阿倍王子神社 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町 旧・郷社
現在の祭神 伊邪那岐命・伊弉那美命・速素戔嗚命
[合祀] 品陀別命(応神天皇) <男山八幡宮>
本地 薬師如来

「天王寺村誌」

阿倍王子神社[LINK]

 本社の創建は極めて悠遠にして少くとも貞観以前、今を去る一千五百有余年前より既に鎮座ましませしことは霊験記を始め、古史に徴して明かなり。 祭神は熊野本宮即ち和歌山県東牟婁郡熊野座神社(官幣大社)の祭神を勧請せるものにして、京都鳥羽より熊野本宮に至る途次、御休憩毎に臨機熊野本宮を仮りに移し奉れる、所謂九十九の王子社の一なり。 而して本社は其の第二王子に相当す(第一王子は京を出て鳥羽より船にて淀川を下り、難波の八軒屋に上陸せるが、其の高地即ち今の天満橋南詰附近の高台に窪津王子=久保津又は大江王子を祭れるを第一王子と称したり)。
[中略]
阿倍王子権現縁起
 阿倍王子神社の縁起なるものを一覽するに、神韻漂渺、一に深厚なる信仰を有したりしかを証するに余あるものありて存す。 乃ち大意を摘記すれば左の如し。
『つらつら当社の旧記を考ふるに……仁徳天皇或夜御夢に津のかみ遊びたる童子、紅の下ばかまに長絹水干を着し、忽然と御枕にたゝせ給ひ。吾は是三熊野権現の神使なり。神ゐまし皇土を鎮め民家を守らん為に現れたり此島にきたりあそべり。まつらんとおもはゞはやく宮つくりすべしといひたるとおぼしくて、覚させ給へば異香殿にみち……天皇……群臣をめし……頻りに神事執行はれて』(と記し次に玉座近く群臣を召し給へる画を挿入せり)。
[中略]
『淳和天皇、天長三年の夏、空海師をして民の疫難をしづめさしめ給ふ。同師当社に入て御本地医王の尊像を一刀一礼して彫刻し草堂に安置して神宮寺と号し、且一千部の薬師経を書写し読誦せんと初めたまうに、忽十二願王異類に身を現はし、諸神降臨、是をたすけて一昼夜に功なりぬ。時に疫死たちどころによみがにりて叡信浅からず。寺を改めて病免寺と勅額をたまはる。(通阿倍)ながく御願寺と定め彼経を此地に納めて皇土を守らしむとなん』(と記して、其の次に空海が医王の尊像を彫刻しつゝある所に天神雲に現はれたる絵を挿入しあり)。