足立神社 埼玉県さいたま市西区植田谷本(旧社地)
埼玉県さいたま市西区飯田
式内論社(武蔵国足立郡 足立神社)
旧・村社
現在の祭神 猿田彦命
[合祀] 豊雲野神・宇比地邇神・角杙神・妹活杙神・意富斗能地神・妹大斗乃弁神・淤母陀琉神・妹阿夜訶志古泥神・伊邪那岐神・妹伊姫邪那美神・天之御中主神・高御産巣日神・神御産巣日神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神・天照坐大神・須佐之男命・日本武尊・市杵嶋姫命・多岐都比売命・大国主神・天手力男神・菊理媛命・倉稲御魂神・応神天皇・菅原道真
本地 不動明王

「武蔵国足立郡足立神社本跡縁起」

抑足立神社は、延喜式神名帳に載する武蔵国大小四十貳社の内にして日本武尊を祭る所なり。 往昔人皇十二代景行天皇四十年に蝦夷東国を漫擾し人民を凌虐す。 天皇第三の皇子日本武尊に勅して征討せしむる。 皇子天の村雲の宝剣を乞請て東州駿河に到給ふに、虜酋等武威に懼れ奸謀を以て皇子を富士の曠野に詐誘し、田猟に託し枯草に火を放ち焼害し奉んとす。 時に皇子宝剣を以て枯草に薙苅り給ふに火焔遠く退き避て近くことなし。 賊徒術を失敗走す。 皇子遂北武蔵国に到り賊徒を退治し給ひ武器を秩父か嶽に蔵し収む。 其よりして武蔵国と名たり。 皇子東国を安撫し農桑種植を教えて万民を安寧ならしめ給ふ。 其功勲遠く遐代に流れて武蔵国特に日本武尊を崇敬し、神祠を建て足立の神社と号し祭祀する所以なり。 星霜は年古て社頭窪隆ありといへとも、神徳は逐日威霊倍々新なり。 今林光寺境内に鎮座まします是なり。 其本地を繹ぬるに大聖不動明王にして堅牢地天と同一体なり。 日本武尊神武威にして東夷を降伏し給ひ、東国の万民に農桑種植を教諭し給ひし本地垂跡・和光同塵同一の本誓仰て信すへし。 別当林光寺覚誉法印住職の日に当て本地不動明王の霊像を感得安置せり。
明治39年、足立神社(植田谷本)・足立神社(水判土)などを氷川神社(飯田)に合祀し、同社を足立神社と改称