふべき事もなかりき。程なく
前不動といへる所につく。友待あはすとて遠近の山なンど見わたしつゝいこひ居るに、此わたりの里の子にやあらん、旅人
にものこはんとて打むれつゝあるに、坂の上より銭まきてとらせければ、いといとよろこぼひたるおもゝちして、えみさか
えつゝさうどきくほひて、われがちにひろふ。さるはぎやうぎやうしくも又おかし。打のぼる山道は十八丁ありとぞ。さか
しきをゆく身には時ならぬ汗出て、旅きぬもやゝしめりぬ。からうじて道なかばばかりをたどるに、息たゆく足のうらいた
みてあゆみがたし。いかさにせんなンどわびあへるかたはらに、年老たる尼のいこひ居たるに、かりそめに物らいひかはす
に、七そぢになんなれりと聞ふ。穴いみじ、かゝるをいかでなやみなくまゐらせ給ふものかなと、われもおどろき、かたへ
の人々もめづらしき老人にこそあれと、うらやみいふ。いでやかゝる人だにあるをおとるべき事かはと、心をたけくなして
、此尼を枝折にたどる。とかくしてみまへにまうでゝぬかづき奉る。とばかりいこひて女坂といへるを下る、道すこしはや
すげなり。麓に下るにいといとこうじたりければ、駕てふものにたすけられて、厚木といへる里にはかねてよりしれる人あ
りて、打かたらひ置つる事どもありしかば、其家を尋ぬるに、あるじこよなくよろこぼひて、何くれとけいめいして夜とと
もにかたらひあかしつ。楽しさいはんかたなし。

十七日 いとま告て別れなんとするに、しひてとゞめつるも嬉しきものから、ふる里の空もなつかしければ、其よしことと
りて立出んとするに、家刀自はいふもさらなり、かれこれの人どもつどひて、旅の調度どもとりかくして出さねばせんすべ
なく、あるじの心ざしのまめやかなるもうれしく、ひめもすにかたらひくらしつ。

十八日 けふのみなンどとゞめ物せられしかど、ことよくいひときて、わかれを告て道をいそぎつゝ、夕かけてかな川の宿
にやどる。

十九日 いと長き旅にしあらねど、こよなく心たのしく、よはひさへ延たるこゝ地して、けふははや家にかへり着なんずと
思へば、ことさらに嬉しく、朝もとくおき出て、川崎の宿を過つ。すゞろに足のすゝむもしらでとく品川のうまやにいたる
に、はやも心おち居て、とばかりいこひつ。夕つけてことなく家にかへり着たるぞ、かへすがへすもうれしく楽しき旅にな
んありける。

 

   江の嶋の記 終                   菊地たみ子