雨師明神社 奈良県吉野郡吉野町吉野山  
現在の祭神
雨師明神社罔象女神
牛頭天王社素戔嗚尊
本地
雨師明神如意輪観音十一面観音
牛頭天王薬師如来

「金峯山秘密伝」巻下

当山諸神本地異説ノ事

勝手大明神 本地多聞天。一説には大勢至菩薩。
同若宮 本地文殊師利菩薩。一説に不動明王。
子守大明神 本地地蔵。一説には阿弥陀如来。
同若宮 本地阿弥陀。
三十八所 本地千手観音。一説には十一面。秘密は胎蔵大日也。一説には金剛界三十七尊也。
金精大明神 本地金剛界大日。
佐投明神 本地地蔵菩薩。
雨師大明神 本地如意輪。醍醐寺青龍権現と同体云々。或は十一面観音
天満(北野) 本地十一面。
牛頭天王 本地薬師如来。

「大和・紀伊 寺院神社大事典」

御幸の芝明神

 竹林院の東方、老杉の木立の中の小祠。 夢違観音また雨師明神、八大竜王社と称し、吉野八社明神の一であったが、明治八年(1875)廃され、本尊の観音像は蔵王堂(金峯山寺)へ移された。
[中略]
傍らに祀られる小祠は牛頭天王社で、祭典は七月十三日。

首藤善樹「金峯山寺史」

雨師社・雨師寺

 雨師社・雨師寺は辰之尾、宋信法印墓の上方、御幸の芝にあった。 「吉野山独案内」に「雨師夢違の観音堂」、「大和名所図会」に「雨師獏観音堂」とある。 創建不詳。
 祭神は慶応四年(1868)七月の「大和国国軸山金峯山由緒略記」(東三箱五号)に 「雨師明神 水神罔象女神ナリ。御鎮座分明ナラス」 とある。 観音は本地仏という(『神変』所載「大峯山記」、小田匡保「雑誌『神変』掲載の大峯四十二宿一覧史料について」地域学研究15号による)。  古く「日本後紀」に弘仁九年(818)四月、朝廷が吉野郡雨師神に従五位下を授け雨を祈ったことが記されるが、これはおそらく丹生川上神社中社をさすと見られる。 鎌倉時代の「金峯山創草記」には記述がなく、南北朝時代の「金峯山秘密伝」に 「雨師大明神 本地如意輪。醍醐寺青龍権現ト同体。或ハ十一面観音」 と記される。 また「金峯山秘密伝」中の御嶽曼荼羅の外周左の中程に「雨師」と図示され、吉野八社明神の一つに位置づけられる由緒ある社だった。
[中略]
 明治の神仏分離で退転したが、跡地に雨師龍王・牛頭天王の祠が残る。

鈴木昭英「金峰・熊野の霊山曼荼羅」

吉野曼荼羅

 なお。ここで金峰・吉野諸社の尊名、神像形姿、本地仏の一覧を掲げることにしよう。 『私聚百因縁集』『金峰山秘密伝』『金峰山創草記』『小篠秘要集』『両峰問答秘鈔』『大乗院寺社雑記』長享二年二月二十四日条、及び金峰・吉野の諸神を描写した鏡像・懸仏や吉野曼荼羅などを全体的に照合して作成した。 本地仏の異説の多いのに驚かされる。

  神名 神像姿 本地
蔵王堂 蔵王権現 夜叉形 〔過去〕釈迦・〔現在〕千手観音・〔未来〕弥勒(または大日、あるいは地蔵)
上宮 子守三所権現 僧体 阿弥陀
女体 地蔵
俗体 十一面観音(または胎蔵界大日)
若宮姫明神 女体 阿弥陀
三十八所 俗体 千手観音
率川 女体 十一面観音
下宮 勝手大明神 夜叉形 毘沙門天(あるいは文殊、あるいは得大勢至、不動)
矢護若宮 童子形 文殊
末社 金精大明神 俗体 金剛界微細会大日(あるいは釈迦、あるいは阿閦仏)
牛頭天王 夜叉形 薬師
八王子 俗体 十一面観音(または地蔵)
大南持 俗体 薬師
雨師 俗体 如意輪観音(あるいは十一面観音)
佐抛明神 俗体 地蔵
天満天神 俗体 十一面観音