四十九所神社 鹿児島県肝属郡肝付町新富 旧・県社
現在の祭神 豊宇気毘売神・天照大御神・瓊々杵尊
[配祀] 大直日神・天児屋根命・天太玉命・天鈿女命・石凝度売命・玉祠命・天香語山命・天櫛主命・天道根命・天神玉命・天椹野命・天糖戸命・天明玉命・天村雲命・天背男命・天御陰命・天造日女命・天世手命・天背手女命・天玉節彦命・天津湯彦命・天神魂命・天三降魂命・天日神命・天乳日命・天八坂彦命・天活玉命・天小彦根命・天事湯彦命・天表春命・天下春命・天月神命・天井佐布留視命・天伊波志爾保命・天麻根根命・鹿島大神・国常立尊・国狭槌尊・豊斟淳尊・埿土煮尊・沙土煮尊・大戸道尊・大戸辺尊・面足尊・惶根尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊
本地 阿弥陀如来

「三国名勝図会」巻之四十八

四十九所神社[LINK]

新留村にあり。 奉祀伊勢両宮といへり。 四十九所の名義、いまだ考據を得ず。 且神体古来深秘にして、社司といへども親視することなし。 彼此故あることなるべし。 寛永二年乙丑七月十三日、神祇官吉田兼苗、当社神号伊勢御位と記さる。 又当社を吉田家に勧請ありて、其事を吉田家より、当社別当玉安山光台院へ告るの文を伝ふ。 光台院は、廃して、阿弥陀堂存し。 左に附録す。 年中二十数度の祭祀あり。 九月十九日を以て正祭とす。
抑当社は肝属氏栄昌の昔より、世奉の神とて、弘安六年十一月、肝属伴兼石、神文に四十九所大明神肝付の鎮守と書し、当時は土田許多を寄附し、祭祀等も隆盛にて、二騎の流鏑馬ありしとぞ。 永正十一年より、正徳四年に至るの間、再興の棟札、凡八枚を蔵む。 其永正十一年甲戌六月十三日の文に、大檀越河内守伴兼素云々。 又其天文八年己亥九月十八日の文に、大檀越河内守伴兼続、并満寿丸云々。 又其天正二年甲戌八月二十三日の文に、大檀越三郎四郎兼亮云々等見えて、今に正祭にては、一騎の流鏑馬を興行す。 社司野舎人。
○属社 四所宮、本社の左に在り。
△三社大明神、及び新社大明神祠 一宇に奉祀す。
△若宮八幡廟
△荒神并天神 一宇に崇奉す。
以上三宇、本社の右、にあり。
○阿弥陀堂 新留村、弓張城内にあり。 当社の西南鳥道一丁半許に当る。 貞元元年、宇都宮真覚法印、下野国宇都宮より負ひ来り、堂をこゝに建て、安置したる秘仏と云々。 元亀三年以来、再興の棟札を伝ふ。 四十九所神社の本地にて、昔は玉安山光台院神宮寺と号せし梵刹あり。 即ち社の別当にて、堂の後其遺址なり。