有鹿神社 |
神奈川県海老名市上郷1丁目 |
式内社(相模国高座郡 有鹿神社) 旧・郷社 |
「新編相模国風土記稿」巻之六十五
(村里部 高座郡巻之七)
河原口村
有鹿神社
式内郡中小社五座の一なり(【延喜式神名帳】に高座郡五座、有鹿神社と見ゆ)
鎮座の年代を伝へず、
清和帝の御宇貞観十一年十一月神階を従五位上に進めらる(【三代実録】曰、貞観十一年十一月壬申、授相模国従五位下有鹿神社従五位上)
社蔵に永和の古縁起、天正の続縁起あり(共に其頃の物とは見えず)
古縁起に祭神は大日霊なり、
天平勝宝六年八月郷士藤原広政と云者、夢兆に因て神祠を修整す、
同八年九月墾田五百町を、神供料に充られし由を載す、
続縁起に天正三年四月別当総持院現住慶雄夢中に神霊の告ありて神祠の東北池中に於て、石一顆を覔得たり、
此を神躰と崇奉すと云ふ(社内にあり、淡黒色にして、高五寸周回九寸あり)
今海老名郷五村の総鎮守なり、
例祭年々四月八日
神輿を兒て、村北磯部村内勝坂(二里を隔つ)と云所に到る、此地に洞あり、有鹿谷と呼ぶ、爰に神輿を駐て神事を修し六月十四日帰座するを例とす、
別当は総持院なり
△鐘楼 元禄二年再鋳の鐘を掛く(応永二十四年の古鐘ありしが、破裂すと云ふ)
△末社 諏訪 稲荷 山王合社
△碑 門前に立つ、当国十三座之内有鹿神社と彫る
総持院
海老山満蔵寺と号す、古義真言宗(京東寺宝菩提院末)本尊虚空蔵を安ず(有鹿神社の本地仏と云ふ)