阿奈志神社 |
福井県小浜市奈胡 |
式内社(若狭国遠敷郡 阿奈志神社) 旧・村社 |
「若州管内社寺由緒記」
一 奈古村山王権現、四ヶ村惣社、本地薬師如来。
天暦四庚戌年、羽賀村より勧請す。
当年迄七百二十六年、時に同村之住人晴俊、神主と為し羽賀寺より相定る者也。
「近江・若狭・越前 寺院神社大事典」
阿奈志神社
奈胡集落の北側山裾にある。
祭神大己貴命、旧村社。
「延喜式」神名帳にみえる遠敷郡「阿奈志神杜」に比定される。
近世までは山王社または山王宮とよぱれ、安永2年(1773)の吉村定教等連署山王宮神事等ノ儀ニ付返答書(当社蔵)によれぱ、山王宮は天ヶ城に昔住んでいた三位中将源義昌が、天徳3年(958)社を建立し、日頃崇敬していた大己貴命を勧請、それ以降山王権現と号し、国富荘四カ村の惣杜としたという。
[中略]
また羽賀寺文書の山王大権現鎮座記に、山王権現の本地は医王(薬師)菩薩で、天暦元年(947)8月下旬に羽賀寺の山から青竜が出て洪水となり、山が崩れた。
同二年羽賀寺建立のときに山王権現を奈胡村に遷座し、四カ村の氏神とした。
そのとき、奈胡村の住人晴俊を神主とすることが羽賀寺の坊中より定められた。
永享元年(1429)再興され、そのとき宝聚院住持の定乗が遷宮などを執行したと記され、羽賀寺が別当だったことが知られる。