赤神神社 秋田県男鹿市船川港本山門前 旧・郷社
現在の祭神 天津彦火瓊瓊杵尊・天手力男命・大山祇命・天照皇大神
本地
五社堂赤神大権現薬師如来
三の宮普賢菩薩
客人権現十一面観音
八王子千手観音
十禅師地蔵菩薩
赤木大明神(注連堂)不動明王
三鬼眼光鬼普賢菩薩
首人鬼文殊菩薩
押領鬼阿弥陀如来

菅江真澄「牡鹿の嶋風」

赤神山大権現縁起[LINK]

于茲羽州秋田郡、金城の乾坤にあたりて大嶋あり。 号て男鹿の嶋といふ。 その嶋の禿兀たる絶頂に霊神あり。 赤神山日積寺赤神山大権現と号し奉る。 彼権現の由来をくわしく尋ね奉れば、前漢高祖皇帝より六代、武帝と名附奉る。 忝くも威強叡徳にして長生延命也。 方士を遣し神仙をもとむ。 親しく霊を祀り、太一の叢祠を長安城の東南郊に立。 太一とは天神貴きもの也。 元鼎六年春正月より夏五月に到るまで遂に海上に東巡し、神仙を求て船を海上に浮め、周廻する事一万八千里なり。 群臣諌れども帰り給はず、東方朔帝を諌て帰り給ひぬ。 大清四年三月、帝泰山に幸して王母に会して、霊を求め仙を得たり。 そもそも、我朝人王第十二代景行天皇と申奉るは、文武両道に達し給ふ賢王にしておはします。 御長一丈、御力量も世にたぐひなし。 第二の皇子をば日本武尊と名奉る。 東夷征伐の為に、草薙の剣を帯して東方に発して、終に東夷を退治し上洛のとき、伊吹大明神大蛇に化して路上に横ふ。 尊飛越給ひしとき、大蛇の鰭の剣にて尊の御足をやぶる。 是によつて悩痛あり。 駿河の国千本の松原にて薨給ふ。 時御年三十歳。 剣は尾張の国熱田に納る。 則熱田の大明神と成り給ふ也。 御魂は白鳥に乗て天にのぼりて、漢朝に飛渡りて赤神権現を迎来り、小鹿の嶋に影向し御座す。 時に景行帝、武内大臣を以て北陸道を察しけるに、宿禰、此山を窺ひ見るに武帝飛車にのり、白鳥に駕し赤旗に車をかざり、五色の蝙蝠御車の左右の前後を圍繞す。 五鬼を伴ひて頂に御座す。 宿禰帰り来りて此由を奏聞す。 景行帝叡聞ましまして、則皇女をもつて妃に備ふ也。 赤木大明神是也。 始め行基菩薩、捨身菩薩、知安菩薩、手づから自ら造立供養し、赤神大権現と号し奉る。 漢朝は大徳にして赤帝なるが故なり。 山を名附て赤神山といふ。 寺号は日積寺、本坊は永禅坊といふなり。 五社は則赤神山本地薬師如来、赤木大明神は不動明王、眼光鬼は普賢菩薩、首人鬼は文殊師利菩薩、押領鬼は阿弥陀如来也。 所謂五鬼とは眉間、逆頬は夫婦、 眼光鬼、首人鬼、押領鬼は兄弟三子也。 眉間、逆頬は死亡して得道す。 三鬼は今に死せすして、男神が窟、女神が岩屋、海辺の岩屋に住す。 其後能聞大師、満願聖人、十二神建立され、凡霊験ならひなく利益きはまりなし。
[中略]
人王五十六代清和天皇御宇貞観二年、円仁和尚勅宣をうけたまはつて小鹿本山に下向し、知人聖人の髑髏をもつて、御長一寸二分の薬師如来の像を造立供養し、瑠璃の箱に入来り、石の宝蔵に深く納て今の御殿に安置し奉る。 いはやの口にて幣帛を捧て神楽を奏す。 是によりて御幣帛嶋と号なり。 其時権現、窟の中より出現ありて託宣曰、善哉善哉和尚、吾和光同塵の利物を顕し、霊神となつて扶桑国の内を守護べし。請和尚、秘密の神道を以て吾に附せよ。 円仁、則神道内伝の秘密を以て勧請し奉る。 当山的々相承の大事也。

鈴木重孝「絹節」巻之三

赤神大権現[LINK]

