荒川神社 |
新潟県村上市小岩内 |
式内論社(越後国磐船郡 荒川神社) 旧・村社 |
現在の祭神 |
罔象女命・応神天皇 [合祀] 大日孁貴命・保食神 |
小池内広「越後国式内神社考」
荒川神社
越後風土記節解に、在荒川里、祭神罔象女神也とあり、
[中略]
此小岩内の嶺上に名高き薬師堂あり、俗に嶽のやくしと云、
甚旧地にて、もと村上城主松平大和守殿のころまては、領主の修覆営膳にて、時々参詣もりしとそ、
此堂守はもと真言宗観音寺といひしを(証書あり)、万治二年、右の松平大和守の時、寺山号を山高山医王院と称て修験とせられ、松源村長松寺の末たり(旧より末寺にありける歟、いかゝ、此松源村には名高き古志王社あり、長松寺はその別当にて、古志王山といへり)、
此薬師の前立と唱へて、小岩内にも堂をたてゝ薬師仏をまつる、
此のやくしを昔より俗にあらひと神と唱ふ(片鄙に古言の遺れるなるへし)、
其境内にいと古き松二樹ありて、其下に荒人神としるせる石碑立りとそ(此老老樹一本は、近年枯倒れたり)、
此嶽薬師山の背後の麓桂村にも、薬師を移模して祭る堂あり、
こゝに内広考ふるに、此嶽の薬師堂は、即荒川神社の奥の院本地仏にもありけむ、
神社の真後の山上にあれはなり、
殊に其まへたちの薬師を其辺挙りてあらひと神と申すも、神社にふかくよしありけなり