愛宕神社 埼玉県所沢市三ヶ島(愛宕神社旧地)
埼玉県所沢市糀谷(八幡神社)
糀谷八幡神社の境内社
現在の祭神 軻遇突智神
本地 勝軍地蔵

「武蔵野火禦愛太子大権現由緒」

 武蔵州入間郡三ヶ嶋郷三島山は狭山北の方え続、村里より凡三丈余高き山也。 故に麓に高根といへる地名あり。 花表より五拾間程東に当て細き川あり、是を清滝と云。
 抑々当山愛宕大権現本社の義は、人皇四十代、天武帝の御宇、白鳳年中役行者詔を奉て、諸国に神社を開基す。 当社は同十三年入間郡三社の勧請第一武蔵野火伏鎮守、 神躰軻遇突智命鎮座、
[中略]
正安三年村山貫主頼家二男宮寺五郎嫡男小太郎家良、謂在りて当山に入、先祖父母追善菩提のため修験入道、玉蔵坊良円、男宮寺坊良伝と改め、当院七世中興開基、 応長元年京都愛宕山より移し本地堂建立、家平守本尊丈壱尺二寸、弘法大師御作、勝軍尊の像本地堂に安置す。

「新編武蔵風土記稿」巻之百五十九
(入間郡之四)

三ヶ嶋村

龍蔵院

本山派修験なり、 応長元年良円と云もの起立す、 此良円は宮寺五郎と云しものゝ子にして、初宮寺小太郎家吉と称し、此所に蟄居し優婆塞となりて世々土着す、
[中略]
いつの比よりにや勝軍地蔵の像一躯を蔵す、 霊験あらたかなる故、是を神体として愛宕権現を勧請せり、 されば此権現領として御朱印を賜はりしと云、
明治41年、三ヶ島の愛宕神社を糀谷八幡神社の境内社に合祀。