寺院 永禅院(真言宗、紀州高野山金剛峰寺末、本堂庫裏住持普請、平岳にあり)
号赤神山日積寺と、 寺領百九石七斗九升七号六合、神領七十石。 元天台宗、明徳二未年より真言に真言に転したりと云。
[中略]
神社 薬師堂(南面五間四面。当山権現本地仏、両脇日光・月光二大士、十二童子を安置す。前山正面にあり)  弁天堂(蓮沼の中にあり。小社なり)  神輿堂  食堂(梁間四間余行間八間。蓮池へかけ造りしたるなり、権現へ捧る供物を調へ神楽を奏す、祭式この堂にあり)  鐘楼閣(飛騨番匠左甚五郎細工。数百年経れとも屈曲の憂なし、誠に希代の楼閣なり)  鐘(明徳二年鋳之とあり)  観音(身の丈け八尺、三十二躰は左右に安置す。永禅院本堂に合殿)
毘沙門 児宮 凖胝観音 馬頭 不動 注連堂 八幡 山王 日吉 大神宮
右十社昔は一社ツヽ、天保年中より薬師堂へ合殿す。
柴燈堂(梁間四間、行間七間 屋根に六尺四方煙抜窓あり)
霊蹤記に曰く、年々正月三ヶ日、一日三時の勤行式ありて別当、社僧、神主、巫女参堂、深秘の法楽を捧け神楽を奏し国家安全の祈祷あり。 堂の真中に大囲炉裏(二間四方)大木の薪キを積上け三日の夜亥の刻に焚く、是れを柴燈護摩と云。 昔麓より五社まで石を敷たる眼光鬼、首人鬼、押領鬼へ人神供の代り鏡餅(亘り三尺)此の薪の火に薫らせ又た油を以て其餅の窟たる処へ入れ、導師加持勤行中其刻限期すれは社僧衣を褰けて手に持せは、年老は兼て戸牖のミゾへ油を洒きて自由す。 年老戸を明やいなや早く油餅を投れは社人太鼓を乱声に鳴し螺笛を吹き、又参詣の群集凱歌の声を発し手頃の棒を持て梁リをおめき叫けんて打たゝき勢力宛も六種震動の如く也。 この音に乗して彼三鬼飛来りて油餅をつかみ去る。 宜哉、時しも雲の上といへとも翌朝見るに跡なしと云。 希代の不思議なり。
[中略]
五社(麓より十丁余、山上悉く自然の大石を布ならへたり、余は絶頂まて素道の嶮阻なり。五社共に梁間二間行間□□余、外縁付き萱葺の屋根、左甚五郎の細工と云楼と同時の建立と云)
 右二堂客山権現 本地十一面観世音菩薩
 右一堂八王子権現 本地千手観世音菩薩
中堂 赤神大権現 本地薬師如来(丈け三尺、日光月光十二童子安置す)
 左一堂三の宮 本地普賢菩薩
 左二堂十禅子 本地地蔵菩薩
何れも木像にして古仏なり。 中堂赤神権現は銅像慈覚大師の作、永代不可開と云ふ。
[中略]
逆木 五社の前面にあり。 昔権現三鬼に約して曰、麓より五社まで嶮阻にして諸人登山に難す、汝ら岩石を以て造るへしと云ふ。 三鬼の曰、年に一人の肉を賜らは造らん。 神是を許して曰、今夜鶏鳴を限りとして成就いたさは約に違ん。 三鬼諾して石を運ひ道を造こと震動す。 既に五社に近し、神驚いて鶏鳴の真似をなしけれは三鬼大きに怒り側なる杉の大木を曳抜き真ッ逆さまに差込んたりと云。
虚空蔵峠 虚空蔵堂は梁間九尺行間二間、南向き、虚空蔵菩薩の石像を安置す。 五社より廿五丁余山上。
[中略]
薬師堂 絶頂に在り二間四面、薬師如来の石像を安置す。
御棟札左の通り。 杉一寸板、長三尺余、幅七寸位。
奉再建赤神山本地薬師如来本社一宇大檀那佐竹義厚武運長久祈所(年号月日別当の名あり)
伝曰、貞観二年慈覚大士。 以異物自作一寸二分薬師之像。 入瑠璃箱納石宝蔵。 而安置嶺上。 乃赤神権現祠也。云云。