愛宕神社 東京都港区愛宕1丁目 旧・村社
現在の祭神 火産霊命
[配祀] 罔象女命・大山祇命・日本武尊
本地 勝軍地蔵

「江戸名所図会」巻之一(天枢之部)

愛宕山権現社

同(真福寺)南に並ぶ。 世俗、城州愛宕山に同じといへども、おのづから別なり。 本地仏は勝軍地蔵尊にて、行基大士の作なり。 永く、火災を退けたまふの守護神なり。
[中略]
縁起に曰く、天平十年戊寅、行基大士、江州信楽の辺行化のとき、当社の本地、将軍地蔵尊の像を彫刻したまひ、後、安倍内親王に奉る(第四十六代孝謙天皇の御事なり)。 親王、かの地に宝祠を営みて、これを安置なしたまふ(その旧跡をも、いま、宮村と名づく)。 しかるに、天正十年壬午の夏、台旗泉州を発したまひ、大和路より宇治を経て、江州信楽に入らせたまふ。 このとき多羅尾四郎右衛門といへる者の宅に、舍らせられける頃、あるじこの像を献ず。 その節、同国磯尾村の沙門神証といふを供せられ、この霊像を持して東国に赴きたまふ。 しかりしより御出陣ごとに、神証をしてこの勝軍地蔵尊を祈念せしめらる。 つひに、慶長八年癸卯の夏、台命によつて同庚子年、石川六郎左衛門尉、当山を闢き、仮に堂宇を造建したまひ、その後、同十五年庚戌、本社を始めことごとく御建立あり。

「御府内備考続編」巻之二十

愛宕権現社(愛宕山)

勧請之儀慶長八年に御座候、
[中略]
○本社
  神躰(神秘)
  脇立不動明王(厨子入、丈台共一尺一寸)
  毘沙門天(厨子入、丈台共一尺二寸五分)
  不動明王(厨子入、木座像、丈台共一尺六寸)
   八大童子(丈三寸五分)
  同(厨子入、木立像、丈一尺六寸、弘法大師作)
   二童子
  朝日愛染明王(厨子入、木座像、丈一尺七寸)
[中略]
○本地堂(方四間、起立之儀は金剛院之条に記す) 向拝(二間に九尺)
  本地仏勝軍地蔵尊
  開帳仏(厨子入、木像、丈六寸三分)
  弘法大師(木像、丈二尺、御府(内)八十八ヶ所之内第二十番)
  毘沙門天(木立像、丈三尺六寸、厨子入)
  歓喜天厨子入
[中略]
○末社
  太郎坊社(梁間二間半、桁行三間) 神躰(秘封)
  稲荷社(八尺五寸に七尺七寸)
  祇園社(竪一丈一尺、横八尺二寸五分)
  荒神社(竪一丈一尺、横八尺二寸五分)
  春日大明神・天照大神宮・八幡宮合社(二間に二間五寸)
  弁天社(一尺五寸に八尺二寸)
[中略]
○別当愛宕山宝珠院円福寺 山城国無量寿院末
[中略]
○護摩堂(梁間三間、桁行六間)
  本尊地蔵菩薩(厨子入、座像、丈二尺五寸余、定朝作)