姉倉比売神社 |
富山県富山市舟倉 |
式内論社(越中国婦負郡 姉倉比売神社) 旧・村社 |
「越中志徴」巻六
(新川郡)
舟倉明神
○舟倉明神
此社は旧社にて、往古は大社なりと云。
俗に船倉権現と称す。
社記に、本社婦倉姫神、本地虚空蔵、嵯峨天皇之御勧請。
宮数五社。
三千石社領有之処、応永年中兵火に罹り悉焼亡すとありて、今旧記・古文書等伝来せず。
故に不詳と云。
別当を帝立寺と称し、神官は高倉氏にて、近邑任海村に居住す。
但婦倉姫神とするは、舟倉の地名に依て云出たるなるべし。
或云、立山の別社ならん。
○舟倉明神旧伝
越中旧事記。舟倉村舟倉権現祭礼、三月二十五日・十月十三日なり。
十月の神事は世にまれなる祭式なりとて、能登石動山の権現と闘諍の事有て、舟倉権現礫を打給ふ故、上野と云間に石更になしといへり。
又石動山の権現とは陰陽の神にて、嫉妬の事に礫を打給ふとも云伝へり。
○越中地名考云。婦負郡呉服村くれはの宮は、神名婦倉媛命と云。
能登国の能登彦神の姉なり。
一日姉倉媛織をなすとて、此くれは村に飛給ふ。
能登彦神其隙を窺て能登媛神を迎て妻とす。
姉倉媛怒て新川郡上野村に出で、能登彦神の社地に向て石をなぐる。
終に石を投尽せりとて、上野村一里地中に石なし。
今は同郡舟蔵村に鎮り給ふ。
織を業とする者皆当社に詣祈る時は、必ず験あり。
さいみ布を切て、団子を包て祭礼をなす。
土俗ヒコベ祭と云。
アンネン坊の下呉服村にも此祭あり。
両社式相似たりとぞ。
○船峅山帝立寺
舟倉村。
○真言宗なり。
貞享二年由来書に、大宝弐年文武天皇之御建立。
本尊嵯峨虚空[蔵]菩薩。
同御宇真福上人草創。
往古七堂伽藍、寺家三百六十坊在之。
然処応永年中当山及放火其頃諸坊悉退転。
縁起・記録等焼失、僅本寺一坊相残、云々。
○文政の由来記には、文武天皇御宇大宝弐年、御連枝真福親王之御開闢。
則天子勅願所にて、其頃者七堂伽藍、本尊者姉倉姫神社、本地虚空蔵菩薩。
則嵯峨より勧請之由。
宮数五社並帝立寺衆徒坊数三百六十坊在之、御朱印三千石御寄附之由。
然処其後応永年中当山悉焼失。
只今者五社並本尊帝立寺迄相残るとあり。
嵯峨虚空蔵菩薩像は船峅山帝龍寺に秘仏として祀られており、三十三年に一度、姉倉比売神社に遷座して開帳される