安孫子神社 滋賀県愛知郡愛荘町安孫子 国史現在社(天若御子神)
旧・郷社
現在の祭神 天稚彦命
本地 十一面千手観音

「安孫子史」中

第二章「あびこの宮さん」[LINK]

一、私たちと安孫子神社
 あびこの宮さんについては、社歴によれば
  由緒  安孫子神社
 その創立は不詳なるもが開化天皇の皇子彦坐王四世の孫白髪王の裔が此の地に移住して其の祀りしたらんと云う。 又三代実録貞観十三年の條に「壬辰授近江国正六位天若御子神従五位下」とある古社なりと伝えられ、当時相応の体裁を整えていたと思はれ神社付近に堂前、鳥居前等の小字名を残す。 又本地垂迹信仰の対象である鎌倉時代の作の十一面千手観音を観音社に祀る。 [後略]
 とあります。 社号は江戸時代は天若大明神と称し、天明八年(1788)本殿を再建したことが滋賀県市町村沿革史にも記されており、浅間山大噴火にはじまる天明の大飢饉、大凶作にもめげず、神社の維持管理に力を尽くされた様子がうかがわれます。
[中略]
五、安孫子神社の観音さん
 安孫子の宮の境内にある観音さんについて「安孫子神社本地仏沿革史(昭和二十五年二月 宮司片岡玉王謹志)=一部略」によれば、
 一、本地仏
 十一面観世音立像 作者は不詳なるも鎌倉時代の作と鑑定せらる。 観音は救世を其の働きとし世間の憂苦に応じて応病施薬の大慈悲をたれ、此の大慈悲は現世に垂れると言う。 故に当神社は此の故をもて古く鎌倉時代には既に設立せられありしものと推定するに足りる。
 一、社蔵鰐口
 (略)本地仏を納むる厨子仏式なれば扉は曲面にあるべきも神社に設へたれば扉は平直面にて社殿するを見ても習合の理念から主神と仰ぎたるを覚ゆ。
 一、仏躰の隔離(略)
 一、当神社での保管(略)
とあります。 さらに、昭和二十五日六月九日、観音さんの鑑定についても次の様に記されています。
県国宝係日名子、宇野両技官ノ出張ヲ得テ当本地仏ノ鑑定ヲ受ク。 其ノ結果室町時代の作ノ彩色仏十一面千手観音ニテ優秀ナル作品。 仏躰ガ大ナレバ遠ク国宝タリシモノ殊ニ優シタルハ細部ノ付属品ガ製作時代ノ其侭ニ完備セル得ザレバ重要美術品トシテノ価値充分ナリ。 写真ヲ撮影シテ帰庁セラル。