天津神社 新潟県糸魚川市一の宮一丁目 式内論社(越後国頸城郡 大神社)
越後国一宮
旧・県社
現在の祭神 瓊瓊杵尊
[配祀] 太玉命・天児屋根命
本地
瓊瓊杵尊薬師如来
天児屋根命日光菩薩
太玉命月光菩薩

「日本の神々 8 北陸」

天津神社(青木重孝)

 糸魚川市街の背後、清崎の小丘陵上に鎮座し、伊勢外宮の相殿三神、すなわち、天津彦々火瓊瓊杵尊(薬師瑠璃光)・天児屋根命(日光遍照)・太玉命(月光遍照)を祀っている。 社伝によれば、景行天皇の世の創立で孝徳天皇のとき勅願所になったというが、これはもとより信じがたい。 旧一宮村と蓮台寺村に伊勢神領三百石があったことが天正十一年(1583)の『伊勢古文書集』と寛永十三年(1636)の『伊勢外宮文書』によって知られており、当社は御厨の鎮守として伊勢外宮から勧請されたものである。 その年代は必ずしも明らかではないが、社宝の女神坐像三躯(県文化財)が藤原時代後期の作であることから、ほぼ推測されよう。
 元禄三年(1690)の『一宮天津社並神宮寺縁起』によれば、往昔、勧請の霊石を乗せた神舟が押上浜(糸魚川市)に着き、そこに五輪石塔が建てられたが、神託によって隣村寺町の西端に神祠を建てて遷され、下居宮と称した。 しかしまたもや神託によって、一キロほど南方の三屋村の一つ松の下に移した。 そのとき神体を負った遠藤・近藤両氏は三代にわたって肩に神の手形があった。 また、そこにはすでに柳田社(現奴奈川神社の前身)が祀られていた。 そして、さらに神託によって両者とも清崎の現在地に遷座し、別当として高峰山教王院神宮寺(真言宗)が設けられたという。
 その年代は経王寺蔵の永享四年(1433)銘の梵鐘(県文化財)に「奉建立天津社神宮寺鐘一口」とあり、また社蔵の文安六年(1449)銘の大懸仏の鏡板に「奉懸御正体一社越後国沼河保一宮天津社宮司金王丸」とあることから、かなり古い時代にさかのぼり、中世には沼河保(のちの西頸城郡のほぼ全域)の一の宮とされていたことがわかる。