| 油日神社 | 滋賀県甲賀市甲賀町油日 | 国史現在社(油日神) 旧・県社 |
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| 現在の祭神 | 油日大神 [配祀] 罔象女神・猿田彦神 |
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| 本地 |
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抑当社大明神影向最初を尋るに、上宮太子降臨の起る、江州甲賀郡大原郷新庄上野東山嶽に於て、社壇を造立し油日大明神を敬し奉る者也、
[中略]
日域朝人王三十一代帝用明天皇之王子聖徳太子、仏法無き国は魔王世界成と無て、人民常熱悩し、仁義礼智信を乱る、然るに文道の五常は、則ち仏教の五戒也、 願く者人此の聖訓に遵ひて、立身之計を廻らす可き者を国家明玉を為す可し、法意の廃れたるは、則ち其の振舞鬼畜木石の如し云々、
[中略]
爰を以て太子国安全の為に、三宝諸天を崇め奉り、仏法を興隆為んと欲し給ふ処に、守屋大臣君の命を背き、仏法を破し寺塔を失はんと欲す、 譬へは妬婦家を破り、讒臣国を危くするか如し、恣に邪執誇る、 此時一天曇り、逆風頻に吹き、大雨降ること車軸を流すが如し、欻に諸災発り、人民悉く死す、
已此時に及んで、太子守屋を追罰せんか為に、軍兵を興さんと欲す、願く者四天王、今度の合戦切り勝たせ給へ、仏法擁護の天王を仰き奉る可しと祈誠し給、已に又吾国大海の底に、大日如来の印文在り、是れ仏法東漸の瑞相新也、 之に依て天照両大神宮御本地を伺ひ奉る、忝も胎金両部の大日の変作として、専ら此の国の主にして御座、唯願く者悪魔の守屋を退治令めて、仏法を興隆し給へと祈念し玉ふ、
其の夜の夢に神明の御告有り、江州与伊賀両国境に於て山在り、彼の山に入り弓の木と矢の篠を尋ぬ可しと告け有りけれは、彼の山に分け入り弓箭を尋ぬ、
時に一人の童子山中に遊ふ、太子之を奇しみ、弓の木矢の箆に在る所を問ひ給ふに、彼の童子の曰く、向の谷に矢の篠之有り、 又此の前の山に樋木有り、之を切て弓を造り給へとて還りけるを見給へは、一の鴛と成り尾を一つ食ひ抜て飛り去りぬ、 太子定めて子細有る可しとて、彼の鴛の尾を取りて持ち給ふ(此故彼山名鴛尾山)、然後向の谷へ下り給ふ時、崎尖りたる矢と矢尻と二を求め給へり(此谷名矢尻谷、今は田尻谷)、又弓の木切給山を櫨木山と名く、 箆を切給谷に小河流れたり、野の河と名く(私云、可書箆河也云々)、 箆を切給時、太子御馬を椙の木に繋ぎ玉ふ、此の所を馬杉と名く、 然而太子高岡に登り給ふ時、鷹一羽飛ひ来て、尾を二羽嚙ひ抜いて飛ひ去りぬ、此の所を高岡と名く、 太子一夜彼の山に宿り玉ふ、此の所を御所山と名く、
次朝鴇の羽の鏑矢を負ふて白馬に乗たる人来たる、 太子に謁して後、鏑矢一手を献じて申す様、君若し逆臣と合戦し給はんとき、此矢を以て一番に矢合せし給はは、此の矢の声に就て、諸の軍神集まつて汝を守護し奉る可し、 前の鴛の羽と鷹の羽とを以て、本四立 の小矯 の尖矢一手を矯く可し、此の矢を以て、必ず守屋頚を射す可しと申(今尖矢、是より始れりと云々)、
太子の曰く、御身は何人にて御坐と問ひ給へは、吾是神代自り弓箭を守る神也、常に此の山に通ひ遊ひ侍也と言ふ、 其れ自り太子此の神を通山大明神と名け奉る可しと宣へは、此の神の悦び玉へる気色をして、太子御合戦之時、必ず参る可しとて還り給へるを見送り玉ひしかは、如意輪観音御座と云々
祭神 油日神 社殿〈三間社切妻造縋破風檜皮葺〉九坪南面
由緒 当社立年代詳ならずといへども〔三代実録〕に陽成天皇の元慶元年十二月〈丁卯〉三日〈己巳〉授近江国正六位上油日神従五位下とあれば、其の以前己に鎮座ありしや明にして式外国史現在社たり。
本社祭神は〔三代実録〕〔式外神名考〕等に油日神、本社縁起に通山大明神、当社年中行事濫觴記に河枯神社油日太神等となりしが大正二年二月五日油日神と訂正を許可せられ国史所載の神号に復したり。 社名も明治九年社格制定せらるゝ時川枯神社となれば同三十八年十一月油日神社に復旧す。
[中略]
もと本社の別当を金剛寺と称し或は油日寺とも云ふ。 塔中に六坊あり光明院、成就院、照養院、善応寺、燈明坊、惣坊是なり。 後世矢川法眷の一に居り、明応以来矢川寺と隔年に法華最勝両経の会読を剏め爾後恒例として継続せしが、天文七年に至り廃絶す。 八講堂〈所在拝殿の東十間〉は慶応四年三月十七日之を撤壊し記念樹を植う。 又護摩堂〈本殿の東南四間余の処〉をも撤却し合祀神社を置く。 六坊の中其の半は夙く廃壊し、照養院は明治以後復飾して小林氏を称し、成就院は伴氏を称し現し現時神職として奉仕、善応寺のみは今猶寺院として存す。
[中略]
〔淡海志〕 甲賀郡谷油日大明神初曰通山大明神。 垂跡摩利支天、本地如意自在之変作也。
〔式外神名考〕 近江国式外油日神在江州甲賀郡油日村今有三社。 本宮油日明神、相殿白鬚明神、岳明神。
[中略]
〔蒲生古蹟考〕 油日神社 祭神三座、中天熯速日命〈本地如意輪〉右武甕槌命〈本地摩利支天〉左威稜尾羽張命〈本地将軍地蔵〉 本祀は油日嶽上にあり、熯速日命を祭る。 東甲賀の鎮山なり。 若宮は武甕槌命なり西宮と称す。 当社に阿目加伎袁命、西宮に阿目夷比前野止命を推配し、川枯神社とせり