県神社 京都府宇治市宇治蓮華 旧・村社
現在の祭神 木花開耶姫命
本地 聖観音

「日本の神々 5 山城・近江」

県神社(山路興造)

 創建についてはさまざまな説がある。 最も古く遡らせるのは古代の宇治県(『兵範記』久安五年十月十九日条)の守護神として創建されたというのもので、『蜻蛉日記』に宇治川左岸に「あがたの院」が記されることや、県井戸が現存することを論拠とする。
[中略]
 当社の名がはじめて現れるのは近世の文書で、正徳五年(1715)の『山州名跡志』に「土人アナタノ社ト云ハ、例ノ片言ナルベシ、所祭弓削道鏡霊云々、或説宇治悪左府ヲ祭ルト」とある。 また江戸中期の上林家前代記録には「平等院之内天台宗支配場所」として「廿間 十二間半 県大明神」とある。 当時の平等院は天台・浄土両宗の僧侶によって分割管理されていたが、県神社の神主は天台宗の三井寺円満院の関係者であった奥村家が務めていた。 平等院が困窮していた江戸時代には当社の維持も難事であったらしく、『県神社文書』によれば、社殿再建のため天明四年(1784)には本地仏の聖観音像を江戸深川の永代寺に運んで出開帳した。 この本地仏は明治維新後には平等院の最勝院に移されたという。